オネェの髭Ⅰ(短編集)

當宮秀樹

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8ゲンゾウの霊界探訪記(地獄編)

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8ゲンゾウの霊界探訪記(地獄編)

それは、平成二十五年八月に起きた出来事だった。

今日も熱帯夜の寝苦しい夜になるのかな? 朝から憂鬱な気分で仕事に出かけた。 
その日は僕の人生二十五年で一番衝撃的な夜になった。 今考えても背筋の凍るような出来事だった。 
覚悟を決めてお話ししよう。 あなたもどうか覚悟して聞いて下さい。  
霊界に興味のない人はこのままスルーして下さい。 

 僕はいつものように会社に出かけた。 会社は電材会社で営業をしております。 
お得意先は電気の工事会社が主です。 その日は朝礼後、顧客廻りをして社に戻ったのは夕方になっていた。 

 「ただいま戻りました」いつもの調子で事務所のドアを開けた。 

 事務員の板垣さんが「ゲンゾウさんお疲れ様でした。  ミナト電機さんどうでした?」 

 「大きい注文もらったよ。  今、伝票回すから処理頼むね」 

 「さすがゲンゾウさん。あのミナト電機さんの社長と渡り合えるのはうちではゲンゾウさんだけですから。 
お疲れ様でした」板垣が笑顔で言った。 

 伝票処理の仕事が終わり、帰り支度をしたがその日はどうもまっすぐ自宅に帰る気になれず、
みんなを誘いビアガーデンで二時間ほど涼んでから帰宅した。 時計を見ると十時。 
それからシャワーを浴び布団に入ったのが十一時過ぎた頃だった。 

 酔っていたせいか就寝前の読書もせず一気に寝に入った。 目を瞑り、そんなに時間は
経ってないと思う。  突然、足が硬直して手も固まり、目だけが唯一動くという体験をした。  
そう、僕は金縛りになってしまった。次の瞬間胸の辺りに圧迫感を感じた。 

だ……誰かが、ぼ、ぼ、ぼ、僕の胸に腰掛けていた。  お、女?  声が出ない僕はその女と目があった。  
女は顔を近づけてきた。こ、こ、声が出ない…… 

女は話しかけてきた「一緒に行こう」そして手を引っ張った。 

 嗚呼、抵抗出来ない…… 次の瞬間、下に引っ張られ、不覚にも気を失ってしまった。 

どのくらい経ったのか? とりあえず意識が戻った。  でも、何か言葉で表現出来ない憂鬱な気分……?  
辺りを見渡すと僕の寝ている部屋とちがう?  
そこは非常に薄暗く湿った空気感が何ともいいえず、そう、まるで魚が腐ったような異臭。 

「どこ……? ここは何処?」 

僕は目を凝らし辺りを見渡した。 だんだん目が慣れてきた。 
ここは見慣れた町のようだったが何かが違う?  いや、雰囲気が全然違う。 

内心。僕は死んで地獄に堕ちた……?  途方にくれていると右手を引っ張られた。
その手のさきを見上げると、 頬の肉がそげ落ち、骨が顔からはみ出して目はくぼみ、 
眼球だけが異常に鋭い目の女だった。 

「やめろ! 誰だ、あんたは?」強い口調で叫んだ。

「あたいと遊ばない?」 

「やめろ! 手を離してくれ!」 

「なんだ、面白くねえやつだなぁ」女は消えた。 

何だ、こいつは? 後味の悪いこれは夢?  夢ならはやく覚めて欲しい、夢ならもとの世界に帰りたいと
思った。 次の瞬間また景色が一変し今度は町に変わった。  
その町を歩いていると段々と目が慣れてきて、ここに来た時よりも少し視界が開けたように思えた。 
匂いもさっきより気にならなくなっている? 

どういうこと? もしかして僕はこの世界に馴染んだ? ウソでしょ。  心の何処かで得体の知れない
苛立ちを感じる?  この苛立ちは何だろう? 

無性に誰かを殴りたくなってきた。 

無性に喧嘩がしたい……  そんなこと思うのは僕の人生でいちどもないこと……


そこに「おいっ、ゲンゾウ!」 

 誰かが気安く俺に声を掛けてくる。 

なんか、理屈抜きにむかつく声だ「誰だ? 俺を簡単に呼び捨てにすんじゃねえ」思わず口に出してしまった。 何でこんな話し方をするのか自分でも解らない……

「なに……? ゲンゾウおいこら」声の主はゲンゾウが勤めている会社の山田社長だった。 

「あれっ、山田社長だったんすかどうもすいません」態度を一変させた。 

「ゲンゾウ」 

「ハイ!」 

「今、俺に何て言ったんだ? もう一度いってみろや! こら!」 

「いや、すいません。僕の勘違いです。 勘弁して下さい……」僕はひたすら謝った。 

「ちぇっ!なめた口ききやがって」 

「すいません」なおも僕は謝った。 

謝っている心の奥ではなにか妙に腹立たしい気持ちがした。 今、謝ったのに、こいつ… 

「おい!聞いてるのか? ゲンゾウ」 

僕は思わず「聞いてるよ… しつこい山田!」嗚呼、言ってしまった……! 

