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Book 14

「葛城慎一はかく語りき」①

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「……だったら、話が早いな」
 シンちゃんはスーツの内ポケットから封筒を取り出した。

 そして、さらにその中から折りたたんだ紙を取り出す仕草を見ながら……わたしは彼のスーツのしっとりと静かな光沢を放つ生地や、力みなくすんなり身体からだに沿ったラインから、それがまさしく「上物」である証だということにやっと気づいた。祖母の職人技の桐タンスでなければ、こんな上物を虫の「魔の手」から護れるはずなかったのだ。

「櫻子……これが、僕の気持ちだ」
 シンちゃんが取り出した一枚の紙を広げて、すーっと差し出した。

 ——婚姻届、だった。


「生半可な気持ちで、櫻子にプロポーズしてるわけじゃないから」
 婚姻届にはすでに【夫になる人】の欄が【葛城 慎一】という名で埋められている。
 そして、彼の住所は原さんが言ったとおり【東京都渋谷区大山町……】となっていた。

 だけど……ピンク?婚姻届って、こんな派手なピンクの文字で印刷されてたっけ?
 すごく「違和感」を感じた。
 果たして、こんな用紙を役所で配布するものだろうか?

 ——それに、すでに奥さんや子どもがいるのにこんなの出したって、役所では受理してくれないんじゃないの?

「ねぇ、シンちゃん。どうして萬年堂の営業マンじゃなくて、社長さんの息子で専務さんだということを、わたしに言ってくれなかったの?」
 わたしはシンちゃんを見据えて、そもそも気になっていたことから、訊いてみることにした。

「シンちゃんは、そんな大事なことも言えないようなわたしと……本当に、結婚する気なの?」
 シンちゃんの端正な顔が、苦しそうに歪んだ。

「きみに本当のことを言わなかったのは……悪かったと思ってる」
 搾り出すような声で、シンちゃんは呻いた。

「だけど、入社して真っ先に配属されたのが営業部だったし、専務となった今でも営業本部を統括する責任者だから、まだ自分では『営業マンの端くれ』だと思っているよ。……『初心』を忘れないためにも、総務に無理を言って、初めてもらった社員証を返却せずにいつも持ち歩いてるしね」

 それが、あの「社員証」だったのだ。

「でも、さすがに新卒の頃の写真は若いからね。バレるといけないから、指で押さえて見せないでいたのに気づかなかった?」
 シンちゃんは自分をあざけるように苦笑した。


「ねぇ……櫻子……」
 不意に名前を呼ばれて、シンちゃんを見上げる。

「僕が最初から『本当のこと』を言っても……あんなふうに心を開いてくれた?」

 あんなに魅惑的だったはずのシンちゃんの目が——

「自分で言うのもなんだけど、うちの家が代々、世間的には社会的地位があって、経済的に恵まれた環境にあるのは確かだからね。それを知っていたら、櫻子はきっと、『自分とは世界の違う人だ』って思い込んで、あんなふうに自分のことをなんでもかんでも話してはくれなかったでしょ?」

 ——今はただ、うつろにぼんやりとわたしを映しているだけだった。

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