Heaven‘s Gate

南雲遊火

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Heaven's Gate

女装刑事の○○奇譚(上) 〜Since 2002〜

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 白粉をはたく。

 淡い色の頬紅を乗せる。

 まぶたにシャドウを乗せて、眉を引いて。

 最後に、唇にほんのりとローズピンクの紅をさす。

 差し出された鏡の中に、自分の知らない、少女がいた。

 それは、しいて言うなら文化祭における、些細な余興・・の一つであり、皆の笑い・・を取るために課せられた、道化・・であっただけなのかもしれない。

 しかし……。

 ただ、それは……。

 にとって、間違いなく、忘れられない衝撃となった。


  ◆◇◆


「あら。いらっしゃい。嵐子らんこちゃん」

 しばらく、ご無沙汰だったんじゃない? と、更衣室から出てきたに、女性・・が手を振った。

 黒いレースがふんだんに縫い付けられた、左右非対称アシンメトリの長いロングドレスを身に纏いカウンター・チェアに腰かけた彼女・・は、同じく、黒の手袋越しに、ワイングラスを弄ぶ。

 真っ白の肌に、長い銀色の髪の毛ウィッグ
 力強くきつめの黒いアイライナーと赤黒いダーク・チェリーのリップが映える特徴的な化粧ゴシック・メイク

 しかしながら、柔和に彼女・・は微笑んだ。

「お久しぶりです。薫子かおるこさん」

 女装・・サロンバー『キュベレー』。
 各々、その理由は様々ではあるが、が『女装』をして、酒を楽しむ『男性・・』のための店。

「ちょっと、仕事が立て込んでまして……」

 苦笑を浮かべ、嵐子は薫子の隣に座る。
 そんな嵐子の唇に、薫子は人差し指を、そっとあてた。

「仕事だなんて、野暮な事、言っちゃダメよ」
「は……はい……」

『キュベレー』には決まりがある。それは、集う人間は、素性・・を明かしてはならないというものだ。
 表向きは、俗世を忘れ、開放感を得る場所に、各々個人の事情は必要ない……といった理由なのだが、実は、政治家や大学教授といった、密やかな趣味がバレるとヤバい方々のプライバシーを守るために……といったウワサもある。

 が、それはさておき。

「そんなことより、可愛いわ。その服。よく似合ってる。それに、素敵な香りね」
「あ……ありがとうございます!」

 薫子に褒められた嵐子が、ポッと頬を赤く染めた。

 本日嵐子が身に着けているのは、小さな小花柄の、淡いピンクのワンピースに、ざっくり荒く編んだ、白いニットのカーディガン。

 ゴシック系の薫子に比べると、随分とシンプルではあるが、ナチュラル(にみせる)メイクも相まって、健康的な女の子そのものに見える。
 合わせた香水──エルメスの『地中海の庭』も、ユニセックス系ではあるが、爽やかで上品で、ほのかな甘みを漂わせる。

