花冷えの風

白湯すい

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第二章

西の魔物

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 オウカという若い新戦力を獲得した琰は、相変わらず忙しい日々であった。
 クムラという男のサガであるのか、この王は思考や行動を止めることを知らない。周りがいくら彼を休ませようと画策しても、空いた時間で代わりに新しいことを始めるのだ。
 特にこのところは、オウカの地図を手に入れたクムラはたいそうそれを気に入り、夜な夜な広げて眺めては、オウカや他の軍師たちと城攻めや行軍の策略を話し合っていた。現実的な話から、到底実現不可能な話まで。

 そもそもクムラは、戦好きとは言わないまでも、戦いの駆け引きなどにおいてはそれを楽しんでいるような節があった。
 もちろん戦とは人の命が失われるものであることはクムラも重々承知の上だ。その上で、クムラは如何に双方の被害を抑えつつ、かつ圧倒的な力の差を突きつけ勝ちを得るか、という戦い方をする男である。
 そのため、クムラは兵の数よりも将の強さ、策略の巧みさに拘った。琰には、シュナやムカイの他にも数々の知恵者がおり、また彼らを競わせるのではなく協力させた。将らにも同じように、それぞれの役割と調和を重んじさせていた。人の和のなかにこそ、正解はあると信じたからだ。

 動くべきときに、動くべき通りに動く。それさえ守れば国取りなどそう難しくはないと、クムラは語りながら、今日も頭を抱えている。


「それで、次はどこを攻めるおつもりなのですか?」
 当然のようにそう尋ねるこの青年も、クムラを焚きつける役をしているのだろう。クムラもそれを自覚しながら、けれど焚きつけられたままでいた。この自信に満ちた美しい青年には、乗せられていてやろうと思えるほどの何かがあるのだ。
「今は国を整え力を蓄える……と言いたいところなのだがな。少し北西に動きがあるようで、恐らく衝突は避けられそうにない見込みだ」

 すっかり夜の帳も下りて、城内は静まり返っている。人の気配などはないひっそりとした夜に、クムラの私室にオウカは居た。二人の様子はまさに蜜月といった雰囲気で、何かを愛するのに男も女もないと言うクムラは、可憐なオウカを大いに愛していたし、オウカもそれを受け入れていた。
 しかしながら、元の気質が似ている二人である。既に密に絡み合った後の甘い空気を纏いながらも、話すことは主に国のことであった。

「北西、というと、やはりシレン軍ですか」
「知っているか、確か地図はなかったようだが」
「ええ、一応遠巻きにですけど、軍の演習を見ましたよ。ちょうど大規模演習の時期だったらしく、危なっかしくて城を眺めて地図を書くような余裕はありませんでした」
 オウカは向こう見ずな性格のようでいて、かなり用心深い男でだった。決めたことに対して思いきりがいいというだけで、危険な場所にわざわざ足を踏み入れるようなことはしない。
 演習とはいえ、北西の大軍勢シレン軍の陣中は物々しく、ぴりぴりとした雰囲気が遠くからでも感じられた。不用意に近寄れば、何があるかわからなかったのだ。オウカはそのときどこの軍の者でもなかったが、持っている荷物の大半が地図作成にまつわるものであるから、変に怪しまれて荷を検められるようなことがあれば、どこかの国からのスパイを疑われてもおかしくない。そうなれば、命はなかっただろう。
「どう見えた? シレン軍は」
「うーん、正直おっかないです。荒々しくて、そう統率がとれているという具合でもない。でも、士気が高くて勢いがある。ろくな軍師がいるようには見えませんでしたけど、策がなくとも、まともにぶつかってこられたらたまらないですね。ああいう軍とまともにやり合おうとしたら一番被害が出ますから、現時点で勝つ策がないわけではないけれど、その後のことを考えると選ぶべきではないです」
「ふむ、そうか」
 北西のシレンは、突如として現れた小規模ながらもめっぽう戦に強い軍勢である。軍略が優れているのではなく、単純に腕っぷしが強い男たちの集まり、といった感じだ。琰城は国のかなり北寄りにあり、シレンが居城を構える場所とそう遠くはない位置にある。琰の内外でこちらの動きを探られているような動きがあるとの報告が、無視できない数になっていた。恐らく、程なくして何か仕掛けられるだろうという見込みであった。

