光のもとで2

葉野りるは

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January

意思の疎通とは…… Side 司 02-02話

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 布団に下ろした翠を見ながら、まずはコートを脱がせなくては、と思う。
 身体を起こし片腕で支えながらコートを脱がすと、背中と鳩尾のあたりがやけに熱かった。
 そこでカイロの存在を思い出す。
 しかし、コートの下に着ていたカーディガンを脱がせてみても、カイロらしきものは見当たらない。それでも、手で触れれば貼ってあることは歴然としているわけで……。
 翠の上半身に手を添え、カイロの位置を確認して悩む。
 肩甲骨の内側に二枚、腰に一枚、鳩尾に一枚の計四枚。
 わかったところでどうやって剥がすというのか……。
 おそらくはワンピースの下に着ているものに貼ってあるのだろう。否、もしも肌に直接貼るタイプだとしたら……?
 ……さすがに肌へ触れるのは気が引ける。でも、カイロが貼ってあったら血圧が戻るまでに時間がかかる。
「……大丈夫だ」
 翠は肌が弱い。その翠が肌に直接貼るタイプのカイロを使っているとは思いがたい。
 そこまで考えて、ファスナーを探す。が、翠が着ているワンピースにファスナーは存在しなかった。
 意を決してスカートの裾から手を入れると、ワンピースの中にはもう一枚サラサラとした生地があった。
 鳩尾を探り当てると、すぐにカイロが手に当たる。
 ほっとした俺は静かにそれを剥がし、腰、背中とカイロを剥がしていった。
 くったりとしている翠を改めて横にさせ、掛け布団を腹部までかけてやる。
 あとできることといえば、窓を開けて室温を下げることくらいか……。
 俺は手早く窓を開け、翠の元へ戻った。

 翠の手を握っていると、少しずつ少しずつ体温が奪われていくのがわかる。
 簾条の言ったとおり、翠の場合、あまり身体を冷すのは良くないんだが……。
 改めてスマホを見ると、翠の血圧は徐々に普段の数値へと回復を始めていた。
 もう少し――
 じれったい思いでディスプレイを眺めていると、この数値なら……と思える数字が並び始めていた。
 肩を叩いて起こそうとしたとき、翠の目がゆっくりと開く。
 まだ少しぼーっとしているけれど、瞳に光が映りこむとひどく安堵する。なのに、
「あんなあたたかい屋内でコートを脱がないバカがあるか」
 どうしてこういう言葉しか出てこないのか……。
 先に、「大丈夫か?」の一言ことくらい言えないものだろうか。
 そんな俺を、翠はクスリと笑う。
「ごめん……。コート脱ぐ前に話し込んじゃって……ここは?」
 言って翠は部屋を見回す。
「佐野の自室。落ち着くまで休んでていいって」
「そう……」
 手持ち無沙汰にスマホを見ながら、
「気分は?」
 ようやく言えた一言に、翠は笑顔で「もう大丈夫」と答えた。
 そしてゆっくりと身体を起こすと、布団の脇に放置したままだったカイロを視界に認める。
 その数秒後、はっとしたように身体に手を添えると、
「え……?」
 一連の動作が思考回路を表しているというのに、なぜ今さらその言葉が出るのか……。
 俺は訊かれたり問い詰められる前に、自分から白状することにした。言うなれば先手必勝――
「そんなものつけてたら血圧上がらないから剥がした」
「剥がしたってっ――」
 翠は真っ白だった顔を一気に染め上げ、信じられないものを見るような目で俺を見る。
「人命救助の一環だし、そこでうだうだ言うなら俺も言い足りない文句を今からでも言わせてもらうけど?」
 若干投げやりに反撃すると、翠は口を閉ざし下を向いて黙り込んだ。
「そんな恥ずかしがらなくても……第一、ワンピースなんて面倒な服装のせいで、剥がすの大変で下着まで見る余裕なんてなかったし」
 言い訳半分、本音半分。
 必死で意識しないようにしていたのに、翠が過剰反応すると、こっちもつられてしまう。
 両手で顔を隠してじたばたしていた翠は、くるりとこちらを向いてグーパンチを繰り出した。
 それをひとつずつキャッチしていると、なんだかおかしくなってくる。
「本当にもう平気そうだな」
「……ん、もう大丈夫……ごめん。ありがとう」
 じゃ、そろそろ話題を変えるか……。
 俺は席を立ち窓を閉めてくると、翠のコートを肩からかけた。
 エアコンを入れることも考えたけれど、六畳という室内は早くにあたたまり、また同じことの繰り返しになりそうだったから。
 翠の正面に座り、
「さっき簾条たちとしてた会話、廊下で聞いてた」
 真っ直ぐ目を見て口にすると、翠はひどく驚いた顔で、肩を竦み上がらせた。
 さて、何から、どこから話せばいいだろう。
 まずはありとあらゆることの確認と、そのうえで必要なリカバリー作業をしなくてはいけない。
 俺は覚悟を決めて口を開いた。

