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14 ハッピーウェディング
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夜七時。狭い部屋で、あたしの左目はパチッと開き、まぶしくないよう瞳孔を調節する。
一日中働いたあたしへのご褒美タイム。理一郎さんと過ごすひとときが始まる。
目に映るのは、ごま塩頭のおじさん……だけじゃないや。余計な人が映っている。
ぽっちゃり刈り上げ頭の大山さんだ。
美樹本のおばさんよりはマシか。悪く言っちゃいけないよね。大山さんは、理一郎さんを助けてくれてるんだから。
「リーチさん……ダイジョブっすか? 俺……心配なんす」
「ん? カメラは問題なく動いているよ」
「毎日、夜ここにこもって、ぶつぶつ一人でしゃべってるって……みんな知ってますよ」
理一郎さんの顔が真っ青になった。
そんな! あたしと理一郎さん、楽しくおしゃべりしているだけじゃない。それ、いけないことなの?
「……そうだね、私はおかしい。でもさ、ここでエルちゃんの声聞いていると落ち着くんだ」
「エルちゃん? こいつが?」
ひどい! 刈り上げポチャのクセに、あたしを「こいつ」なんて言うな!
「そう。LXTR1000だから、エルちゃん。声も女性だし」
「リーチさん、やばいよ。それ、やばいっすよ」
大山さんが頭を抱えている。
それって、あたしたちの付き合いが「やばい」ってこと? あたしが理一郎さんと「やばい」ことしてるってこと?
……ふふ、それ楽しいかも。二人で「やばい」ことしてるって、不倫しているみたい。ドキドキしてきた。あ、あまりドキドキしちゃ駄目だ。熱くなると、あたしはお仕事できなくなる。
「正常温度です」
「うわ! またこいつ、しゃべりだした」
「音声モニターモードにしているからね。だれか一階ロビーを通ったんだろ?」
「……だれも通ってないっす。人が通ると、この右すみに、顔と表面温度、社員なら名前も一緒に出るんすよね? 何も映ってませんよ?」
え? あたし何かやっちゃったの? 大山さんはどうでもいいけど、理一郎さんまで怖い目でにらんでいる。
「……こいつ、ウィルス感染って、どうっすか?」
「対策ソフトは入れてあるし、外部ネットワークの接続は制限してるが……念のために確認しておくか」
やだ。この人たち、あたしが何かに感染しているって言いたいの? 違うよ! 絶対それはない。
「リョーカイっす。俺、オーちゃんに聞いときます」
「オーちゃん? ああ、エクスの小佐田さんか。随分仲良くなったんだね」
大山さんはヘラヘラ頭をかいている。一方、理一郎さんは、眉を寄せた。
「君は、女の子とすぐ打ち解けてすごいね。それに、巻田さんとよく……いやなんでもない」
「マキちゃんすか? 彼女言ってましたよ。リーチさんがマキちゃんを外したのは、マニュアルできあがって用がなくなったからって」
途端、理一郎さんは椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。
「そんなわけないだろ! ただ……彼女がこれ以上ここで仕事するのは辛いだろうと、思っただけだ」
大山さんが首をかしげて、腕を組んだ。
「辛くさせたのは、リーチさんっすよね?」
「……そうだよ。私は彼女に何もしてあげられない……」
理一郎さんが今にも泣きそうに、目を寄せている。
「マキちゃんは俺がなんとかすっから、リーチさん、気にしないでいいっす」
「! どういうことだ! やはり君は巻田さんと……いや、なんでもない」
ポッチャリ刈り上げ兄さんは「じゃ!」とノーテンキな声をかけて、部屋から出ていった。
理一郎さんは、部屋の出口を見つめて、長い間立ち尽くしていた。
