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大騒動の週末:土
第1話
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翌朝、サラとアンリエッタが玄関の掃除に向かうと、階段のところでカレンさんに会った。
「おはよーごぜえます」
「あ、おはようございます」
サラとカレンさんはあいさつを交わしたが、アンリエッタはモジモジしているだけであいさつしなかった。
「なんだ? トイレでも行きてーんか?」
「ち、違います! ……私は、ただ……」
珍しく顔を赤くさせてアンリエッタが怒った。
その勢いのままカレンさんの前に立ち、頭を下げた。
「昨日はありがとうございました。あの魔法クリスタルは、私が落としてひびを入れてしまったので……」
「いえいえ、お礼を言われるほどのことではありません。実は、私の母が倹約家で、あれくらいの傷はいつも直して魔法クリスタルを使っていたんです」
「そんれで、ずいぶん手際が良かったんだなや」
納得したついでに、あの不思議な魔法についても聞いてみた。
魔法クリスタルを直した時に使った魔法――発火は、サラの母や父でも使えたが、火花を出すような魔法ではなかった。
魔法の勉強をしていないサラが聞いてどうなるものでもないが、あまりに不思議だったのだ。
「本来あの魔法は少しの間指先に火を灯すものなんですけど、魔法力を瞬間的に消費させることでその効果を圧縮できるんです。その応用で火花を起こすわけですが……専門的すぎましたね」
聞いておいてなんだが、ちんぷんかんぷんだった。
やはり、魔法の勉強をしていない者には、聞くだけ無駄だったらしい。
「魔法力の消費コントロールって、かなりの高等技術ですよ……。学園にだってそんなことができる魔道士は――」
饒舌に話していたアンリエッタがいきなりゲホンゲホンと咳き込んだ。
「だいじょぶけ? アンリエッタ、この前も咳き込んでただなや。喘息でも持ってんなら、一度医者にでも診てもらったんがいーんじゃねーか?」
「いえ、大丈夫ですから。気にしないでください。それよりも、早く玄関の掃除に行きましょう」
「ん、ああ。ほんじゃお引き留めしてわるかっただな」
すでに階段の下に行っているアンリエッタを追って、カレンさんとは別れた。
それにしても、最近マリリン亭に泊まるお客さんは早起きばかりだ。
ちなみに昨日の遅番はレイナ先輩だった。
掃除道具を持って酒場ホールを抜けて玄関先にある宿屋の受付に行くと、カウンターに突っ伏してレイナ先輩が寝ていた。
「おんやぁ。レイナ先輩、ここで寝ねーでくんろ」
盛大に肩を揺するが、一向に起きる気配がない。
「仕方ね。レイナ先輩、最後の手段を使うでな」
その言葉だけで起きてくれればいいと思って、大きな声で言ったがたいした効果はなかった。
サラはカウンターに入ってレイナ先輩の横に滑り込む。
そして、耳元で息を吹きかけた。
「ふあぁあぁあ……」
リータ先輩に教わったレイナ先輩の弱点。
男を誘うように体をくねらせて、目を覚ました。
……しかし、いつもの穏やかで物静かな雰囲気がまったく感じられない。
「……ねぇ、サラちゃん」
ベローナさんよろしく、色気を漂わせた声で言った。
サラはすでにカウンターを抜け出して玄関の扉に手をかけていたが、体が硬直する。
振り返ると、サラに覆い被さるようにレイナ先輩が寄りかかってきた。
「ちょ、レイナ先輩?」
目が完全に座っている。
横目でアンリエッタを見ると、どん引きだった。
「お願いですから、私をベッドまで連れて行ってくださいませんか?」
断ろうにもしっかりと抱きしめられているので、不可能だった。
「……わかっただ。アンリエッタ、わりーけんど、先に掃除始めとってな」
「あ、はい」
サラから掃除道具を受け取ると、さっさと玄関の扉を開けて出て行ってしまった。
「ほんじゃ、レイナ先輩の部屋まで行くでよ」
