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三章 僕は彼女に知らせたい

57 ラスボス攻略

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 都心から少し外れた街のホテルでの、クリスマスディナー。
 子供の頃、毎年、両親と祖父母に連れられ、ホテルのレストランでフレンチのフルコースを食べさせられた。小さな個室を貸しきってのクリスマス。部屋の片隅には、アップライトピアノ。
 デザートが出る頃、母と一緒にピアノを弾きながら、クリスマスソングを歌った。
 祖父が亡くなり祖母は施設に移った。一家団欒なクリスマスはなくなった。


 僕が両親とクリスマスを過ごすのは十年ぶりか。
 大きな丸テーブルを二家族、六人が囲んでいる。
 かつて祖父母がいた席に、篠崎あいらの両親が座っている。その娘は僕の右隣で肩を強ばらせている。

「あいらさん、お酒はどうかな?」

 父にじっと見つめられ、あいらは「はい、たまに飲みます。レモンサワーとか梅酒が好きです」とうつむき加減で答えた。

「いいね。趣味が合いそうだな。私は風呂上がりの缶ビールだな」

 母が父の肩をつつく。

「若い女の子に無理にお酒を勧めないで」

 ソムリエが次々とグラスにワインを注いだ。二十歳前の僕は別のボトルで、ノンアルコールワインだ。
 父がワイングラスをとる。

「このホテルは、私が新入社員のとき再開発で誘致に関わり思い入れがあって……失礼、気になさらず、今夜はくつろいでください」

 あいらの父、桑原さんが立ち上がって頭を下げた。

「こんな立派な席に、ありがとうございます」

 オードブルが並べられた。父が昔話や時事ニュースなど次々と話題を提供したので、クリスマスディナーは和やかに進行した。


 あいらと暮らしたい。両親に絶対認めさせてやる! あの夜、ラストダンジョンに挑む勇者の気持ちで実家に帰った。
 が、玄関に現れた母の一声で、僕の闘志は崩れ去る。

「やっぱり、赤ちゃんできたのね!」

 いきなり飛んできたトンデモ発言に、僕は固まった。母に腕をとられ、リビングのソファに座らされる。前には目をつり上げた父の顔。

「あれほど言ったのに……どういうつもりだ?」

 思い出した。
 以前、僕は父にあいらへの復讐について電話で相談した。復讐の相談はできなかったが、父は、僕が彼女を妊娠させたと勘違いした。
 父は誤解したままなのだろう。これは、むしろ都合がいい。

「あいらと一緒に暮らします。許してくれないなら、マンションを出て安いアパートを借ります」

「マーちゃん! 出ていくなんて言わないで!」

 父は母の肩をさすり、僕に向き直った。

「生活費はどうする?」

 ラスボスの攻撃に、僕は頭を回転させ対処する。

「アルバイトします。個人塾の講師なら稼げます」

 父が頬杖をついてため息をついた。

「三人で暮らせる物件となると、最低でも月七万だな。バイト代は家賃で消える。親子三人だと生活に二十万はかかるぞ」

 この程度の攻撃は、想定済みだ。

「貯金の一部を投資に回します。資金が貯まったら、会社を立ち上げます」

「会社を起こす? 事業計画はあるのか?」

 事業計画? ボスの思わぬ攻撃に、僕は頭を必死に巡らす。

「あ、え、その……システム開発とかWEB制作とかプログラム塾とか……」

「はぁ? うちに営業に来るスタートアップの連中は、業界を研究して、物件・管理業者・空き家情報の検索システムを提案してくるぞ。何も決めずに会社? お前、社会をなめてねーか?」

 コイツはこういう男だ。僕を一切認める気はない。前、僕に頭を下げたが、あれは口先だけだった。

「黙れ! 僕は絶対、彼女と一緒に暮らす! 駄目なら大学やめて働く」

「マーちゃん! もうやめて!」

 母の金切り声がリビングに響き渡る中、父がゆっくり身を乗り出した。眼前に顔を突きつけられる。

「本気か?」

 この男の眼力から逃げ出したくなるが、こぶしを握り締め力を振り絞る。

「ほ、本気です」

「甘すぎるな……ま、大学はちゃんと卒業しろ。博士目指すんだろ?」

 あれ? 父の声色が柔らかくなったが、気のせいか?

「引っ越しは無駄だ。小遣いはそのままだぞ。足りない分は自分で何とかしろ」

 父は渋い顔つきを崩さないが、僕とあいらの同居は認められたらしい。ラストバトルは唐突に終わった。
 母がため息をついた。

「篠崎さんのお母さんはお掃除の人で、お父さんとは不倫でしょ? 正直、付き合ってほしくなかったけど、赤ちゃんには罪ないわね」

 あいらの両親の関係は、僕も気になる。

「両親はともかく、篠崎さん自身は工業大学の優秀なお嬢さんだ。素行も問題ない。三好の嫁として不足はないだろう」

 あいらが優秀かどうかは微妙だが、父に評価されるのはいい気分だ。

「本当は星佳ちゃんに来てほしかったけど、彼氏できたのよね。マーちゃんでは敵わないすごい子」

「星佳の彼氏? 母さん、何言ってんだ?」

「まだ星佳ちゃんに未練あるの? 音大コンサートのチケットくれたじゃない」

 チケットのことをすっかり忘れていた。
 アンサンブルサークルの発表に音大生を呼ぶ見返りとして、彼らのコンサートのチケットをサークルとして買うことになった。
 僕はチケットを二枚買い、あいらと誘うつもりだった。が、元カノの舞台を二人で見にいくのは気まずいと思い直し、母にチケットを譲った。

