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演芸の日:火
第1話
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週明けはあまり客足が延びない。
昨日も夜の酒場は常連客が何人か飲みに来てくれたけど、宿泊のお客さんは一人もいなかった。
だから、毎週火曜日は客寄せのために演芸を行っている。
ただし、芸人を雇うほどの余裕があるわけではない。
芸をするのはサラたちルームメイド兼ウェイトレスの仕事だった。
リータ先輩は持ち前の運動神経を生かして、踊りを披露する。
派手な衣装に身を包んでの踊りは、リータ先輩のファンでなくても見逃すことはない。
サラもウェイトレスの仕事をしながら毎回チラチラ見ているのだが、その動きはとても素人のものとは思えない。
でも、リータ先輩の話だと、踊りは学園とかいうところの授業で何度か習っただけで、正式に芸として教わったものではないらしい。
それでもあれほど踊れるというのは、運動が得意なリータ先輩だからだろう。
リータ先輩の実力ならプロとしてその道で生活するのも苦じゃないだろう。
ごく普通の運動神経しかないサラには、相当の努力がなければ人に見せられる踊りはできない。
レイナ先輩はというと、ヴァイオリンという楽器を弾く。
その音色は泣き叫ぶ赤ちゃんですら一瞬で眠ってしまうほど温かで優しげなもの。
サラもウェイトレスをしながらその音色に聞き惚れている。
ただ、疲れている時にあの音色を聞くとサラまで眠くなってしまうのがちょっと辛かった。
レイナ先輩はヴァイオリンを家庭教師の先生に教わったらしく、その実力はきっとプロ並みなんだと思う。
あまりに美しい音色だったから、羨ましくて一度弾かせてもらったけど、ギーギー鳴っただけであれが音なのかどうかさえ疑問に残るところだった。
じゃあ、サラにはどんな芸があるのかというと、何もなかった。
元々が客寄せのためにやる芸である。
先輩たちは二人ともこの宿場町の人気者だ。
その人気者が芸をするから意味があるのだ。
なんの芸もないサラが無理をしてやる必要はどこにもなかった。
マリリンもサラには芸を求めなかった。
サラまで芸をするとなると、酒場のホールでウェイトレスをする者がいなくなってしまうからだと、マリリンは言っていた。
だからサラは、この日は特別二人の邪魔にならないように仕事をすると決めていた。
いいや、それどころか少しでも二人の負担を減らそうと思っていた。
夜の演芸のための練習は、二人とも自主的にやっている。
酒場のホールの掃除やルームメイクの合間を見つけて練習しているのだ。
それ以外にもサラたちにはトイレの掃除やお風呂の掃除、シーツなどの洗濯物もある。
マリリンもできることなら練習のための時間を与えたいと言っていたけど、そのマリリンだって忙しいのだから、結局のところ練習の時間を作るのは容易ではなかった。
「リータ先輩、少し話があんだけんども」
昨日、予期せぬアクシデントとはいえ失敗してしまった手前、今日はその分を少しでも取り戻そうと思っていた。
「何? 今日がどういう日かわかって言ってるのよね?」
昨日説教をしてきた時よりも口調が厳しい。
何となく緊張感のような感情も交ざっている気がする。
言葉の節々からピリピリした空気が伝わってきた。
「今日の一階の掃除はリータ先輩の担当でながったがや? わだすがわだすの担当すってる二階と合わせで一人で終わらせるでよ」
「……いいの? 掃除に関してだけはあんたのこと認めてるから、やるって言うなら任せるわよ」
「大船に乗った気ーでおって」
あまり他人を認めることのないリータ先輩にそこまで言われたら、申し出たかいもあるというもの。
サラは胸を張ってリータ先輩の掃除用具を受け取った。
サラの本来の担当フロアである二階は全室宿泊客用の部屋である。