「スー、スー」
って、すでにもう寝ている。
リータ先輩が嘆くのもわかる。
レイナ先輩は恐ろしく寝起きが悪かった。しかも、本人は寝ぼけている時のことをまったく覚えていないのだ。
厄介この上ない。
それでもお世話になっている先輩であることに変わりはないので、願いを聞いて部屋のベッドまで連れて行った。
ちょうど起きていたリータ先輩には、かなり同情されてしまった。
そんなこんなで、サラが玄関の掃除に戻った時にはアンリエッタが半分くらい終わらせてくれていたので、朝の仕事自体は滞りなく終わった。
掃除道具を片付けて酒場ホールに朝食を食べに行く。
四人がけのテーブル席にカレンさんとリータ先輩が座って一緒に朝食を食べていた。
初めてのお客さんとこういう風に食事を共にすることは、本来ありえない。
初めてのお客さんはたいてい部屋に朝食を運ばせることが多いということもある。
酒場ホールのカウンターでサラたちの朝食を用意しているマリリンが何も言っていないということは、カレンさんが朝食を一緒に食べることを了承したということだろう。
サラたちもマリリンから朝食の載った木のプレートを受け取り、カレンさんたちの席へ行った。
「あんた、旅の魔道士? それにしては少し若すぎるような気もするけど……」
いきなり昨日マリリンが言っていたことを覆すような質問をリータ先輩がぶつけていた。
「……マリリン、リータ先輩がおもっきしカレンさんのこと詮索してっけど?」
「あら? あたしは聞いていないわよ」
「それじゃ詐欺でねーの」
パンをかじりながらリータ先輩とマリリンをジトっと見つめた。
「あ、私は別に構わないですよ。話したくないことは話しませんし、何よりここは私を追い返さずに泊めてくれたので」
「それじゃ、遠慮なく聞かせてもらうわよ」
リータ先輩には遠慮なんて最初からないだろうと、思ったが口には出さなかった。
「ええ、一応旅の魔道士、ということになると思います。元々はクライフライトの北にある小さな町でパン屋のウェイトレスをやっていたんですけど」
「は? パン屋のウェイトレスが、魔道士? 面白い冗談ね」
リータ先輩が鼻で笑ったけど、なんで笑ったのかサラにはわからなかった。
「……冗談ではありませんよ。パンを焼いたらわかってもらえますか?」
カレンさんが真面目に答えているのに、リータ先輩は面白くなさそうな顔をさせた。
それはお客さんに見せるような顔ではないだろうに。
仕事に対してプライドの高いリータ先輩らしくなかった。
……なんというか、イラついている?
「レイナたちに聞いた話じゃ、あなたは魔法クリスタルを修復して、おまけに魔力も一瞬で補充してくれたみたいじゃない。そんな芸当ができる魔道士は、この国にどれだけいると思う?」
「……さあ、私にとっては当たり前のことだったので、あれってそんなに難しいことなんでしょうか?」
「難しいなんてレベルじゃないわ! あなたのような子供にそんな易々とできることじゃない。魔法の扱いに相当長けていて、魔力も高くなければ不可能よ! それなのに、元々はパン屋のウェイトレスって、馬鹿にしてるわ!」
リータ先輩は言うだけ言って、プイとそっぽを向いてしまった。
「そーいえば、今さらだけんど……わだすはサラって言うんだ。ちなみに十六歳だで。カレンさんも若く見えっけど、おいくつで?」
重くなりかけた空気を変えるつもりで話題を探していたら、自己紹介をしていなかったことを思い出した。
「あ、じゃあサラさんは私の一つ上ですね。私は十五歳です」
「ってことは、アンリエッタの一つ上ってことだなや」
同意を求めようとアンリエッタを見たら、目を見開いて驚いていた。
「……一つ上の先輩に、これほどの魔道士っていたのかな……?」
ボソボソと独り言をつぶやき、アンリエッタはカレンさんを見た。
「ところで、学園には通っていらしたんですか? でも、なんかちょっと……申し訳ないですけど、それ学園の制服に似てはいますけど、本物ではないですよね」
