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4章 アラサー女子、年下宇宙男子に祈る
4-15 君を待つ宇宙
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流斗君が実験をやめると言う。私のそばにいたいと言ってくれる。
それは、すてきな提案だが、受け入れるわけにはいかない。
「私ね、もう一度、流斗君が制作に参加したゲーム、遊んでみたよ」
「本当に好きなんだね。がんばって、エロリクエストした甲斐あったな」
そういって、彼は私の胸をいじりだしたので、その手をはねのける。
「それで流斗君をゲームの中に見つけたよ」
「どのイケメンが僕? パイロット? 裁判官? それともラスボス? 那津美さんがそういうなら、もっと僕はがんばらないとな。触手プレイメカ、開発しようか」
彼が伸し掛かってきた。そのまま流されるのも気持ちいいが、それでは本当の目的を果たせない。
「どのイケメンも流斗君だし、暗黒皇帝にも流斗君を見たよ。でもね、一番近いのはね」
「ん?」
彼の舌が私の首筋をなぞる。
「流斗君は、太陽の乙女、ヒロインなのよ」
「へ?」
彼の動きがとまった。
「や、やめてくれよ。僕は男にやられて、エロい顔する趣味ないって」
「ううん、一番近いのはヒロイン。宇宙を支配する暗黒皇帝の理不尽な行為にヒロインは怒り、戦うけど、彼に恋してしまう。どんなに理不尽な目にあっても、好きになることをやめられないの」
「その辺の設定は、シナリオさんが決めたからなあ」
「じゃ、シナリオの人は流斗君と話してそう設定したのね。宇宙を支配するのは、宇宙の法則でしょう? それに挑戦する乙女って、宇宙の謎に挑む科学者そのものじゃない。宇宙は謎に満ちて理解できないけど、それでも宇宙に惹かれて挑戦するの、流斗君みたい」
彼が私から離れ、頭をかきむしりだした。
「僕的には、女の子は胸が大きい方がいいなってそれだけだよ」
でも、私はあのゲームの中に、流斗君を見つけたんだ。
「このまま実験やめたら、暗黒皇帝陛下は寂しがるんじゃない?」
戸惑う流斗君の瞳をじっと見つめた。
「那津美さん! フィクションと現実、ごっちゃにしないで」
「暗黒皇帝は、宇宙論を擬人化した姿でしょ? 流斗君にその姿を発見してほしくて、今も待ってるよ。そのうち、どこかの星が謎の爆発を起こすかもよ。どうする? 陛下が寂しがって悪戯したら」
彼が私の肩を力強く掴む。
「理解するために擬人化は有効な手段だよ。僕らは素粒子だって宇宙の大構造だって、よく人に例える。でも、宇宙の法則が、寂しいなんてちっぽけな人間じみた感情で、謎の爆発を起こすはずない。人のつまらない思惑を超えた大きなモノが、宇宙を動かしているんだ」
うん。やっぱり彼は宇宙から逃げてはいけない。
「その大きなモノ、見つけようよ。約束したでしょ?」
私の肩にかかった力が緩む。流斗君が首を傾げた。
「流斗君、宇宙を統一する理論を証明するから待ってて、って言ったよ」
そう、約束なんだから。
私と一緒にいる時間を長くしたら、その約束は果たせないだろう。
「いずれ僕は実験をやめるよ。それは、那津美さんに会う前から決めていた」
「どうして? マルチバース見つけたいんでしょ?」
「もともと僕は理論から入った。だから、いつか理論物理に戻るつもりだ」
あれは、一緒に渓流を歩いた日のこと。
『物理では理論と実験って分かれているよ。分業した方が効率いいってことで。僕みたいなのは古くて非効率ってこと』
そんなことを言ってたね。
「でも、それは今すぐじゃないよね?」
「この前、出張で行った望遠鏡で観測したい。僕は宇関を十年以内に出るつもりだ」
彼は天井を見ながらぼそっとつぶやく。そのつぶやきに強い意志を感じた。
もう大丈夫。
