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武家の妻女〈弐〉
しおりを挟む「もしや、姑上が……仰せになられたか」
与岐がさように尋ねれば、
「いいえ、わたくしの『お願い』にてござりまする」
花江は左右に首を振った。
「旦那様が此方に来られる寸前、姑上を離れに『蟄居』するよう命じられたゆえ、ここしばらくはお顔すら拝見しておりませぬ」
どうやら松波家が姑の富士を制したやり方を、又十蔵も倣ったようだ。
そのとき丸盆を抱えた茶汲み娘が注文を取りにやってきた。話を中断させて与岐があったかいお茶を二つ所望する。入り口で与岐から積もる話があると聞いていた茶汲み娘は「あいよ」と請け負うと、すぐに内所へと去って行った。
「……恥を承知で、お話しいたしとう存じまする」
意を定めた花江は語り始めた。
「実家の縁者でござった姑上に望まれて、進藤の御家に後妻として参りましてござりまするが……」
花江はすっと目を伏せた。
「実は、わたくしには幼き頃より行く末を誓い合った許婚がござりました。
されども祝言を間近に控えたある日、突如としてその縁は解かれ、代わりに進藤との縁組が整ったのでござりまする」
与力である進藤家との縁組を、同心である花江の家が断るわけにはいかぬ。すでに二人の娘を持つ年嵩の又十蔵に、年若い花江が泣く泣く嫁いだであろうことは思い描くに難くなかった。
しかも、姑が先妻である与岐を追い出してまで後妻の花江を迎えたのは、ひとえに嫡男を産ませるがためである。その重圧たるや、如何ほどか……
「……さようでござりましたか」
与岐は重い息を吐いた。思いもよらぬ者たちの人生へも、姑の思惑は影を落としていた。
「さすれば、奥方様——いえ、花江様はこれから如何なされる心積りでござりまするか」
同心の実家に出戻るとしても、今となっては兄が弟へと代替わりしているはずだ。
「わたくしの許婚であったお方は、その後家督を弟に譲って町家へと移られ、今では剣術道場を開いて子どもたちに指南してござりまする。
そして、今もなおどなたも娶られず、独り身にてござりまする」
花江はすっと視線を上げた。その目には強い光が宿っている。
「わたくしは——今度こそ、あの方の許へ馳せ参じようと存じまする」
与岐は一呼吸すると、花江に向き直った。
「確かに、若き日の夢が叶うそなたは良いかもしれぬが……さりとて、克之助殿は如何なされるや。先ごろ元服を迎えになられたばかりと聞き及んでござりまするぞ」
「さすればこその『お願い』にてござりまする。どうか与岐様に是非とも進藤の御家に戻られて、克之助の御後見になっていただきとう存じまする」
花江は縋るような目で与岐に嘆願した。
「同心の家のわたくしより、由緒正しき与力の御家の与岐様が母となれば、克之助の行く末にとって如何ほど心強きことか……」
「花江様、若い身空でわたくしの娘二人を嫁入るまでに育て上げてくださり誠に感謝いたしておりまする」
与岐は改めて深々と頭を垂れた。あのような姑がいる中、生さぬ子を二人も育てる苦労は並大抵ではなかったと思う。
「わたくしがそなたのお力になれるのであらば……」
「では、与岐様が、進藤にお戻りに——」
花江の目が期待で輝く。
「さりとて、今さら進藤の御家に戻る気なぞ毛頭ござりませぬ」
与岐はきっぱりと断った。そして、花江を見据えて一喝した。
「そなたも武家に生まれついた女でござりましょう。我が腹を痛めて産んだ嫡男を、中途で放り出して如何いたす。進藤の御家に嫁いで課された御役目は、しかと貫き通しなされませ」
「……やはり……さようで……ござりまするか……」
花江はがっくりと肩を落とした。
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