幸いにも……宿屋にとって宿泊客がいないのは幸いではないか。
しかしまあ、掃除をするルームメイドからしたら、宿泊客がいない部屋のルームメイクは簡単だ。
いつもの半分もかからない。
二階の客室を全てルームメイクし終えたサラはすぐさまリータ先輩の担当フロアである一階の酒場ホールの掃除に取りかかった。
「あれ? なに、もう二階のルームメイクは終わっちゃったの?」
「はあ、ま。そー言う、リータ先輩はここで何しとるんですがや?」
このフロアの掃除はサラが任されたはずなのに。
「決まってるじゃない、せっかく練習するなら舞台の上の方がいいと思ったのよ」
「ああ、そーで」
納得できた。
この酒場ホールには、演芸をする舞台がある。
まあ、舞台といってもそんなたいそうなものじゃない。
ちょっとした壇になっていて、板張りの床になっているだけだ。一応小さいながらも舞台袖と控え室、幕なんかもあるにはある。
ということは、練習とはいえあのすばらしい踊りが間近に見られるということだ。
役得である。リータ先輩の仕事を引き受けたのはサラの気持ちからだったが、こうして練習が見られるならその苦労も報われる。
サラは床を細長いモップで掃き始めた。まずはホール内の大きなゴミを一箇所に集める。
チラリと舞台に目をやると、リータ先輩は手で拍子を取りながら小さな舞台上を駆けていた。
酒場ホールの掃除は今日が初めてではない。舞台の広さだって毎日見ているのだからその小ささもよくわかっている。
それなのに、リータ先輩のステップはどれも動きが大きくダイナミックで、とてもあの小さな舞台上で踊っているようには見えない。
小さな舞台を大きく見せてしまうその踊りは、まるで妖精のよう。
掃き掃除を一通り終えたサラはバケツに水を汲んで、水拭き用のモップをバケツにつけた。
モップをバケツから少しだけ上げて、バケツの上でモップの先を絞る。
これで準備完了。
後は端から床を拭いていくだけだ。
リータ先輩を見ていると、まるで自分も踊れるんじゃないかという錯覚に陥る。
モップを走らせる足が自然とリータ先輩の手拍子に乗って――。
「馬鹿! 前見なさい!!」
「――へ?」
その言葉がサラに向けられた言葉だったと気付いたのは、サラが自分で用意したバケツに足を引っかけた時だった。
ガシャーンという音と共に、サラは思いきり頭から水をかぶった。
「……イタタ……」
「ったく、あんたねぇ……」
そこまで言ったところで「はぁ」とため息だけついて、リータ先輩は自分のために用意していたタオルをサラに投げてくれた。
「……あんりがとごぜーます」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい声で言った。
目を見てお礼を言うべきだとわかっていても、リータ先輩に向ける顔がなかった。
少しでも助けになりたいと思ったのに、失敗してしまった。
リータ先輩が認めてくれて、サラが最も得意とする仕事だったのに。
さすがに少し落ち込んだ。
「ねえ、サラ。残りは床の水拭きだけよね」
「ええ、そんだども……」
「いいわ、それくらいなら後は私がやっておく」
「え、だども――」
自ら申し出て引き受けた仕事をやり遂げたい気持ちはあった。
「少しは練習できたから、後はいいって言ってるのよ。それから、もう練習中はホールに入らないでくれる。私を踊りに集中させて頂戴」
ピシャリとそう言われてしまっては、引き下がるしかなかった。
サラはすごすごと一階の酒場ホールを後にした。
「……ま、ミスしじまっだことはしがだね。また今度がんばりゃえーべ」
反省はしても後悔はしない。
元々なんでもできる人間じゃないんだから、いちいちミスを気にしていたらなんにもできない。
それに、リータ先輩も少しは練習できたと言っていたし、ちょっとは役に立てたはず。
ってことは、あまり気にする必要はないのだ。