今後、実験をやめるとしても、それは私のためではない。
より、宇宙に近づくためだ。
私は彼の両頬を包み込んだ。
「私は宇関の外に出られるし、どこでも行けるよ」
もう、私のことは心配しないでほしい。
「今、大変なんでしょ? プログラムに問題があって打ち上げが延期されたし」
「不具合はもう解消されてるよ。来週、打ち上げ日が発表されるから」
よかった。ウサギさまに祈りは届いていたんだ。
ロケット打ち上げが失敗するように願った自分が許せない。
今すぐ彼に懺悔したいが、余計なことを言って煩わせたくない。
「那津美さん、今の季節、川に飛び込むのは絶対やめてね」
実は昨日、川で行水して祈ったんだけど……それも言わない方がいいみたい。
流斗君は水に引き込まれそうになった私を、助けてくれた。
いや、彼だけではない。
昨日の儀式では母が止めてくれた。
母だけでもない。
私がずっと疎遠にしている学生時代の友人たちも、年賀状を欠かさずくれる。
メールは減ったとはいえ、同期会の案内は来る。
忘れてた。
ずっと私は忘れていた。
どこか、自分だけが可哀相だと思っていた。
私はひとりではない。
誰かが、近くから遠くから、私を気にかけてくれている。
宇関に戻ったら、久しぶりにかつての友に連絡を取ってみようか。
天井を通して遠く見ていたら、彼の顔が目の前にあり、キスされた。
また、彼の手が妖しい動きを始める。
「ダメだって。流斗君、もう眠らないと……」
「旦那としては奥さんの機嫌を取っておかないとね。尾谷先生に会うたび、愚痴聞かされてるよ。帰りが遅いと奥さんに叱られるって」
「だから、結婚のことは勘違いなんだって!」
翌朝、流斗君を宇宙研究センターまで送り届けた。
「じゃ、毎日、テレビ電話だっけ?」
頬を寄せられ耳元で囁かれた。が、私は一歩退く。
「ううん。やっぱり衛星が軌道に乗るまで、連絡はやめようよ」
流斗君が、眉を寄せている。
「そうしたかったんでしょ? 今は、大事な時だから集中したいって」
「……たまには、メッセージ入れるから」
そういって、彼はいるべき場所へ戻った。
月をも超えて、138億年前の彼方を目指して、走り去っていった。
流斗君と別れた私は、センターの売店で、宇宙食や人工衛星の小さな模型、それに星座をプリントしたハンカチを買う。もう一度、見学スペースをじっくり回った。
が、帰りも六時間かかる。明日は仕事だから、そうゆっくりしていられない。
昨日と同じ高速道路を走る。途中のサービスエリアで、職場、そして母の家族へのお土産に、ご当地ふりかけや、饅頭、スフレなど買い込んだ。
せっかくなのでここも写真を撮った。
サービスエリアの事務室を思い切って訪ねてみる。大学のホームページで紹介したいと伝えたら、やはり本社の担当に聞いてほしい、とのこと。
戻ったら、色々やることある。彼に会えなくて寂しい、なんて泣いてる場合じゃない。
宇関についたときは、日はすっかり落ちていた。
その夜、スマホに入った着信は……母からだ。まだ宇関にいるそうだ。
母の泊まるホテル一階のレストランで会った。
サービスエリアで買ったお菓子と、宇宙センターで買った宇宙食を手渡した。
途端に母の目に涙が浮かぶ。
「やめてください。そんな高いものじゃありません」
「宇関から出られたのね」
母が泣いたのは、土産物そのものより、私が遠く離れた場所に行けたことなのだろうか。
「朝河さんには会えた?」
宇宙食のお土産を見つめて言われた。
「え、あ、まあ」
昨夜の彼を思い出し、ついうつむいてしまう。
「仲直りしたみたいね。でも、不倫は早めに撤退した方がいいわよ」
「不倫? 何言ってるんです?」
「朝河さん、若い子と結婚したんじゃなかったの?」
「あ、それ……勘違いだった……」
母の顔をまともに見られない。
「そうよ。あれだけ、なこを心配してくれる人が、他の人と結婚するわけないもの」