「まず確認なんだけど……俺、付き合う際に付き合う限りは結婚まで考えてるって話したと思う。それについてはどう思ってるの?」
 てっきり、俺は賛成だから「はい」という答えを得られたと思っていた。事実、返事をもらったときには「肯定の意味の返事なのか」という確認までしている。
 でも、そこまで口にしたら翠を追い詰めることになりそうだから、そこまでは言わない。
 じっと翠の目を見ていると、翠は恐る恐る視線を合わせてきた。
「あのときの会話はちゃんと覚えているのよ……? 結婚前提で、って言われたのも、肯定の意味での返事なのかって確認されたことも全部……。ただ、本当にあのときはお付き合いするしないが一大事で、それ以上のことまで深くは考えられなくて――」
 それっていうのは、肯定の意味での「はい」ではなかったということなのだろうか。
 胸がざわりと波立つ。
 すると、翠は慌てて言葉を継ぎ足した。
「でも、だからといって、結婚前提のお付き合いに反対なわけではないのっ。ちょっと思考が追いつかなかっただけで、結婚前提のお付き合いは……嬉しい……」
 言い終えるなり、シュウ、と湯気の出る音がしそうなほどに顔を赤らめる。
「じゃ、次。それはつまり口約束の婚約ってことになるわけだけど、それについては?」
「……そこには頭も気持ちも追いついてなくて、でも、さっき言われて頭では理解していて――」
 翠は言葉を詰まらせた。
 この場合、なんと合いの手を入れたらいいものか……。
 俺は少し考え、シンプルな言葉で尋ねることにした。
「婚約には反対?」
 翠ははじかれたように顔を上げ、
「違うよっ? そういうことじゃないのっ。……えぇと、結婚前提のお付き合いっていう関係性を言葉にすると、『口約束の婚約』になることを理解したばかりで、心が追いつかないっていうか……」
 すべてを拒絶されていないことに安堵する。
 それと同時、少し納得した。
 心が追いつかない――実感がない場合、どれだけ現実味を持たせようと会食だなんだと畳み掛けたところで、そんなものはなんの役にも立たないということが。
 結婚前提の交際が口約束の婚約、それは理解していても心が追いつかない場合、どうしたらいいものか……。
 ……そもそも、なんで連想ゲームみたいになってるんだ?
 ……あぁ、俺の話の持って行き方が悪かったのか……。
 なら、改めて結婚を申し込んだらどうなる……?
 俺は自分の膝を翠の膝につき合わせ、両手で翠の手を取る。
 不思議そうな目で俺を見る翠に、
「翠、俺が高校を卒業したら正式に婚約しよう」
 今日二度目のプロポーズだというのに、翠は身を揺らすほどに驚いて見せた。
 けれど、しっかりと視線は合っていて、涙が多めなのか若干潤んだ瞳がわずかに揺れている。
「大学を卒業するまで六年かかるけど、卒業と同時に入籍しよう」
 畳み掛けるように継ぎ足すと、まるでアルコールを摂取したかのように首から上を赤らめた。
「翠……?」
 目に見える反応だけでは判断ができず、言葉を欲する。と、
「ツカサ、あの――婚約って、結婚って――」
 何を言おうとしているのかさっぱり予測ができない。
 次なる言葉を待っていると、
「お父さんやお母さんに相談せずにお返事していいものなのかなっ?」
 誰がそんな質問を想像しようか……。
 若干呆れが混じる。けど、こういうのが翠なのだから仕方がない。
「婚約するのも結婚するのも翠本人なわけだけど、この際誰に相談してもらってもかまわない。電話、したければすれば?」
 翠は視線をずらし、真面目にスマホを眺め始めた。
 本当、手のかかる……。でも、それでも好きなのだから仕方がない。
 手を掴んでいては電話もかけられないだろう。そう思って手を離すと、絶妙のタイミングで携帯が鳴り出した。
 ディスプレイに表示されるは「藤宮秋斗」の文字。
 ……勘がいいっていうか、間が悪いっていうか、邪魔っていうか――
 ふと視線を逸らすと部屋の掛け時計が目に入った。
 あぁ、年が明けたのか……。
 きっとこれは新年の挨拶の電話なのだろう。
「出れば? たぶん新年の挨拶だろ」
 そんなふうに話すと、翠は少し困った顔で通話に応じた。
「秋斗さん……? ――明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」
 本人が目の前にいるわけでもないのに、翠は丁寧に頭を下げる。そして、
