59 / 76
Chapter 7
⑩
しおりを挟むいつの間にか、麻琴と礼子が呑んでいた奥まったテーブル席に、壮年の男性の姿があった。
年相応のグレイヘアではあるが、ジムのパーソナルトレーナーのメニューによって鍛えられているすらりと高いその体躯には、細身のイタリアンスーツがよく似合っていた。
まるでシルクのような肌触りのスーツは、ナポリを本拠地とするキー◯ンのものだ。ぴったりと身体のラインに沿った縫製であるが、実はオーダーメイドではない。
何事も即断即決する彼には、何ヶ月も先にしか手に入らないものなんて、とても待ってはいられないのだ。
ただ「既製服」といえど「世界で一番高価な既製服」と呼ばれるその額は、デパートで誂えるオーダーメイドよりずっと値が張るが……
「さ、鮫島社長……⁉︎」
先刻まで艶っぽく輝いていた礼子の頬が、みるみるうちに色を失っていった。
「お邪魔だったかな?接待の会食を早々と切り上げてきたんだ。私にも翔君から、ドイツ産の貴腐ワインが入荷したっていうラインが届いていたからね。礼子のスケジュールだと、今夜あたりこの店に来てるかな、と思って」
突然、目の前に現れたのは、(株)Jubileeの代表取締役社長・鮫島 崇士だった。
「君、なかなか興味深い話をしていたね」
麻琴に向かってそう言いながらニヤリと笑った鮫島は、革張りのソファに座る礼子の隣に腰を下ろした。デンマークの巨匠アルネ・ヤコ◯センがデザインした名作スワンソファである。
なのに礼子の顔を見ると、気まずさのあまり急に座り心地が悪くなったようだ。
「は…はぁ……どうも、ありがとうございます」
対面で、同じくアルネ・ヤコ◯センの代表作エッグチェアに座る麻琴は、そう応じるしかない。
「鮫島さま、いらっしゃいませ。いつものをお持ちしましたが、ビールもご用意いたしましょうか?」
杉山が鮫島の前にセットしながら尋ねる。
「いや、私は接待でしこたま呑まされたから、今日はもうこれでいいよ。……それより、きみたちはもう食事は済ませた?」
「わたしは先刻、翔くんにつくってもらったのをいただいたわ」
鮫島に訊かれて礼子がそう答えると、
「サラダだけでいい、っておっしゃるので、上質なたんぱく質であれば大丈夫ですよ、と申し上げてイベリコ豚をつかったものにしました」
杉山が「告げ口」した。
「ダメじゃないか。私のパーソナルトレーナーからも、礼子はちょっとがんばりすぎてるので気をつけるように言われてるんだよ?」
「だって、この歳になると、代謝が悪くなってどうしても体重が増えちゃうんだもん」
礼子が、不貞腐れたちいさな女の子の顔になる。
すると、鮫島は感に耐えかねたように目を細めて礼子を引き寄せ、その艶やかなブルージュの髪にちゅっ、とキスをした。
そして、彼女を腕の中に収めたまま、
「君はもう済ませた?もし、まだなら……」
麻琴にも気を遣ってくれた。
——うっわー、この男、卑怯なまでに年季の入った「やさしさ」の持ち主じゃないの⁉︎ 道理で、何人も「人生の伴侶」が現れるはずだわ。
「あ、お気遣いなく。ここに来る前に軽く済ませてきましたので」
麻琴は、どうしても引き攣ってしまいそうになる笑顔を必死で解した。
「……では、渡辺さま、鮫島さまと久城さまのお相手、よろしくお願いします」
杉山が、心の底から申し訳なさそうにして下がって行った。
——あぁ、杉山くん、わたしを置いてかないでよー!
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
フローライト
藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。
ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。
結婚するのか、それとも独身で過ごすのか?
「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」
そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。
写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。
「趣味はこうぶつ?」
釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった…
※他サイトにも掲載
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる