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幕間2

熱意のある花屋

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「シルヴィアさん」
 廊下で清掃をしていると、背後から声を掛けられた。
「はい」
 振り返ってみると、いくつか花の入ったバケツを持った、ジーンズ姿の女性がいた。見た目からするに花屋だろうが、花屋が一体自分に何の用だろうかとシルヴィアは不思議に思う。
「大広間の花飾を担当しておりました、フィエゾレ地区のオリアナと申します」
 持っていたバケツを一旦床に置き、丁寧にお辞儀をしたその女性の長い髪がはらりと揺れた。バケツにあるほんのり黄色がかったデイジーに映える、とても綺麗な亜麻色だった。
「そうですか、ご苦労様でございました。作業が終わられましたら、もうお戻りになって結構ですよ」
 わざわざ退去の申し出だろうか、律儀な花屋だと少し驚いた。他の業者や花屋は、勝手に帰っていくというのに。
「はい、作業はもう完了しまして、あれで良いものかぜひシルヴィアさんにご確認いただきたくて参りました」
 そう言われてシルヴィアは戸惑う。確かに直接の依頼をしたのはシルヴィアなので、出来栄えを確認するのは自分の役割かもしれないが…。
「はぁ、そうですか。そこまでせずとも、『これでもかというほど派手に』というのがヴィルフレド様のお申し付けなので、それが適っていれば十分ですけど」
 わざわざメイド長ごときが装飾にケチをつけることでもないだろうと、シルヴィアはやんわりと断る。が、そのあとの花屋の言葉に、なんとなく悪い気はしなくなった。
「ええ、はじめはそう思っていたのですけれど。先程オルガさんにお世話になった際に、シルヴィアさんがとてもセンスがある方だとお伺いしたものですから。ぜひご意見を頂戴したくなってしまいまして」
 まさか部下であるオルガが、自分のことをそう思っていただなんて驚きだった、と同時に単純だが嬉しくなる。
「あ、恥ずかしいからそう言ったということは内緒だと、オルガさんに言われていたんでした…!」
 うっかり口を滑らせてしまったと両手を口に当てる花屋に、思わず笑みが漏れた。
「かしこまりました、今聞いたことは無かったことにしておきます」
「ありがとうございます…」
 ほっとした様子の花屋を見て、祝典準備とそれ以降の儀式関係の処理で忙殺され疲れ切っていた心が癒された気がした。
「で、大広間のオブジェクトを見れば良いんですのね?」
「え、よろしいんですか!」
「ええ、まあ。ちょうど今やっている作業がひと段落したところでしたから」
 雇った探偵が助手を泊まらせるというから部屋を準備していたのに、先程やはり部屋はいい、という話になった。準備していた着替えやアメニティを丁度片付け終わったタイミングだったのだ。それにしても助手が女性だったのには驚きだったが。
 花屋を伴って大広間へ向かう。道すがら、その花屋はところどころであしらわれている花飾に反応しては、シルヴィアに意見を求めてきた。
「シルヴィアさん、この階段に添えられたミモザ、素敵ですね」
「そうですね、黄色とオレンジが絨毯の赤に映えて美しい」
「シルヴィアさん、メイド長と兼任してカラーコーディネーターにでもなれそうなほどにセンスがあってらっしゃいますね。私の花飾をお見せするのが心配になって参りました」
 シルヴィアが意見をする度、こうして褒めてくるのだからなんだかむずがゆくなる。ただやはり悪い気はしないので、問われるたびに思ったことを述べていった。
「ですがシルヴィアさん、あのミモザ少し心配です」
「心配?」
「ええ。もともとミモザは3月の頃の花です。特別な栽培で保っているのでしょうけど、6月のこの時期にこんな日当たりの良い場所で活けられているなんて…。花言葉は『優雅』『エレガント』でもありますから祝典にはもってこいの花ですけど、明日の夜まで持つかしら…」
 最後の方はほぼ独り言に近い台詞だった。先程からこうして色々な花飾の花言葉や栽培時期などを話しては、祝典に向けてどうすれば一番美しく魅せられるかを考えているようだった。シルヴィアはこのオリアナという花屋の熱心さと情熱に、少しずつ感服していった。これなら、彼女の誂えた花飾も期待が出来そうだ。
「さあ、大広間に着きましたわ。確認するオブジェクトはこちら?」
 二重扉を越えてすぐ、左右にあつらえられた花飾を指差し問うと、花屋は無言で頷いた。
 正直言って、見事だった。
 花に関しては素人同然のシルヴィアだが、それでも素晴らしい花飾なんだろうと思う。「これでもかというほど派手に」なってはいるが下卑た派手さではなく、大きいながらも繊細な印象を醸している。赤を中心としたグラデーション。真ん中の深紅のデイジーに目を奪われる。
「いかがでしょうか、シルヴィアさん」
 恐る恐る訪ねてくるオリアナに、シルヴィアは満足げに言葉を返した。
「素晴らしいわ、オリアナさん。正直言うとランダムに担当場所を決めていたのだけど、大広間をあなたにお願いして正解だったわね」
 花なんて派手ならそれでいいとヴィルフレドに言われ、確かにそうだとシルヴィアも思っていたのだが、そうではなかった。改めてオブジェクトを見、感嘆する。
「良かった…。シルヴィアさんにそう言っていただけて、安心いたしました」
 オリアナもほっとしたように微笑む。
 この花屋は、本当に花を愛し、そしてプライドを持って花屋を営んでいるのだな、と、少し侮っていた自分を恥じた。
「デイジーの花言葉は『平和』『希望』ですから、祝典にぴったりだと思って。イタリアの国花でもありましたし」
「そう、素敵…。他の場所もあなたにお願いすれば良かったかもしれないわね」
「そう言っていただけて光栄です。……そして実は、シルヴィアさんにもうひとつお願いが出来てしまったんですけど…」
 そう言って花屋は、他の花が心配であること、出来れば祝典のタイミングで一番綺麗に魅せられるようにメンテナンスがしたいということ、そしてその為に宿泊させて欲しいということを頼んできた。
 普段なら一度、長男のヴィルフレドか当主のクラウディオに許可を得るところだが、祝典を明日に控え両者とも多忙であり、そして業者関係の諸々は全てシルヴィアに一任されていることもあって、たかが一人泊まらせるくらいは現状容易なことだった。実際、探偵助手用の部屋の手配も、シルヴィアの独断で許可していたのだ。
 この花屋が一人いれば、屋敷中の花飾については安心できるだろう。確かに祝典前に花が枯れたり萎れたりなどすればそれこそ問題だ。
「なるほど、承知いたしました。丁度お部屋も一室ご準備がありますし、女性用の着替えやアメニティも運良く一式出したばかりで」
 ただ、あの軟派そうな探偵の隣の部屋にはなってしまうが。という言葉は彼女には関係ないだろうから飲み込んでおく。
 オリアナは嬉しそうにシルヴィアの手を取り、お礼を言う。これで万全の花飾で祝典を彩れると言うオリアナに、高い情熱を感じたのだった。


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