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変身ヒーローと未知の国

国境を警備するものたち

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 もうクランスにショートソードを返しても自殺することはないと思った。
 彼に渡すと、鞘に収めて机の上に置いた。
「それにしても、この異世界じゃ自殺者ゼロか。それもすごいことだな」
 俺の知識だと、毎年日本だけでも何万人もいる。
 世界だともっと多い。
 この世界とは人口が違うだろうが、比率を考えるとゼロというのは脅威的な数字だ。
 命の価値観が違うのか。
「この世界の死因で一番多いのが魔物や魔族に襲われることだ。次が病気によるもの。それから事故死。いわゆる老衰とかの自然死は最も少ない」
 それの意味するところは、この世界は決して平和などではないと言うことだ。
 きっと平均寿命も長くはないだろう。
「平和じゃないから自殺を考える隙もないというなら、皮肉なものだな」
「ああ、だから俺はどこか普通じゃないんだろう」
 クランスは自虐的に笑った。
「あまり想像したくはないが、協力者を増やすために記憶の引き継ぎのことを話して仲間を増やそうとは考えなかったのか?」
 そうでなくても集団自殺という話はニュースで耳にしたことがあった。
 一人で死ぬのは怖くても誰かと一緒なら怖くないと思う人がいる。
 彼にははっきりとした目標もあるし、そう考えても不思議ではなかった。
「……この世界が魂の牢獄だと気がついたのは、俺が記憶を引き継いでいたからだ。もし、他の人間が俺と同じじゃなかったら、確証のない話で俺がそいつを殺すことになる。この世界の命を救いたいのに、俺が殺す手伝いをするわけにはいかない」
「意地悪な質問だったな。そう思ってくれているならよかったよ」
 俺の言葉にクランスは複雑な表情を浮かべた。
「話を戻すが、エルフは全員が世界のループを認識しているのか?」
「いや、実際にそれを体感できているのは女王だけだと思う。ただ、彼女がその事を仲間のエルフにも伝えているから、エルフたちは認識を共有している」
「俺は結局最後まで見届けずに繰り返してしまうから、終焉から再生の部分はよくわからない。終焉を迎えると、世界は一から始まるということなのか?」
「女王の認識だと、アイレーリスでケルベロスが暴れる辺りから始まるといっていた。つまり、人生を一からやり直しているクランスの方が体感的には長生きしているかもな」
「ケルベロス? それじゃ、これから数ヶ月の内に勇者が敗れ救世主が現れて世界が救われるとして、世界のループは一年にも満たない時間を繰り返しているってことか」
 改めて時間を計算するとそうなる。
 俺がこの世界に飛ばされた辺りの頃、番犬の森の調査は始まっていた。
 まさしく新たに世界が再生された時に俺はここへ来たわけだ。
「どうしてそんな中途半端なところから再開されるんだ?」
 改めてそう言われると答えに窮した。
 そもそも俺は実際にそれを体験したわけではない。
「しかも、そこに至った他のものは誰もその事を覚えていないんだよな?」
「それはクランスの方がよく理解しているんじゃないか?」
 記憶を引き継いでいる者がいないか、クランスは探したわけだから。
「気になるのはもう一つある。そこに至らずに死んだ者で記憶を引き継いでいる者がいないと言うこと。自殺した俺だけがなぜか記憶を引き継いでいた」
「つまり――自殺が何か鍵になっているってことか?」
 自分で言いながら、自殺という言葉には何か強い印象を抱いた。
 俺の世界じゃよほどの理由でもない限り、それはニュースにすらならない。
 ……また、だ。
 自分のことを思い出そうとすると、気分が悪くなる。
 身近な人で自殺した人がいたのか?