学園というのは、この国――クライフライトの政府が設立した教育機関だ。
各町に一つくらいあるらしい。
……宿場町であるここにだけはない。
ちなみに、入るにはそれなりにお金がかかるそうで、中流家庭じゃないと入学は難しいだとか。
サラには縁のない場所だった。
「これは旅に出る私のために母が作ってくれたんです。学園に通わせられなかった代わりに、せめて同じような服を用意してくれたんです」
『学園に通っていなかった!?』
カレンさんの話には、リータ先輩もアンリエッタも驚いてばかり。
珍しく声を合わせて叫んだ。
サラには驚くようなことなのかさえわからないというのに。
「独学でそんな高等技術を身につけたっていうの? なんだか、わけがわからないわ」
「そんなにすげーことなんか?」
「言葉で表現するのが難しいくらい凄いことです」
「あんたは魔法が使えないでしょ? この子はあんたと同じでちゃんとしたところで勉強もしていないのに、そこらの魔道士よりも優れた技術を持っているってことよ」
アンリエッタもリータ先輩も少し興奮気味に話していたが、サラにも少しだけカレンさんの凄さは伝わってきた。
「そんなすげー人が目の前にいっちゃ? 世の中ってんはひれーんだな」
「まったくだわ」
リータ先輩はサラの言葉に妙に納得していた。
わけのわからないイラつきもそれでどこかへ行ってしまったようだ。
上手く話題を変えられたことに少しだけホッとした。
「んなら、カレンさんは〝旅の〟魔道士って言ってっけど。この宿場町に泊まったってこっちゃ、お隣の国にでも行くんか?」
「いいえ、私はこの道の先にある迷いの森へ用事があるんです」
ガタン、と大きな音を立ててマリリンがカウンターから身を乗り出した。
「あなた、それ正気で言ってるの?」
「そうよ。迷いの森がどんな森か、この国に住んでいて知らないわけじゃないでしょ?」
リータ先輩の言葉に、サラは内心焦っていた。
サラもこの国に住んで十六年になるが、迷いの森についてさほど詳しくはなかった。
昔住んでいた集落では自給自足の生活をしていたから、集落の外のことはまったくといっていいほど知らなかった。
迷いの森のことを知ったのは、このマリリン亭に住み込みで働くようになってからだ。
それも、お客さんから聞かされる噂話がほとんどだった。
「そりゃ確かに、まだ死人こそ出ていないけど、数々の冒険者が挑んでは失敗しているのよ。あなたがいくら腕の良い魔道士だとしても危険よ」
「危険なのはわかっています。それでも、私はどうしても行かなければならないんです」
静かに淡々と言ったカレンさんの瞳には、並々ならぬ決意の色が見て取れた。
それは、サラよりも多くの旅人を見てきたリータ先輩やマリリンにも間違いなく伝わっていたと思う。
だから、それ以上二人ともカレンさんを止めたりはしなかった。
カレンさんは朝食の後、すぐに旅支度を始めてしまった。
朝早く起きたのは、早く出発するためだったのだ。
ここから先、迷いの森まで宿屋は一軒もない。
出発が遅れると森に入るのが遅くなる。
普通の森でさえ、夜は危険になる。カレンさんの行く先が迷いの森なら、尚更だ。
チェックアウトには、お世話になったサラとアンリエッタ、それからマリリンが立ち会った。
お客さんのお見送りまでが、ルームメイドとしての仕事だからだ。
……まあ、カレンさんには個人的にお見送りしたい気持ちがあったけど。
「……不思議ね。あなたなら、国軍でさえ攻略できなかったあの森を、何とかしてしまいそうに思えてくるわ」
「ありがとうございます」
「あなたが何者であれ、あたしたちはお客さんとしていつでも歓迎するわ。あなたの無事をを祈ってるわ」
カレンさんとマリリンは固い握手を交わした。
「たった一晩だってのに、いろいろ世話になっちまっただなや。今度会ったら、そん時は迷いの森んことでも聞かしてくんねーか。わだすも噂話しか聞ーたことがねーんでな。少しだけ気になってっぺ」
「……フフフッ……。ええ、その時は是非」