「あの……ママと朝河さんって前から知り合いだったの?」
祭りの時、彼らは初対面だったが、親し気に話していた。
「なこの誕生日のころかな? あなたのお友だちと名乗る若い男性から、電話がかかってきたの。私が送ったプレゼントの伝票を見たって。念のために検索したら……若いのにすごい先生なのね。びっくりしたわ」
あの日。
母からのプレゼントが遅れて到着し、流斗君にその場を見られ……その後私たちは、初めて結ばれた。でも、彼が新しいパソコンに乙女ゲームを入れたりして、大騒ぎになって、一方的に絶交したんだっけ。
いろいろありすぎて、今から思うと笑ってしまう一日だった。
「そのあと電話が来たのは、二月前かな。しばらくあなたのそばにいられないから、見ていてほしいって……それなのに私は勇気がなくて……あなたからプレゼントが返されてようやく気がついたの」
母が震えている。
流斗君は、私の異常な様子から、プレゼントの送り主がどういう人間か、気になった。衛星打ち上げに専念したくても、私のことが気になって、母に託したんだ。
「ごめんなさい! 私が悪いのに、あなたに拒まれるのが辛くて、儀式さえ阻止できればいいって……」
テーブルに伏せる母を、私は静かに見下ろす。
いいよママ。気にしないでね。私はもうママを恨んでないから……そんなことばをかけて、この人を楽にしてあげる気にはなれなかった。
ひどいよママ。私を捨ててリア充したあなたを、絶対許さないから……そんな風に言って、自分を惨めに落としたくもなかった。
「もう早く帰らないと。受験生二人が待ってるよ」
今の私は、そう答えるのが精いっぱいだ。
私たちはレストランを後にした。
ホテルのロビーで去ろうとする私を母が引き留め、抱き着いてきた。
母が私の肩に頭を乗せしがみついている。何とも奇妙な心地だ。
でも、不思議と不快ではない。
「さよなら、お元気で」
私は笑顔で告げて、ホテルを後にした。
空を見渡す。まだ月は出ていない。今は下弦の月だ。
私はこれから月が出るだろう東を向いた。
「さよなら、お父さん」
父には領主の末裔としての誇りがあった。が、領主であり続ける力はなく、事業を破綻させた。表向きはいい人だったが、幼い娘を売り飛ばすような男だった。
私は笑った。泣きながら笑った。でも、また何か歌いだしたくなるのだけは抑えた。
翌日、いつも通りの日が始まる。なのに、久しぶりに出勤したかのような気持ちになった。
「沢井課長、私、昨日、実は、宇宙研究センターに行ってきました。あ、お土産です。サービスエリアで買いました」
「あら? お母様が押し掛けて休んだんじゃなかったっけ?」
まあ、それは全く嘘とは言い切れないけど。
「あそこは遠くだから、泊ったんでしょ?」
「その、母が興味があると言って……」
ああ、嘘くさい。恥ずかしい。
が、沢井さんは特に追求しなかった。
「これが写真です」
宇宙研究センターの見学スペースの様子を、沢井さんに見せた。
「すごいわねえ。うちの大学も予算があれば、こういう展示場作れるんだけどね」
「センターから許可が出れば、うちの大学の宇宙観測衛星サイトに、この写真を載せようと思います」
「その辺は大丈夫じゃないかな? 断られたら、私から再度頼んでみるから」
また、新たな仕事ができた。
昼休み、海東さんがこそっと聞いてくる。
「朝河先生を追いかけていったんでしょ?」
「い、え! いや、大学でやってる宇宙プロジェクトに興味があって」
「だって、那津美さん、この二か月、どよーんとして可哀相だったけど、今日は張り切ってるもん。仲直りしたんでしょ?」
そんなにバレバレだったのか。
「長年、喧嘩していた母と和解しましてね」
照れ隠しに、事実の一つを告げる。一応、それで休んだことにしたし。
「親子なんてそんなものよ」
そんなものかどうか私にはわからないが、それが私を自由にさせてくれたのは本当だ。
