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三章 僕は彼女に知らせたい
55 心が見える未来
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四条リューを駅まで送り、僕は葛城奈保子先生の研究室に戻った。
慎重に准教授室のドアをノックする。「失礼します」と一言添えて。
「三好君、ごめんごめん。完全にパワハラやってしまった」
先生はいつも通りの笑顔を向けて立ち上がり、電気ポットに紙コップを二つ置いた。コーヒーの香りが漂ってくる。一つを僕に手渡した。
「砂糖とミルクいる?」
「いいえ、ブラックで。ありがとうございます」
准教授室には何度もお邪魔しているが、コーヒーを淹れてもらうのは初めてだ。パイプ椅子に座り、先生と向かい合う。
「その、先生は、四条リューを、こ、殺したいって」
開口一番、物騒なことを尋ねてしまった。
「ああ、それホント!」
堂々と殺意を表明されてしまった。
「レイ君が死んで、あいつに毎日いろいろ言われたけど、それほど悲しいんだなって受け止めてた。ヘラヘラしてるって叱られたけど、あたしまで泣いて潰れたら、何もできないじゃん。それに……」
先生は肩で息をはいた。
「苦しかったのはレイ君。何もしてやれなかったあたしが泣くのは、許されないよ」
「あ、先生、それは」
泣いていいんじゃないかと言いたかったが、僕は口を閉ざした。
先生は微笑んでいる。その微笑みを見ていると、何も言えなくなる。
「ある日、あいつ珍しく早く帰ってきて、わざわざ台所に来て『料理なんか適当でいい』って言うんだ。その時、玉ねぎをみじん切りしてたんだけど……突然、包丁でうるさい男を消したくなったんだ」
カラカラと能天気に恐ろしい告白をしてくる。僕は何もコメントできない。
「自分でもびっくりしたよ。憎いとかじゃない。邪魔だから消去したくなったんだ」
好きで結婚した相手なのに、対応を間違えると殺意が生まれるのか。
「だから家を出て、ずっとあいつを避けてたけど、レイ君を仕事に使ったことは許せなくて呼び出した。ダメだね~、アハハ、あいつを殺したってなーんも意味ないのに」
葛城先生は頬杖をついて笑った。
「あたし、全然わからなかった。レイ君のこと」
「四条さんから、息子さんが勉強できないって聞きました」
「へー、あいつ、あたしがレイ君を塾に行かせなかったから死んだって、言ってるんだ」
「あ、いや、そんな感じじゃなくて」
僕は言葉を濁した。四条リューは彼なりに後悔しているようだが、先生はどんな弁明も受け付けないだろう。
「あたしは、勉強できなくてもたまに学校休んでもいいじゃんって、思ってた。夏休みの宿題ができなかったら、先生にごめんなさいすればいい、ううん……」
先生は、コーヒーの紙コップを置いてため息をついた。
「宿題できないってあたしに言ってくれれば、何とかした。あたしが代わりにやって、間に合わなかったら、レイ君と一緒に、先生に謝ったのに」
僕は何も言えず、苦いコーヒーを口に含む。
「あたしは子供のこと何もわからなかった。見えなかった。でもさ、今はブレイン・マシン・インタフェースがあるんだよ」
唐突に話が研究室のテーマに変わる。
先生が机のパソコンを操作すると、モニターにプレゼン資料が表示された。
「病気って昔は観察と触診で診断してた。それは基本だけど、今はX線に血液検査、エコーにCTなど、テクノロジーで病気を見つけるんだよ」
医療と科学技術の密接な関係を表した年表が、画面に表示されている。
「昔は隠れていた病気が、技術の力で見つけられる。それをね」
先生はマウスをクリックした。
「人間の心でもやりたいんだよ」
画面には『BMIで心の見える化』と大きなフォントがキラキラ点滅している。
「心の状態は、心拍数や発汗、呼吸にも現れる。でもそれだけでは、具体的に何に悩んでいるかはわからないよね」
「悩みは口に出さないとわかりませんよ」
「みんな本当のこと言わないじゃん」
先生は少し首を傾けいたずらっぽく笑った。
「ああ、勘のいい人なら何も言わなくてもお見通しさ。でも、わからない人間がいるんだよ、あたしみたいに」
先生こそ何を言いたいのか、よくわからない。
「BMIの研究を進めれば、超鈍感なあたしだってわかるようになるだろ? 何に悩んでるか、苦しんでるか。検査機械が人を救うように、心の機械で人を助けたいんだ」
先生がBMIの研究を進めるのは、死んでしまった息子への無念からだろうか。心が見える機械があれば、息子の自殺を止められたかもしれない、と。
ブレイン・マシン・インタフェースで人を救う――血液検査のように心を可視化する装置――。
健康体のフリをしても、血液検査は隠された病を白日のもとにさらす。
同じように、言葉で誠実に取り繕っても、心を数値化できるようになれば、不実を暴くことができる。
他人を理解するツールに留まらない。自分を他者に理解させるツールになる。どれほど言葉を重ねて伝わらない気持ちも、BMIを介せば伝えられる!
