ママの忘れもの 私と彼女の五十年

さんかく ひかる

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退勤の必須アイテム

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 最近、忘れものが多い。傘は普通に置き忘れるし、家の鍵も閉め忘れる。
 そして今、重要なアイテムを、どこかに忘れてしまった。


 事務所机には、高さ三十センチの書類タワーがそびえ、周辺に何本ものボールペンが散らばっている。
 書類の束をめくって、探しものが挟まっていないかチェックする……ない!
 床に置いたビジネスリュックを開ける。前のポケットに……ない! 内ポケットに……ない!
 アレがないと、私は会社から出られない。朝、誰かが出勤するまで。

 会社が新しいビルに引っ越した日、カードキーを渡された。出入りは自由だが、最後に帰る人は、カードキーを使って施錠しなければならない。
 カードキーがないと、最後まで残れない。残ってはいけない。鍵がかけられない。
 このカードを渡されたとき「高いから失くすな」と総務担当から脅された。このままでは始末書提出は間違いない。
 いや、今は始末書を心配する時ではない。このままでは家に帰れないのだ。

 私はオフィスをあとにした。カードの行方に心当たりがある。
 昼休み、コンビニで弁当を買ったとき、カードキーが収まっているホルダーをリュックにしまった……気がする。
 カードキーは社員証を兼ねている。昼休みぐらい会社員であることから離れたいので、私はいつも、カードの入ったホルダーをリュックにしまう。

 しまおうとしてカードを落としたのでは? と予測を立てて、問題のコンビニに向かった。
 予測は正しかった。コンビニでちゃんとカードが保管されていた。

「うわああ! 本当に助かりました!」

 嬉しくて、買うつもりがなかったフルーツティーとチョコクロワッサンを購入する。
 夜十時。
 この時間、およそ三十人が働く小さなオフィスには、私しかいない。週に四日はこんな感じだ。


 三十センチの書類タワーの材料は、ウェブ制作業者の見積書、健保組合の雑誌、レンタルサーバーの請求書、作りかけの稟議書、大型テーマパークの割引券、アプリ制作業者のプレゼン資料、健康診断の問診票……

 最優先タスクは、ITフェア展示会のリポートだ。来週月曜の午後イチに、全社員の前で展示会の報告をしなければならない。
 写真を見せて、こんなの行ってきました、では、許されない。
 なぜその企業のブースを見学したか、会社にとってどんなプラスがあるか、具体的な数字を盛り込んで発表しなければならない。
 以前は出張報告会すらなかったのに、とある役員がやってきてから、許されなくなった。


 私はパソコンのブラウザを立ち上げた。以下の検索ワードを入れる。

<仕事やる気ない>

 ヒットしたページをザっと眺める……やる気がでなくても始める、細かいタスクに分割する、机をきれいにして環境を整える……どのページも中身は同じ。
 やる気を出す方法は、ほぼマスターした。何十回も見た。やる気のペーパーテストがあるなら、九割以上正解できる。
 が、やる気がないから、正解が実践されることはない。
 次のワードを入力する。

<ニュース>

 単に、ニュースサイトを検索するためのキーワードだ。仕事と関係ないサイトをお気に入りに登録するのは、胸が痛む。
 お気に入り登録はためらうのに、仕事と関係ないネットサーフィンにためらいはない。
 クリックするのは、炎上しそうなトピックス。ニュースの本文より、コメントを読む方が好きだ。本文を読まないでコメントだけを読むこともある。

 私は毎日、夜十二時までこんな風に過ごす。
 書類タワーは日々成長するが、報告書は無垢な赤子のままだ。
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