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男は決心しました。
しおりを挟むオメガは男が来ない2日間気が気でなかった。最後に会った時、男は熱中症で倒れていて、まさかそれが悪化したのかと不安になったり。無論、鮫島にあの男の熱中症は完璧に治っていたから心配ないと告げられたが、男が何か事故にでも遭ってしまったのかと思うと辛くなる。漸く男がオメガのことを諦めたのかと思えば、オメガは深く息を吐いて落胆した。
オメガがちらちらと、窓の外から男がいつも居座る玄関の方を気にしているのを見て、そのオメガの様子を見る鮫島は不満を隠さない。
男が来なくなって3日。オメガが無意識に胸を抑えていると、遠くからヘリコプターの飛ぶ音が聞こえる。この小さな島では、ヘリコプターなんて滅多に見ない上、男のここまでの交通手段は自家用ヘリ。その音は、男の来訪を知らせているのだ。
暫くすると、診療所のインターホンが鳴った。鮫島もそれが男によるものだと気が付いているから、わざとゆっくり腰を上げていると、二階から何かに追われているように急ぎ走り飛んで来たオメガが、扉の向こうに誰がいるかも確認せず、勢いよく扉を開けた。それは、誰がどう見ても男を待ち望んでいたようにしか見えない。
男が診療所のインターホンを押せば、中から走っているような騒がしい音が聞こえ、勢いよく扉が開く。男は驚いた。いつも、扉にチェーンをかけたままの少しの隙間から鮫島に帰れと言われていて、その日も変わらないだろうと予想していたのだ。躊躇いなく開けられたのは、息を切らし何かを期待した顔のオメガ本人だ。待ちわびている荷物でも届くのだろうか、とまさかオメガが男を待ちわびていたなど夢にも思わない。
ともあれ、2日ぶりにオメガの顔を見れた男は、その冷たい端正な顔立ちに抑えきれない笑みを浮かべた。途端、男を凝視していたオメガが下を向いて目を逸らすから、不審に思えば、オメガの耳が真っ赤だ。滅多に笑わない男だが、オメガの前で顔が緩むのは初めてだったかもしれない。
もし、男の笑顔にオメガが照れているのなら、男は自分の恵まれた顔立ちに感謝したい気分だった。そして、男の目の前で可憐に照れ、それをいじらしく下手に隠そうとしているようオメガを抱きしめてしまいたかった。
「な」
男が初めてオメガの名前を呼ぼうとした時、鮫島が意地の悪い顔で診療室から歩いてくる。
「やあ、久しぶりだね。そろそろいつかを諦めたのかと思ったよ」
その足取りは、心なしか早足で、いつも余裕そうな鮫島が苛ついているように見える。
「悪いが、私は欲しいものは絶対に諦めないタチでな」
鮫島の嫌みとも言える言葉を男は鼻で嗤って傲慢に言った。その姿は、どこからどう見ても、昔の高圧的で傲慢な男のままで、男の変化はオメガに関する事だけなのである。
「ああ、そう」
鮫島はその傲慢をなかったように流し、当たり前のようにオメガの手を引き、鮫島の方に引っ張る。オメガは男を見て少し名残惜しそうな顔をして、そのまま鮫島に従った。男は鮫島に苛つきを覚える。オメガは嫌そうなそぶりこそしなかったが、今の鮫島はあまりにも自分勝手だったからだ。
だが、男に鮫島を責める権利なんてない。男は、オメガを自殺しようとするほどまでに追い詰めたのだから。男からその罪は一生消えないし、男はそのことを充分に分かっているから歯痒さを感じた。
「それで、どうしたんだい?用がないなら」
鮫島のいつものセリフを言うのを男は勝ち誇った顔で制し、オメガへ笑顔を意識して言った。
「お前の父親から手紙と手料理を預かってきた。一緒に食べよう」
それに鮫島は、オメガの顔色を見て、諦めたように男を奥へ促した。
(やはり、こいつが関わると鮫島は弱いんだな。まあ、しょうがない。こいつは可愛いからな)
男は無意識に、オメガをベタ褒めしながら、オメガに手紙と卵焼きの入った袋を渡し、当然のように上座に座る。男は、初めて入った居住スペースが屋敷のクローゼットより小さいと内心呆れながら、物珍しいように見渡した。自分が住むのはごめんだが、オメガがここでリラックスして過ごせるなら悪くないだろうと思う。
男が無言でそんな風に考えていれば、意を決したようにオメガが男に聞いてきた。
