決戦!

ハシモト

文字の大きさ
6 / 14

迷い矢

しおりを挟む
 奥州の秋は短く、冬はすぐにやってくる。虫たちが最後の力を振り絞って泣き続ける中、左馬介は無力感を抱きつつ、掘立て小屋の入り口を潜った。

「帰ったぞ」

「お帰りなさいませ」

 囲炉裏で湯を沸かしていた鶴が、たらいに張った水に注いで足を洗う。左馬介は鶴から受け取った布で足を拭くと、囲炉裏に手をかざした。

「だいぶ冷えてまいりました。薪をもう少しくべましょうか?」

 鶴の問いかけに、左馬介は首を横に振った。

「いらぬ。もうすぐ戦だ。体をそれに慣らしておく」

 そう答えつつ、こんなぶっきらぼうな言い方しかできないのかと後悔する。しかし、鶴はそれを気にすることなく、左馬介の前へ小さな碗を差し出した。

「今日は少しは精がつくものと思い、女たちと地蜂の巣をいぶしました」

 左馬介は真っ白な蜂の子をつまむと、口の中へ放り込んだ。わずかに残っていた味噌も和えたらしく、それがより蜂の子の甘みを引き立てている。気づけば、碗の中はいつしか空になっていた。

「すまぬ」

 左馬介の言葉に、鶴が不思議そうな顔をした。

「お前の分も食ってしまった」

「それは左馬介様のために用意したものです。鶴にお気遣いは無用です」

 いつもは表情に乏しいこの女にしては珍しく、鶴が口元に笑みを浮かべる。それが左馬介の心に、澱のようなものを感じさせた。それを向けている相手は、目の前で家族を殺し、拐かし、犯した男だ。

「鶴、一つ頼みがある」

「はい。何でしょう?」

「髪を切ってくれ。長いと兜の中で蒸れる」

「承知いたしました。どこかではさみを借りてきます」

 そう言って腰を浮かせた鶴の腕を、左馬介は抑えた。

「鋏などいらぬ。こいつで適当に切ってくれれば良い」

 左馬介が白木の鞘で出来た短刀を渡すと、鶴は左馬介の背後へと回った。その太ももや下腹部が、左馬介の背中に触れる。その温かみを感じつつ、左馬介は鶴が髪を切り始めるのを待った。

 ザク!