「私も、薫子さんみたいにもっと綺麗になりたいです」
「あら、嬉しいこと、言ってくれるわね」

 目を細めて、薫子が笑う。

「それじゃぁ、今日は一杯奢らせて。何がいい?」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」

 こうして、夜は、更けていった。


  ◆◇◆


河田かわた神薙かんなぎ!」
「はい! ただいま!」

 上司女性の怒声に、パタパタと駆けていく後輩に遅れ、あくび交じりにおろしは、のそのそ・・・・と上司の元に駆けつける。

「遅い! 河田!」
「ふぁあい……もうしわけございませ──」

 スパーンッ! と、見事に顔面に分厚いファイルが直撃して、颪はひっくり返った。

ってぇッ!」
「目が覚めたかッ!」

 額を押さえ、涙目の颪に、眉間にしわを寄せた上司──三剣みつるぎが、再度怒鳴った。

たるみきった顔してんじゃないよ! ほら! 事件だ! 会議室行くよッ!」

 颪の首根っこを掴み、引きずる三剣が、くんッと、鼻をひくつかせた。

「……『地中海の庭エルメス』の、ラスト・ノート」

 ギクッ……思わず表情を固める颪に、三剣上司はニヤリと笑う。

「昨夜は女でも抱いて、お楽しみだったんだろうが、仕事・・は、きっちりこなしてもらわなきゃ、こっちが困るんだ」

 馬鹿面なんとかして、とっとと来なッ! 再度三剣は、手に持つ分厚いファイルで颪の頭をパシーンッとはたき、会議室に向かって部屋を出て行った。
 神薙後輩が、まるで仔犬のように、パタパタとその三剣の背を追いかける。

 颪は一気に目が覚め、背筋に冷たい汗が流れた。


  ◆◇◆


「はーい、警察です。皆さーん、動かないでー」

 三剣が警察手帳を掲げ、部屋の入口に仁王立ちする。

 室内に居た複数の柄の悪い男たちが、一気に三剣を睨みつけた。
 そんな男たちに臆することなく、三剣は時計を見る。

「十一時十三分、家宅捜索入りまーす! あ、コラ! そこ! 動くな!」

 三剣がそう言った途端、神薙が一人の男を締め上げた。

 神薙かんなぎ安曇あずみという男は、普段ぼんやりとし、小柄で華奢で、本人曰く「宗教上の理由」とのことで髪も背中まで長くて、以上に少女のような見た目なのだが、こういう行動は異様に素早く、また、やたらと強くて、どんな大柄な男も組み伏し投げ飛ばしてしまう。

「神薙!」

 三剣の言葉に、神薙が男の手を離した。
 とたん、男が逆に神薙につかみかかるが、神薙はそれを軽々と避け、足を引っかけて転ばせる。

「あのねー、こっちは、殺された安藤アンドーさんについてお聞きしたいんですけど……おとなしく、教えてくれませんかねぇ?」

 工事現場で、男の刺殺体が発見されたのは、本日未明の出来事。
 日本刀と思われる凶器にて、何度も斬られ、刺されて死んだ男は、安藤あんどう輝樹てるきといい、暴力団構成員だった。

 ここは、その安藤が所属していた任侠団体『玄任会げんにんかい』。

「こっちは、被害者。じゃ、ないですか?」

 気配もなく突然、颪の背後から凛と通る声が響き思わず颪は振り返った。

 颪より頭一つ高く、すらりとしたスタイルの良い、白いスーツの端正な一人の男。

「若頭!」

 ざわり……と、室内の男たちがざわめく。
 若頭と呼ばれたその若い男は、切れ長の目をさらに細め、ジッと颪の顔を見つめた。

「な……なんッスか?」
「……とりあえず、部屋入るんで、そこ、どいてくれませんかね」
「あ、失礼……」

 と、颪は一歩下がった。

 男はその脇を通って室内に入ると、三剣に対峙する。

「聴取は自分が受けましょう」
「あら、素直でよろしいわね」

 予想外の反応に、三剣は思わず拍子抜けし、ぱちくりと目をしばたたかせた。

 そして、ふと、何かに気付いたような三剣は、ジッと男を見つめる。

「あなた、どこかで、会ったことがあるかしら?」
「さぁ。どうでしょう?」

 ふっと頬を緩ませ、男は笑った。


  ◆◇◆


玄任会げんにんかいは、数年前に会長が変わっています。現会長、元はカタギだったようですが、前の会長の婿養子となり、先ほどの男は、その新しい会長の、連れ子・・・のようですね」

 神薙が、パラパラと資料をめくる。
 三剣が事情聴取をしている間に、下っ端の颪と神薙は情報を集め、そしてまとめていた。

「だから、若頭とか呼ばれてるワリに、ヤクザらしからぬ・・・・・ところがあったのか……って、神妙な顔して、どした?」
「いえ……慧羅ケーラさ……じゃない、三剣警部補ではありませんけれど、自分も、彼を、どこかで見たような気がして……」