人は言葉を発明し、文字を発明し、通信技術を発展させ、多量の情報を扱えるようになった。
人間の脳そのものをダイレクトにアウトプットする時代がやってくる……いや、僕も時代の到来を待つだけではなく、作る側にまわろう!
「先生! 僕にもBMIの研究をやらせてください!」
衝動的に立ち上がった。パイプ椅子がガタンと鳴る。
「あ、ごめん三好君! 気ぃ遣わせちゃったね」
「いえ、決心しました。心の見える化、実現させましょう!」
葛城先生は微笑んだままゆっくり立ち上がった。
「そっか……じゃあ、がんばれ。あ、うちの研究室人気あるから、それまでジャンケンの腕、鍛えるんだよ」
「ジャンケン?」
「うちの学科は研究室配属、ジャンケンで決める場合が多いんだ」
なかなかアナログな方法だが、成績順より好感がもてる。それに葛城研に入れなくても、BMIの研究はできるだろう。
「まず情報工学科に進めるよう、がんばります」
頭を下げて、僕はドアノブに手をかける。
と、背後から声をかけられた。
「お母さんに心配かけちゃだめだよ。不満があったら溜め込まないで伝えるんだよ」
先生が僕と母の関係に口うるさいのは、子供のことが原因だったのか。
「コーヒーごちそうさまでした」
先生の微笑みに僕も微笑みで返した。
薄暗い廊下で、僕は力強く足を踏みしめる。
先生の重い過去を聞かされたというのに、力がみなぎってくる。
ブレイン・マシン・インタフェース。
篠崎あいらへ復讐するには、もってこいの強力なツールだ!
慎重に准教授室のドアをノックする。「失礼します」と一言添えて。
「三好君、ごめんごめん。完全にパワハラやってしまった」
先生はいつも通りの笑顔を向けて立ち上がり、電気ポットに紙コップを二つ置いた。コーヒーの香りが漂ってくる。一つを僕に手渡した。
「砂糖とミルクいる?」
「いいえ、ブラックで。ありがとうございます」
准教授室には何度もお邪魔しているが、コーヒーを淹れてもらうのは初めてだ。パイプ椅子に座り、先生と向かい合う。
「その、先生は、四条リューを、こ、殺したいって」
開口一番、物騒なことを尋ねてしまった。
「ああ、それホント!」
堂々と殺意を表明されてしまった。
「レイ君が死んで、あいつに毎日いろいろ言われたけど、それほど悲しいんだなって受け止めてた。ヘラヘラしてるって叱られたけど、あたしまで泣いて潰れたら、何もできないじゃん。それに……」
先生は肩で息をはいた。
「苦しかったのはレイ君。何もしてやれなかったあたしが泣くのは、許されないよ」
「あ、先生、それは」
泣いていいんじゃないかと言いたかったが、僕は口を閉ざした。
先生は微笑んでいる。その微笑みを見ていると、何も言えなくなる。
「ある日、あいつ珍しく早く帰ってきて、わざわざ台所に来て『料理なんか適当でいい』って言うんだ。その時、玉ねぎをみじん切りしてたんだけど……突然、包丁でうるさい男を消したくなったんだ」
カラカラと能天気に恐ろしい告白をしてくる。僕は何もコメントできない。
「自分でもびっくりしたよ。憎いとかじゃない。邪魔だから消去したくなったんだ」
好きで結婚した相手なのに、対応を間違えると殺意が生まれるのか。
「だから家を出て、ずっとあいつを避けてたけど、レイ君を仕事に使ったことは許せなくて呼び出した。ダメだね~、アハハ、あいつを殺したってなーんも意味ないのに」
葛城先生は頬杖をついて笑った。
「あたし、全然わからなかった。レイ君のこと」
「四条さんから、息子さんが勉強できないって聞きました」
「へー、あいつ、あたしがレイ君を塾に行かせなかったから死んだって、言ってるんだ」
「あ、いや、そんな感じじゃなくて」
僕は言葉を濁した。四条リューは彼なりに後悔しているようだが、先生はどんな弁明も受け付けないだろう。
「あたしは、勉強できなくてもたまに学校休んでもいいじゃんって、思ってた。夏休みの宿題ができなかったら、先生にごめんなさいすればいい、ううん……」