「先回りしてきましょうか? 今ならまだ危険も少ないでしょうし、僕の顔も知れてませんし」
「任せられるか? 正直、動き始めるなら今しかない。先延ばしにするなら行かないほうがマシだ」
「もちろん」
 クムラの言葉を待っていたというように頷き、きらりと瞳を輝かせ笑うオウカ。既に夜の一番深い頃だというのに、クムラの唇にひとつ小さなキスだけ残して、並んで寝そべっていた寝台からするりと抜け出し、乱れていた襟元を正す。
「この僕にお任せを。期待していてくださいませね」
 そう言い残すと、クムラが何か言葉を返すよりも早く、部屋を出て行ってしまったのだった。せっかちな男だと思わないでもないが、そういう部分は自らの性質にも近しいと自覚があるだけに、クムラは一人残され苦笑するしかなかった。


 クムラとオウカが着々と西のシレン討伐にむけ動いている最中、軍の主体である兵たちもまた、俄に活気付いていた。まだ侵攻の話はクムラたち数名の中でされているだけで、他の者たちには漏れてはいない。けれど、上が忙しく動き回っている様子を見れば、それを見ている兵たちも何かを察するらしい。
「とは言っても、浮き足立っているというような感じではなく……士気が高いといった様子です」
「それは良いですね。鍛練を拝見しましたが、皆良い顔をしていました」
 城内で偶然すれ違ったシュナとコハクはそう兵たちのことを話していた。しばらく共に過ごした二人は、こうして時折立ち話をする仲になった。
「ご覧になられていたのですか」
「ええ、ほんの少しだけですけれど」
 人や物が動くとなれば当然忙しくなるシュナが鍛錬を見ていてくれたことにコハクは驚いた。それと同時に、なんだか背筋が伸びるような思いだった。
「私も負けぬよう働かねばと気合が入りましたよ」
 そういう気持ちになったのは、シュナという男がこういう考え方をする人間だからだ。いつでも誰よりも勤勉に働き、誰にとっても規範となれるような姿勢でいるのに、いつでも人の優れたところを探して身の振り方を見直すのだ。
「この城であなた以上に働いている者は居ないでしょう。私は少し心配です」
「そんなことがありますか。オウカも頑張っているのです、私がのんびりしているわけにもまいりますまい」
 そのくせ、とびきり自分に厳しいときている。時にクムラさえ苦い顔をするその生真面目さは、どこか似たところを持つコハクも驚くほどだ。


 オウカはそう時間をかけずに戻った。シレン軍の様子が日に日にピリついてきていたからだ。
「とは言え、まだまだ今すぐにって雰囲気でもないんです。無駄に士気が高まっているって感じですかね」
 帰城したそばから主要な将や文官を集めた軍議は開かれた。大きな卓を囲み、その上にはばさりとオウカの作ってきた地図が広げられている。
「シレン軍が根城としているのは、城とは呼ばれていますが随分と昔に作られた貴族の邸を増築したような建物です」
 付近の地形までを詳細に記したそれの城の部分をくるりと指でなぞり、オウカはある一点でぴたりと指を止める。
「狙い目はここです。この部分だけは石壁が途切れ、内側まで木の門になっています。それも特段新しいものではない。投石機で破壊することができるでしょう。周囲はやや険しい森ですが進めなくはありません。そして門からさらに進んだ城の壁、このあたりに石の継ぎ目が甘い箇所がありますから、城攻めはここが有効です」
「ほう、流石だなあ」
 オウカはもちろん、城の門まで見に行ったわけでもなければもちろん城壁の石をつぶさに観察したわけでもない。おそらくは周囲の森の中に身を潜めながら、彼の異能『観測』の力でそれらを見抜いているのだ。

