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第二章

狸の化かし合い

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 たぶん言われるだろうなとはなんとなく思っていた。思っていたから一応そのつもりではあったのに、想像するのと実際に言われるのとでは破壊力が違うということが解ってしまって困る。
「ちょっとリアナ、おかえりって言われたらきちんと『ただいま』って挨拶するのが礼儀だろう」
「……ただいま」
「なんだその嫌そうな顔は!」
 オブジェを完成させ、ノアの部屋に戻ってきた。彼はどうやらある程度の聴取整理は出来たようで、悠々と紅茶をたしなんでいる所だった。
「…言われ慣れてないの、そういう台詞」
 先程座っていた椅子に再び腰を下ろし、束ねていた髪をほどく。ノアはきょとんとした表情だ。
「慣れてなくて、困ってる顔なの?それ」
「…なによ、悪い?」
 言うと、ノアは盛大に吹き出した。
「っあははは、マジか!」
「ちょっと、馬鹿にしてる?」
「してないしてない!」
 しまいにはお腹を抱えて前傾姿勢で大笑いだ。さすがに笑いすぎでは?とリアナも閉口する。
「あんまり馬鹿にするようなら、見たもの教えないわよ」
「ご、ごめんごめん。馬鹿にしてないから、ホント」
 ひぃひぃ言いながらも呼吸を整え、深呼吸。落ち着いたその口で、まだ馬鹿にするような言葉を吐いてきた。
「さっき俺をはたいたのも、困ったからなんだ?」
「…」
「はは」
「まだ笑ってる」
「いや、可愛いなって」
 …だから、イタリア男は、苦手だ。
「ごめんごめん、もう言わないよ。事件の話しよう」
 笑いながら、ノアが話を進めた。こちらは初めから仕事の話しかしたくないのに、とんだ時間の無駄だ。
「この時間で、何か変わったことは見えた?」
 そして何もなかったかのように真剣な顔になるのだからよりタチが悪い。
 リアナは一息つくと、モードを「推理」に切り替えた。
「大広間以外の場所はだいたい回ってみたけど、特に何も。何人かの過去も見てみたけど…いやに人間関係がドロドロしてそうだなってことと、べらぼうに屋敷が広いってことくらい」
「亡くなったチェーザル夫妻との色々もあるみたいだしね。ま、大富豪や芸能一族にはよくある話かな」
「そんな感じ。チェーザル夫妻って亡くなったのよね」
「5年前に事故でね。それ以降、エミリオはこの屋敷で暮らし始めてる」
「ふうん」
「何か気になることでも?」
「いえ、別に」
 ノアは広げていた資料の中から一枚を抜き出した。先程リアナが見ていた家系図だ。



