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壱の巻「心意気」
其の弐 〜陸〜
しおりを挟むまだなにか、と訝しげに彦左が振り向く。
見世の用心棒ではないとは云え、荒くれ者の客がやってきた折には「男手として」応じなければならぬことがある。ゆえに、彦左には剣術にも柔術にもそれなりの「心得」があった。
それを知るおすてが、おろおろしながら与太と彦左を交互に見る。
されども、与太は平気の平左で、
「この間から『髪切り』の野郎に、吉原の大見世ばっか狙われてっからよ。……久喜萬字屋はよ、大丈夫なのかと思ってさ」
と二人に尋ねた。
本日、与太が吉原にやって来たのは、おすてのような見世の者から少しでも「髪切り」のことについて探るためである。何の手掛かりも掴めぬまま、尻尾を巻いて伝馬町へ帰るわけにはいかない。
実は、先達てからの「髪切り」はどういうわけか吉原の大見世ばかりが狙われていた。
見世の格は「籬」で決まる。
表通りに面した一階にある女郎たちが客引きのためにずらりと並ぶ「張見世」には、目隠しのための格子——籬がある。
大見世にある大籬は全面が格子になっていて、中の女郎の顔がわかりづらい。
だが中見世にある中籬は、右上の四分の一が空いているため、覗くようにすれば見える。
さらに小見世の小籬ともなれば、上半分の格子がすっかりなくなるから見放題だ。
格の落ちる見世になるほど女郎たちの顔が丸見えになるゆえ、買う方の客にとってはしかと「見えた」方がしくじりが防げて好都合であるはずだが、そうは問屋が卸さない。格の高い見世になればなるほど、いい妓が集まってくるのが世の常である。
とは云え、呼出や昼三などの「遊女」は張見世には座ることはない。さような客引きなどをせずとも、馴染みの客がきっちりついているからだ。
そして、江戸町二丁目に廓を構える久喜萬字屋は、大籬が赦された大見世だった。
すでに、久喜萬字屋と同じ大籬を赦されている松葉屋と扇屋の妓が、髪切りの魔の手に掛かっていた。しかも、いずれも女郎ではなく部屋持ちの「遊女」だった。
たとえ何処のだれであろうと、廓に入らば蟻の子一匹逃さず目を配るのが吉原だと云うのに、大事な遊女の、よりにもよって「命」とも呼べる黒髪を、ばっさり切られてしまうとは——松葉屋も扇屋も「大籬」としての面目が丸潰れだ。
「哥さんが……そいつを聞いてどうなさるんでぇ」
彦左はますます訝しげな面持ちになった。
「彦左っ、与太さは伊作親分さの下で『御用向き』をしてなさる『岡っ引き』なんよ」
おすてが、あわてて彦左をとりなす。実は岡っ引きではなく、その手下の「下っ引き」なのだが、与太は云わずに黙っておく。
「ほれっ、振袖新造の舞ひつる姐さが、ある日ばったり行方知れずになっちまっただいねぇ。見世のお内儀さんは『舞ひつるは、ちょいと具合を悪うしちまって、養生のためにしばらく余所へやってる』っ云うなぁ、舞ひつる姐さんが具合悪うしたら見世の者がだれか気づかぁねえけぇ。彦左は気づいたかさぁ。おらぁ、ちーっとも気づかんかったでぇ。与太さはそいつを調べなすってて、おらに話を聞きに来なすったんだべぇ」
すると、彦左の顔つきが変わった。
「舞ひつるの……」
彦左と舞ひつるは、どちらも久喜萬字屋で遊女だった妓の子として此処吉原に生まれた。
さような子たちは、生まれて間もなく母親とは引き離されて、同じ吉原の中にある「子ども屋」に預けられる。二人は十歳近くまで其処で育ち、また久喜萬字屋へと戻された。
そののち、舞ひつるは「呼出」だった母譲りの美しさゆえに振袖新造となり、彦左は化粧師や着付師を目指して男衆の見習いとなった。
「いったい、舞ひつるは何処へ行っちまいやがったんだ……」
彦左はぽつり、とつぶやいた。行く途はくっきりと分かれたとは云え「兄妹」のごとく育ったのだ。
与太は首を左右に振った。
「ある処までは探ったんだがなぁ。上からのお達しで……行き詰まっちまってよ」
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