サラは自分に都合のいいように考えながらキッチンの方へ行った。
すると、どこからともなく風に乗って空に波を描くような、柔らかな旋律が響いてきた。
誘われるまま音のする方へ向かうと、裏庭でレイナ先輩がヴァイオリンの練習をしていた。
音を奏でるその姿はあまりにも優雅で、まるで女神様のよう。
ウットリとした表情で聞き惚れていると、レイナ先輩はサラに気付いて手を止めてしまった。
「あ……申し訳ねーだ。わだす、お邪魔しでしまったんだべか」
「いいえ、そういうわけではありませんよ。ただ、せっかく聞いてくださるのなら、もっと近くで聞いていただきたいな、と思っただけです」
「本当がや? ほんなら、お言葉に甘えで」
レイナ先輩が気を遣ってくれたことはうれしかったけれど、それ以上に間近で聞けることがうれしかった。
いつもはウェイトレスをしながらなので、さすがに聞くことに集中するわけにはいかない。
「それでは、始めさせていただきます」
舞台に立っている時と同じあいさつで、レイナ先輩はスカートの裾を少し持ち上げてお辞儀した。
サラは思わず拍手してしまう。
レイナ先輩の動きは、こうしてよく見るといかに洗練されているものかわかる。
優雅さや気品に溢れていて、ちょっとした所作でさえ見とれてしまうほどだった。
仕事の作法、という意味ではリータ先輩だって十分美しい。
比べるのも失礼な話になるが、サラとは雲泥の差なのはわかっている。
ただ……、リータ先輩の動きは経験や運動神経や努力で身につけられたもののように見える。
だからサラだって努力を重ねればいつかはリータ先輩のように美しく動けるようになれるんじゃないか、と思ったりもする。
レイナ先輩のそれは、もはや努力だけでは決して近づけないような雰囲気があるのだ。
生まれや育ち、生きてきた環境が違うような……。
「……どうかしましたか?」
ヴァイオリンを弾きながら、レイナ先輩が優しく聞いてきた。
それはただの言葉なんだけど、ヴァイオリンの音色に重なっているものだから、歌を歌っているようにも聞こえてしまう。
「どーもこーも。いつ聞いでもレイナ先輩のヴァイオリンは癒やされんだや」
「あら、ありがとう。お世辞でもうれしいですよ」
「世辞だなんて。ホントのことだべ」
サラがそう言うと、レイナ先輩は手を止めて「フフッ」と小さく笑った。
やっぱりどことなく上品な笑いだった。
「サラちゃんが元気になってくれたのなら、よかったです」
「へ? わだすはいつでも元気だでよ」
「……そうですよね。サラちゃんは私と違って……。余計なことをしてしまいましたね」
少しだけ暗い表情をさせたかと思ったら、レイナ先輩はさっきと同じように笑った。
その笑顔も同じように上品なものだけど、何となく影があるような気がした。
「なんだが、わだすにはよぐわかんねーんだけんども」
「ううん。気にしないでください。というより、私が気にしているんじゃないかと勝手に気を回してしまっただけですから」
レイナ先輩が説明すればするほど、サラの頭にはクエスチョンマークが増えていった。
「私、サラちゃんのそういうところ尊敬してますし、見習いたいなと思っているんです」
「あんの……レイナ先輩が、いったいわだすのどごを見習うんだべ?」
サラがレイナ先輩を見習うべきところはたくさんあるだろが、その逆なんてありえない。
何かの間違いか。ただの聞き間違いか。
「……酒場ホールでのこと、見てしまったんです。仲裁に入ろうかとも思ったんですけど、なんだか余計に話をややこしくしてしまいそうだったので……」
「ああ、そんりゃ恥ずかしーとこを見せてもーて」
……あれ? それがどうして見習うとかいう話になるのだ。
さっきのことはどちらかというと反面教師にすべきことじゃないのだろうか。
「……わだす、頭がわりーがらやっばり、レイナ先輩の考えでることがよぐわがんねーな」