先生は、コーヒーの紙コップを置いてため息をついた。
「宿題できないってあたしに言ってくれれば、何とかした。あたしが代わりにやって、間に合わなかったら、レイ君と一緒に、先生に謝ったのに」
僕は何も言えず、苦いコーヒーを口に含む。
「あたしは子供のこと何もわからなかった。見えなかった。でもさ、今はブレイン・マシン・インタフェースがあるんだよ」
唐突に話が研究室のテーマに変わる。
先生が机のパソコンを操作すると、モニターにプレゼン資料が表示された。
「病気って昔は観察と触診で診断してた。それは基本だけど、今はX線に血液検査、エコーにCTなど、テクノロジーで病気を見つけるんだよ」
医療と科学技術の密接な関係を表した年表が、画面に表示されている。
「昔は隠れていた病気が、技術の力で見つけられる。それをね」
先生はマウスをクリックした。
「人間の心でもやりたいんだよ」
画面には『BMIで心の見える化』と大きなフォントがキラキラ点滅している。
「心の状態は、心拍数や発汗、呼吸にも現れる。でもそれだけでは、具体的に何に悩んでいるかはわからないよね」
「悩みは口に出さないとわかりませんよ」
「みんな本当のこと言わないじゃん」
先生は少し首を傾けいたずらっぽく笑った。
「ああ、勘のいい人なら何も言わなくてもお見通しさ。でも、わからない人間がいるんだよ、あたしみたいに」
先生こそ何を言いたいのか、よくわからない。
「BMIの研究を進めれば、超鈍感なあたしだってわかるようになるだろ? 何に悩んでるか、苦しんでるか。検査機械が人を救うように、心の機械で人を助けたいんだ」
先生がBMIの研究を進めるのは、死んでしまった息子への無念からだろうか。心が見える機械があれば、息子の自殺を止められたかもしれない、と。
ブレイン・マシン・インタフェースで人を救う――血液検査のように心を可視化する装置――。
健康体のフリをしても、血液検査は隠された病を白日のもとにさらす。
同じように、言葉で誠実に取り繕っても、心を数値化できるようになれば、不実を暴くことができる。
他人を理解するツールに留まらない。自分を他者に理解させるツールになる。どれほど言葉を重ねて伝わらない気持ちも、BMIを介せば伝えられる!
人は言葉を発明し、文字を発明し、通信技術を発展させ、多量の情報を扱えるようになった。
人間の脳そのものをダイレクトにアウトプットする時代がやってくる……いや、僕も時代の到来を待つだけではなく、作る側にまわろう!
「先生! 僕にもBMIの研究をやらせてください!」
衝動的に立ち上がった。パイプ椅子がガタンと鳴る。
「あ、ごめん三好君! 気ぃ遣わせちゃったね」
「いえ、決心しました。心の見える化、実現させましょう!」
葛城先生は微笑んだままゆっくり立ち上がった。
「そっか……じゃあ、がんばれ。あ、うちの研究室人気あるから、それまでジャンケンの腕、鍛えるんだよ」
「ジャンケン?」
「うちの学科は研究室配属、ジャンケンで決める場合が多いんだ」
なかなかアナログな方法だが、成績順より好感がもてる。それに葛城研に入れなくても、BMIの研究はできるだろう。
「まず情報工学科に進めるよう、がんばります」
頭を下げて、僕はドアノブに手をかける。
と、背後から声をかけられた。
「お母さんに心配かけちゃだめだよ。不満があったら溜め込まないで伝えるんだよ」
先生が僕と母の関係に口うるさいのは、子供のことが原因だったのか。
「コーヒーごちそうさまでした」
先生の微笑みに僕も微笑みで返した。
薄暗い廊下で、僕は力強く足を踏みしめる。
先生の重い過去を聞かされたというのに、力がみなぎってくる。
ブレイン・マシン・インタフェース。
篠崎あいらへ復讐するには、もってこいの強力なツールだ!
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