マリリンに続いて、カレンさんはサラとも固い握手を交わした。
手の平から温もりが伝わる。
離してしまうと、当然サラの手は冷たい風を握ることになる。
それは、別れの辛さをより強める。
サラはもう一つの手で包み込むように握り締めてから手を離した。
「………………」
アンリエッタはカレンさんを見つめたまま表情一つ変えない。
戸惑っているのが手に取るように伝わってきた。
背中を押してあげないと、気持ちが消化不良のまま別れることになるかも知れない。
……でも、手を出すのは止めた。
いつか、アンリエッタは帰るべき場所へ帰るから。
誰かと別れることの意味を肌で感じておくべきだった。
アンリエッタがカレンさんと関わったのはほんの一瞬。しかし、アンリエッタはそうは思っていないのだろう。
何しろ、窮地を救ってくれたのだ。
感謝の言葉はすでに伝えていても、足りないと思っているに違いない。
カレンさんがもっとここに泊まっていってくれたら、あるいはその恩返しができたかも知れないが、カレンさんの決意を知った今では、引き止めることはできない。
カレンさんはただ黙ってアンリエッタに手を差し出した。
震える手でそっとその手を握り、
「……気をつけて、行ってらっしゃいませ」
輝くような笑顔でカレンさんを送り出した。
それは、アンリエッタがルームメイドとして一人前になった瞬間だった。
「それではみなさん、お世話になりました。行ってきます」
迷いの森へ向かうというのに、気負いのまったく感じられない声で、カレンさんは旅立っていった。
アンリエッタはカレンさんの後ろ姿が見えなくなるまで、手を振って見送った。
「……よぐがんばっただなや」
「……はい……」
サラがアンリエッタの肩を叩くと、アンリエッタはサラの胸に飛び込んで肩を振るわせた。
「おはよーごぜえます」
「あ、おはようございます」
サラとカレンさんはあいさつを交わしたが、アンリエッタはモジモジしているだけであいさつしなかった。
「なんだ? トイレでも行きてーんか?」
「ち、違います! ……私は、ただ……」
珍しく顔を赤くさせてアンリエッタが怒った。
その勢いのままカレンさんの前に立ち、頭を下げた。
「昨日はありがとうございました。あの魔法クリスタルは、私が落としてひびを入れてしまったので……」
「いえいえ、お礼を言われるほどのことではありません。実は、私の母が倹約家で、あれくらいの傷はいつも直して魔法クリスタルを使っていたんです」
「そんれで、ずいぶん手際が良かったんだなや」
納得したついでに、あの不思議な魔法についても聞いてみた。
魔法クリスタルを直した時に使った魔法――発火は、サラの母や父でも使えたが、火花を出すような魔法ではなかった。
魔法の勉強をしていないサラが聞いてどうなるものでもないが、あまりに不思議だったのだ。
「本来あの魔法は少しの間指先に火を灯すものなんですけど、魔法力を瞬間的に消費させることでその効果を圧縮できるんです。その応用で火花を起こすわけですが……専門的すぎましたね」
聞いておいてなんだが、ちんぷんかんぷんだった。
やはり、魔法の勉強をしていない者には、聞くだけ無駄だったらしい。
「魔法力の消費コントロールって、かなりの高等技術ですよ……。学園にだってそんなことができる魔道士は――」
饒舌に話していたアンリエッタがいきなりゲホンゲホンと咳き込んだ。
「だいじょぶけ? アンリエッタ、この前も咳き込んでただなや。喘息でも持ってんなら、一度医者にでも診てもらったんがいーんじゃねーか?」
「いえ、大丈夫ですから。気にしないでください。それよりも、早く玄関の掃除に行きましょう」
「ん、ああ。ほんじゃお引き留めしてわるかっただな」
すでに階段の下に行っているアンリエッタを追って、カレンさんとは別れた。
それにしても、最近マリリン亭に泊まるお客さんは早起きばかりだ。
ちなみに昨日の遅番はレイナ先輩だった。