「そうですか? サラちゃんは気付いていないんですね」
レイナ先輩は少しだけ伏し目がちに笑い、言葉を続けた。
「サラちゃんのいいところに」
「わだすのいいところ? そーなもん、ないがね」
レイナ先輩があまりに的外れなことを言うので、サラは声を上げて笑ってしまった。
自分のことを一番よくわかっているのは自分だ。
マリリン亭では一番下っ端で、先輩たちからは教わることばかりなのに、いいところなんてあるわけがない。
「いいえ、ありますよ」
そう言いきったレイナ先輩の目は真剣そのものだった。
なんだか、少し怒っているように感じられるほど。
「そーだに言うなら、わだすのいいところって?」
答えられるはずがないという意地悪な気持ちと、本当にそんなところがあるなら知りたいという気持ちが混ざったような思いで聞いた。
「決してくじけない心と、どんな時でも明るさを失わない強い心」
ほとんど即答で答えが返ってきた。
「……それが、レイナ先輩に尊敬されるよーなことなら?」
「ええ、羨ましいとさえ思ってるんですよ」
はっきりとした答えを得られたのに、まだ釈然としないものがあった。
心の強さといわれてもそれはただの気の持ちようで、誰だってどうとでもなることだと思っていたから。
サラのように脳天気になればいいのだ。
それは踊りを覚えたりヴァイオリンを弾くよりもよっぽど簡単なこと。
「したら、レイナ先輩もわだすのように深く物事を考えなきゃえーだよ」
「え……、そうですね。そうなれるように努力してみます」
簡単なコツを教えたのに、なぜかレイナ先輩を苦笑いさせてしまった。
「さ、練習の続きを……そうだ。サラちゃん、私の演奏に合わせて歌ってみませんか?」
レイナ先輩がとんでもない提案をしてきた。
あの女神様のような演奏に自分の歌を重ねるなんて、恐れ多い。
……しかし、その反面ワクワクしている自分がいるのも確かだった。
歌なら楽器を弾くわけじゃないからそれほど難しくはない。
せっかくのお誘い、引き受けない手はないんじゃないかな。
それに、少し失敗してしまったけど、リータ先輩の練習のために手伝ったのに、レイナ先輩には何も手伝ってあげられていない。
「わかっただ。わだす、一生懸命歌うべ」
「ええ、お願いします」
今度こそレイナ先輩はヴァイオリンを肩にかけ、右手で弓を弦に重ねて構えた。
冬の空気のようにピンとした音色が裏庭に響く。
「ラー、らー、らーラーラー」
音色に合わせて思いきり声を出した。
自信がないからってぎこちなく小さな声で歌っても意味はない。
音楽は音を楽しむものだから、サラも楽しむことにした。
「らーラララーん、らー、ら~」
……あれ、なんだか音色と声が合わない。
少し不安になりつつも、なお歌い続けた。
「らンらン、ラララー……?」
だが、音楽にそれほど詳しくないサラでも気付くほど、ヴァイオリンの音色とサラの声は合っていなかった。
なんていうか、お互いにあさっての方向を向いて歩いているような。
「ちょっ、ちょっと待ってください」
レイナ先輩が弓を弦から離してしまったので、そこで演奏は止まった。
ただ、それ以前に演奏としては止まっていた。
サラの歌に重ねた演奏は、なぜだかとても聞くに堪えられるものではなかったから。
「えーと……」
レイナ先輩は少し焦りながら、一音一音確かめるようにヴァイオリンを弾いた。
「あれ……? おかしいです……」
「どーしたんだなや?」
「え……と、確かこれが……あれ?」
サラのかけた言葉が耳に入っていないほど、レイナ先輩は繰り返し一音ずつ弾いていた。
「レイナ先輩……?」
「あ、ご、ごめんなさい。なんかちょっと、弦の調整が悪いみたい。ちょっと調整してきます」
名前で呼びかけてやっと気付いてくれたと思ったら、ヴァイオリンを抱えて裏口からフロアに入っていってしまった。
一人裏庭に取り残されたサラは、少しだけ考えた。