「ピアニストの子、天才よ。マゼッパにはびっくりしたわ」

 マゼッパ? 難曲が多いリストの作品の中でも、特に難しいピアノ曲だ。もちろん、僕には手も足も出ない。

「俺にはよくわからんが、ピアノの彼は、青山さんと仲良く並んで挨拶してたな」

 母は父とコンサートに行ったのか。星佳の彼とは、彼女が見せてくれた動画のボサボサ頭のピアニストだろう。ラフマニノフのピアノ協奏曲と同じように、マゼッパも華麗に弾きこなしたに違いない。
 母は、ある意味僕よりも星佳に執着していたのに、天才ピアニストの登場で諦めてくれた。息子より天才ピアニストの方が評価高いのは、仕方ないが面白くない。

 父が立ち上がった。しかめ面が剥がれ笑っている。不気味な笑顔だ。

「ピアノか。久しぶりにホテルで母さんのピアノを聴くか。篠崎さんたちを招待しよう」

 クリスマスといえば、昔、ホテルのディナーの席で、母のピアノを聴かされた。父の唐突な思い付きがわからない。

「何であいらの親を?」

「お前は、娘を妊娠させた男だ。恨まれて当然だ。少しでも誠意を見せないとな」

 父が母を妊娠させた時、祖父母から恨まれたのだろうか?
 妊娠の誤解は解かないといけないが、同居が認められた。まだこのままにしておこう。


 翌日、大学であいらを捕まえ、両親とのクリスマスディナーを提案した。
「服がないし、私も親もマナーとかわからなくて」と抵抗され「お母さん、反対してない?」と何度も質問される。
 無理もない。興信所に調べられ、母から別れを強要されたのだ。
「家族だけのカジュアルな席だから」「嫌なら断っていいよ」と宥めて別れる。
 その日の夜、あいらは、招待を受けるとLINEで返してきた。

 さらに翌日、数学の演習中に、父から、ホテルのレストランにクリスマスディナーの予約を入れたと、LINEが入る。珍しくも誤字脱字がなかった。
 演習が終わり、また実家に戻る。遅くに帰宅した父を玄関で迎えた。
 父は僕がドアを開けたので「おい、どうした?」と目を丸くしている。いつもしかめ面しているこの男を驚かせた。小さな勝利を覚える。
 母が夕食のテーブルでオズオズと切り出した。

「マーちゃん、篠崎さんとこっちで暮らさない? 赤ちゃんの世話は私がするわ。篠崎さんだって大学卒業したいでしょうし、今の子は、子供がいても働きたいんでしょ?」

「敷地に離れを建てるか。お前が博士になり就職できるまでは、その方がいいだろ」

 まずい。親と一緒に暮らすなんてごめんだ。あいらだって嫌だろう。この辺で誤解を解いておこう。

「父さんも母さんも勘違いしてるけど、あいらは妊娠してません。彼女の勉強が大変だから、大学近くのマンションで一緒に暮らして助けたいんです」

 父と母は顔を見合わせた。

「そういうことは早く言って! 私、お父さんが紹介したリフォーム会社に電話しちゃったのよ」

 いくらなんでも先走りすぎだ。本当に妊娠したとしても、僕とあいらに確認せず勝手なことするな。

「同居のこと、あちらのご両親に話しちゃったんでしょ? いまさら反対なんてできないわね」

 もちろんそれを狙って、このタイミングで事実を明かしたのだ。

「雅春、後で話そう」

 父は低い声でボソッと呟いた。
 しまった。こちらのボスには、時間差攻撃は通用しない。


「お前、篠崎さんとは遊びだったんだろ? なぜ気が変わった?」

 父は椅子を回転させて、僕に顔を向ける。書斎に入った途端、直球をくらった。

「お父さんが反対するのは、あいらの両親の問題ですか?」

「母さんは嫌がっているが、不倫はよくあることだ。かといって、桑原さんの離婚の慰謝料まで肩代わりする気はないが」

 不倫がよくあること? 僕にはこの男のモラルが理解できない。

「そんなことより、お前が問題だ」

「僕は、本気であいらを守りたい。助けたいんです」

「本気だと? 八月の素行調査では、篠崎さんはお前とマンションで会っただけで、外へ出かけた様子はない。男は、本気の女とはこんな付き合いはしない」

 ちくしょうコイツ、鋭いな。

「遊びの女は普通、本気の女にはならない。きっかけがある」

「僕は、あいらが頑張ってるから、助けたくなったんです」

 父は僕の返事を無視して、自説を主張する。

「例えば、女に他の男がいた時だな。他人の物ほど欲しくなるんだよ」

 ボスの静かで致命的な攻撃が、急所を突く。僕の血液は逆流した。

「ふざけんな! あいらはそういう女じゃない! 最初から僕だけだ!」

「図星か。若い時にはよくある……が、焦りや対抗心でモノにした女は、手にした途端、飽きるんだよ」

 急所の穴に、ゴリゴリと棒を埋め込まれる。

「報告書の通りなら、篠崎さんはいいお嬢さんだ。息子がいいお嬢さんに飽きてポイ捨てしたら、親としては胸糞悪いだろうな」

 まさかこの男は、僕の目的を知っているのか? いや、わかるはずがない!

「信じてください。僕は、彼女の力になりたいんです」

「ま、今は何を言っても聞かねえか、何事も経験だ……最悪、俺と母さんが土下座するか」

 何とかラスボスに認められ、僕は書斎を後にした。


 父さん、鋭いね。
 でも、当分の間、気にしなくていいよ。
 僕があいらを捨てるのは、父さんが心配するよりずっとずっと先なんだ。
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