 わからない。
 でも、明らかな悪意と負の感情に支配されそうになる。
「……大丈夫か? 顔色が悪いようだが……」
 さっきまで自殺しようとしていたクランスが心配そうに俺の顔を覗き込む。
 ヨミが俺の体を支えていた。
「……体調が悪いわけじゃないから。ちょっと、気分が悪くなっただけだ」
「俺のせいかもしれないな。自殺と記憶の引き継ぎに関する因果関係については、俺の胸の内に留めておく」
「……試そうとしないでくれよ」
「それは君たち次第と言っておこう」
 挑戦的な瞳を向けてきたクランスの方が今の俺より元気そうだった。
 俺たちが失敗しない限り、彼が人生をやり直そうとはしないと思えた。
「最後にもう一つだけ確かめておきたい」
「何だ?」
「ギルドの設置を認めなかったのは帝国の他にももう一つあっただろ」
「北西の島国――ウォルカ王国のことか?」
「ああ、クランスはウォルカ王国を見たことがあるか?」
「いや、入国を拒否された」
「それで引き下がったのか?」
「ウォルカ王国の国民は帝国よりも排他的で、攻撃の姿勢まで見せてきた。それでも無理矢理ギルドを設置しようとは思わなかったよ」
 ってことは、大陸の人間はウォルカ王国が独自の発展を遂げていることを知らない。
 エルフもよくそんな国に入り込めたな。
「気にするほど重要な国ではないぞ。小さな島国だし、戦力としてそれほど期待もできない。魔族もあの国を襲ったりはしないさ」
「そういう意味で知りたかったわけじゃないんだけどな……」
「もし、ウォルカ王国に行くつもりなら、戦う覚悟をする必要があると思う」
 そこまで他国の人間が入ることを拒絶すると言うことは、きっと何かある。
 彰の妹が受け入れられたのは、超能力を駆使したんだろうな。
 会いに行きたい理由が増えたが、今の俺には海を越える手段がない。
 ま、とにかくまずは魔界だ。
「いろいろ話が聞けてよかったよ」
 やっと気分も落ち着いてきたので、ヨミから離れて自分の足で立つ。
「それは、俺も同じだから気にしないでくれ」
 クランスが握手を求めてきた。
「俺は君こそが救世主なんじゃないかと思っていたが、魔王と共にいると言うことはどう考えても違う。疑って悪かったな」
「そっちも、魔王を連れてきたことはわかっていただろうに、ここまで通してくれてありがとう」
 俺はクランスの手をしっかりと握った。
「伊達に何度も人生をやり直していないからな。警戒すべき魔王と、警戒しなくてもいい魔王くらいはわかる」
「理解してもらったついでで悪いが、今からでもギルドとして連合国と協力できないか?」
「連合国と?」
「元々、そのつもりだったんだろ」
「君は戦争を止めたいと思ってるんだよな。ギルドが連合国と協力して動けば、戦況は変わる。もっと激化する可能性も否定できない」
「魔族に人間と戦うことのリスクを知ってもらう。それに、これ以上人間の犠牲者も増やしたくない」
「……魔族を説得する材料に使うと言うことか……まあいい、俺も君の悪あがきに付き合うと決めたからな」
 思いがけず彼と大きな約束をして俺はギルド世界本部を後にした。

 車は再び荒野を走る。
 すると、森が見えてきてその中に少し整備された道があった。
「あれ? この道って確か……」
 車のガラス窓に顔を押しつけるようにして外を見ながらヨミが言った。
「覚えてるのか?」
「はい。ここを真っ直ぐ進むと帝国との国境があるんですよね」
 ダグルドルドと帝国の国境は二度訪れたことがある。
 国境には壁と門があり、ダグルドルド側には帝国の動きを監視する砦もある。
 以前、帝国の大統領と会談した砦だ。
 馬車だと数日を要した道も、車を飛ばせば数時間で走破できる。
 しかし、国境付近は様変わりしていた。
 砦は健在だが、壁も門も破壊されていた。
「ヨミ様、この辺りはもう魔界の支配圏になります」
 エトワスが静かに告げる。
 そう言えば、キャリーもダグルドルドの半分が魔族に奪われたと言っていた。
 明確な境界線がなかったから意識していなかった。
「そうなると、ここから先はエトワスに案内してもらった方が良いか」
「はい――と言いたいところですが、どうやらその前に出迎えがあるようですよ」
『魔族の反応を検知しました。この速度なら振り切ることも簡単ですが、どうしますか?』