掃除道具を持って酒場ホールを抜けて玄関先にある宿屋の受付に行くと、カウンターに突っ伏してレイナ先輩が寝ていた。
「おんやぁ。レイナ先輩、ここで寝ねーでくんろ」
盛大に肩を揺するが、一向に起きる気配がない。
「仕方ね。レイナ先輩、最後の手段を使うでな」
その言葉だけで起きてくれればいいと思って、大きな声で言ったがたいした効果はなかった。
サラはカウンターに入ってレイナ先輩の横に滑り込む。
そして、耳元で息を吹きかけた。
「ふあぁあぁあ……」
リータ先輩に教わったレイナ先輩の弱点。
男を誘うように体をくねらせて、目を覚ました。
……しかし、いつもの穏やかで物静かな雰囲気がまったく感じられない。
「……ねぇ、サラちゃん」
ベローナさんよろしく、色気を漂わせた声で言った。
サラはすでにカウンターを抜け出して玄関の扉に手をかけていたが、体が硬直する。
振り返ると、サラに覆い被さるようにレイナ先輩が寄りかかってきた。
「ちょ、レイナ先輩?」
目が完全に座っている。
横目でアンリエッタを見ると、どん引きだった。
「お願いですから、私をベッドまで連れて行ってくださいませんか?」
断ろうにもしっかりと抱きしめられているので、不可能だった。
「……わかっただ。アンリエッタ、わりーけんど、先に掃除始めとってな」
「あ、はい」
サラから掃除道具を受け取ると、さっさと玄関の扉を開けて出て行ってしまった。
「ほんじゃ、レイナ先輩の部屋まで行くでよ」
「スー、スー」
って、すでにもう寝ている。
リータ先輩が嘆くのもわかる。
レイナ先輩は恐ろしく寝起きが悪かった。しかも、本人は寝ぼけている時のことをまったく覚えていないのだ。
厄介この上ない。
それでもお世話になっている先輩であることに変わりはないので、願いを聞いて部屋のベッドまで連れて行った。
ちょうど起きていたリータ先輩には、かなり同情されてしまった。
そんなこんなで、サラが玄関の掃除に戻った時にはアンリエッタが半分くらい終わらせてくれていたので、朝の仕事自体は滞りなく終わった。
掃除道具を片付けて酒場ホールに朝食を食べに行く。
四人がけのテーブル席にカレンさんとリータ先輩が座って一緒に朝食を食べていた。
初めてのお客さんとこういう風に食事を共にすることは、本来ありえない。
初めてのお客さんはたいてい部屋に朝食を運ばせることが多いということもある。
酒場ホールのカウンターでサラたちの朝食を用意しているマリリンが何も言っていないということは、カレンさんが朝食を一緒に食べることを了承したということだろう。
サラたちもマリリンから朝食の載った木のプレートを受け取り、カレンさんたちの席へ行った。
「あんた、旅の魔道士? それにしては少し若すぎるような気もするけど……」
いきなり昨日マリリンが言っていたことを覆すような質問をリータ先輩がぶつけていた。
「……マリリン、リータ先輩がおもっきしカレンさんのこと詮索してっけど?」
「あら? あたしは聞いていないわよ」
「それじゃ詐欺でねーの」
パンをかじりながらリータ先輩とマリリンをジトっと見つめた。
「あ、私は別に構わないですよ。話したくないことは話しませんし、何よりここは私を追い返さずに泊めてくれたので」
「それじゃ、遠慮なく聞かせてもらうわよ」
リータ先輩には遠慮なんて最初からないだろうと、思ったが口には出さなかった。
「ええ、一応旅の魔道士、ということになると思います。元々はクライフライトの北にある小さな町でパン屋のウェイトレスをやっていたんですけど」
「は? パン屋のウェイトレスが、魔道士? 面白い冗談ね」
リータ先輩が鼻で笑ったけど、なんで笑ったのかサラにはわからなかった。
「……冗談ではありませんよ。パンを焼いたらわかってもらえますか?」
カレンさんが真面目に答えているのに、リータ先輩は面白くなさそうな顔をさせた。
それはお客さんに見せるような顔ではないだろうに。
仕事に対してプライドの高いリータ先輩らしくなかった。
……なんというか、イラついている?