「……もすがして、わだすの歌が上手すぎたんだべか。だとしたら、わりーことしちまっただな」
昨日も夜の酒場は常連客が何人か飲みに来てくれたけど、宿泊のお客さんは一人もいなかった。
だから、毎週火曜日は客寄せのために演芸を行っている。
ただし、芸人を雇うほどの余裕があるわけではない。
芸をするのはサラたちルームメイド兼ウェイトレスの仕事だった。
リータ先輩は持ち前の運動神経を生かして、踊りを披露する。
派手な衣装に身を包んでの踊りは、リータ先輩のファンでなくても見逃すことはない。
サラもウェイトレスの仕事をしながら毎回チラチラ見ているのだが、その動きはとても素人のものとは思えない。
でも、リータ先輩の話だと、踊りは学園とかいうところの授業で何度か習っただけで、正式に芸として教わったものではないらしい。
それでもあれほど踊れるというのは、運動が得意なリータ先輩だからだろう。
リータ先輩の実力ならプロとしてその道で生活するのも苦じゃないだろう。
ごく普通の運動神経しかないサラには、相当の努力がなければ人に見せられる踊りはできない。
レイナ先輩はというと、ヴァイオリンという楽器を弾く。
その音色は泣き叫ぶ赤ちゃんですら一瞬で眠ってしまうほど温かで優しげなもの。
サラもウェイトレスをしながらその音色に聞き惚れている。
ただ、疲れている時にあの音色を聞くとサラまで眠くなってしまうのがちょっと辛かった。
レイナ先輩はヴァイオリンを家庭教師の先生に教わったらしく、その実力はきっとプロ並みなんだと思う。
あまりに美しい音色だったから、羨ましくて一度弾かせてもらったけど、ギーギー鳴っただけであれが音なのかどうかさえ疑問に残るところだった。
じゃあ、サラにはどんな芸があるのかというと、何もなかった。
元々が客寄せのためにやる芸である。
先輩たちは二人ともこの宿場町の人気者だ。
その人気者が芸をするから意味があるのだ。
なんの芸もないサラが無理をしてやる必要はどこにもなかった。
マリリンもサラには芸を求めなかった。
サラまで芸をするとなると、酒場のホールでウェイトレスをする者がいなくなってしまうからだと、マリリンは言っていた。
だからサラは、この日は特別二人の邪魔にならないように仕事をすると決めていた。
いいや、それどころか少しでも二人の負担を減らそうと思っていた。
夜の演芸のための練習は、二人とも自主的にやっている。
酒場のホールの掃除やルームメイクの合間を見つけて練習しているのだ。
それ以外にもサラたちにはトイレの掃除やお風呂の掃除、シーツなどの洗濯物もある。
マリリンもできることなら練習のための時間を与えたいと言っていたけど、そのマリリンだって忙しいのだから、結局のところ練習の時間を作るのは容易ではなかった。
「リータ先輩、少し話があんだけんども」
昨日、予期せぬアクシデントとはいえ失敗してしまった手前、今日はその分を少しでも取り戻そうと思っていた。
「何? 今日がどういう日かわかって言ってるのよね?」
昨日説教をしてきた時よりも口調が厳しい。
何となく緊張感のような感情も交ざっている気がする。
言葉の節々からピリピリした空気が伝わってきた。
「今日の一階の掃除はリータ先輩の担当でながったがや? わだすがわだすの担当すってる二階と合わせで一人で終わらせるでよ」
「……いいの? 掃除に関してだけはあんたのこと認めてるから、やるって言うなら任せるわよ」
「大船に乗った気ーでおって」
あまり他人を認めることのないリータ先輩にそこまで言われたら、申し出たかいもあるというもの。
サラは胸を張ってリータ先輩の掃除用具を受け取った。
サラの本来の担当フロアである二階は全室宿泊客用の部屋である。
幸いにも……宿屋にとって宿泊客がいないのは幸いではないか。
しかしまあ、掃除をするルームメイドからしたら、宿泊客がいない部屋のルームメイクは簡単だ。
