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ある委員会の広報誌より
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後ろめたいことほど楽しいものはない。
背徳感とは、なんと缶ビール……でなくて、なんと甘美なこと。
たとえば、このような事例はいかがであろうか。
人目を忍び、特定の嗜好者でなければ立ち入ることができない禁断の聖地にこっそり脚を運ぶ。そこでは誰もが、後ろめたさで目を伏せながらも、至福の時を過ごす。背を丸め、こそこそと身から、片手に収まる大きさにまとめられた包みを取り出す。
その小さな包みには、指の長さに揃えられた程よい弾力を持つ棒がいくつも入っている。棒の直径は大体小指の半分ほどだろうか。
棒を取り出し口に加え、もう片方の先で激しい酸化反応を起こさせる。
その刹那。魂は清められ高みに昇るのだ。
できうることなら、この禁断の聖地に留まっていたい。
しかし、非才の我が身に与えられた時は、ごくわずか。
女神の誘いを振り切って聖地を去り、再び戦いの場に赴く。
戻った我を、同志が暖かく迎える。
「いいよねー、喫煙者って。煙草タイム認めてくれるなんて。こっちもお茶タイムとかお菓子タイム、欲しいよ」
「思い切って禁煙しましょ! 最初の三か月耐えれば、大丈夫だって。オレ、すっかり健康になっちゃいましたよ」
「マジ、肺がんって一番ヤバいんだよ」
「吸うのは勝手だけど、その臭い、何とかして」
周りから犯罪者のように責められ、詰られ、存在自体が害悪だと言われ続ける。
責めさいなむ言葉ほど、心地よいものがこの世にあろうか。
だから、煙草はやめられない。
他にも、後ろ暗いからこそ、やめられないことはたくさんある。
酒。賭博。性産業。いずれも度が過ぎれば身を亡ぼす。いや、だからこそ、人は抜け出せないのだろう。
お気づきであろうか。
これらのことは、すべて未成年者には禁止されているということを。
子どもには許されないことが、大人には許されるのだ。
背徳感という名の快楽が、待っている。
では、成人にだけ許される究極の快楽を、これから説明しよう。
それは、一つの招待状から始まる。招待状には宴の日時と場所が記されている。
宴の場所は時間内なら出入り自由。しかも参加費は無料なのだ。
招待者は国家。
国がわざわざ非才なわが身を宴に招いてくれる。
これほどプライドをくすぐることがあろうか。招待に応じない手はないではないか。
せっかくなので招待を受けてみよう。宴は、朝から夜まで、全国のあちこちで開かれている。
招待状だけを持ってそこに行けばよい。
会場は豪華なホテルということはない。大体、古い学び舎だったり、集いの場であることが多い。
それがいいのだ。
かつて友と戯れた場所である人もいるであろう。幼なじみと鉄棒でどちらが先に逆上がりができるか競った日々を思い起こすのもよい。
よく知る集いの場であれば、いつもとは違う厳かな雰囲気を味わうのもよい。
宴の時以外、まったく縁のない場所であるなら、それも別に楽しみがある。
この国の未来を担う子どもらが育まれるところなら、彼らが生き生きと走り回る姿を思い浮かべてはいかがであろうか。
集いの場であれば、この国を長年支えてきた人々が、フラダンスや中国語のレッスンに励む様子を想像してみてはどうだろうか。
そのような嗜好がなくても、会場の片隅に置かれた謎の木のはしご-肋木と言うそうだ-などを見つけてほくそ笑むなど、いくらでも発見はある。
宴の本番はこれからだ。
厳かで静寂に包まれた会場に足を入れたら、招待状を出そう。
招待状と引き換えに、貴婦人のような滑らかな肌触りを持つ物体と、炭素を固めて包んだ細い棒を渡される。
宴で騒ぐ者はいない。
ここは、国家の儀式の中でも、厳密さを要求される最高儀式の場だ。
パイプオルガンの荘厳な楽音の響きが欲しいところだが、それは、心の中だけにとどめておこう。
手の中にある貴婦人の肌。滑らかで弾力のある感触が何とも言えず心地よい。
永遠に愛でたいところだが、この厳粛な宴の儀式ではそうもいかない。
参加者の挙動はしっかり監視されている。
だから、監視員が不振に思わない程度にとどめておこう。
それも宴の楽しみの一つだ。
いよいよ儀式が始まる。
それは、この真っ白な貴婦人の肌に、印を刻むことだ。
汚れなき白い肌を汚すのが恐れ多いと、印を刻まない者もいる。
まあ、人それぞれの趣味嗜好ではあるが、やはりこの国家が主催する神聖な宴においては、何らかの印を刻むことこそ、儀式の参加者に相応しい行為といえよう。
では、どのような印を刻むべきなのか。
案ずることなかれ。それは、宴の場でわかる。いくつかの印の見本があるから、そのうちの一つを選び、形を真似すればよい。
え? どの印を選んだらいいかわからないって?