「レイナたちに聞いた話じゃ、あなたは魔法クリスタルを修復して、おまけに魔力も一瞬で補充してくれたみたいじゃない。そんな芸当ができる魔道士は、この国にどれだけいると思う?」
「……さあ、私にとっては当たり前のことだったので、あれってそんなに難しいことなんでしょうか?」
「難しいなんてレベルじゃないわ! あなたのような子供にそんな易々とできることじゃない。魔法の扱いに相当長けていて、魔力も高くなければ不可能よ! それなのに、元々はパン屋のウェイトレスって、馬鹿にしてるわ!」
リータ先輩は言うだけ言って、プイとそっぽを向いてしまった。
「そーいえば、今さらだけんど……わだすはサラって言うんだ。ちなみに十六歳だで。カレンさんも若く見えっけど、おいくつで?」
重くなりかけた空気を変えるつもりで話題を探していたら、自己紹介をしていなかったことを思い出した。
「あ、じゃあサラさんは私の一つ上ですね。私は十五歳です」
「ってことは、アンリエッタの一つ上ってことだなや」
同意を求めようとアンリエッタを見たら、目を見開いて驚いていた。
「……一つ上の先輩に、これほどの魔道士っていたのかな……?」
ボソボソと独り言をつぶやき、アンリエッタはカレンさんを見た。
「ところで、学園には通っていらしたんですか? でも、なんかちょっと……申し訳ないですけど、それ学園の制服に似てはいますけど、本物ではないですよね」
学園というのは、この国――クライフライトの政府が設立した教育機関だ。
各町に一つくらいあるらしい。
……宿場町であるここにだけはない。
ちなみに、入るにはそれなりにお金がかかるそうで、中流家庭じゃないと入学は難しいだとか。
サラには縁のない場所だった。
「これは旅に出る私のために母が作ってくれたんです。学園に通わせられなかった代わりに、せめて同じような服を用意してくれたんです」
『学園に通っていなかった!?』
カレンさんの話には、リータ先輩もアンリエッタも驚いてばかり。
珍しく声を合わせて叫んだ。
サラには驚くようなことなのかさえわからないというのに。
「独学でそんな高等技術を身につけたっていうの? なんだか、わけがわからないわ」
「そんなにすげーことなんか?」
「言葉で表現するのが難しいくらい凄いことです」
「あんたは魔法が使えないでしょ? この子はあんたと同じでちゃんとしたところで勉強もしていないのに、そこらの魔道士よりも優れた技術を持っているってことよ」
アンリエッタもリータ先輩も少し興奮気味に話していたが、サラにも少しだけカレンさんの凄さは伝わってきた。
「そんなすげー人が目の前にいっちゃ? 世の中ってんはひれーんだな」
「まったくだわ」
リータ先輩はサラの言葉に妙に納得していた。
わけのわからないイラつきもそれでどこかへ行ってしまったようだ。
上手く話題を変えられたことに少しだけホッとした。
「んなら、カレンさんは〝旅の〟魔道士って言ってっけど。この宿場町に泊まったってこっちゃ、お隣の国にでも行くんか?」
「いいえ、私はこの道の先にある迷いの森へ用事があるんです」
ガタン、と大きな音を立ててマリリンがカウンターから身を乗り出した。
「あなた、それ正気で言ってるの?」
「そうよ。迷いの森がどんな森か、この国に住んでいて知らないわけじゃないでしょ?」
リータ先輩の言葉に、サラは内心焦っていた。
サラもこの国に住んで十六年になるが、迷いの森についてさほど詳しくはなかった。
昔住んでいた集落では自給自足の生活をしていたから、集落の外のことはまったくといっていいほど知らなかった。
迷いの森のことを知ったのは、このマリリン亭に住み込みで働くようになってからだ。
それも、お客さんから聞かされる噂話がほとんどだった。
「そりゃ確かに、まだ死人こそ出ていないけど、数々の冒険者が挑んでは失敗しているのよ。あなたがいくら腕の良い魔道士だとしても危険よ」
「危険なのはわかっています。それでも、私はどうしても行かなければならないんです」
静かに淡々と言ったカレンさんの瞳には、並々ならぬ決意の色が見て取れた。
それは、サラよりも多くの旅人を見てきたリータ先輩やマリリンにも間違いなく伝わっていたと思う。