いつもの半分もかからない。
二階の客室を全てルームメイクし終えたサラはすぐさまリータ先輩の担当フロアである一階の酒場ホールの掃除に取りかかった。
「あれ? なに、もう二階のルームメイクは終わっちゃったの?」
「はあ、ま。そー言う、リータ先輩はここで何しとるんですがや?」
このフロアの掃除はサラが任されたはずなのに。
「決まってるじゃない、せっかく練習するなら舞台の上の方がいいと思ったのよ」
「ああ、そーで」
納得できた。
この酒場ホールには、演芸をする舞台がある。
まあ、舞台といってもそんなたいそうなものじゃない。
ちょっとした壇になっていて、板張りの床になっているだけだ。一応小さいながらも舞台袖と控え室、幕なんかもあるにはある。
ということは、練習とはいえあのすばらしい踊りが間近に見られるということだ。
役得である。リータ先輩の仕事を引き受けたのはサラの気持ちからだったが、こうして練習が見られるならその苦労も報われる。
サラは床を細長いモップで掃き始めた。まずはホール内の大きなゴミを一箇所に集める。
チラリと舞台に目をやると、リータ先輩は手で拍子を取りながら小さな舞台上を駆けていた。
酒場ホールの掃除は今日が初めてではない。舞台の広さだって毎日見ているのだからその小ささもよくわかっている。
それなのに、リータ先輩のステップはどれも動きが大きくダイナミックで、とてもあの小さな舞台上で踊っているようには見えない。
小さな舞台を大きく見せてしまうその踊りは、まるで妖精のよう。
掃き掃除を一通り終えたサラはバケツに水を汲んで、水拭き用のモップをバケツにつけた。
モップをバケツから少しだけ上げて、バケツの上でモップの先を絞る。
これで準備完了。
後は端から床を拭いていくだけだ。
リータ先輩を見ていると、まるで自分も踊れるんじゃないかという錯覚に陥る。
モップを走らせる足が自然とリータ先輩の手拍子に乗って――。
「馬鹿! 前見なさい!!」
「――へ?」
その言葉がサラに向けられた言葉だったと気付いたのは、サラが自分で用意したバケツに足を引っかけた時だった。
ガシャーンという音と共に、サラは思いきり頭から水をかぶった。
「……イタタ……」
「ったく、あんたねぇ……」
そこまで言ったところで「はぁ」とため息だけついて、リータ先輩は自分のために用意していたタオルをサラに投げてくれた。
「……あんりがとごぜーます」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい声で言った。
目を見てお礼を言うべきだとわかっていても、リータ先輩に向ける顔がなかった。
少しでも助けになりたいと思ったのに、失敗してしまった。
リータ先輩が認めてくれて、サラが最も得意とする仕事だったのに。
さすがに少し落ち込んだ。
「ねえ、サラ。残りは床の水拭きだけよね」
「ええ、そんだども……」
「いいわ、それくらいなら後は私がやっておく」
「え、だども――」
自ら申し出て引き受けた仕事をやり遂げたい気持ちはあった。
「少しは練習できたから、後はいいって言ってるのよ。それから、もう練習中はホールに入らないでくれる。私を踊りに集中させて頂戴」
ピシャリとそう言われてしまっては、引き下がるしかなかった。
サラはすごすごと一階の酒場ホールを後にした。
「……ま、ミスしじまっだことはしがだね。また今度がんばりゃえーべ」
反省はしても後悔はしない。
元々なんでもできる人間じゃないんだから、いちいちミスを気にしていたらなんにもできない。
それに、リータ先輩も少しは練習できたと言っていたし、ちょっとは役に立てたはず。
ってことは、あまり気にする必要はないのだ。
サラは自分に都合のいいように考えながらキッチンの方へ行った。
すると、どこからともなく風に乗って空に波を描くような、柔らかな旋律が響いてきた。
