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プロローグ
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その日、ロイド・ブライトウェルは、作り物のように美しく整った顔に憂鬱を滲ませていた。
理由は、彼の主であるユルラシア王国の王太子エドワードからつい先刻、面倒事を言い渡されたからだ。
こなすべき執務は山積みだというのに、なぜ自分が……という思いが拭えない。
普段は冷静沈着、クールな切れ者と言われるロイドだが、今ばかりは眉根を寄せて頭痛に耐えるかのような渋い表情を浮かべ、こめかみを押さえていた。
……なぜ私が、我儘と噂の隣国の王女のご機嫌伺いをしなければいけないのだ。ただでさえ、女は嫌いだというのに。
ロイドがこのような辟易とした事態に巻き込まれたのは、遡ること数時間前のことだ。
◇◇◇
「はじめまして。リズベルト王国王女のアリシア・リズベルトと申します。エドワード殿下にお目にかかれ光栄でございます」
ユルラシア王国、王宮の一室。
豪華なドレスに身を包んだほっそりとした体つきの女が、流れるような優雅な身のこなしで王太子であるエドワードに頭を下げて挨拶をしていた。
彼女はユルラシア王国の隣の国であるリズベルト王国の第一王女だ。
そしてこの度、エドワードとの政略結婚が決まり、王太子妃になるべくこの国に来たばかりだった。
「ああ、遠いところよく来た。私が王太子のエドワード・ユルラシアだ」
「これからどうぞよろしくお願い致します」
「聞いていると思うが、私たちの婚姻は1年後だ。それまでは婚約者として扱うので、そのつもりでいてくれ」
「はい。承知いたしております」
「あと、これも承知のこととは思うが、私には愛する側妃がすでにいる。君とはあくまで両国の和平のための政治的な婚姻だ。私からの寵愛を与えるつもりはない。くれぐれも言動は弁えてくれ」
「もちろんでございます」
王女にとっては屈辱的であろうエドワードの辛辣な言葉に、彼女はただ淡々と答えるだけだ。
内心は煮えたぎっているのかもしれないが、おそらくそれが許されない立場であることぐらいは理解しているのだろうと、側近としてエドワードの隣に控えるロイドは思った。
なにしろこの婚姻はただの政略結婚ではなかった。
ユルラシア王国とリズベルト王国の両国は長年敵対しており、度々戦争を繰り広げてきていた。
文明が発達した豊かな大国であるユルラシア王国に対し、リズベルト王国は国土も豊かさも比べ物にならない小国だ。
だが、鉱山を有するゆえに資源が豊富で、それはユルラシア王国にとって魅力的なものだったのだ。
先般にも大きな戦があったのだが、ここでついにリズベルト王国が降伏することとなり、今後はユルラシア王国に有利な形で資源が提供されることに決まった。
同盟を結ぶことになった両国は、それを確かなものとするため、和平の証として王族同士の婚姻を結ぶことにした。
だが、王族の結婚式ともなると準備に時間を要する。
そこで婚姻は1年後となり、王女はそれに先駆けてつい先日まで敵国であったユルラシア王国に婚約者としてやって来たのだ。
言い方を変えれば、人質のようなものだった。
「ところで、君はそのベールを室内でも取らないつもりなのか?」
エドワードは、王女が顔を覆うように付けている白いベールを指差しながら問いかけた。
王女の顔は完全に隠れてこちらからは伺い知れず、分かるのは少しだけ覗いている良く手入れされた美しいハニーブロンドの髪だけだった。
「はい。我が国の王族は婚姻するまで人に顔を見せないことを良しとする文化がございますので」
「だが、君の妹は大層美人だと耳にするが? つまり顔を晒しているということであろう?」
「ええ、妹はそうです。なにぶん古い伝統文化のため廃れつつあるのですが、私は大切に守りたいと考えておりまして、ぜひ殿下にもご理解頂けますと幸いです」
「まぁ別に君の好きにすればいい。私は気にしないからな」
「ご理解賜りありがたく存じます」
再び美しい所作でお辞儀をした王女を、エドワードやその周囲の側近は嘲笑うような目で眺めていた。
なぜなら王女がベールを取らない理由が本人が述べたものではないと知っていたからだ。
その後、一言二言エドワードと言葉を交わした王女はその場を退室していく。