宇宙研究センターとサービスエリアの本社から、ホームページ掲載の許可と修正案が届いた。
流斗君からは、数日おきに、短いメッセージが届くようになった。私もそれに簡単に返信する。
やはり、毎日テレビ電話する余裕はないようだ。
うん、それがいい。それでいい。
その代わりではないが、あの葉月さんからメッセージが来た。
どんな写真が来ても驚かない。不安になったら流斗君に聞く。ただし、衛星が軌道に乗ってから。
覚悟してメッセージを開いたら『ごめんなさい』とだけあった。
勇気を出して、葉月さんに電話をしてみる。
「カサミン……葉月さんでいいのかしら? どうしました?」
「朝河先輩に叱られたの。私、写真にいたずらしてよくできたから、素芦さんに自慢したかっただけなのに、勘違いするなんて思わなくて」
その辺、どうなんだろう? 彼女、なかなか私に挑発的だった。
「こちらの大学院に移るとか、同じマンションに住むとか……」
「同じマンションとは言ったけど、同じ部屋とは言ってないよ……」
そういえば、呼び方が「リュート」から「先輩」に変わっている。
「あ、あの……朝河先生とは、前から電話やメッセージしてたんですか」
しまった。気になって聞いてしまった。
流斗君が前から言ってた『毎晩話す好きな女の子』が、彼女かどうか確かめたくて。
「あー、うーん、嘘言っても仕方ないよね。あたしが朝河先輩に叱られるだけだし……先輩からは、中学卒業してから何も連絡なかったよ。思い切って取材申し込みしたのに、ムシされるし。やっとメール来たと思ったら、あなたの動画を削除してくれ、だもん。しかも先輩、あたしがブロガーだってわからなかった」
安心するとともに、申し訳ないような可哀相な気持ちになってきた。
「朝河先生たちの研究を助ける装置が作れるよう、機械工学をがんばってください」
「あちゃー、今さ、それどころじゃないの。ネットの方が楽しくなっちゃって、ヤバい。留年しちゃうかも」
流斗君が心配した通りだ。
「葉月さん、勉強に専念して、また戻ってくればいいと思います。パワーアップしたカサミンなら、またファンを取り戻せますよ」
「そうねー、でもカサミンは卒業かな」
それから間もなく、カサミンチャンネルで、しばらくお休みすると挨拶があった。ファンとしては、これからも応援したい。
でも流斗君に近づいてきたら……その時はまた考えよう。
それは、すてきな提案だが、受け入れるわけにはいかない。
「私ね、もう一度、流斗君が制作に参加したゲーム、遊んでみたよ」
「本当に好きなんだね。がんばって、エロリクエストした甲斐あったな」
そういって、彼は私の胸をいじりだしたので、その手をはねのける。
「それで流斗君をゲームの中に見つけたよ」
「どのイケメンが僕? パイロット? 裁判官? それともラスボス? 那津美さんがそういうなら、もっと僕はがんばらないとな。触手プレイメカ、開発しようか」
彼が伸し掛かってきた。そのまま流されるのも気持ちいいが、それでは本当の目的を果たせない。
「どのイケメンも流斗君だし、暗黒皇帝にも流斗君を見たよ。でもね、一番近いのはね」
「ん?」
彼の舌が私の首筋をなぞる。
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「へ?」
彼の動きがとまった。
「や、やめてくれよ。僕は男にやられて、エロい顔する趣味ないって」
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「じゃ、シナリオの人は流斗君と話してそう設定したのね。宇宙を支配するのは、宇宙の法則でしょう? それに挑戦する乙女って、宇宙の謎に挑む科学者そのものじゃない。宇宙は謎に満ちて理解できないけど、それでも宇宙に惹かれて挑戦するの、流斗君みたい」
