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Last Chapter
③
しおりを挟むしばらくの沈黙のあと、紗香が口を開いた。
「別にわたしと住むからって、あなたに今までの生活を変えてほしいわけじゃないの。こんなに長い間、別に住んでたんですもの。真也さんには真也さんの生活のリズムやペースがあることもわかってる」
打って変わって、自信なさげに縋るような目になっていた。
「大地のことはもういいでしょ?この秋からはアメリカに留学して、二年間は帰ってこないだろうし。そりゃあ、あさひ証券に入ったからにはゆくゆくは会社を担うポストに就いてもらいたいけど。……でも、あたしはもう御役御免だわ」
息子は経営学修士を取得するために、会社からコロンビア大学のビジネススクールに留学することが決まっていた。
だが、そうはいっても、友人知人のいないと思っていた大阪に、紗香が来るとは考えてもみなかった。一緒に暮らせるようになるのは、この会社で大阪支社長も兼ねる専務取締役でいる間は無理だと思い込んでいた。
「この一週間、あなたと同じ食事をして、あなたと同じテレビを観て笑って、あなたと同じベッドで眠って……」
いつの間にか、涙声になっていた。
「朝、目覚めたときには隣にあなたがいて……」
おれは腕の中に紗香を引き寄せた。
「あたし……もう、東京に帰りたくない。あなたと離れたくない。……大阪で一緒にいたい」
紗香がぎゅーっと、おれにしがみつく。
「……ダメ? あたしがここにいちゃ、邪魔?」
紗香が上目遣いで訊く。
「邪魔なもんかっ!」
あまりのかわいさに、おれは思わず噛みつくようなキスをした。
「紗香……ずっとここにいてくれ。この一週間、おまえが大阪にいてくれて、おれの方が、おまえを東京なんかに帰したかねえよ」
紗香を抱きしめる腕に、さらに力を込める。
そういえば——大地がこの前の電話で、なにやらごちゃごちゃ言ってた気もするが、そんなもんはラララ星の彼方へ葬っておこう。
「……よかったぁ」
紗香がふーっと息を吐く。
「バカだな。なんでそんなうれしいこと、もっと早く言わないんだよ?」
紗香の艶やかな黒髪を撫でて、ちゅっ、とキスをした。
「何度もあたし、言いかけたのよ。でも、いつも真也さんが遮るんだもん」
紗香がぷう、っと頬を膨らます。あまりにかわいすぎて、その頬にちゅっ、とキスをする。
「すまん。おれが、悪かった」
——おまえが真剣な顔をして、深刻そうな言葉で切り出すから、つい不吉な話だと思っちまうんだよ。紛らわしい。
「あたし、今回は『覚悟して』大阪に来たのよ」
——ほら、それだよ。そうやって、また、大仰な言い方をする。
「だって、東京にある今シーズンのお気に入りの服とかバッグとか靴とかを、こっちに送っちゃったんだもん」
「あっ……それが、あのダンボールか?」
ウォークインクローゼット代わりにしている部屋に鎮座ましますダンボールが目に浮かんだ。
「とっとと整理しろよ。シワになる服もあるんじゃねえのか?」
「だって、収納するスペースがないんだもの」
確かにクローゼットはおれの服でいっぱいだった。
「だから、早く言えってんだよ。明日早速、収納する家具を買いに行こうぜ」
「えっ、いいの!? うれしいっ!」
紗香が満面の笑顔になった。
なんだか、同棲を始めるカップルみたいだな。
——この歳になって、こんな初々しい気持ちをまた味わえるとは……
「あたしがシャンプーもコンディショナーもポンプ式の大っきいヤツ買ってきて、バスルームに置いてるの、気がつかなかった?」
紗香がふふっ、と笑う。
「最初から大阪に居座る気、満々だったんだからね」
「それって、あんなに恥ずかしがってたのに、またおれと一緒に風呂に入ろう、って誘ってんのか?」
おれがからかうと「ちょ…ちょっと、なに言ってんのよっ」と、紗香からバシッと胸を叩かれた。
そして……
「せっかくの二十五年目の銀婚式でしょ?だから、もう一度初心に戻って、大阪で、あなたに『嫁』らしいことをしたいな、って」
そう言って、紗香ははにかんだ。
ここ大阪では、やっぱり妻や家内やカミさんよりも「嫁」がしっくりくるな。
「……紗香、初心に戻るんだったら、頼みがあるんだ」
おれは、ぽおっと赤く染まったその頬を、両手ですっぽり包んだ。
「もう一度……おれを愛してくれないか?」
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