だから、それ以上二人ともカレンさんを止めたりはしなかった。
カレンさんは朝食の後、すぐに旅支度を始めてしまった。
朝早く起きたのは、早く出発するためだったのだ。
ここから先、迷いの森まで宿屋は一軒もない。
出発が遅れると森に入るのが遅くなる。
普通の森でさえ、夜は危険になる。カレンさんの行く先が迷いの森なら、尚更だ。
チェックアウトには、お世話になったサラとアンリエッタ、それからマリリンが立ち会った。
お客さんのお見送りまでが、ルームメイドとしての仕事だからだ。
……まあ、カレンさんには個人的にお見送りしたい気持ちがあったけど。
「……不思議ね。あなたなら、国軍でさえ攻略できなかったあの森を、何とかしてしまいそうに思えてくるわ」
「ありがとうございます」
「あなたが何者であれ、あたしたちはお客さんとしていつでも歓迎するわ。あなたの無事をを祈ってるわ」
カレンさんとマリリンは固い握手を交わした。
「たった一晩だってのに、いろいろ世話になっちまっただなや。今度会ったら、そん時は迷いの森んことでも聞かしてくんねーか。わだすも噂話しか聞ーたことがねーんでな。少しだけ気になってっぺ」
「……フフフッ……。ええ、その時は是非」
マリリンに続いて、カレンさんはサラとも固い握手を交わした。
手の平から温もりが伝わる。
離してしまうと、当然サラの手は冷たい風を握ることになる。
それは、別れの辛さをより強める。
サラはもう一つの手で包み込むように握り締めてから手を離した。
「………………」
アンリエッタはカレンさんを見つめたまま表情一つ変えない。
戸惑っているのが手に取るように伝わってきた。
背中を押してあげないと、気持ちが消化不良のまま別れることになるかも知れない。
……でも、手を出すのは止めた。
いつか、アンリエッタは帰るべき場所へ帰るから。
誰かと別れることの意味を肌で感じておくべきだった。
アンリエッタがカレンさんと関わったのはほんの一瞬。しかし、アンリエッタはそうは思っていないのだろう。
何しろ、窮地を救ってくれたのだ。
感謝の言葉はすでに伝えていても、足りないと思っているに違いない。
カレンさんがもっとここに泊まっていってくれたら、あるいはその恩返しができたかも知れないが、カレンさんの決意を知った今では、引き止めることはできない。
カレンさんはただ黙ってアンリエッタに手を差し出した。
震える手でそっとその手を握り、
「……気をつけて、行ってらっしゃいませ」
輝くような笑顔でカレンさんを送り出した。
それは、アンリエッタがルームメイドとして一人前になった瞬間だった。
「それではみなさん、お世話になりました。行ってきます」
迷いの森へ向かうというのに、気負いのまったく感じられない声で、カレンさんは旅立っていった。
アンリエッタはカレンさんの後ろ姿が見えなくなるまで、手を振って見送った。
「……よぐがんばっただなや」
「……はい……」
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彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。
絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。
彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。
スーパーのビニール袋で竜を保護した
チー牛Y
ファンタジー
竜は、災害指定生物。
見つけ次第、討伐――のはずだった。
だが俺の前に現れたのは、
震える子竜と、役立たず扱いされたスキル――
「スーパーのビニール袋」。
剣でも炎でもない。
シャカシャカ鳴る、ただの袋。
なのにその袋は、なぜか竜を落ち着かせる。
討伐か、保護か。
世界の常識と、ひとりの男の常識が衝突する。
これは――
ビニール袋から始まる、異世界保護ファンタジー。
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