それは、各々の趣向で決めればよい。
形がイケてるものでもいい。
刻みやすい印でもいいだろう。なお、大体の印は、刻みやすい形にアレンジされていることが多いので、その点は心配しなくていい。
どの印を選ぶかが一番大切であって、それがわからないなら、この宴に参加する資格はない、と言う者もいる。
その主張はわからないでもない。
が、あまりその主張を高々主張されると、「じゃあ、やーめた」と、宴の参加を放棄するものが増えるばかりだ。
せっかく国家が無料で招待してくれるこの宴。参加しない手はない。
なるほど。『安易な気持ちで宴に参加することは、亡国の道につながる』その懸念もわかる。
が、それより、宴の参加者が減ることの方が、亡国の道につながるのではなかろうか。
だからこそ私は、非才の身でありながら、このような文をしたためているのだ。
なので慣れないうちは、どの印を選ぶかは各々の感性で決めればよい。慣れてくれば、自身の魂をゆだねるにふさわしい印が見えてくるだろう。
いや、印ごときに、魂などゆだねたくないと?
そう思うなら、比較的マシな印を選べばいい。
どうしても納得できないなら、自らが印を作る、という手がある。
そう。この国の民なら、印を作る資格があるのだから。
印を決めたら、手渡された棒を使って、印の形に炭素を貴婦人の肌に刻みつけよう。
この感触が何とも言えず心地よい。刻む時の音や肌の抵抗感で、恍惚とする者も多かろう。
が、恍惚に浸るのはほどほどに。なぜなら、厳粛な宴だ。参加者の挙動は監視されている。
それもこの宴の醍醐味だ。監視されている中、背徳的な心地に身をゆだねる。こんな快楽があろうか。
最後に、印を刻んだ貴婦人の肌に別れを告げよう。
掌に収まる彼女の感触の名残を惜しみつつ、手を放つ。
すると彼女は細い隙間を通過し、花を開かせるのだ。
粒子だった光子がスリットを潜り抜けると波動になるように。
10の8乗もの粒子が放たれ、ほどなく波動として収束する。収束の結果は、宴の終わりに明かされる。
自らがナノ粒子となるこの瞬間。
こんな至福を味わえる宴など、この時をおいて他にない。
とっておきの話をしよう。
見知らぬ美しい女性に笑顔で話しかけられることなど、滅多にない。
しかし、宴を済ませた者に、たまに美しい女性から声をかけられることがある。
彼女の問いに、どう答えるかはお任せしよう。
正直に答えるか、あえて偽りを述べるか。
または、美女の微笑を無言で交わすのも、密やかな楽しみかもしれない。
ね?
なんだか楽しそうでしょ?
ワクワクしてきたでしょ?
だからさ。
選挙いこ!!