 エトワスとAIが同時に警告する。
「これから魔族を説得しようって考えているのに、いきなり逃げ出すというのはないだろ」
 車から降りると、丁度そこに空から二人の魔族が降りてきた。
 おまけにガーゴイルやオークデーモンなんかの魔物を多く従えている。
「お前ら、ここが俺たち魔族の領土だと知って……」
 睨みを利かせながら柄の悪い態度で近づこうとしてきた魔族が、車から降りようとしていたヨミを見て固まる。
 人間だって魔王のことはわかるんだ。魔族が気付かないはずはない。
 と言うよりも、気付かずに不用意に近づいてしまった時点でこの魔族の力も知れたものだ。
「ま、魔王様……?」
「はい、何でしょうか?」
 ヨミがそう言うと、二人の魔族は土下座する勢いでひれ伏した。
「も、申し訳ありません。人間の世界で新たに魔王として覚醒した方がいたという情報は耳にしていたのですが、まさかそのようなものに乗っているとは知らず、大変なご無礼を……」
 ヨミはどうしていいのかわからない様子で俺に顔を向けてきた。
「一応所属を聞いておいた方が良いんじゃないか?」
 人間と戦う主流派なら、場合によってはここで戦う――いや、説得する必要がある。
「あ、そうですね」
 ヨミは魔族の前に立ち、腰に手を当てた。
「私は確かに新しく魔王として覚醒しましたが、人間と戦うことを望みません。あなた方が人間との戦いを求める魔族なのか、それとも私の考えに賛同していただけるのかはっきりしていただきたいと思います」
 二人の魔族は顔だけ上げて、ヨミを見た。
「……もし、魔王様の考えに賛同できないと言ったら……」
「私たちの敵ということになりますね」
 ヨミはそう口にはしたが戦闘態勢には入っていない。
 それだけ取るに足らない相手であると言うことは、変身しなくてもわかる。
 ガーゴイルとオークデーモンを合わせても五十にも満たない。
 魔族二人と魔物全部を今のヨミなら一人で簡単に片付けられる。
 それを悟っているんだろう。
 すでにガーゴイルとオークデーモンたちの腰は引けていた。
 ってことは、こいつら主流派の魔族だな。
 魔族は顔に冷や汗を浮かべている。
 答えはもうわかったようなものだが、どうするつもりだろうか。
 襲ってくるつもりなら、ヨミは容赦はしないだろうし、必要なさそうだが俺も加勢する。
 ただ、嘘でも一時的にでもこちら側に付くとなったら、そっちの方が面倒なことになりそうだ。
 彼らの行動を見定める必要がある。
 微妙な空気が流れるまましばらくヨミと魔族たちは見つめ合っていたが、その間に一羽のカラスが降りてきた。
「新たな魔王様、私たちは主流派の魔族ですが、与えられた仕事は国境の警備みたいなものでまだ人間に手をかけてはいません。この場は見逃していただけないでしょうか?」
 カラスがしゃべった。
 異世界だから驚くようなことではないが、ただのカラスではない。
「……アキラ、どうしましょう。ここで見逃したら、将来別の場所で人間を襲わないとも限らないと思いますが……」
「でも、そいつの話が本当なら、思想が俺たちとは違うってだけで罪を犯していないものを殺すことになる」
 魔族に人間の、それも俺の世界の常識を当てはめて考えるのは間違っている気もするが、ここで彼らを倒すのは何か違う気がした。
「お、あなたは話がわかるようですね」
 カラスはそう言うと闇に包まれてその形を変えていく。
 思った通り、魔族が変身した姿だった。
 長身で細身の男。
 エトワスが真面目なタイプならこちらはかなりチャラそうな服装と雰囲気だった。
 さらさらの黒髪をかき上げて、俺に近づいてきた。
「魔王様が人間を連れていることに疑問はありますが、それはひとまず置いておきましょう。俺が魔王様の配下に収まる。それで彼らを見逃していただけませんか?」
「そんな!? シャトラスさんがフェラルド派の人質になると言うことですか!?」
 ひれ伏していた魔族の一人が悲鳴にも似た声を上げた。
「大丈夫。こちらの方々は俺を拷問したり殺したりはしない。ですよね」
 やたらと物騒な言葉が飛び交っているが、シャトラスと呼ばれた魔族はヨミではなく俺に話しかけた。
 おまけに後ろの魔族に見えないように片目でウィンクまでしてきた。
 何か裏がありそうだ。
