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第1章 スズメの上京
第4話 幸太郎、東京駅にて剛を迎える
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1931年の東京――8年前の関東大震災という未曽有の自然災害を経てもなお人口540万人の巨大都市。
ニューヨークには及ばないが、シカゴやロサンゼルスをしのぎ、パリと拮抗するだけの人々が密集する人口過密都市に降り立った一人の青年は、その光景に圧倒される。
「見ると聞くとでは大違いと言うが、こいつはすごい」
羽佐間剛は出迎えの友人が待つ改札口へと向かおうとしたがなかなか要領を得ない。何よりも剛を驚かせたのは、人の歩く速度である。静岡の片田舎では経験することのない人波に逆らえず、右往左往しているうちに聴きなれた男の声を耳にする。
「こっちだ、こっち! 羽佐間! 左だ、いや、そっちじゃない後ろだ、後ろ」
きょろきょろと見回すうちに、剛に向かって手を振る男の姿が目に入った。
「やあ、今そっちに……」
剛は人の流れに乗らないように改札を出る流れと改札から入ってくる流れのちょうど真ん中に位置していた。迎えに来てくれている長谷川幸太郎には、手紙にで、"列車の後ろに乗るべし"、"そのまま人の流れに沿って行くべし"、"改札を出ず手前で待つべし"と指示を出していた。
剛はそれを守り、さほど苦労することなく高等学校の級友と約5年ぶりに再会することができた。
「相変わらず剛毅な男だ。幸太郎は」
身長は180センチ、骨太な偉丈夫は、それでも東京での暮らしが長いせいか、身なりだけはモダンなスーツ姿でともすれば欧米人と見間違えてしまうほどに目鼻立ちもくっきりとしている。声は太く、大声を出せば千里先まで届くがごとしだが、剛は長谷川幸太郎の力強くも優しい声に安心感を覚えることがしばしばあった。
自分にはないものを、この剛毅な級友は全て持っているのではないか。
しかし、そこに妬みのような薄暗い感情を持つことはなく、憧憬すら禁じ得ない存在であった。
「剛もあれだな、よくも悪くも変わりないな。ちゃんと飯は食っていたのか?」
長谷川幸太郎は迎え入れた友人を行き交う人波から守るように誘導し、有無を言わさず剛の持っている大きな革鞄を取り上げた。
「おいおい、女性のような扱いは……」
剛が困惑すると偉丈夫の友人は、大きな声で笑い、そして小声で囁いた。
「例の物、持ってきてくれているんだろう? この中か? それなら俺が荷物を持っても問題なかろう?」
人懐っこい笑顔で剛には大きなカバンを軽々と持ち上げて見せる。
「ああ、確かにそうだが。いい大人がはしゃぎ過ぎだと思うがな」
そう言いながらも剛は東京で5年も暮らしても変わらない級友の人となりを微笑ましく感じていた。
ともすれば二人のやりとりが子どもと大人のやりとりに見えてしまうのは、剛の身長が170センチに満たないことよりも、圧倒的な生命力の総量にそれほどの差があるからに他ならないが、精神的には対等であるか、剛の方がやや大人びた感がある。
「下宿先に案内する前に、どうだ、腹をすかしていないか? 剛、オレはペコペコだぞ」
人を気遣っているようで、自分の要望を押し付けるような言い方は、昔から変わっていない。剛は幸太郎のそういう遠慮のないところが羨ましく、そして頼もしく思っていた。
「そうだな。東京見物ついでに、久しぶりに幸太郎の豪快な食いっぷりを見たくなったな」
「そうだろう。そう思って実はもう予約をしてある」
「根回しの良い事だ」
「手回しが早いと言ってくれ、俺はそういうややこしいのは嫌いだ」
「ああ、そうだったな」
「ああ、そうともよ」
チュン、チュン
「仲がいいのね」
それまで黙って話を聴いていた鈴音が剛の羽織の袖から姿を現し、二人の頭上を一回りして剛の左肩に止まった。
「ほう、これは面白いものを飼っているな。相変わらず動物には好かれると見える。剛は」