彼が私から離れ、頭をかきむしりだした。
「僕的には、女の子は胸が大きい方がいいなってそれだけだよ」
でも、私はあのゲームの中に、流斗君を見つけたんだ。
「このまま実験やめたら、暗黒皇帝陛下は寂しがるんじゃない?」
戸惑う流斗君の瞳をじっと見つめた。
「那津美さん! フィクションと現実、ごっちゃにしないで」
「暗黒皇帝は、宇宙論を擬人化した姿でしょ? 流斗君にその姿を発見してほしくて、今も待ってるよ。そのうち、どこかの星が謎の爆発を起こすかもよ。どうする? 陛下が寂しがって悪戯したら」
彼が私の肩を力強く掴む。
「理解するために擬人化は有効な手段だよ。僕らは素粒子だって宇宙の大構造だって、よく人に例える。でも、宇宙の法則が、寂しいなんてちっぽけな人間じみた感情で、謎の爆発を起こすはずない。人のつまらない思惑を超えた大きなモノが、宇宙を動かしているんだ」
うん。やっぱり彼は宇宙から逃げてはいけない。
「その大きなモノ、見つけようよ。約束したでしょ?」
私の肩にかかった力が緩む。流斗君が首を傾げた。
「流斗君、宇宙を統一する理論を証明するから待ってて、って言ったよ」
そう、約束なんだから。
私と一緒にいる時間を長くしたら、その約束は果たせないだろう。
「いずれ僕は実験をやめるよ。それは、那津美さんに会う前から決めていた」
「どうして? マルチバース見つけたいんでしょ?」
「もともと僕は理論から入った。だから、いつか理論物理に戻るつもりだ」
あれは、一緒に渓流を歩いた日のこと。
『物理では理論と実験って分かれているよ。分業した方が効率いいってことで。僕みたいなのは古くて非効率ってこと』
そんなことを言ってたね。
「でも、それは今すぐじゃないよね?」
「この前、出張で行った望遠鏡で観測したい。僕は宇関を十年以内に出るつもりだ」
彼は天井を見ながらぼそっとつぶやく。そのつぶやきに強い意志を感じた。
もう大丈夫。
今後、実験をやめるとしても、それは私のためではない。
より、宇宙に近づくためだ。
私は彼の両頬を包み込んだ。
「私は宇関の外に出られるし、どこでも行けるよ」
もう、私のことは心配しないでほしい。
「今、大変なんでしょ? プログラムに問題があって打ち上げが延期されたし」
「不具合はもう解消されてるよ。来週、打ち上げ日が発表されるから」
よかった。ウサギさまに祈りは届いていたんだ。
ロケット打ち上げが失敗するように願った自分が許せない。
今すぐ彼に懺悔したいが、余計なことを言って煩わせたくない。
「那津美さん、今の季節、川に飛び込むのは絶対やめてね」
実は昨日、川で行水して祈ったんだけど……それも言わない方がいいみたい。
流斗君は水に引き込まれそうになった私を、助けてくれた。
いや、彼だけではない。
昨日の儀式では母が止めてくれた。
母だけでもない。
私がずっと疎遠にしている学生時代の友人たちも、年賀状を欠かさずくれる。
メールは減ったとはいえ、同期会の案内は来る。
忘れてた。
ずっと私は忘れていた。
どこか、自分だけが可哀相だと思っていた。
私はひとりではない。
誰かが、近くから遠くから、私を気にかけてくれている。
宇関に戻ったら、久しぶりにかつての友に連絡を取ってみようか。
天井を通して遠く見ていたら、彼の顔が目の前にあり、キスされた。
また、彼の手が妖しい動きを始める。
「ダメだって。流斗君、もう眠らないと……」
「旦那としては奥さんの機嫌を取っておかないとね。尾谷先生に会うたび、愚痴聞かされてるよ。帰りが遅いと奥さんに叱られるって」
「だから、結婚のことは勘違いなんだって!」
翌朝、流斗君を宇宙研究センターまで送り届けた。
「じゃ、毎日、テレビ電話だっけ?」
頬を寄せられ耳元で囁かれた。が、私は一歩退く。
「ううん。やっぱり衛星が軌道に乗るまで、連絡はやめようよ」
流斗君が、眉を寄せている。