「とは言いましたが、ここを攻めること自体は容易ではありません。多くの兵を動かせる場所があるわけではないですから、あくまでここは陽動です。主となる策はこの水門でしょう」
「やはり水攻めか。この先少し後に西部のあたりは雨季に入る……そこが好機だな」
 クムラの言葉にオウカは頷く。
「ええ。裏手の目的は戦力の分散です。策のキモが水門破壊ですから、それの成功率を高めるために弱点をつくというだけ……前線の維持と水門への経路確保ができなければ意味がない」
「では水門へは私が参ります」
 水攻めにおける最重要な役割を、コハクは買って出た。コハクは既に多くの演習や訓練でその力を示しており、兵たちからも信頼を得ていた。クムラからの信頼は言わずもがなである。皆異論はなかった。
「…であれば、それまでの前線へは私が出ましょう」
 次にそう口を開いたのはシュナだ。
「…できるのか?」
 クムラは思わずそう尋ねる。
「できぬとは言っていられないでしょう」
「……わかった。であれば俺も出るぞ」
「それはなりません」
「後ろで控えておるのはつまらん。それにお前が居れば俺は死なない。そうだろう?」
 これはクムラの我儘が半分と、シュナへ発破を掛けるのが半分である。そのどちらもを汲み取れないシュナではない。平素であればそうはしなかったかもしれないが、その時のシュナは後者の意味を重く受け止め、静かに頷いた。
「……わかりました。私はクムラ様と共に」
「ではコト・アクル両将軍にも前線で暴れていただきましょうか。オチ将軍は水門側、コハク将軍の背を守っていただきたい。私は後衛を務めますよ」
 てきぱきと配置のコマを動かしていくのはムカイだ。
「承知した」
「お任せくだされ」
 将軍らもそれに意見することもない。ムカイはいつでも柔和にふわふわと笑っているが、決めていくことは的確だ。戦の策を編み出すことも得意としているが、人を理解し動かすのが誰よりも上手い。後方にどっしりと控えていてくれるのがムカイだということが、琰の支えになっているところもある。

 若い新人の策も有用だと判断できれば即採用され、重鎮たちが決めるべきことや為すべきことを理解し話がどんどんとまとまっていく。琰というのはよくできた組織だとコハクは改めて感心していた。
「よし、そうと決まれば忙しくなるぞ。皆、働け!」
 軍議はクムラの激励で締められ、各々策の実現に向かって動き出した。


 シュナが持ち場に戻ろうとしているその帰り道、オウカはそれを引き止めるように声をかける。
「聞きましたよ、シュナさん。僕……」
「オウカ……」
 珍しく言葉を詰まらせるオウカを振り返り表情を見れば、何を言いたいのかはわかった。おそらくクムラあたりから、自分が異能の力を使えないことを聞いたのだろうと思った。
 オウカもそれを見透かされたことをその目を見て察した。それ以上何も言えなかったのは、その目があまりにも寂しそうに見えたからだ。
「……大丈夫ですよ。君は、優しい子ですね。今も昔も、何も変わらない……」
 シュナはそう言って、オウカの話も聞かずにすたすたと歩いて行ってしまった。

 置いて行かれたオウカの背中を見ていたのはコハクだった。
「……僕は、シュナさんにあんな顔させるためにここに来たわけじゃない。何があったのかは知らないけど、シュナさんは力のせいで悲しい思いをしたんですよね」
「私も、詳しくは」
「そう」
 詳しいことはシュナは話したがらないし、クムラやムカイたちも本人が話さないのであればと口を閉ざす。オウカもコハクも、それを問いただすようなことはしなかった。したくないからだ。
「それなら僕のやるべきことはひとつです。あの人が力を使う必要なんてないくらい圧倒的に勝てば良い……貴方も、力を使えずとも強いのでしょう?」
 コハクも異能を使えぬということは周知の事実だった。それが知れ渡っているのは、コハクがそれでも誰も適わないほどに強いからだった。
「……そのつもりです」
「ならば僕の手足となって働いてください。上手く扱ってみせますから」
 いっそ傲慢ささえ感じさせる気の強さを持つオウカだが、その先を見据える目が華やかな外見からは想像もつかぬほどに殺気を帯びていて、コハクは思わず息を呑んだ。
「シュナさんにこれ以上悲しい顔はさせない。僕はそのために居るんだから」
 そのままオウカも、足早にどこかへ消えていったのだった。
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