 切り落とされた髪が、土間の床へぱさりと落ちる。鶴は髪を一房づつ手に収めると、次々と短刀で切り落としていった。その音を聞きながら、左馬介は考える。

『どうしてこの女は、俺にそれを突き立てぬ?』

 鶴が手にしている短刀は、半農の地侍であった鶴の家から、左馬介が奪ってきたものだ。自分なら、躊躇なく首筋に短刀を突き立てる。

 ザク、ザク――。

 髪を切る音と、囲炉裏で薪が弾ける音だけが響く。あれほどうるさく鳴いていた虫の音は、ほとんど聞こえない。左馬介は堪らず鶴に向かって口を開いた。

「どうして俺を殺さぬ」

 左馬介の言葉に、一瞬だけ鶴の手が止まった。しかし、鶴は何事もなかったように、左馬介の髪を掬うと、短刀でそれを切り落とし続ける。

「俺はお前の全てを奪った男だぞ」

 左馬介は言葉を続けた。それでも鶴は手を休めることなく、左馬介の髪を切り落としていく。

「聞こえぬのか?」

 その問いに、鶴の手がやっと止まった。

「鶴は鶴ではありません」

 思わず背後を振り返ると、短刀を手に、鶴が左馬介へ頷いて見せる。

「どういうことだ?」

「鶴は一度死んだ身でございます。左馬介様が手にかけた者は、前世の鶴の縁者で、現世の鶴とは何の関わりもございません。今の鶴は左馬介様の鶴です」

 鶴の目に何か光るものが見える。左馬介は鶴へ背中を向けた。

「そうか……」

「はい」

 再び鳴き始めた虫の音と、鶴が髪を切り落とす音だけが響く。だが、誰かがこちらへ駆けてくる足音と共に、急に外が騒がしくなるのが聞こえた。

「左馬、おるか!」

 刀を肩に担いだ土佐守が、小屋の入り口からいきなり顔を出す。しかし、すぐに当惑した顔をした。

「坊主にでもなるつもりか?」

「違う。戦に向けて髪を切っていた」

「土佐殿、入口で止まらないでください。邪魔ですよ」

 土佐守を押し退けて、甚左衛門も姿を見せる。そして入って来るなり、髪を切り落とした左馬介をしげしげと眺めた。

「よく似合っております。鶴殿もそう思いませんか?」

 それを聞いた鶴が、遠慮がちに頷く。

「まあ、綺麗さっぱり切ったものだな。しかし鶴殿、甚左には気をつけた方が良いぞ。こやつは左馬を狙っておる。それにネチネチと執念深い」

「ネチネチとは何です。私は土佐殿と違います」

「それよりも、お前たち何の用だ?」

 嫌味の応酬を始める前に、左馬介は二人へ問いかけた。

「肝心な事を忘れるところだった。戦だ。これから出陣の準備よ」

「戦!?」

 左馬介は背後で鶴に短刀を持たせているのも忘れて、立ち上がった。

「おい、気を付けろ、鶴殿が困っているぞ!」

「土佐、弾正が『うん』と言ったのか?」

「やる気満々よ。月明かりで移動して、明け方に攻める。ぱっと行って、ぱっと帰ってくるやつだ」

 土佐守が、肩に担いだ刀をポンポンと叩いて見せる。

「それはそうでしょう。土佐殿が長いのを抜いて暴れ足りないと言えば、あの二人とてやる気にもなります」

「そう言う甚佐も、玄蕃の近くをうろちょろしていた油虫を、短刀で撃ち殺して見せただろう。玄蕃がずいぶんと青い顔をしていたぞ」

「あの人の顔色が悪いのは日頃からです。それに熊の肉も食べきりました」

 二人はいつもこの調子だ。左馬介は含み笑いを漏らしながら、背後に立つ鶴の方を振り返った。

「髪はもういい。手拭いを濡らしたのをくれ。肌着の用意も頼む。俺は二人と本殿に行って、陣立の話をしてくる」

「承知しました」

 鶴はそう答えると、左馬介へ三指をついて頭を下げた。


 油の燃える微かな明かりが、農家の板敷の部屋を照らしていた。床の上には黒く光る銃身と、それを支える木の銃床が置かれている。若い侍姿の女性が、その一つ一つを丁寧に磨き、蓋が正常に動くか、引き金に連動して火縄が確実に落ちるかを確認していた。