「そうしたかったんでしょ? 今は、大事な時だから集中したいって」
「……たまには、メッセージ入れるから」
そういって、彼はいるべき場所へ戻った。
月をも超えて、138億年前の彼方を目指して、走り去っていった。
流斗君と別れた私は、センターの売店で、宇宙食や人工衛星の小さな模型、それに星座をプリントしたハンカチを買う。もう一度、見学スペースをじっくり回った。
が、帰りも六時間かかる。明日は仕事だから、そうゆっくりしていられない。
昨日と同じ高速道路を走る。途中のサービスエリアで、職場、そして母の家族へのお土産に、ご当地ふりかけや、饅頭、スフレなど買い込んだ。
せっかくなのでここも写真を撮った。
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戻ったら、色々やることある。彼に会えなくて寂しい、なんて泣いてる場合じゃない。
宇関についたときは、日はすっかり落ちていた。
その夜、スマホに入った着信は……母からだ。まだ宇関にいるそうだ。
母の泊まるホテル一階のレストランで会った。
サービスエリアで買ったお菓子と、宇宙センターで買った宇宙食を手渡した。
途端に母の目に涙が浮かぶ。
「やめてください。そんな高いものじゃありません」
「宇関から出られたのね」
母が泣いたのは、土産物そのものより、私が遠く離れた場所に行けたことなのだろうか。
「朝河さんには会えた?」
宇宙食のお土産を見つめて言われた。
「え、あ、まあ」
昨夜の彼を思い出し、ついうつむいてしまう。
「仲直りしたみたいね。でも、不倫は早めに撤退した方がいいわよ」
「不倫? 何言ってるんです?」
「朝河さん、若い子と結婚したんじゃなかったの?」
「あ、それ……勘違いだった……」
母の顔をまともに見られない。
「そうよ。あれだけ、なこを心配してくれる人が、他の人と結婚するわけないもの」
「あの……ママと朝河さんって前から知り合いだったの?」
祭りの時、彼らは初対面だったが、親し気に話していた。
「なこの誕生日のころかな? あなたのお友だちと名乗る若い男性から、電話がかかってきたの。私が送ったプレゼントの伝票を見たって。念のために検索したら……若いのにすごい先生なのね。びっくりしたわ」
あの日。
母からのプレゼントが遅れて到着し、流斗君にその場を見られ……その後私たちは、初めて結ばれた。でも、彼が新しいパソコンに乙女ゲームを入れたりして、大騒ぎになって、一方的に絶交したんだっけ。
いろいろありすぎて、今から思うと笑ってしまう一日だった。
「そのあと電話が来たのは、二月前かな。しばらくあなたのそばにいられないから、見ていてほしいって……それなのに私は勇気がなくて……あなたからプレゼントが返されてようやく気がついたの」
母が震えている。
流斗君は、私の異常な様子から、プレゼントの送り主がどういう人間か、気になった。衛星打ち上げに専念したくても、私のことが気になって、母に託したんだ。
「ごめんなさい! 私が悪いのに、あなたに拒まれるのが辛くて、儀式さえ阻止できればいいって……」
テーブルに伏せる母を、私は静かに見下ろす。
いいよママ。気にしないでね。私はもうママを恨んでないから……そんなことばをかけて、この人を楽にしてあげる気にはなれなかった。
ひどいよママ。私を捨ててリア充したあなたを、絶対許さないから……そんな風に言って、自分を惨めに落としたくもなかった。
「もう早く帰らないと。受験生二人が待ってるよ」
今の私は、そう答えるのが精いっぱいだ。
私たちはレストランを後にした。
ホテルのロビーで去ろうとする私を母が引き留め、抱き着いてきた。
母が私の肩に頭を乗せしがみついている。何とも奇妙な心地だ。
でも、不思議と不快ではない。
「さよなら、お元気で」
私は笑顔で告げて、ホテルを後にした。