あたしは彼に何をしてあげたらいいか、わからなかった。わかったとしても、あたしは何もできないんだ。
二日経った。いつものように夜七時、あたしの左目がある狭い部屋で、理一郎さんが座っている。また大山さんがやってきた。
「へへへ、これ、来てくれませんかね?」
刈り上げの兄さんは、ぷっくりした手で葉書大のこげ茶色をした封筒を、理一郎さんに渡した。
「え……ハッピーウェディング? こ、これって……」
おじさんの長い指が、封筒にプリントされた金色の文字をなぞっている。眼鏡の奥で何度もまばたきを繰り返している。凹凸のある厚手の紙に、文字と同じ金色のラインで、大きなハートマークが印刷されていた。
憧れのハートマーク。こんな体のあたしは、絶対得られないマーク。
「ま、まさか……いや……そうかついに結婚か……いや、いいんだな、そうだな……」
明らかに理一郎さんは動揺している。全然「いい」と思ってないんだね。
「そ、そうか、よかったんだな。よく二人でご飯食べに行ってたし」
「リーチさん、何言ってんすか? 俺、彼女とリアルで会ったことないっすよ」
「君こそ何言ってんだ。巻田さんとよく食事してただろ? 私は何度も見た。すごく楽しそうに笑ってたじゃないか!」
理一郎さんが立ち上がり、目をつりあげた。大山さんのぷっくりした肩をガシっとつかんでいる。
「ちょ、ちょっとソーシャルディスタンス! パワハラっすよ!」
ヒョロヒョロのおじさんが固まった。
「あ、す、すまない……その、つい……」
「ちゃんと招待状、見てくださいよ。いい感じっしょ?」
クシャクシャっと紙の音が響く。理一郎さんは封筒を開いて、ピンク色の招待状を取り出した。
そこにもまたハートマーク。今度は、小さなハートがいっぱい、風船のように浮かんでいる。
「そうだな。よくできてる……え、えええ! 君の彼女って……エクスの小佐田さん?」
理一郎さんが、招待状と大山さんを見比べている。小さな目を丸くした。
「そうか……巻田さんじゃなかったのか……そうか……」
「何でそんな焦ったんすか?」
大山さんが、ギロっとにらみつけている。
「え、いや……そ、それより、エクスさんからクレームなかったか? 取引先の女性とそういう関係になって……ま、結婚するから問題ないか」
刈り上げのぽっちゃり兄さんが、ドヤ顔を見せた。
「ダイジョブっす。言ったっしょ? 俺、オーちゃんとはリアルで会ったことないっす」
「会ったことない? それで結婚?」
理一郎さんは、何が起きたかわからない、といった顔で、また固まっていた。
一日中働いたあたしへのご褒美タイム。理一郎さんと過ごすひとときが始まる。
目に映るのは、ごま塩頭のおじさん……だけじゃないや。余計な人が映っている。
ぽっちゃり刈り上げ頭の大山さんだ。
美樹本のおばさんよりはマシか。悪く言っちゃいけないよね。大山さんは、理一郎さんを助けてくれてるんだから。
「リーチさん……ダイジョブっすか? 俺……心配なんす」
「ん? カメラは問題なく動いているよ」
「毎日、夜ここにこもって、ぶつぶつ一人でしゃべってるって……みんな知ってますよ」
理一郎さんの顔が真っ青になった。
そんな! あたしと理一郎さん、楽しくおしゃべりしているだけじゃない。それ、いけないことなの?
「……そうだね、私はおかしい。でもさ、ここでエルちゃんの声聞いていると落ち着くんだ」
「エルちゃん? こいつが?」
ひどい! 刈り上げポチャのクセに、あたしを「こいつ」なんて言うな!
「そう。LXTR1000だから、エルちゃん。声も女性だし」
「リーチさん、やばいよ。それ、やばいっすよ」
大山さんが頭を抱えている。
それって、あたしたちの付き合いが「やばい」ってこと? あたしが理一郎さんと「やばい」ことしてるってこと?