「あの、僕の両親はどんな人ですか」
過去を全て忘れているオメガ。男は生まれながらに冷徹な性質であまり血縁者に情を感じていないため、気にはしないが、やはり、オメガは自分の両親が気になるようだった。男は、オメガにオメガの両親は駆け落ちしたアルファの母とオメガの父がいて、アルファはオメガが妊娠してすぐに亡くなったことや貧しい中、オメガの父親に育てられたことを話した。どれも男が勝手にオメガを調査して知ったことで、オメガ本人に聞いたわけでも、オメガの父親に聞いたわけではもない。男は、その事実の虚しさをオメガに説明しながら初めて実感した。
「父はどんな人ですか?」
オメガに聞かれ、男は考える。オメガの父親をどう言えばいいのか。元々お世辞など言えない男は正直に言うしかなかった。
「これは、私の一方的な印象だが、無愛想な男だ。貧しい家で貧しい暮らしをした私の嫌いな貧乏人。……だが、あの父親は人に媚びない上に芯がある。あんな性格では、苦労も多かっただろう。その中でお前を深く愛し、育てた立派な男だ。何より、あの父親はお前を産んだ。それだけで、私はあの男に感謝しなくてはならない」
微笑みながら言い切る男にオメガは顔を真っ赤にしてお茶を入れに行った。
(……貧乏人が嫌いは言い過ぎてしまった気がする)
オメガのその反応に男が勘違いすれば、鮫島が心の底から嫌そうな顔で「わざとなの?さむっ」と呟く。
「こんな暑い中、寒いなんて体調管理がなってないな。医者の風上にも置けない」
「真性なんだ……」
男は、本能に抗わず生きることを決め、躊躇いがなくなっている。だからこそ、男がオメガへ伝える言葉が男の苦手なキャラメルみたいに甘ったるいことを男は自覚しない。
その後、鮫島は診療所へ向かい、オメガは男の隣で静かに父親の手紙を読む。少し経つと、オメガは深く息を吐き、かしこまって男へ向かって言った。
「あの、改めまして父の手紙と手料理をありがとうございます。とても嬉しいです。……もし、もし良ければ夕食を食べていきませんか。普段藍澤さんがいただいているお食事と比べるとお粗末なものではありますが……」
それは、男にとって嬉しい提案で、断るなんてあり得なかった。男は毎日、最高級の食材を使った、一流シェフの料理を食べている。その料理を超える一般人なんてそうそういない。でも、別にいいのだ。食事の美味い不味いなんてどうでもいい。オメガが男に食事を振る舞ってくれようとする気持ちが何より嬉しい。その気持ちを男は、正直に口にする。
「ありがとう。お前の料理が食べられるなんて嬉しいよ。……まあ、鮫島がいなかったらもっと良かったんだが……」
自然と出た感謝の言葉。感謝の言葉を言ったのはこれで3回目だが男は意外と悪くないと思う。それは、男の内面が変わったからで、その変化をまざまざと感じているオメガの顔はまた真っ赤になり、利き手で顔を仰ぐばかりだった。
「では、僕、夕飯の準備してきますね」
「待ってくれ。それは急ぎか?」
男に止められたオメガは、いえ、と否定する。時間はまだ17時で、オメガは簡単な料理しか作れないからそんなに時間もかからない。
何か用事でも頼まれるのかと首を傾けたオメガを、男の横に座らせて、昨日オメガの父親に問われた質問をした。
「ある人に課題を貰ったのだが、私にはその答えが分からない。それで、お前に相談があるんだ」
深刻な口調の男に、オメガは困った顔をする。オメガは知識こそ覚えているものの、記憶喪失で、学歴は高校までだ。男の関わっている難しい経済の話をされても全く分かるはずがない。
「えっ、僕に相談ですか?僕、そんな難しいこと分からないです……」
「いや、難しいことではない。運命の番が出会った時、お互いに愛している相手がいた。その時、お前ならどうする、と言った簡単な質問だ。私には、その答えが分からない」
男が悩むにしては、面白い質問だとオメガは思った。それに、そんな問題に答えなどない。人それぞれ答えは違うはずだ。
それこそ、お金と愛、どちらが大切かと聞かれているようなもの。
「……その質問に答えはない気がします」
「ああ。分かっている。だから、お前ならどうするか聞きたい」
「僕なら簡単です」