 思わず三剣を下の名前で呼んだ神薙に、颪は思わず目を見開いた。

「何……お前ら、そんな関係だったの?」
「ち……違います!」

 赤面して慌てる神薙を、颪はニマニマと眺める。

「そ、そんな顔しないでください! 先輩! その、慧羅さんはオレの、母代わりみたいな人なんです!」

 母代わり? 疑問符を浮かべる颪に、神薙はそうです! と得意げにふんぞり返った。

「慧羅さんには、息子が一人いますけど、他に三人の養子を育ててますし。その、オレもそのついでっていうか……籍は入ってないですけれど、オレの母が死んで、一緒にまとめて育てられたというか……」
「へー……意外……」

 三剣が未亡人・・・であることは、ちらりと噂に聞いていたのだが、バリバリのテンプレート・キャリア・ウーマンのイメージが強い三剣のプライベートなぞ想像したことがない。

 それに、見た目家庭的な印象もほぼ無かったので、そんなに大家族とは思いもしなかった。

 そして、こいつの『仔犬』は、あながち間違いじゃなかったのか……と、颪は一人、脳内会議を高速回転で行っていた。

「そうじゃなくて! 先輩! 手と目をちゃんと動かしてください!」

 と、神薙の声に現実に引き戻される。

 少しからかい過ぎたか……じっとりと睨んでくる後輩に「わかったわかった」と、颪は苦笑を浮かべた。


  ◆◇◆


「ダメだわ。今回に関して・・・・・・は、玄任会あいつらシロ・・ね」

 お手上げ……と、三剣が頭を抱えた。
 振出しに戻る──まさしく、そんな状況。

「仲間割れではない。かといって、別組織と抗争しているような形跡もないし……会長が代替わりして、まぁ、綺麗になったものだわ……」

 代替わりすると同時、非合法薬物の取り扱いを辞め──その代わりに玄任会の主な活動資金源となったモノは『情報』。
 もちろん、きちんとした証拠をつかみ、取り扱い場合によっては法に触れ御用とすることも可能であるだろうが、漠然とした『情報』有無だけでは警察も動くに動けず、玄任会もそこを踏まえ、『情報』の売買を仲介したり、その『情報』を使って他者を強請ゆすったり等、表だった行動を起こしているわけでもない・・・・・・。それ故に証拠もない・・・・・為に、警察も現状では手出しできず──。

 さて、どうしたものか……とりあえず本日は定時となり、颪は帰路につく。

 しかし、その前に、いつものように、いつもの店キュベレーに──そう思っていた颪は、思わず歩みを止めた。

 進行方向に立つ、目立つ人影。
 白いスーツ。背の高い、線の細い男──。

「な、何の御用でしょうか?」

 玄任会の若頭──思わず、颪の声が上ずった。

「警視庁刑事部捜査一課、河田颪さん……いえ、嵐子さん・・・・と、お呼びしたほうがいいでしょうか?」

 ぶほッ……、思わず颪はむせた。

 何故、その名・・・を、この男が知っているのか……ぶわりと、嫌な汗が噴き出し、目をむいて、目の前の男をまじまじと見つめた。

 そして、先ほどの三剣とのやりとりを思い出した。

 ──玄任会の、主な活動収入源となったモノは『情報』──。

「お、オレを、強請る気です?」

 颪の言葉に、若頭は、ぱちくりと細い目を見開いた。
 そして、面白そうに頬を緩める。

「いいえ。わざわざ刑事である貴方に、自分からそんなこと・・・・・をするメリットは、全くありませんよ。ただ、一つ、お願い・・・が、あるんですが……」

 お願い? 訝しむ表情の颪に、若頭は笑みを凍らせ、真面目な顔でうなずいた。

「あの人には……三剣女史には言えなかったことですが、安藤に関係する話です。そう、彼を……神薙・・安曇・・を、今から指定する場所に、どうか、連れて来てくれませんか?」
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