王女がいなくなった途端、エドワードは耐えかねたように「ふはっ」と笑いを漏らした。
「聞いたか? 噂は本当だったな。あんなに頑なに顔を隠すなんて、よっぽど醜い顔なんだろうな」
「古い伝統文化だと言い張るなんて強情ですね。我儘だというのも本当なのでしょう」
「そんな王女を差し出すなどと、リズベルト王国は小国のくせに我が国を舐めているのでしょうか? 美しいと評判の第二王女を差し出してしかるべきですよ!」
エドワードの一言を皮切りに、周囲を囲む側近たちが口々に王太子に追随する台詞を発し出した。
あの王女には「容姿が醜い上に我儘で性格まで歪んでいる」という評判があり、事前調査でそのことをこの場にいる全員が把握していたのだ。
「まぁ私には側妃がいるから問題ないし関心もないが。リズベルト王国もそれを分かっていてあの王女を差し出したのだろうな。あくまで同盟のための人質で、その意味では充分だからな」
「それはエドワード殿下のおっしゃる通りですね。せいぜい大人しく過ごしてもらいましょう」
「そうだな。愛する側妃と過ごす私の時間を奪わないでくれるならなんでもいい。そこで、ロイド。お前に頼みがある」
執務を放り投げて側妃との愛欲の日々を貪ることで忙しいエドワードは、酷く投げやりな口調でロイドに話し掛けた。
先程からのエドワードと側近の会話には加わっていなかったロイドは、名指しされ、一歩近寄って傾聴の姿勢を見せる。
その顔はいつも通りに端正に整っており、頼みと聞いて「また変なことを言い出すのでは」と内心訝しがっているなんて、誰も気づかない。
「あの王女と私との間に入って連絡係をしてくれないか? 私は側妃との時間を堪能したいから、あの王女に気を配るつもりは一切ない。だから、まぁ連絡係というか、私の代わりに定期的に訪問して適当にご機嫌伺いでもしておいてくれ」
「……は? 私がですか?」
「ロイドは顔が良いから女なら喜ぶだろう? 人質として憐れに過ごすあの王女にせめてもの情けだ」
エドワードがそう述べると、腰巾着のような側近たちは「なんと慈悲深い!」と持ち上げる。
一方のロイドはというと、自分の婚約者ぐらい自分でなんとかしろという言葉を必死に飲み込んでいた。
ただでさえ、執務を押し付けられてエドワードの尻拭いをしているロイドへの慈悲はないのかと言ってやりたいところだった。
「……私でなくても良いのでは?」
ロイドはダメ元でやんわり抵抗を試みる。
昔から一度言い出したら意見を変えないエドワードの性格は知っていたが、意見せずにはいられなかったのだ。
「一応相手は王女だからな。それ相応の身分は必要だろう? 公爵のロイドなら身分的に問題ない上に、王女は尊重されている気分にもなるだろうからちょうどいい。こんなことがすぐに思い付くなんて私は天才かもしれないな。ははは」
エドワードはさも楽しそうに笑い声を上げ、そろそろ側妃のところへ行くと言い出したことで、この話は覆ることのない決定事項となった。
この出来事が、本日の数時間前のこと。
そして、ロイドが憂鬱を隠せずにいる理由であった。
……まったくエドワード様には困ったものだ。
王女に与えられた王宮内の離宮へ足を運びながら、ロイドはため息を何度となく噛み殺した。
エドワードに対してのみならず、これから連絡係という名目のご機嫌伺い係として頻繁に顔を合わすことになるだろう王女に対してのため息も含まれていた。
王女の部屋に到着すると、扉の前に立つ護衛はロイドを認識してすぐさま侍女へと取り次いでくれる。
ほどなくして通された応接間には、先程同様に白いベールで顔を覆ったハニーブロンドの女が優雅にソファーに座り待ち構えていた。
……さて、どんな不平不満や我儘を言われることになるのやら。こんな損な役回り、なぜ私が。本当に気が重い。
ロイドは心のうちを押し隠し、その美しい顔に社交的な笑みを浮かべる。
「王女殿下、お寛ぎのところ失礼いたします。私はエドワード殿下の側近で、ブライトウェル公爵家の当主、ロイド・ブライトウェルと申します。このたび、エドワード殿下からの命により、連絡係の任を受けました。エドワード殿下はお忙しい方ですので、なかなかお時間が割けないため、なにかありましたら私までお申し付けください。王女殿下に我が国で心地良く過ごして頂けるよう努めてさせて頂きます」
ベールで顔は見えないが、王女がこちらに視線を向けるのをなんとなく感じたロイドは、さらに笑みを深めた。