「もし、お前らが人間を襲っているところを見かけた時は、問答無用で魔王と俺が戦うことになる。そのことだけは忘れるな」
「ありがとうございます。ほら、お前たちはもう行け」
 シャトラスが手を振ると、ガーゴイルとオークデーモンは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……シャトラスさん。このことは我らの魔王様に報告します。必ず救い出して見せますから。どうか御無事で」
 残された二人の魔族もそう言うと来た道を全速力で戻っていった。
「さて、と」
 シャトラスは仲間の魔族たちが見えなくなると、ヨミの前に跪いた。
「魔王ヨミ様、それから人間の婿殿。お待ちしておりました」
「え?」
 何がどうなってるのかさっぱりよくわからない。
 あまりにめまぐるしく目の前の状況が変化していく。
「ヨミ様、アキラ様。ご安心ください。彼は主流派の魔族ではありません」
 車から降りてきたエトワスがそう言った。
「どういうことか説明してもらえるか?」
 どちらにというわけでもなく聞いたら、シャトラスが答えた。
「はい。手短に話せば、俺はフェラルド様にお仕えする魔族です。そして、フェラルド様の命を受けて主流派にスパイとして潜り込んでいました」
「そうだとしたら、勝手にこっちに戻って来ちゃって平気なのか?」
「彼らの信頼は得ています。主流派の魔族たちは俺が人質としてフェラルド派に捕らわれたものだと疑いを持つことはありません」
 ずいぶんな自信だ。
「これ以上の話はここから移動してからにしましょう。この辺りは主流派とフェラルド様派閥の丁度境目に当たります」
「そうだったのか?」
 言いながら、ふと気がついたことがあった。
 エトワスはシャトラスのことを知っていた。
 それなら魔界の勢力がどうなっているのか知っていたはずだ。
「……エトワス、俺たちを騙したのか?」
「いいえ、別の経路で魔界へ向かわれようとしたら、こちらへ誘導するつもりではいましたが、必要なかったので黙っていました」
「それじゃ、元々派閥の境目に連れて行くつもりだったということじゃないか」
 よくよく考えたら、魔族たちがここへ現れたこともタイミングが良すぎる。
 AIが警告していないと言うことは、辺りを他の魔族は警らしていない。
 こっちは車で高速移動しているわけだから、偶然出会うというのは簡単ではない。
 二人の魔族が連絡を取り合って示し合わせなければ、遭遇はありえなかった。
「それについては、フェラルド様に代わって私から謝罪しましょう」
 エトワスではなく、シャトラスが頭を下げた。
「フェラルドに代わって? これを計画したのはフェラルドなのか?」
「はい。フェラルド様はヨミ様のことをご存じなのです。人間との争いを望んでいない魔王であることも。そこで、俺が一時帰還するために計画を立てられました」
「あんたをフェラルドの元へ戻すために、俺たちが利用されたと言うことか」
「スパイにとって、所属先へ帰ると言うことは最も難しいミッションですから」
「じゃあ、あんたは謝る必要はない。直接フェラルドに会って謝ってもらおうじゃないか」
「……わかりました。俺からそう伝えましょう」
 シャトラスは話のわかる魔族かも知れないと思った。
 主の魔王に謝ってもらうと言って、少しも反発しなかった。
 それもスパイとしてのテクニックなら、油断は出来ないが。
「それじゃ、ここからは俺が案内しますから付いてきてください」
 そう言ってシャトラスはカラスの姿に変身した。
 空を飛んで案内するつもりなんだろう。
 だが、俺はシャトラスが飛び立つ前に呼び止めた。
「ちょっと待った。その姿なら車に乗せられる。あんたが空を飛ぶよりもよっぽど速く行くことができる」
「……そうなんですか?」
 黒いくちばしをこちらに向けるとヨミが答えた。
「はい、乗ってください」
 この車は四人乗りだから、彼が人間の姿のままだとさすがに乗せられないが、カラスなら別だ。
 魔王であるヨミに促されて拒絶できるはずはない。
 後部座席のヨミとエトワスの間に、シャトラスはカラスの姿でちょこんと座った。
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