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三章 国民のアイドル

39 まるでゲーノージン

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 最後の日本語族であるティーンエージャーの少女──。

 それはセンセーショナルなトピックとなった。
 ひみこの代理AIによるプレゼンテーションは、リアルでもVRでも各地に配信され、イベントに活用された。
 誰もがはじめ、文明を理解できない先住民族を憐れむ。しかし、ひみこの分身は、豊富な知識を淀みなく語る。
 遠く離れた両親への感謝を忘れない。涙は出ないが声を詰まらせる。
 日本語と完璧な共通語を巧みに使い分ける。

 瞬く間に「鈴木ひみこ」の名は、日本中、そして世界の日本マニアの間に拡散された。
 当初、彼女が完全に合成されたAIだと噂されたが、札幌の時計台で佇む鈴木ひみこの姿がしばし目撃され、モデルの本人が存在することが判明した。


 ひみこは、いつものように時計台を目指してジョギングしていたが、いつもと違って、時計台の前に三人の若い男が待ち構えじっと見つめていた。
 自分は普通の日本人ではない。札幌に移って一年半経ったが、この世界にはまだ馴染めない。何かやってしまったんだろうか?

「あの……何でしょうか?」

 ひみこは恐る恐る男たちに、声をかけた。

「うわあ、すごいなあ。やっぱモデルいたんだ。顔も声もおんなじだ」

 待ち構えた男たちに囃し立てられる。ああ、そういうことか。ひみこは、すんなり事情を理解した。

 ひみこの代理ロボットが人気沸騰でアイドルになっていることは、アレックスから散々聞かされた。ファンからのメッセージビデオも見た。

『ひみこ! 素晴らしい。君の努力の成果だよ!』

 アレックスにそう言われ抱きしめられても、あまりよくわからなかった。
 だって、あれは自分ではないから。
「彼女」の豊富な知識、完璧な共通語と日本語。自分を捨てた両親への愛。どれもこれも自分にはない。

「私は、違いますよ」

「へー、やっぱ、本物は日本語族だ」

「ジガイマジュヨ、だって、可愛い~。やっぱ日本語族だ~」

 自分の下手くそな共通語を、この人たちはバカにしている。あのプレゼンテーション・コンテストでウシャスのゴーグルを通じて感じた気持ちと同じだ。

「失礼します」

 一礼して、ひみこは去ろうとするが、腕を掴まれた。

「ねえ、日本語、話して」

 脳にチップがなくたってわかる。彼らは自分を原始人だとバカにしている。

「離してください!」

「ハナジデ だって~」

「離せよ! お前とは口聞きたくねーんだよ!」

 不覚にもひみこは、日本語をこぼしてしまった。

「やった~、日本語日本語」

「あっちのひみことは、違うね。すぐ怒るんだあ」

「きゃははは。やっぱ、そーだよなあ。日本語族が、あんな頭いーわけねーし」

 わかってるよ! あたしがバカだって! いくら勉強しても発音一つ、バカにされる!

「うるさい! 黙れ!」

 ひみこの怒りは、ただ若い男たちは喜ばせるだけだった。いくら彼女が抵抗しても、彼らは捕まえた細い腕を離さない。

 首都札幌の観光スポット時計台──。多くの人が行き交うが、目に映らないかのように通り過ぎるか、もしくは遠巻きにしてただ成り行きを見ているだけだ。

「離せよ! ウザイ! お前らキモイ!」

 いくら叫んでも、彼女の言葉は、礼儀知らずの若者にも眺めている人にも急ぎ足で歩く人にも、通じない。だって日本語だから。この日本に日本語を話せる人間はたった三人しかいないから。

「わーい、もっと日本語日本語」

「すげー、本当の原始人」

 その時。
 どこからともなく、ローブをかぶった人間、いやロボット・パーラが、男らの背後に現れた。

「記録し警察に転送しました」

 ロボットがフィッシャーと同じ声で事務的に言い放つ。

「ええ? 俺たち、ひみこのファンで仲良くしたいだけなのに」

「あなた方のしたことは、暴行罪に問われますよ……鈴木ひみこはダヤル財団の保護下にあります」

「へー、ダヤルねえ。だから何なの?」

「仕方ありません」

 ロボットのゴムの指先から光が投射され、目の高さにある空間に、青い制服をつけた若い女の顔が表示される。

「サイバー犯罪対策官、特別許可をいただけますか? ウシャス防御を発動します」

「百mV以下に抑えてください」

 対策官の了解を得たロボットは、ひみこを囲む男らの瞳を次々に覗き込む。

「ウシャス?……うわあああ、ごめんなさいいいいい!」

 三人の男は喚きながら、去っていった。


 ひみこは、おずおずと、フィッシャーと同じ声のロボットに頭を下げる。

「ありがとう……ございます」

 以前、グエン・ホアとホテルのカフェにいたとき、同じようなロボットがどこからか現れた。その時は、ホアとの時間を邪魔され腹が立ったが、今回は守ってくれた。
 なぜ彼らが逃げたのか、ひみこにはわからないが、助かったことは事実だ。
 落ち着いたところで辺りを見回した。

 二十二世紀、首都札幌の人たち。ある人は忙しそうに、ある人はゆったりと歩く。
 ドラマで見たときと服装は変わり、ゆったりとしたロングパンツやロングスカートとフード付きのシャツが目立つ。このロボットと同じで、昔の魔法使いのよう。
 これほど多くの人が歩いているのに、誰も助けてくれなかった──都会は冷たい──それはこの時代も変わらないようだ。

「ひみこさん、戻りましょう。あなたの顔は知られすぎている。ホテルのジムなら、世界中のどこへでも行けます。時計台が好きなら、同じルートを再現します」

 フィッシャーのロボットに促されるがひみこは「いいえ。いりません」と断る。
 ジムなら世界だって宇宙だって行ける。ウシャスのチップを脳に着けることができれば、視覚聴覚だけではなく、体感重力も変えられ、軽くしたり重くしたりできると聞いている。が、ひみこは「この」時計台が好きだった。

「顔を隠します。サングラス下さい……ヘヘ、ゲイノージンミタイデ、ナンカ、カッコイイナ」

 思わず日本語がこぼれる。

「わかりました。警備体制を強化しましょう」

「それもいりません。それより警察はどう呼ぶの? これで呼び出せるのは、ホテルの人とフィッシャーさんだけ?」

 ひみこは、左掌に貼り付けられたスキンデバイスを見せつける。しかしロボットはひみこの依頼をにべもなく断る。

「……その必要はありません。我々が守ります」

 納得できないまま、ひみこはロボットに付き添われ、タクシーでホテルに戻った。
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