男は願う。オメガが運命の番を選ぶ、と言ってくれることを。もし、オメガが運命の番を選ぶと言うなら、壊れてしまってはいるがオメガの運命の番である男に可能性が残されているということだ。
オメガは躊躇いがなかった。それは、選ぶのが運命の番か、それとも愛した相手なのか決まりきっているということだ。男の答えは運命の番以外ないと思っている。
(どうか、どうか答えてくれ。運命と)
「絶対に愛してる相手を選びます。僕は、運命なんかに負けたくありません。自分の愛した人と結ばれたいです」
それは、男が一番恐れていた答えだ。目の前のどうしても手に入れたいオメガは、運命に負けないと言う。まるで、愚かにもオメガを拒絶していた男のように本能を受け入れないと言ったのだ。
男は、変わった。運命を受け入れるために変わった。オメガが欲しい一心で毛嫌いしていた本能に理性を譲り、無様を晒し、屈辱を何度も味わった。その今までの努力をよりにもよってオメガに全否定された気分で。
だけど、そんなことより、男は苦しかった。オメガの口から男より鮫島を選ぶとはっきり言われたことが、男には何より苦しくて辛かった。男はあまりにも直面したくない事実に行き着くと、怒りより先に悲しみが来るのだと知る。
唯一の望みがプツリと切れる。
もう、男はどうすればいいか分からない。どう動けばいいのかも、今後オメガのいない人生をどう過ごせばいいのかも分からなかった。
固まって動かない男に、オメガは何か悪いことを言ってしまっただろうかと不安になるが、オメガの答えに嘘偽りはない。ならば、と。
「藍澤さんは、違うんですか」
オメガの問いに、男は茫然自失のまま答えた。男の正しいはずの答えを。男はオメガを説得しようと言う気も起きなかった。だって、オメガは絶対と言ったのだ。オメガは、絶対に男を選ばないのだ。
「……私は、運命の番を選ぶ。それが世界の選択だろう。ちっぽけな人間が愛を貫こうなんて無理に決まってる」
男にとっては正しい答えに、オメガは少し哀しそうな顔をした。まるで、間違ったことをしている子供を見るように男を見て、それから、男の視線に乗り込み男の頬を触る。
オメガの手が触る頬から、男に暖かい体温が伝わる。
「愛って、愛してるって、そんなちっぽけなものじゃないですよ。運命は確かに大切です。でも、運命がなくても生きていけるけど、愛がないと生きていけないでしょう?」
男は、オメガの手に頬を擦り付ける。まるで、諭しているように、あやしているように言うオメガに、静かに動転していた気が治まっていくようだった。
「私には分からない」
オメガは、優しく笑った。
「大丈夫です。きっと、いつか分かります。愛って相手を想うことです。自分の幸せを期待しないで、相手の幸せを願うことです」
男には理解できない。人のために動くのは、最後、自分に利益がもたらせるからだ。人を想うのは、その人に想って欲しいからだ。
男がオメガ相手に必死に変わったのは、褒美としてオメガが欲しいからだ。
だけど、オメガは言う。オメガを手に入れることはできないけど、男は変わるべきなのだと。
理不尽だと思う。代価が欲しいと思う。男ばかりオメガを思って、見返りを貰えないなんて悔しいし無様だ。
「そんなの虚しいじゃないか」
「そうですね。きっと苦しいと思います。悔しいとも思います。でも、だからこそ尊いのだとも思います」
男は、想像する。オメガが鮫島の隣で幸せそうに笑うところを。オメガが愛おしそうに鮫島を抱きしめるところを。
嫌だった。鮫島を殺してしまいたい位、憎らしく思った。
それでも、オメガが幸せそうに笑っているのを想像すれば痛む傷口に軟膏を塗られたみたいに、ドロドロとした悪感情が癒された。傷つけられた傷口は、暫く痛み続けるだろう。もしかしたら、膿んで熱を出すかもしれない。
だけど、男はこの手の熱をくれる心優しいオメガをもう二度と傷つけたくない。
男は決心した。
オメガを諦めることを。
男は、これが愛なのかもしれない、と思った。男は、オメガを愛していたのだ。恐らく、きっと、絶対。
愛しているのなら、男はオメガのために身を引くべきなのである。
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