誘われるまま音のする方へ向かうと、裏庭でレイナ先輩がヴァイオリンの練習をしていた。
音を奏でるその姿はあまりにも優雅で、まるで女神様のよう。
ウットリとした表情で聞き惚れていると、レイナ先輩はサラに気付いて手を止めてしまった。
「あ……申し訳ねーだ。わだす、お邪魔しでしまったんだべか」
「いいえ、そういうわけではありませんよ。ただ、せっかく聞いてくださるのなら、もっと近くで聞いていただきたいな、と思っただけです」
「本当がや? ほんなら、お言葉に甘えで」
レイナ先輩が気を遣ってくれたことはうれしかったけれど、それ以上に間近で聞けることがうれしかった。
いつもはウェイトレスをしながらなので、さすがに聞くことに集中するわけにはいかない。
「それでは、始めさせていただきます」
舞台に立っている時と同じあいさつで、レイナ先輩はスカートの裾を少し持ち上げてお辞儀した。
サラは思わず拍手してしまう。
レイナ先輩の動きは、こうしてよく見るといかに洗練されているものかわかる。
優雅さや気品に溢れていて、ちょっとした所作でさえ見とれてしまうほどだった。
仕事の作法、という意味ではリータ先輩だって十分美しい。
比べるのも失礼な話になるが、サラとは雲泥の差なのはわかっている。
ただ……、リータ先輩の動きは経験や運動神経や努力で身につけられたもののように見える。
だからサラだって努力を重ねればいつかはリータ先輩のように美しく動けるようになれるんじゃないか、と思ったりもする。
レイナ先輩のそれは、もはや努力だけでは決して近づけないような雰囲気があるのだ。
生まれや育ち、生きてきた環境が違うような……。
「……どうかしましたか?」
ヴァイオリンを弾きながら、レイナ先輩が優しく聞いてきた。
それはただの言葉なんだけど、ヴァイオリンの音色に重なっているものだから、歌を歌っているようにも聞こえてしまう。
「どーもこーも。いつ聞いでもレイナ先輩のヴァイオリンは癒やされんだや」
「あら、ありがとう。お世辞でもうれしいですよ」
「世辞だなんて。ホントのことだべ」
サラがそう言うと、レイナ先輩は手を止めて「フフッ」と小さく笑った。
やっぱりどことなく上品な笑いだった。
「サラちゃんが元気になってくれたのなら、よかったです」
「へ? わだすはいつでも元気だでよ」
「……そうですよね。サラちゃんは私と違って……。余計なことをしてしまいましたね」
少しだけ暗い表情をさせたかと思ったら、レイナ先輩はさっきと同じように笑った。
その笑顔も同じように上品なものだけど、何となく影があるような気がした。
「なんだが、わだすにはよぐわかんねーんだけんども」
「ううん。気にしないでください。というより、私が気にしているんじゃないかと勝手に気を回してしまっただけですから」
レイナ先輩が説明すればするほど、サラの頭にはクエスチョンマークが増えていった。
「私、サラちゃんのそういうところ尊敬してますし、見習いたいなと思っているんです」
「あんの……レイナ先輩が、いったいわだすのどごを見習うんだべ?」
サラがレイナ先輩を見習うべきところはたくさんあるだろが、その逆なんてありえない。
何かの間違いか。ただの聞き間違いか。
「……酒場ホールでのこと、見てしまったんです。仲裁に入ろうかとも思ったんですけど、なんだか余計に話をややこしくしてしまいそうだったので……」
「ああ、そんりゃ恥ずかしーとこを見せてもーて」
……あれ? それがどうして見習うとかいう話になるのだ。
さっきのことはどちらかというと反面教師にすべきことじゃないのだろうか。
「……わだす、頭がわりーがらやっばり、レイナ先輩の考えでることがよぐわがんねーな」
「そうですか? サラちゃんは気付いていないんですね」
レイナ先輩は少しだけ伏し目がちに笑い、言葉を続けた。
「サラちゃんのいいところに」
「わだすのいいところ? そーなもん、ないがね」