空を見渡す。まだ月は出ていない。今は下弦の月だ。
私はこれから月が出るだろう東を向いた。
「さよなら、お父さん」
父には領主の末裔としての誇りがあった。が、領主であり続ける力はなく、事業を破綻させた。表向きはいい人だったが、幼い娘を売り飛ばすような男だった。
私は笑った。泣きながら笑った。でも、また何か歌いだしたくなるのだけは抑えた。
翌日、いつも通りの日が始まる。なのに、久しぶりに出勤したかのような気持ちになった。
「沢井課長、私、昨日、実は、宇宙研究センターに行ってきました。あ、お土産です。サービスエリアで買いました」
「あら? お母様が押し掛けて休んだんじゃなかったっけ?」
まあ、それは全く嘘とは言い切れないけど。
「あそこは遠くだから、泊ったんでしょ?」
「その、母が興味があると言って……」
ああ、嘘くさい。恥ずかしい。
が、沢井さんは特に追求しなかった。
「これが写真です」
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「すごいわねえ。うちの大学も予算があれば、こういう展示場作れるんだけどね」
「センターから許可が出れば、うちの大学の宇宙観測衛星サイトに、この写真を載せようと思います」
「その辺は大丈夫じゃないかな? 断られたら、私から再度頼んでみるから」
また、新たな仕事ができた。
昼休み、海東さんがこそっと聞いてくる。
「朝河先生を追いかけていったんでしょ?」
「い、え! いや、大学でやってる宇宙プロジェクトに興味があって」
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そんなにバレバレだったのか。
「長年、喧嘩していた母と和解しましてね」
照れ隠しに、事実の一つを告げる。一応、それで休んだことにしたし。
「親子なんてそんなものよ」
そんなものかどうか私にはわからないが、それが私を自由にさせてくれたのは本当だ。
宇宙研究センターとサービスエリアの本社から、ホームページ掲載の許可と修正案が届いた。
流斗君からは、数日おきに、短いメッセージが届くようになった。私もそれに簡単に返信する。
やはり、毎日テレビ電話する余裕はないようだ。
うん、それがいい。それでいい。
その代わりではないが、あの葉月さんからメッセージが来た。
どんな写真が来ても驚かない。不安になったら流斗君に聞く。ただし、衛星が軌道に乗ってから。
覚悟してメッセージを開いたら『ごめんなさい』とだけあった。
勇気を出して、葉月さんに電話をしてみる。
「カサミン……葉月さんでいいのかしら? どうしました?」
「朝河先輩に叱られたの。私、写真にいたずらしてよくできたから、素芦さんに自慢したかっただけなのに、勘違いするなんて思わなくて」
その辺、どうなんだろう? 彼女、なかなか私に挑発的だった。
「こちらの大学院に移るとか、同じマンションに住むとか……」
「同じマンションとは言ったけど、同じ部屋とは言ってないよ……」
そういえば、呼び方が「リュート」から「先輩」に変わっている。
「あ、あの……朝河先生とは、前から電話やメッセージしてたんですか」
しまった。気になって聞いてしまった。
流斗君が前から言ってた『毎晩話す好きな女の子』が、彼女かどうか確かめたくて。
「あー、うーん、嘘言っても仕方ないよね。あたしが朝河先輩に叱られるだけだし……先輩からは、中学卒業してから何も連絡なかったよ。思い切って取材申し込みしたのに、ムシされるし。やっとメール来たと思ったら、あなたの動画を削除してくれ、だもん。しかも先輩、あたしがブロガーだってわからなかった」
安心するとともに、申し訳ないような可哀相な気持ちになってきた。
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