背徳感とは、なんと缶ビール……でなくて、なんと甘美なこと。
たとえば、このような事例はいかがであろうか。
人目を忍び、特定の嗜好者でなければ立ち入ることができない禁断の聖地にこっそり脚を運ぶ。そこでは誰もが、後ろめたさで目を伏せながらも、至福の時を過ごす。背を丸め、こそこそと身から、片手に収まる大きさにまとめられた包みを取り出す。
その小さな包みには、指の長さに揃えられた程よい弾力を持つ棒がいくつも入っている。棒の直径は大体小指の半分ほどだろうか。
棒を取り出し口に加え、もう片方の先で激しい酸化反応を起こさせる。
その刹那。魂は清められ高みに昇るのだ。
できうることなら、この禁断の聖地に留まっていたい。
しかし、非才の我が身に与えられた時は、ごくわずか。
女神の誘いを振り切って聖地を去り、再び戦いの場に赴く。
戻った我を、同志が暖かく迎える。
「いいよねー、喫煙者って。煙草タイム認めてくれるなんて。こっちもお茶タイムとかお菓子タイム、欲しいよ」
「思い切って禁煙しましょ! 最初の三か月耐えれば、大丈夫だって。オレ、すっかり健康になっちゃいましたよ」
「マジ、肺がんって一番ヤバいんだよ」
「吸うのは勝手だけど、その臭い、何とかして」
周りから犯罪者のように責められ、詰られ、存在自体が害悪だと言われ続ける。
責めさいなむ言葉ほど、心地よいものがこの世にあろうか。
だから、煙草はやめられない。
他にも、後ろ暗いからこそ、やめられないことはたくさんある。
酒。賭博。性産業。いずれも度が過ぎれば身を亡ぼす。いや、だからこそ、人は抜け出せないのだろう。
お気づきであろうか。
これらのことは、すべて未成年者には禁止されているということを。
子どもには許されないことが、大人には許されるのだ。
背徳感という名の快楽が、待っている。
では、成人にだけ許される究極の快楽を、これから説明しよう。
それは、一つの招待状から始まる。招待状には宴の日時と場所が記されている。
宴の場所は時間内なら出入り自由。しかも参加費は無料なのだ。
招待者は国家。
国がわざわざ非才なわが身を宴に招いてくれる。
これほどプライドをくすぐることがあろうか。招待に応じない手はないではないか。
せっかくなので招待を受けてみよう。宴は、朝から夜まで、全国のあちこちで開かれている。
招待状だけを持ってそこに行けばよい。
会場は豪華なホテルということはない。大体、古い学び舎だったり、集いの場であることが多い。
それがいいのだ。
かつて友と戯れた場所である人もいるであろう。幼なじみと鉄棒でどちらが先に逆上がりができるか競った日々を思い起こすのもよい。
よく知る集いの場であれば、いつもとは違う厳かな雰囲気を味わうのもよい。
宴の時以外、まったく縁のない場所であるなら、それも別に楽しみがある。
この国の未来を担う子どもらが育まれるところなら、彼らが生き生きと走り回る姿を思い浮かべてはいかがであろうか。
集いの場であれば、この国を長年支えてきた人々が、フラダンスや中国語のレッスンに励む様子を想像してみてはどうだろうか。
そのような嗜好がなくても、会場の片隅に置かれた謎の木のはしご-肋木と言うそうだ-などを見つけてほくそ笑むなど、いくらでも発見はある。
宴の本番はこれからだ。
厳かで静寂に包まれた会場に足を入れたら、招待状を出そう。
招待状と引き換えに、貴婦人のような滑らかな肌触りを持つ物体と、炭素を固めて包んだ細い棒を渡される。
宴で騒ぐ者はいない。
ここは、国家の儀式の中でも、厳密さを要求される最高儀式の場だ。
パイプオルガンの荘厳な楽音の響きが欲しいところだが、それは、心の中だけにとどめておこう。
手の中にある貴婦人の肌。滑らかで弾力のある感触が何とも言えず心地よい。
永遠に愛でたいところだが、この厳粛な宴の儀式ではそうもいかない。
参加者の挙動はしっかり監視されている。
だから、監視員が不振に思わない程度にとどめておこう。
それも宴の楽しみの一つだ。
いよいよ儀式が始まる。
それは、この真っ白な貴婦人の肌に、印を刻むことだ。
汚れなき白い肌を汚すのが恐れ多いと、印を刻まない者もいる。
まあ、人それぞれの趣味嗜好ではあるが、やはりこの国家が主催する神聖な宴においては、何らかの印を刻むことこそ、儀式の参加者に相応しい行為といえよう。
では、どのような印を刻むべきなのか。
案ずることなかれ。それは、宴の場でわかる。いくつかの印の見本があるから、そのうちの一つを選び、形を真似すればよい。
え? どの印を選んだらいいかわからないって?