これがロイドとアリシアがお互いを初めて認識し合った時、そして運命が動き出す始まりの瞬間であったーー。
理由は、彼の主であるユルラシア王国の王太子エドワードからつい先刻、面倒事を言い渡されたからだ。
こなすべき執務は山積みだというのに、なぜ自分が……という思いが拭えない。
普段は冷静沈着、クールな切れ者と言われるロイドだが、今ばかりは眉根を寄せて頭痛に耐えるかのような渋い表情を浮かべ、こめかみを押さえていた。
……なぜ私が、我儘と噂の隣国の王女のご機嫌伺いをしなければいけないのだ。ただでさえ、女は嫌いだというのに。
ロイドがこのような辟易とした事態に巻き込まれたのは、遡ること数時間前のことだ。
◇◇◇
「はじめまして。リズベルト王国王女のアリシア・リズベルトと申します。エドワード殿下にお目にかかれ光栄でございます」
ユルラシア王国、王宮の一室。
豪華なドレスに身を包んだほっそりとした体つきの女が、流れるような優雅な身のこなしで王太子であるエドワードに頭を下げて挨拶をしていた。
彼女はユルラシア王国の隣の国であるリズベルト王国の第一王女だ。
そしてこの度、エドワードとの政略結婚が決まり、王太子妃になるべくこの国に来たばかりだった。
「ああ、遠いところよく来た。私が王太子のエドワード・ユルラシアだ」
「これからどうぞよろしくお願い致します」
「聞いていると思うが、私たちの婚姻は1年後だ。それまでは婚約者として扱うので、そのつもりでいてくれ」
「はい。承知いたしております」
「あと、これも承知のこととは思うが、私には愛する側妃がすでにいる。君とはあくまで両国の和平のための政治的な婚姻だ。私からの寵愛を与えるつもりはない。くれぐれも言動は弁えてくれ」
「もちろんでございます」
王女にとっては屈辱的であろうエドワードの辛辣な言葉に、彼女はただ淡々と答えるだけだ。
内心は煮えたぎっているのかもしれないが、おそらくそれが許されない立場であることぐらいは理解しているのだろうと、側近としてエドワードの隣に控えるロイドは思った。
なにしろこの婚姻はただの政略結婚ではなかった。
ユルラシア王国とリズベルト王国の両国は長年敵対しており、度々戦争を繰り広げてきていた。
文明が発達した豊かな大国であるユルラシア王国に対し、リズベルト王国は国土も豊かさも比べ物にならない小国だ。
だが、鉱山を有するゆえに資源が豊富で、それはユルラシア王国にとって魅力的なものだったのだ。
先般にも大きな戦があったのだが、ここでついにリズベルト王国が降伏することとなり、今後はユルラシア王国に有利な形で資源が提供されることに決まった。
同盟を結ぶことになった両国は、それを確かなものとするため、和平の証として王族同士の婚姻を結ぶことにした。
だが、王族の結婚式ともなると準備に時間を要する。
そこで婚姻は1年後となり、王女はそれに先駆けてつい先日まで敵国であったユルラシア王国に婚約者としてやって来たのだ。
言い方を変えれば、人質のようなものだった。
「ところで、君はそのベールを室内でも取らないつもりなのか?」
エドワードは、王女が顔を覆うように付けている白いベールを指差しながら問いかけた。
王女の顔は完全に隠れてこちらからは伺い知れず、分かるのは少しだけ覗いている良く手入れされた美しいハニーブロンドの髪だけだった。
「はい。我が国の王族は婚姻するまで人に顔を見せないことを良しとする文化がございますので」
「だが、君の妹は大層美人だと耳にするが? つまり顔を晒しているということであろう?」
「ええ、妹はそうです。なにぶん古い伝統文化のため廃れつつあるのですが、私は大切に守りたいと考えておりまして、ぜひ殿下にもご理解頂けますと幸いです」
「まぁ別に君の好きにすればいい。私は気にしないからな」
「ご理解賜りありがたく存じます」
再び美しい所作でお辞儀をした王女を、エドワードやその周囲の側近は嘲笑うような目で眺めていた。
なぜなら王女がベールを取らない理由が本人が述べたものではないと知っていたからだ。
その後、一言二言エドワードと言葉を交わした王女はその場を退室していく。
王女がいなくなった途端、エドワードは耐えかねたように「ふはっ」と笑いを漏らした。
「聞いたか? 噂は本当だったな。あんなに頑なに顔を隠すなんて、よっぽど醜い顔なんだろうな」
「古い伝統文化だと言い張るなんて強情ですね。我儘だというのも本当なのでしょう」