 取り出した家系図の「マソリーノ」を線で消す。
「現在はこの9人と、調律師のハーバート29歳、メイドのオルガ29歳、メイド長のシルヴィア47歳がこの屋敷に住んでる」
「今日、作業でこの屋敷に来たのは何人なの?」
「それが、かなりの数の業者が来ててね…しかも入れ替わり立ち替わりだからそこはなんとも…」
 それは予想できたことだった。リアナでさえも、入り口で名乗ればすぐに入れたのだし、音響や装飾の各業者が何人がかりでくるかなんて屋敷側も把握はしてないだろう。それっぽい人物がそれなりの態度で来れば関係者だと思うだろうし、何よりいちいち確認しているほど、メイドたちも暇ではないようだった。
「昨日までに既に作業に来た業者もあるの?」
「ある」
 なるほど、思った以上に祝典に関係している人数は多いようだ。全て「見て」回るというのも無理な話だ。
「わかった。…じゃあ、過去の事件を詳しく聞かせて欲しいんだけど」
「もちろん」
 今度は『事件概要』の資料を取り出す。「見たものを教えてくれればそれでいい」と言っていたノアだが、それ以上に事件について詳しく話してくれるのは何故だろうか。もちろん知っているのと知っていないのでは、見た情報を伝えるか伝えないかの判断に違いが出るとは思うが。
「きっかけは、ヴィルフレドのストラディバリが消失したことだ」
 資料を指し示すノアの指を追って、リアナも目線を落とす。
「この日の13時、ヴィルフレド、エミリオ、ハーバートの3人で、コレクションルームでストラディバリの試奏をしたらしい。もちろん弾いたのはヴァイオリン奏者のヴィルフレド。ハーバートは本職は調律師だけど、ヴェルディ家で扱う楽器はひととおりメンテナンス出来るからってことで同行。エミリオは聴きたいからって理由でついてきたそうだよ」
 併せて出してきたのはこの屋敷の見取り図だ。コレクションルームは2階の一番奥の部屋にあり、それなりの広さを取っている。先程歩き回って判ったことだが、メイドのオルガが言ったことを踏まえると、このコレクションルームは『居住スペース』の範囲内のようだ。扉は大広間・オーディオルーム・練習室と同じように二重扉になっていて、防音と防犯の役割を担っているのだろう。
「30分ほど試奏したのち、金庫にしまって部屋を一緒に出た。その後、19時過ぎにヴィルフレドが再び確認した時には、もう金庫はもぬけの殻だった」
 金庫はダイヤル式のもので、鍵はない。開け方を知っているのはヴィルフレドだけだったという。
「…で、探偵様の捜査のご状況は?」
「嫌味っぽく言うなあ」
 苦笑しながら、しかし怒った風ではなくノアが別資料を示す。金庫とドアの鍵穴の写真だった。
「コレクションルームの鍵は1つしかなく、ヴィルフレドが肌身離さず持っていた。ただし、開錠トリックとしては簡単。外側のドアはおそらく硬質のカードでも使って開けたと思われる痕跡がある」
 指差した部分にはロックのボルト部分。確かに、堅いものが擦れた跡がある。
「ドアのフレーム部分にカードを差し込んで、ドアノブを回しながら…」
「カードをゆっくり引き下ろせば開くわね」
「…よく知ってるね」
「…有名でしょ」
 ノアは軽く両肩を上げて、次のドアの写真を指す。
「内側のドアノブは室内用のもの」
 なるほど、確かにドアノブの中心に小さな丸い穴が開いていた。近年よく見られる、簡単なロックがかかる仕組みのものだ。二重扉で鍵の形式を変えてはいるが、ただそれだけで一つ一つの開錠の難易度は低い。
「リアナ、どうやって開けるか知ってる?」
「…知らない」
 リアナは写真を見ながらそう返す。
「本当は知ってる?」
「しつこい。素人が知るわけないでしょ」
「…素人ねぇ」
 含みのある言い方でノアが呟いた。リアナは少し喋りすぎたと反省する。あたしはただの花屋だ。
「ま、そういうことにしといてあげるよ」
 もったいぶる彼の口ぶりに、やはり失敗したなと思う。気をつけなければ。
「で、これも簡単に開くの?」
「ああ、うん。六角レンチがあればね。てことで、ドア2つの開錠は簡単」
 つまり特に高度な技術はいらない。調べさえすれば誰だって出来るということだ。
「あとは金庫?」
「そう。…ただ、この金庫のダイアル錠だけど…」
 最後の一枚の写真を見て、リアナはノアの言わんとしていることが解った。今でこそ金庫のダイアル錠は目盛も100まであるが、この金庫は古いもののようで、0から9までしかない。つまり開錠パターンは左右ごとに90通りしかなく、5分程度あれば開けるのもたやすいのである。
「金庫って言えるの?これ…」
「ヴィルフレド曰く、防犯というより防火の意味合いが強いらしい。屋敷のセキュリティがしっかりしてる分、ここに力を入れずとも盗難に遭うことはないだろうと思っていたみたいだな」
 確かに、屋敷には客が入れる部分が決まっていて、それより奥の居住スペースには鍵がないと進めないようになっている。防犯カメラも居住スペースより内側には設置されていない。つまり、はなから身内による何かしらの事件が起こるとは一ミリも思っていなかったということだ。…まぁ、普通はそうなんだろうが。
「防犯カメラには不審な人物は映っていない。その日居住スペースへ出入りしてたのはカメラから判断するに住人だけだった」
「と、いうことは、内部犯ってこと?」
「今の所はその確率が高いと思ってる。ただ、問題なのは『誰が盗めたか』だ」
 考えられるのは、屋敷に住む13名。コックや庭師など住み込み以外の使用人もいるが、結局住居エリアに入っていないわけなのだから、13名に絞り込めるということ。もちろんヴィルフレドによる自作自演ということすら視野に入れられるという意味も込めて。
「その日のそれぞれの行動を聞いて回ったけど、正直明確なアリバイがある人は一人もいないんだ」
 ノアの眉間に寄った皺の意味が解った。金庫から持ち出せるのは13時半から19時までの5時間半。開錠の難易度からして、鍵がなくともストラディバリを持ち出すには20分もあれば余裕で、その間であれば13人の誰もが犯行(と今の段階では断定はできないが)に及べるのだ。
「じゃあ、大事なのは動機ってことね」
「そういうこと」
 そうか、だからリアナに助手を依頼したのか。ストラディバリが無くなって得をするもの、またはストラディバリを手に入れて得をするものをあぶりだしていかねばならないわけだ。
 それを考えると、確かにリアナの能力は役に立つだろう。
「次はフランチェスカのハープの弦が切られた事件だけど」
 ノアが言いながら弦の切れたハープの写真を取り出す。見事に端から端まで全ての弦が切られている。
「こっちはもっと簡単。鍵のかかっていない練習室で、フランチェスカが夕食に部屋を出た隙にやられてる」
 練習室といえば、先程リアナも入ることが出来た一帯だ。見取り図によると練習室は全部で4つ。事件があったのは手前から2つめ、つまり先程サルビアが練習をしていた部屋だなと思い返す。確か監視カメラは一つ廊下の奥にあったのを確認したが、定点ではなく定期的に動いていたので映らないようにするのは可能と思われる。住居スペースでもないし鍵もかかっていないのだから、人に見つからないよう注意すれば誰にでも出来るということだ。
「夕食は基本的に一族全員でとることになっているらしい。仲が良いのかなんなのか。誰がどの順で食堂に来たのかはみんな曖昧で、ただ確実に無理だったのはヴィルフレドとマソリーノ、サブリナとハーバートのみ。長男と次男は打ち合わせで、次女と調律師は別の練習室で楽器の調整をしていた、とお互いが証言してる」
「使用人たちは?」
「コックは全員厨房。住み込みの2人を含むメイド、家政婦は厨房か食堂で2人以上で仕事をしていたから不可能。庭師は既に帰宅」
 さすがに夕食時には、祝典のために呼ばれていた業者も全て引き払っていて、一族と使用人以外は誰も屋敷にいなかったようだ。
 これもまた、『なぜ弦を切る必要があったのか』を見つける方が早そうである。


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