それは、各々の趣向で決めればよい。
形がイケてるものでもいい。
刻みやすい印でもいいだろう。なお、大体の印は、刻みやすい形にアレンジされていることが多いので、その点は心配しなくていい。
どの印を選ぶかが一番大切であって、それがわからないなら、この宴に参加する資格はない、と言う者もいる。
その主張はわからないでもない。
が、あまりその主張を高々主張されると、「じゃあ、やーめた」と、宴の参加を放棄するものが増えるばかりだ。
せっかく国家が無料で招待してくれるこの宴。参加しない手はない。
なるほど。『安易な気持ちで宴に参加することは、亡国の道につながる』その懸念もわかる。
が、それより、宴の参加者が減ることの方が、亡国の道につながるのではなかろうか。
だからこそ私は、非才の身でありながら、このような文をしたためているのだ。
なので慣れないうちは、どの印を選ぶかは各々の感性で決めればよい。慣れてくれば、自身の魂をゆだねるにふさわしい印が見えてくるだろう。
いや、印ごときに、魂などゆだねたくないと?
そう思うなら、比較的マシな印を選べばいい。
どうしても納得できないなら、自らが印を作る、という手がある。
そう。この国の民なら、印を作る資格があるのだから。
印を決めたら、手渡された棒を使って、印の形に炭素を貴婦人の肌に刻みつけよう。
この感触が何とも言えず心地よい。刻む時の音や肌の抵抗感で、恍惚とする者も多かろう。
が、恍惚に浸るのはほどほどに。なぜなら、厳粛な宴だ。参加者の挙動は監視されている。
それもこの宴の醍醐味だ。監視されている中、背徳的な心地に身をゆだねる。こんな快楽があろうか。
最後に、印を刻んだ貴婦人の肌に別れを告げよう。
掌に収まる彼女の感触の名残を惜しみつつ、手を放つ。
すると彼女は細い隙間を通過し、花を開かせるのだ。
粒子だった光子がスリットを潜り抜けると波動になるように。
10の8乗もの粒子が放たれ、ほどなく波動として収束する。収束の結果は、宴の終わりに明かされる。
自らがナノ粒子となるこの瞬間。
こんな至福を味わえる宴など、この時をおいて他にない。
とっておきの話をしよう。
見知らぬ美しい女性に笑顔で話しかけられることなど、滅多にない。
しかし、宴を済ませた者に、たまに美しい女性から声をかけられることがある。
彼女の問いに、どう答えるかはお任せしよう。
正直に答えるか、あえて偽りを述べるか。
または、美女の微笑を無言で交わすのも、密やかな楽しみかもしれない。
ね?
なんだか楽しそうでしょ?
ワクワクしてきたでしょ?
だからさ。
選挙いこ!!
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エッセイのような流れなのかな? と思っていたらなるほど文(ふみ)かと納得しました。
これは純文学ですね。近現代文学のようなお洒落さもあって好きです。
そして初めは何かこう、人に煙たがられる話なのかと思っていたら、その共通点から更に話が展開されていき、落ちがある。
ショートショートってきっちりとしたメッセージがないと終着点が難しいなと感じていたので、こちらの作品は凄いなと思いました。
しっかりとしたテーマとメッセージがあり、構成が巧く、”なんだろう?”と興味を引く展開でもある。
文体も美しく、大人向けの物語だなと思いました。
もちろんメッセージを向けている層は大人(成人)ではあるとは思いますが、まだ未成年の相手にもこれからそうなった時、思い出して欲しいメッセージであるとも思いました。
うわあああ! 素晴らしい感想をありがとうございます! 感動しています。
純文学、というつもりは全然なく、パロディというか、それっぽい雰囲気の文章に憧れて、勢いで書いてしまいました。そうかあ、カテゴリ変更しようかな?
これでも半分は真面目に広報?のつもりでもあったりします。
モチベーション、あがりました。
最近、短編はご無沙汰していますが、思いついたら何か書いてみます。
正直、中々感想をいただけずちょっと凹んでいたところだったので、思い切ってtwitterの企画に乗って良かったです。
私ごときが「読んで~」というのもおこがましいし、でも、せっかく書いたからには、感想欲しいなと思っていたところでした。
過分な褒め言葉をいただき、恐縮してます。
一国民として、投票率のアップにちょっとでも貢献できれば……いや、それは難しいか(笑)
とりあえず、軽い気持ちでいいから、まずは行ってみようよ、というところです。