レイナ先輩があまりに的外れなことを言うので、サラは声を上げて笑ってしまった。
自分のことを一番よくわかっているのは自分だ。
マリリン亭では一番下っ端で、先輩たちからは教わることばかりなのに、いいところなんてあるわけがない。
「いいえ、ありますよ」
そう言いきったレイナ先輩の目は真剣そのものだった。
なんだか、少し怒っているように感じられるほど。
「そーだに言うなら、わだすのいいところって?」
答えられるはずがないという意地悪な気持ちと、本当にそんなところがあるなら知りたいという気持ちが混ざったような思いで聞いた。
「決してくじけない心と、どんな時でも明るさを失わない強い心」
ほとんど即答で答えが返ってきた。
「……それが、レイナ先輩に尊敬されるよーなことなら?」
「ええ、羨ましいとさえ思ってるんですよ」
はっきりとした答えを得られたのに、まだ釈然としないものがあった。
心の強さといわれてもそれはただの気の持ちようで、誰だってどうとでもなることだと思っていたから。
サラのように脳天気になればいいのだ。
それは踊りを覚えたりヴァイオリンを弾くよりもよっぽど簡単なこと。
「したら、レイナ先輩もわだすのように深く物事を考えなきゃえーだよ」
「え……、そうですね。そうなれるように努力してみます」
簡単なコツを教えたのに、なぜかレイナ先輩を苦笑いさせてしまった。
「さ、練習の続きを……そうだ。サラちゃん、私の演奏に合わせて歌ってみませんか?」
レイナ先輩がとんでもない提案をしてきた。
あの女神様のような演奏に自分の歌を重ねるなんて、恐れ多い。
……しかし、その反面ワクワクしている自分がいるのも確かだった。
歌なら楽器を弾くわけじゃないからそれほど難しくはない。
せっかくのお誘い、引き受けない手はないんじゃないかな。
それに、少し失敗してしまったけど、リータ先輩の練習のために手伝ったのに、レイナ先輩には何も手伝ってあげられていない。
「わかっただ。わだす、一生懸命歌うべ」
「ええ、お願いします」
今度こそレイナ先輩はヴァイオリンを肩にかけ、右手で弓を弦に重ねて構えた。
冬の空気のようにピンとした音色が裏庭に響く。
「ラー、らー、らーラーラー」
音色に合わせて思いきり声を出した。
自信がないからってぎこちなく小さな声で歌っても意味はない。
音楽は音を楽しむものだから、サラも楽しむことにした。
「らーラララーん、らー、ら~」
……あれ、なんだか音色と声が合わない。
少し不安になりつつも、なお歌い続けた。
「らンらン、ラララー……?」
だが、音楽にそれほど詳しくないサラでも気付くほど、ヴァイオリンの音色とサラの声は合っていなかった。
なんていうか、お互いにあさっての方向を向いて歩いているような。
「ちょっ、ちょっと待ってください」
レイナ先輩が弓を弦から離してしまったので、そこで演奏は止まった。
ただ、それ以前に演奏としては止まっていた。
サラの歌に重ねた演奏は、なぜだかとても聞くに堪えられるものではなかったから。
「えーと……」
レイナ先輩は少し焦りながら、一音一音確かめるようにヴァイオリンを弾いた。
「あれ……? おかしいです……」
「どーしたんだなや?」
「え……と、確かこれが……あれ?」
サラのかけた言葉が耳に入っていないほど、レイナ先輩は繰り返し一音ずつ弾いていた。
「レイナ先輩……?」
「あ、ご、ごめんなさい。なんかちょっと、弦の調整が悪いみたい。ちょっと調整してきます」
名前で呼びかけてやっと気付いてくれたと思ったら、ヴァイオリンを抱えて裏口からフロアに入っていってしまった。
一人裏庭に取り残されたサラは、少しだけ考えた。
「……もすがして、わだすの歌が上手すぎたんだべか。だとしたら、わりーことしちまっただな」
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