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Chapter 4
営業一課の田中くん ③
しおりを挟む「小会議室A」には大地だけがいた。
田中 沙恵子がおずおずと声をかける。
「あのう……先日は……」
「大丈夫だったか?かなり呑んでたようだけど」
大地が机の上に広げた書類から目を上げずに言った。
「次の日はひどい二日酔いだっただろ?」
田中 沙恵子は、その翌日ものすごーく頭が痛くなり、吐き気もなかなか治まらず、せっかくの土曜日の休みに、一日中ベッドから離れられなかった。
「冷酒には気をつけろよ。翌日に残るからな」
「調子に乗って、日本酒を水のようにどんどん呑んでしまったのが、間違いでした」
田中 沙恵子は頭を下げた。
「おれとは間違いを起こさずに済んで、よかったじゃないか」
大地は顔を上げて、屈託のない少年のように笑った。
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『ずっと……大学のときから……好きでした。わたしを、せめて今夜だけでも……朝まで……帰さないでください……』
初めて一緒に呑みに行ったあの日の夜、田中 沙恵子は酔った勢いで、大地への積年の想いを告白した。
それに対して大地は、
『はっきり言って「酔った勢いで」とかいうのは面倒なんだ』
と、きっぱり告げた。
経験上、こんなふうにズバリ言ってやった方が、相手も未練なく吹っ切れるということを知っていた。そのくらい、今までに何度となく「今夜一晩だけでも」という女の子からの「決死の覚悟」をぶつけられてきた、とも言えるのだが……
そもそも「今夜だけでも」という意味も不明だ。
大地はセックスというのは、お互いのカラダの相性もあるし、なによりお互いの好みを探りながら添ったり添われたりして育んでいくものだと思っている。一朝一夕にはいかないのだ。
にもかかわらず、「今夜だけでも」というのは……
——この一晩でおれの実力を全開で見せろ!っていうことか!?
大地にとってそれは「果たし状」以外の何物でもなかった。
『それに、おれももう三十だし、次につき合う子とは結婚を考えてる』
田中 沙恵子はかなり酔っていて翌日どこまで覚えているかわからなかったが、それでも、大地は真摯に言う。
『そしておれは、将来的にどんな形であれこの会社を背負う義務のある家に生まれている。だから、おれが結婚するのは、この会社の経営に役立つ女だ』
これは、母方の血だ。創業者一族の血が、そして末裔としての義務が、そうさせるのだ。
たぶん、慶人もそうなんだろう。そして、蓉子も。
——田中 沙恵子は常務の娘ではない。
常務の娘は東京生まれの東京育ちである。そして、あさひ証券へは「東京エリア限定の総合職」として入社している。
その夜は、大通りまで出た大地がタクシーを拾い、彼女だけを乗せて帰らせた。
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「……ところで、大地先輩、つかぬことを伺いますが」
大地がなんだ?と、田中 沙恵子を見る。
「先輩は、先日、この会社の経営に役立つ人と結婚するっておっしゃってましたけど、もし、その人が先輩にとって『意に沿わないお顔』だったら、どうするんですか?」
田中 沙恵子はあどけない表情で訊く。別に大地にフラれた腹いせで言っているわけではなさそうだ。
「そいつがブサイクだったら、どうするのか?っていうことか?」
そんなあからさまに、と田中 沙恵子が渋い顔をする。大学時代の大地はモデル級の美人とばかりつき合っていたので、つい気になったのだ。
「そうだな……」
大地はしばらく考え込む。
——もし、田中常務の娘が、田中常務にそっくりだったとしたら……
大地は頭の中で、メタルフレームの眼鏡をかけ神経質そうな顔をした田中常務に、セミロングのカツラを被せてみた。
「………」
大地はますます考え込んでしまった。
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