「なんだよ、それ。まるで動物以外にはけむたがれているような言いようは、聞き捨てならないな」
「まぁ、まずその前にだ」
幸太郎は早足でまくしたてるようにしゃべるものだから、剛は自分が今どのあたりを歩いているのかまるで意識をしていなかったが、先を歩いていた幸太郎が振り向きざまに剛の後ろを指差した。
「これがあの震災でもびくともしなかった東京駅よ!」
剛が振り返った先には、先ほど人でもみくちゃにされかけた東京駅の駅舎がそびえ立っている。
「おお、なるほど、これはまた、絶景かな」
1923年の関東大震災は、まだ高等学校に通う二人に大きな影響を与えた。
剛はそのために東京の帝都大学に進学することを親に反対されて断念し、幸太郎は周囲の反対を押し切って単身東京に出たのである。
その後、手紙でのやり取りはしていたものの、お互いに震災からの復興の真っただ中、それぞれの立場で忙しい時間を過ごしてきたのである。
「俺はなぁ、剛、関東大震災の翌年に上京してこいつを見たときに、この国はまだまだやれると確信したのさ。そして見て見ろ。この景色を。たった7年の間でここまでの復興を為し得た国だ。この不況にだって必ず乗り越えられると、俺は思っているのだがな」
剛はレンガ造りのモダンな建物に圧倒され、言葉を失っていた。
「あれはな、剛よ。レンガを1枚1枚丁寧に重ね、間を埋める漆喰を完全に乾くまで天日干して作られているそうだ。動員された工事関係者はのべ70万人を超えるほど、多くの時間と手間をかけて作られたこいつに、俺はすっかり惚れ込んだ。だから俺も、こんなすごい建物をこの東京のど真ん中に建設して名を上げたいと思った。わかるだろう。剛よ」
剛は東京駅の駅舎の素晴らしさよりも、そこに夢を見出し、それに向かって真っすぐに前を見ている幸太郎が眩しくて仕方がなかった。
「ああ、お前の言うとおりだな。これはのっけからすごい物を見せられた。見ると聞くでは大違いとはまさにこのことだな」
グー
それは幸太郎の腹の中から聞こえてきた腹の虫の音である。
「良い物をみるとな。俺は昔から腹が減るのだ」
幸太郎は情けない音を立てた腹をポンとたたいて見せる。
「行くか、幸太郎」
「ああ、行こう」
二人は路面電車に乗り、空腹を満たしに神田方面に向かったのであった。
ニューヨークには及ばないが、シカゴやロサンゼルスをしのぎ、パリと拮抗するだけの人々が密集する人口過密都市に降り立った一人の青年は、その光景に圧倒される。
「見ると聞くとでは大違いと言うが、こいつはすごい」
羽佐間剛は出迎えの友人が待つ改札口へと向かおうとしたがなかなか要領を得ない。何よりも剛を驚かせたのは、人の歩く速度である。静岡の片田舎では経験することのない人波に逆らえず、右往左往しているうちに聴きなれた男の声を耳にする。
「こっちだ、こっち! 羽佐間! 左だ、いや、そっちじゃない後ろだ、後ろ」
きょろきょろと見回すうちに、剛に向かって手を振る男の姿が目に入った。
「やあ、今そっちに……」
剛は人の流れに乗らないように改札を出る流れと改札から入ってくる流れのちょうど真ん中に位置していた。迎えに来てくれている長谷川幸太郎には、手紙にで、"列車の後ろに乗るべし"、"そのまま人の流れに沿って行くべし"、"改札を出ず手前で待つべし"と指示を出していた。
剛はそれを守り、さほど苦労することなく高等学校の級友と約5年ぶりに再会することができた。
「相変わらず剛毅な男だ。幸太郎は」
身長は180センチ、骨太な偉丈夫は、それでも東京での暮らしが長いせいか、身なりだけはモダンなスーツ姿でともすれば欧米人と見間違えてしまうほどに目鼻立ちもくっきりとしている。声は太く、大声を出せば千里先まで届くがごとしだが、剛は長谷川幸太郎の力強くも優しい声に安心感を覚えることがしばしばあった。
自分にはないものを、この剛毅な級友は全て持っているのではないか。
しかし、そこに妬みのような薄暗い感情を持つことはなく、憧憬すら禁じ得ない存在であった。
「剛もあれだな、よくも悪くも変わりないな。ちゃんと飯は食っていたのか?」