「問題なし……」

 朝日は満足そうにつぶやくと、ほっと肩の力を抜く。しかし、人の気配を感じると、慌てて背後を振り返った。

「貞盛様、申し訳ありません。調整に集中しておりました」

「精が出るな。問題はなさそうか?」

「近頃は種子島も珍しくない故、皆が問題なく使えております。あとは実際に火薬を詰めて撃たせてみないと、コツは分からぬと思います」

「野伏どもも、こちらが種子島を持っているとは思うまい。当たる当たらないはさておき、半分はこけ脅しみたいなものだ」

「いえ、撃つからには、皆に相手の兜首を取ってもらわねばなりません」

「はて、野伏に兜首などいるかどうか……。それよりも、今からでも遅くはない。田所と叔父のところへ行け。こんな所で、誉も褒美もない戦などする必要はない」

「いやでございます」

 朝日のきっぱりとした返答に、貞盛がはげた頭をなでて見せる。

「朝日、お前がなんと言おうがお前は女だ。これまでもお前の我儘は十分に聞いた。最後は儂の我儘を聞いてもらう」

 それを聞いた朝日が、片膝をつき、貞盛に向かって顔を上げた。

「私は女でしょうか?」

「もちろんだ。お前は十分に器量良しの女だ」

「ならば、貞盛様の手で私を抱いてくださいませ」

「こんな禿頭の爺いを捕まえて、いきなり何を聞く?」

「年など関係ございません。女であるならば、女として扱っていただきたく存じます」

「朝日、お前はお前の母以上に豪の者だな。されど、命は一つしかないのだ。母と同じ過ちを繰り返す必要はない」

 貞盛の言葉に、朝日が激しく首を横に振る。

「私は原の家を継ぐべく生まれてきた者です。それは原の家がどうなろうと変わりません。私の宿命です。貞盛様が私に全てを捨てて生きろと言うのも、女になれと言うのも、私に母を重ねるのも、全ては貞盛様の未練でございます」

「未練?」

「はい。母と違って、私に長生きしろと言う貞盛様の未練です。ですが、私は朝日なのです。私は朝日として生きたいのです」

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり……」

「何の事でしょうか?」

「『敦盛』だ。平敦盛を討った熊谷直実が、世を儚んで出家する際に歌ったものだ。儂は人の生とは、まさに熊谷直実が感じたものと同じだと思っておった。武士として栄誉の限りを極めた熊谷直実ですら、己が人生に意味があったのかと悩んだのだ。だが朝日、お前は自分の生に一点の曇りもないな」

「はい、朝日は武士でございます!」

「ならば朝日、儂からはもう何も言うまい。この戦がお前の初陣だ」

 貞盛の言葉に、朝日が目を輝かせた。

「貞盛様、朝日の初陣はいつ始まりますでしょうか?」

「向こうも飢えておるだろう。明日の朝、遅くとも明後日の朝には攻めてこよう。この戦、秋の大雨が来る前に終わらせるぞ」

「委細承知仕りました」

 朝日は種子島を手にすると、引き金を引いて火縄を落とす。朝日の心の内を映すかの如く、種子島の火皿から赤い火の粉が舞い上がった。


 リーン、リーン、リーン――。

 鈴虫の音が微かに聞こえてくる。鶴は月明かりの下、水場で左馬介の肌着を洗っていた。夜ではあったが、風があるので、肌着は明朝までには乾くことだろう。

『決して大雨などにはなったりしませんように……』

 鶴は目をつむって阿弥陀仏に祈った。目を開けると、たらいに人影が映っている。鶴は尻もちをつくと、背後を振り返った。

「驚かせてしまいましたね」

 甚左衛門が鶴へ丁寧に頭を下げる。鶴も乱れた裾を直すと、甚左衛門へ頭を下げた。

「甚左衛門様、戦評定は終わったのでしょうか?」

「評定ですか? 私は興味がないので、左馬介殿と土佐殿に任せて出てきました。今日は疲れたので、先に寝かせてもらいます。明日の夜は、ほとんど寝れないでしょうからね」

 甚左衛門が鶴へ、肩をすくめてみせる。

『美しい人だ……』

 鶴は素直にそう思った。平時でも小袴を履き、羽織を着てこざっぱりとした姿は、絵巻物に出てくる古の坂東武者を思い起こさせる。

「甚左衛門様、左馬介様をよろしくお願いいたします」

 鶴は土の上に膝をつくと、再び甚左衛門へ向かって丁寧に頭を下げた。

「鶴殿、左馬介殿の背中はそれがしが承ります。それに、何か守るものがあると言うのはいいですな。左馬介殿がうらやましい」

 そう告げると、甚左衛門はわずかに口元を緩めて見せた。しかし、その顔に浮かぶ笑みはどこか寂し気にも思える。この人は前世の、左馬之助様と出会う前の自分と同じなのかもしれない。鶴は何となくそんなことを考えた。

「甚左衛門様のご無事も、お祈りしております」

 甚左衛門は鶴に片手を振って答えると、山頂へ続く崩れかけた石の階段を登っていく。月明かりに浮かぶその背中からは、黒く長い影が伸びていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...