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Chapter 4
経緯 ②
しおりを挟む『……あの頃、その子のお父さんもお母さんも仕事が忙しすぎて晩ごはんの時間に帰られへんからって、お金だけ持たされてやってんやんかぁ。せやけど、なに食べても一緒やから、って言うてコンビニで買うたパンとかおにぎりとかばっかし食べてやってんやん。それを、うちのおかあさんがかわいそうに思ってなぁ。その子をほとんど毎日家に呼んでごはん食べさせてあげててん』
坪庭から縁側を通って差し込む西日が、稍の横顔を照らす。
『それって……今で言うたらネグレクトやん。成長期の子ぉに対してひどいなぁ。なぁ、おねえちゃん……あたしらのおかあさんって料理、上手やったん?』
赤ちゃんの頃に出て行った栞には、「母の味」にはまったく覚えがない。
『取り立てて上手い、っていうわけやなかったよ。ヒガシ◯の粉末だし使ったはったくらいやしなぁ。どこにでもある「関西のオカンの味」やったえ』
——そういえば……
栞は思い出した。
自分と同じように祖母から料理を習ったはずなのに、稍のつくった「炊いたん」の味が違っていたことを……
小料理屋で出されたとしても遜色ない祖母の「京のお晩菜」とは異なる、やや繊細さに欠けたどちらかと言えば粗野な味だったということを。
そして、それがいかにも「家庭の味」に感じられた、ということを。
——あれは、「おかあさんの味」やったんや。
『……栞ちゃんも一緒に、みんなでごはん食べててんよ』
——えっ?
『じゃあ、その人……あたしの「兄」にあたる人って……あたしのこと知ってはるのん?』
すると、稍はくすりと笑って肩を竦めた。
『もちろんや。あんたのこと「栞」って呼んで、えらいかわいがってはったえ。……そのときは、まさか栞が自分の「妹」やなんて夢にも思うたはらへんかったやろうけどなぁ』
——そうか、あたしのことを知ってるどころか、かわいがってもくれてはってんや。
『お父さんがポートアイランドにある企業で研究職に就いたはったから、その血ぃなんやろうなぁ。ものすごう勉強ができてパソコンにも興味持ってはったわ。おかあさんの弟の聡にいちゃんと気ぃが合うて、いつもなんや小難しいコンピュータのプログラミングの話ばっかししてはってん。せやけど、その話の中に赤ちゃんやった栞も割って入ってたんやで。なに言うたはるのかは皆目わからへんかったけどなぁ』
だが、しかし……
——今となっては、もうそんなふうには思うてくれはらへんやろうな。自分ちの家庭を崩壊させた「元凶」があたしってわからはったら、かわいさ余って憎さ百倍どころやないやろ。
『へぇ、そうなんや。なぁ、「聡にいちゃん」って……神戸の震災で亡くならはったっていう叔父さんのこと?』
『そうや。神戸大学の学生で、まだ二十一歳やってんえ』
稍は目を伏せた。
——あたしの歳よりも早う亡くならはったんや。
『そう言えば、震災のあと聡にいちゃんの遺体確認に行くおかあさんに付き添ったんは……あんたの本当のお父さんやったなぁ』
稍は、一人では立ってもいられないほど憔悴しきった母親が、栞の本当の父親に抱きかかえられるようにして避難所に戻ってきたときの様子を思い出していた。
『おとうさんは……行かはらへんかったん?』
稍はこっくりと肯いた。
『うちのおとうさんとあんたのお兄さんのお母さんは、それぞれ大阪の会社に通勤するために、早々に避難所を出はったからなぁ。あんたの本当のお父さんは、勤務地のポーアイが液状化して休業状態やったから、あんたのお兄さんと一緒に避難所に残らはってん』
『なぁ、おねえちゃん……おかあさんとあたしの本当のお父さんって、いつ出て行ったん?』
今までは聞きたくてもなかなか聞けなかったことだったのだが、なぜかすんなりと口から漏れ出た。
『しばらくして、あんたの本当のお父さんの会社が、船をチャーターしてポーアイまで迎えに来ることになってなぁ。あんたのお兄さんを連れて避難所を出て行くことになっててんけど……』
そこで、稍は少し間を置いた。
『代わりに……うちのおかあさんを連れて、二人で出て行かはったわ』
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