「そんな王女を差し出すなどと、リズベルト王国は小国のくせに我が国を舐めているのでしょうか? 美しいと評判の第二王女を差し出してしかるべきですよ!」
エドワードの一言を皮切りに、周囲を囲む側近たちが口々に王太子に追随する台詞を発し出した。
あの王女には「容姿が醜い上に我儘で性格まで歪んでいる」という評判があり、事前調査でそのことをこの場にいる全員が把握していたのだ。
「まぁ私には側妃がいるから問題ないし関心もないが。リズベルト王国もそれを分かっていてあの王女を差し出したのだろうな。あくまで同盟のための人質で、その意味では充分だからな」
「それはエドワード殿下のおっしゃる通りですね。せいぜい大人しく過ごしてもらいましょう」
「そうだな。愛する側妃と過ごす私の時間を奪わないでくれるならなんでもいい。そこで、ロイド。お前に頼みがある」
執務を放り投げて側妃との愛欲の日々を貪ることで忙しいエドワードは、酷く投げやりな口調でロイドに話し掛けた。
先程からのエドワードと側近の会話には加わっていなかったロイドは、名指しされ、一歩近寄って傾聴の姿勢を見せる。
その顔はいつも通りに端正に整っており、頼みと聞いて「また変なことを言い出すのでは」と内心訝しがっているなんて、誰も気づかない。
「あの王女と私との間に入って連絡係をしてくれないか? 私は側妃との時間を堪能したいから、あの王女に気を配るつもりは一切ない。だから、まぁ連絡係というか、私の代わりに定期的に訪問して適当にご機嫌伺いでもしておいてくれ」
「……は? 私がですか?」
「ロイドは顔が良いから女なら喜ぶだろう? 人質として憐れに過ごすあの王女にせめてもの情けだ」
エドワードがそう述べると、腰巾着のような側近たちは「なんと慈悲深い!」と持ち上げる。
一方のロイドはというと、自分の婚約者ぐらい自分でなんとかしろという言葉を必死に飲み込んでいた。
ただでさえ、執務を押し付けられてエドワードの尻拭いをしているロイドへの慈悲はないのかと言ってやりたいところだった。
「……私でなくても良いのでは?」
ロイドはダメ元でやんわり抵抗を試みる。
昔から一度言い出したら意見を変えないエドワードの性格は知っていたが、意見せずにはいられなかったのだ。
「一応相手は王女だからな。それ相応の身分は必要だろう? 公爵のロイドなら身分的に問題ない上に、王女は尊重されている気分にもなるだろうからちょうどいい。こんなことがすぐに思い付くなんて私は天才かもしれないな。ははは」
エドワードはさも楽しそうに笑い声を上げ、そろそろ側妃のところへ行くと言い出したことで、この話は覆ることのない決定事項となった。
この出来事が、本日の数時間前のこと。
そして、ロイドが憂鬱を隠せずにいる理由であった。
……まったくエドワード様には困ったものだ。
王女に与えられた王宮内の離宮へ足を運びながら、ロイドはため息を何度となく噛み殺した。
エドワードに対してのみならず、これから連絡係という名目のご機嫌伺い係として頻繁に顔を合わすことになるだろう王女に対してのため息も含まれていた。
王女の部屋に到着すると、扉の前に立つ護衛はロイドを認識してすぐさま侍女へと取り次いでくれる。
ほどなくして通された応接間には、先程同様に白いベールで顔を覆ったハニーブロンドの女が優雅にソファーに座り待ち構えていた。
……さて、どんな不平不満や我儘を言われることになるのやら。こんな損な役回り、なぜ私が。本当に気が重い。
ロイドは心のうちを押し隠し、その美しい顔に社交的な笑みを浮かべる。
「王女殿下、お寛ぎのところ失礼いたします。私はエドワード殿下の側近で、ブライトウェル公爵家の当主、ロイド・ブライトウェルと申します。このたび、エドワード殿下からの命により、連絡係の任を受けました。エドワード殿下はお忙しい方ですので、なかなかお時間が割けないため、なにかありましたら私までお申し付けください。王女殿下に我が国で心地良く過ごして頂けるよう努めてさせて頂きます」
ベールで顔は見えないが、王女がこちらに視線を向けるのをなんとなく感じたロイドは、さらに笑みを深めた。
これがロイドとアリシアがお互いを初めて認識し合った時、そして運命が動き出す始まりの瞬間であったーー。
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