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二章 一人ぼっちの少女

25 日食と月食

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 アレックスの地球帰還は、年を越してからと聞いている。
 年明け、ホテルのスタッフの気遣いにより、ひみこは、おせち料理というものを初めて口にした。
 ロボットのアレックスが現れ、近寄ると撃退するのも同じ。が、彼は女優アイーダとの逢瀬に忙しいのか、モニター越しに現れることはなかった。


 三が日が明けても、ひみこは鬱々とした気分でモニターを眺める。気乗りしないままニュースチャンネルを映した。

『今日は、月食があります。札幌では、夕方、十六時、皆既の状態で昇ります』

 皆既月食は、ひみこが子供の時、真夜中、親にたたき起こされ、無理矢理見させられた覚えがある。地球の影にすっぽり覆われた赤黒い月は、不気味で怖かった。
 皆既日食は見たことがないが、部分日食なら一度あった。月みたいに欠けた太陽が何か可愛かった。
 時代遅れのプログラムのタマだが、日本政府と通信をしていたので、大きなニュースはタマが通訳して鈴木家に配信される。目立った天文現象はひみこも知っていた。

 あの不気味が月が見られるのだろうか?
 いつものように現れたロボットのフィッシャー先生に話してみる。

「今日の札幌は曇りです。見るなら、中継がお勧めです。ハワイからの映像が届きます」

 ハワイ! それは高級ビーチに寝そべり、キラキラしたトロピカルフルーツを頬張る楽園。
 もしかして、アレックスの奴はそんなところに行ってるんだろうか? いや彼は宇宙に行く、日食を見に行くと言っていた。

「アレックスは、日食って言ってたけど、月食の間違いじゃない?」

「間違いではありません。地球で月食が見られるのは、太陽によってできる地球の影が月を隠すからです」

 学習用モニターには、太陽と地球と月が一直線に表示されている。月が移動し、地球の影に入り込んだ。

「この時、月から見ると、太陽は地球の後ろに隠れます。つまり、地球で月食が発生すると、月では日食が起きるわけです」

 ひみこの疑問は解消された。彼が宇宙に行く理由がわかった。

「月から見られる『日食』も中継しますよ」

 フィッシャーが指さしたモニターには、月と地球と太陽の関係を表した図や、前回の月から見えた日食の動画が表示される。
 ひみこは、アレックスが羨ましくなった──金持ちってすごい。わざわざ、月まで出かけてこんなものを見に行くんだ。それで女優のアイーダさんと正月もイチャイチャしているんだ。ま、いいけど

 ひみこの沈み込んだ気分に関係なく、フィッシャー先生は勉強を促す。

「月食は午後三時からなので、日本の成り立ちを勉強しましょう」

「日食と月食の勉強しないんですか?」

「月食とは地球の影が月を隠すこと。日食とは、月が太陽を隠すことです。今回の勉強は、日食に関係ありますよ。日本というのは、太陽が出るところ、という意味ですから」

 日本の成り立ち? 日食や月食の勉強の方がいい。
 ひみこは、時計台で日本の年表見て憂鬱になって以来、ずっと避けていた。
 フィッシャー先生の授業も、最近、ペースアップしている。

「今の日本は他の多くの国と同じで、共和制です。国の代表である大統領は選挙で選ばれます」

 選挙? 共和制? ひみこにはよくわからず、ボヤっと聞いている。

「しかし、今世紀の中頃まで共和制ではなく、象徴天皇制でした。大統領ではなく国の代表は、天皇……エンペラーでした。大統領とは違い、政治権力は持っていません」

 天皇は何となくわかる。が、象徴とか言われてもピンとこない。ひみこは眠くなってきた。

「天皇の資格は血筋にあります。日本語族は急速に減少しましたが、天皇の家も例外ではありませんでした。最後の天皇は女性でしたが、奈良時代まで家系を遡りようやく見つかりました。彼女は七十歳まで普通の日本語族として生きていました」

 七十歳まで普通の人をやってたのに、天皇をやらされる──ちょっと興味が湧いてきたが、眠いことにはかわらない。

「日本が天皇を有する神秘の国であることは、外国人観光客を呼ぶ大きなメリットがあるため、日本語族が減少しても天皇制を維持してきました。最後の天皇は十年間在位しましたが子供がいなかったので、日本は憲法を改正し共和制に移行しました」

 難しい話が続くが、少しだけひみこは、最後の天皇に同情というか共感を覚えた。彼女は最後の天皇、そして自分は最後の日本語族。

「大統領制に移行したため、それまで天皇家に遠慮して調査を控えていた天皇陵とされる古墳を、考古学者は一斉に発掘を始めました」

 古墳? 発掘? また、つまらない話になってきた。

「その発掘調査のおかげで、長年、謎とされてきた邪馬台国の女王、卑弥呼の墓が特定できたのです」

「ヒミコ? ええええ!」

 ひみこの目が覚めた。
 自分と同じ名の女王。まさか、この札幌で彼女の名を耳にするとは思わなかった。
 東京の日々が蘇る。

************


『ねえ、あなた、この子の名前、どうする?』
 女が生まれたばかりの赤子をあやしている。
『そーだなー、可愛いから、メグってどうだ?』
『いいわね。でも、私はこの子に希望を持ってほしいの。ノゾミってどう?』
『いい名前だね。ノゾミちゃーん、パパだよ~』
 親になったばかりの若い夫婦は、微笑を交わしていた……。


 はーあ、うちの親たちとは全然違うよなあ。
 ひみこは、モニターの猫キャラタマに促されるまま、ドラマのワンシーンを見て、ため息をついた。
 タマのドラマセレクトは、ロマンスだけではなく、ホームドラマも多い。家族のすばらしさを伝えることで、結婚を促そうという目的なのかもしれない。
 タマの目的はどうであれ、ドラマに飽きたひみこは、何か食べたくなった。

「父ちゃん、今日は釣り、行かないの?」

「毎日行ってられるか。ひみこ、お前、行けよ」

 諦めて母に話しかける。

「ねー、母ちゃん、パンとか焼かないの?」

「ひみこ、あれは貰うもんだよ。うちには道具がないから、できるわけないよ」

 やはり無駄だった。

「ねー、どうしてあたしの名前『ひみこ』って言うの?」

 この質問には、何も期待していなかった。
 が、両親が顔を見合わせ、ニヤッと笑った。

「はははー、ちゃんと聞けよ。お前の名前はな、俺たちが考えて付けたんだぞ!」

 少女は首をかしげる。いや、普通、子供の名前って親が考えるんじゃないの?

「そうねー、あたしたちの親なんてひどいよ。どうせ、最後の日本人だから、男なら太郎、女なら花子って、決めつけたんだよ」

 急速に減っていった日本語族には子供の名前を考える力がなく、『タマ』が勧める名前をそのまま付けていた。
 だから、鈴木夫妻が自慢げに話すのも無理からぬことだった。

「すごいんだぞ、お前の名前はな、邪馬台国の卑弥呼様からとったんだぞ!」

 聞いたことのない名前を聞かされ、ひみこはまた首をかしげる。

「そうなんだよ。あんたがお腹にいたころ、うちらの県から、卑弥呼様の墓の証拠が見つかったってすごいニュースがあってね、それで決めたんだよ」

「お前は最後の日本語族だ。だから最初の女王様の名前にするのって悪くないだろ?」

 普段喧嘩している両親だが、この時ばかりは、仲良く二人で盛り上がっていた。


************


 あれだ。両親の話を思い出した。

「ねえ! もっと卑弥呼様の話、教えて!」

 ひみこは、学習の場において、初めて目をキラキラと輝かせた。
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