長谷川幸太郎は迎え入れた友人を行き交う人波から守るように誘導し、有無を言わさず剛の持っている大きな革鞄を取り上げた。
「おいおい、女性のような扱いは……」
剛が困惑すると偉丈夫の友人は、大きな声で笑い、そして小声で囁いた。
「例の物、持ってきてくれているんだろう? この中か? それなら俺が荷物を持っても問題なかろう?」
人懐っこい笑顔で剛には大きなカバンを軽々と持ち上げて見せる。
「ああ、確かにそうだが。いい大人がはしゃぎ過ぎだと思うがな」
そう言いながらも剛は東京で5年も暮らしても変わらない級友の人となりを微笑ましく感じていた。
ともすれば二人のやりとりが子どもと大人のやりとりに見えてしまうのは、剛の身長が170センチに満たないことよりも、圧倒的な生命力の総量にそれほどの差があるからに他ならないが、精神的には対等であるか、剛の方がやや大人びた感がある。
「下宿先に案内する前に、どうだ、腹をすかしていないか? 剛、オレはペコペコだぞ」
人を気遣っているようで、自分の要望を押し付けるような言い方は、昔から変わっていない。剛は幸太郎のそういう遠慮のないところが羨ましく、そして頼もしく思っていた。
「そうだな。東京見物ついでに、久しぶりに幸太郎の豪快な食いっぷりを見たくなったな」
「そうだろう。そう思って実はもう予約をしてある」
「根回しの良い事だ」
「手回しが早いと言ってくれ、俺はそういうややこしいのは嫌いだ」
「ああ、そうだったな」
「ああ、そうともよ」
チュン、チュン
「仲がいいのね」
それまで黙って話を聴いていた鈴音が剛の羽織の袖から姿を現し、二人の頭上を一回りして剛の左肩に止まった。
「ほう、これは面白いものを飼っているな。相変わらず動物には好かれると見える。剛は」
「なんだよ、それ。まるで動物以外にはけむたがれているような言いようは、聞き捨てならないな」
「まぁ、まずその前にだ」
幸太郎は早足でまくしたてるようにしゃべるものだから、剛は自分が今どのあたりを歩いているのかまるで意識をしていなかったが、先を歩いていた幸太郎が振り向きざまに剛の後ろを指差した。
「これがあの震災でもびくともしなかった東京駅よ!」
剛が振り返った先には、先ほど人でもみくちゃにされかけた東京駅の駅舎がそびえ立っている。
「おお、なるほど、これはまた、絶景かな」
1923年の関東大震災は、まだ高等学校に通う二人に大きな影響を与えた。
剛はそのために東京の帝都大学に進学することを親に反対されて断念し、幸太郎は周囲の反対を押し切って単身東京に出たのである。
その後、手紙でのやり取りはしていたものの、お互いに震災からの復興の真っただ中、それぞれの立場で忙しい時間を過ごしてきたのである。
「俺はなぁ、剛、関東大震災の翌年に上京してこいつを見たときに、この国はまだまだやれると確信したのさ。そして見て見ろ。この景色を。たった7年の間でここまでの復興を為し得た国だ。この不況にだって必ず乗り越えられると、俺は思っているのだがな」
剛はレンガ造りのモダンな建物に圧倒され、言葉を失っていた。
「あれはな、剛よ。レンガを1枚1枚丁寧に重ね、間を埋める漆喰を完全に乾くまで天日干して作られているそうだ。動員された工事関係者はのべ70万人を超えるほど、多くの時間と手間をかけて作られたこいつに、俺はすっかり惚れ込んだ。だから俺も、こんなすごい建物をこの東京のど真ん中に建設して名を上げたいと思った。わかるだろう。剛よ」
剛は東京駅の駅舎の素晴らしさよりも、そこに夢を見出し、それに向かって真っすぐに前を見ている幸太郎が眩しくて仕方がなかった。
「ああ、お前の言うとおりだな。これはのっけからすごい物を見せられた。見ると聞くでは大違いとはまさにこのことだな」
グー
それは幸太郎の腹の中から聞こえてきた腹の虫の音である。
「良い物をみるとな。俺は昔から腹が減るのだ」
幸太郎は情けない音を立てた腹をポンとたたいて見せる。
「行くか、幸太郎」
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