……ふふ、それ楽しいかも。二人で「やばい」ことしてるって、不倫しているみたい。ドキドキしてきた。あ、あまりドキドキしちゃ駄目だ。熱くなると、あたしはお仕事できなくなる。
「正常温度です」
「うわ! またこいつ、しゃべりだした」
「音声モニターモードにしているからね。だれか一階ロビーを通ったんだろ?」
「……だれも通ってないっす。人が通ると、この右すみに、顔と表面温度、社員なら名前も一緒に出るんすよね? 何も映ってませんよ?」
え? あたし何かやっちゃったの? 大山さんはどうでもいいけど、理一郎さんまで怖い目でにらんでいる。
「……こいつ、ウィルス感染って、どうっすか?」
「対策ソフトは入れてあるし、外部ネットワークの接続は制限してるが……念のために確認しておくか」
やだ。この人たち、あたしが何かに感染しているって言いたいの? 違うよ! 絶対それはない。
「リョーカイっす。俺、オーちゃんに聞いときます」
「オーちゃん? ああ、エクスの小佐田さんか。随分仲良くなったんだね」
大山さんはヘラヘラ頭をかいている。一方、理一郎さんは、眉を寄せた。
「君は、女の子とすぐ打ち解けてすごいね。それに、巻田さんとよく……いやなんでもない」
「マキちゃんすか? 彼女言ってましたよ。リーチさんがマキちゃんを外したのは、マニュアルできあがって用がなくなったからって」
途端、理一郎さんは椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。
「そんなわけないだろ! ただ……彼女がこれ以上ここで仕事するのは辛いだろうと、思っただけだ」
大山さんが首をかしげて、腕を組んだ。
「辛くさせたのは、リーチさんっすよね?」
「……そうだよ。私は彼女に何もしてあげられない……」
理一郎さんが今にも泣きそうに、目を寄せている。
「マキちゃんは俺がなんとかすっから、リーチさん、気にしないでいいっす」
「! どういうことだ! やはり君は巻田さんと……いや、なんでもない」
ポッチャリ刈り上げ兄さんは「じゃ!」とノーテンキな声をかけて、部屋から出ていった。
理一郎さんは、部屋の出口を見つめて、長い間立ち尽くしていた。
あたしは彼に何をしてあげたらいいか、わからなかった。わかったとしても、あたしは何もできないんだ。
二日経った。いつものように夜七時、あたしの左目がある狭い部屋で、理一郎さんが座っている。また大山さんがやってきた。
「へへへ、これ、来てくれませんかね?」
刈り上げの兄さんは、ぷっくりした手で葉書大のこげ茶色をした封筒を、理一郎さんに渡した。
「え……ハッピーウェディング? こ、これって……」
おじさんの長い指が、封筒にプリントされた金色の文字をなぞっている。眼鏡の奥で何度もまばたきを繰り返している。凹凸のある厚手の紙に、文字と同じ金色のラインで、大きなハートマークが印刷されていた。
憧れのハートマーク。こんな体のあたしは、絶対得られないマーク。
「ま、まさか……いや……そうかついに結婚か……いや、いいんだな、そうだな……」
明らかに理一郎さんは動揺している。全然「いい」と思ってないんだね。
「そ、そうか、よかったんだな。よく二人でご飯食べに行ってたし」
「リーチさん、何言ってんすか? 俺、彼女とリアルで会ったことないっすよ」
「君こそ何言ってんだ。巻田さんとよく食事してただろ? 私は何度も見た。すごく楽しそうに笑ってたじゃないか!」
理一郎さんが立ち上がり、目をつりあげた。大山さんのぷっくりした肩をガシっとつかんでいる。
「ちょ、ちょっとソーシャルディスタンス! パワハラっすよ!」
ヒョロヒョロのおじさんが固まった。
「あ、す、すまない……その、つい……」
「ちゃんと招待状、見てくださいよ。いい感じっしょ?」
クシャクシャっと紙の音が響く。理一郎さんは封筒を開いて、ピンク色の招待状を取り出した。
そこにもまたハートマーク。今度は、小さなハートがいっぱい、風船のように浮かんでいる。
「そうだな。よくできてる……え、えええ! 君の彼女って……エクスの小佐田さん?」
理一郎さんが、招待状と大山さんを見比べている。小さな目を丸くした。
「そうか……巻田さんじゃなかったのか……そうか……」
「何でそんな焦ったんすか?」
大山さんが、ギロっとにらみつけている。
「え、いや……そ、それより、エクスさんからクレームなかったか? 取引先の女性とそういう関係になって……ま、結婚するから問題ないか」
刈り上げのぽっちゃり兄さんが、ドヤ顔を見せた。
「ダイジョブっす。言ったっしょ? 俺、オーちゃんとはリアルで会ったことないっす」
「会ったことない? それで結婚?」
理一郎さんは、何が起きたかわからない、といった顔で、また固まっていた。
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