次の瞬間、山田社長の胸ぐらを僕はつかんでいた。  そして顔面を殴ってしまった。 
山田社長はその場に倒れこんだ。  僕は思わずその場から逃げた。 でも、心の中では何ともいえぬ
爽快感があった。 生まれて初めての感覚。  そして僕は、この陰鬱な町をうろつくことにした。  
そう、その時の僕は、次の争いを求めていたんだ。 

段々、その世界は視界が開けてきたし、あの獣の匂いも感じなくなってきた。 
今思うと、地獄に馴染んできた証しだった。  街は至る所で罵声と悲鳴が聞こえた。 
その雰囲気が楽しそうに感じている僕がいたんだ。  そして気が付いたことがあるんだ。 
ここの住人はみんな自分勝手だという事だった。 

ある十歳位の女の子は、交差点の真ん中で車にひかれ倒れたと思ったら また立上がり交差点の
真ん中に歩み寄って突然現われた車にまたひかれる。  僕が視てるだけでも三回は繰り返していた。 

通りかかったビルの奥まった所に人影があった。 そこに一人の老婆がいたので、僕はかつあげ
しようと近寄ったんだ、そしたらその婆さんはひとりでブツブツなにかいっていた。 

声を掛けた「おいババア、ちょっと金貸せ!」

その婆さん、聞こえたのか聞こえないのか完璧に僕を無視したんだ。  もう一度、声を大きくし
同じ事を言った。  また無視され、急に腹が立ち殴りかかろうとした時だった。 

「おい、辞めとけ……」後ろから声がした。 

「その婆さん、何にも聞こえてねえから無駄だ」 

 声の主は、黒いサングラスを掛けた警察官。 

ばつが悪いのでその場から走って逃げた。 今思うとその時の僕は、自分が最優先で 他人の事を
考える余裕など全く無かった。  とにかく自分の利益になる事だけを考え町を
うろついていたんだ。 しかも超!イライラしながら。 

町を探索して解ったことは、この世界は自分の事が最優先であるという事。

権力を好む人は権力を振り回し他人を威圧する。 でも自分より力のある人間には簡単に服従する。 
たぶん権力重視の人間は権力に弱いと感じた。  色恋が好きな人は見かけも派手につくろい、
いつも物欲しそうな目付きで異性を物色していた。  また、それが顔に出るから解りやすい。 
たぶんここは嘘隠しのない世界で、自分の想念が形になって現われているんだと思った。 

ただし、こう気付いたのはこの世に帰ってからだ。 そのダークな世界にいる時は全然思ってもみなかった。 
とにかく自分の都合のいいように考えていた。 そう、欲望のまま。 

今考えると異質なんだがその世界では、それが普通の事だった。  
僕がなぜ元の世界に戻れたかというとこんな事があったんだ。  

そのダークな世界にどのくらい居たのかハッキリ解らないがこんな事があった。  
いつものように町を歩き、何かを物色していたんだ。  道の向こうからひ弱そうな男が歩いて
きたので、恐喝しようと思いそっと近寄ったんだ。 

そして「おう、兄さん。金貸してくれよ」いつものようにいったんだ。

そしたらそいつ「いいですよ。 どのくらい必要ですか?」そう聞いてきたからしめたと思い

「三万円」って応えた。 

そいつ「解りました。 その代わりに、ひとつ頼みを聞いて下さい。 そしたら五万円差し上げます」
そういってきたんだ。 

ラッキーと思い「何でもいってみな」

いつは「あのお婆さんと話しをしたら5五万円差し上げます」ってある方角を指さしたんだ。  
その先を見ると何と初日にこの世界に来てすぐ見た、ビルの横でブツブツいってる婆さんだった。  
とりあえず僕は行動に移した。 

その婆さんに近寄り声を掛けた「おい、婆さん。俺と話さねえか?」ってね。

相変らずブツブツいって僕の話しを聞かない。  それを何度か繰り返したんだ。 そしてふと思った。  
逆にこの婆さんの話しを聞いてやろうかと、そして婆さんの話に耳を傾けたんだ。 

その婆さんは「息子と嫁が、私をないがしろにしてる。 父さんの残した財産を狙ってる……」って
ブツブツいってた。 そう聞こえたんだ。 

だから「なあ婆さんよ、それは悪い嫁だな。  婆さんも可哀想に」って同情した。 

そしたらその婆さん「お兄さん、私の気持ちわかってくれるんかい?」 

「解るよ! でもなぁ婆さん、死んだら持っていけねえ財産なんだから諦めろや」

それからしばらく二人は世間話をした。

そうこうしてる間になんとその婆さんの顔がみるみるうちに明るくなり、最初の顔とは全然違う
若い顔になったんだ。 見かけよりずっと若かったんだ。  婆さんは僕に向かって頭を下げた。 
そしたら婆さんが光ってその場から音もなくフット消えてしまった。 

僕は呆然とした。

そうこうする内にさっきの兄さんが近寄ってきて「ありがとう」って。 

僕はしばらく、その世界で人に礼を言われた事がなかったからびっくりした。  そしたら急に身体が
軽くなり気が付くとベットに戻ってたんだ。  時計を見ると布団に入ってから
十分しか経っていなかった。  まったく何が起こったのか理解できない。 

夢だと思うけどあまりにもリアル感があったし、匂いも感触も普通にあったんだ。 

今解ったんだけど、みんながいう幽霊って案外自分が死んでるって理解してないと思う。 
何ていうのか、あの人達は自分の事で精一杯で、の世に出て人を驚かそうとか人に取り憑こうなんて
思ってないと思う。 

そんなに暇じゃあないと感じたんだ。 

幽霊を見たり霊に取り憑かれるのは、すべてこちら側の問題で、あの世界にこちらが
同調しなければみえないし霊障も無いと思う。 

テレビでお盆が近づくと、各局がこぞってやる番組は殆どが演出だと思うんだ。  
頻繁に幽霊を視る人はテレビのようにいちいち驚かないよ。 そしてあの世界は自分の事で忙しい。 
人間を驚かそう、恐怖を与えようなんて思ってないよ。 

結果的に僕がなんで霊界に紛れ込んだのかこの段階ではまだわからなかった。

この世界は次に経験する天国とは雲泥の差だった。
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