「あ……えと、ちょっと前に少し具合が悪くなってしまって、佐野くんの自室で休ませてもらってたんです。――はい。ツカサが適切な処置をしてくれたので、もう大丈夫です。――え? あ、はい」
 いったいなんの話をしているのか……。
 会話内容を気にしていると、
「あっ――秋斗さん、婚約とか結婚って、お父さんやお母さんに相談しなくてもいいものなんですかっ?」
「っ――」
 思わず頭を抱えたくなる。
 確かに、誰に相談してもらってもかまわないとは言ったけど、よりによって秋兄に相談ってどうなんだよ……。
「あ、突然ごめんなさいっ」
 さすがの秋兄も不意をつかれたことだろう。ライバルながらも同情をしてしまう。
 翠が黙って携帯に耳を傾けているところを見ると、何かしらの返答を得てはいるようだけれど、果たして秋兄がどんな助言をするのかは定かではない。
 落ち着かない思いで翠を見ていると、
「え……? ――はい……」
 翠の表情は徐々に歪んでいき、しまいには「そんなのやだっ」と叫んで携帯を放り、両手で耳を塞ぎ目を閉じて塞ぎこんでしまった。
 いったい何を言われた……?
 不思議に思いながら翠の携帯を手に取る。
「秋兄、今何を話した? 翠、泣きそうなんだけど」
 っていうか、すでに目に涙が滲んでいる。
『……そうだなぁ、起こり得る未来の話をしただけだよ』
「内容は?」
『司も翠葉ちゃんも進学すれば新しい人間関係ができる。そしたら、司よりも性格の合う人が現れて、その人を好きになるかもしれないし、それは司にも同じことが――』
 そこまで聞けば十分だった。
 俺は無言で通話を切り、翠に向き直る。
「翠」
 声をかけても翠はこちらを見ない。涙を流して蹲っていた。
 もう一度名前を呼ぶも、顔を上げようとはしない。
 なんとかして泣き止ませたくて、大丈夫だからと伝えたくて、俺はゆっくりと顔を近づけ軽く触れるだけのキスをした。
 すると、びっくり眼がこちらを向く。
 耳に当てていた両手を引き剥がし、翠の聴覚をフリーにする。
「秋兄の言うことなんて気にしなくていい」
「でも――」
 不安そうに涙を零す翠に、再度口付ける。
「不安に思わなくていいし泣かなくていい。俺はこの先どんな人間と会っても翠以外の女を好きになるつもりはない。なんなら一筆書こうか? もしくは、婚約なんて手ぬるいことを言わずに、俺が高校を卒業したら入籍する? すでに貯金はそれなりにあるし、ふたりで生活するのに困らない程度の収入はある」
 そこまで言うと、翠はパチパチと二度瞬きをした。
「どうする?」
「……まだ高校生なのに、苗字が変わるのはちょっと……」
 そこかよ……。
 妙な脱力感を覚え、胡坐をかく。そして、改めて翠の言い分を反芻させるとおかしくなってきて笑みが漏れた。それはしだいに肩を震わせるほどの笑いに発展する。
 そんな俺を、翠はきょとんとした顔でじっと見ていた。
「本当に、秋兄に言われたことなんか気にしなくていい。たとえ話の合う女子が現れたとしても、それが何? 話が合うくらいで好きになったりしない。だって、俺と翠は話が合うから、性格が合うから付き合ってるわけじゃないだろ?」
 どうしても惹かれるから――
 面倒なやつ、手のかかる人間と思っても、どうしても惹かれるから。だから一緒にいる。それはたぶん、この先も変わらない。
 翠がどうかはわからないけど、自分の気持ちが変わらないことには自信があるし、何年経っても翠に執着する自分だけは想像ができる。だからこそ、「婚約」や「結婚」といったもので縛りたくなるわけで……。
 そういうの、わかってもらえないものだろうか。
 俺はもう一度翠の手を取ると、
「翠……愛してる。婚約しよう」
 翠は涙を溜めた目で、唇を震わせた。
「まだ何かあるなら全部聞く」
 辛抱強く翠の言葉を待っていると、
「私、こんな身体だし、迷惑たくさんかけちゃうだろうし、赤ちゃんだって産めるかわからない……」
 そんなこと――
「それが何? 俺にとってはなんの問題もないんだけど」
「…………」
 そんな驚くことだろうか……。
「翠、よく聞いて。俺はあまり子どもは得意じゃない。むしろ苦手だと思う。それでも、翠との子どもなら欲しいとも思う。でも、俺が一番大切なのは翠で、翠の身体に負担をかけるようなことは望まない。だから、子どもができなくてもなんの問題もないし、生涯ふたりでも俺は幸せに暮らせると言い切れる。……それでも不安?」
 翠はボロボロと涙を零し、フルフルと首を左右に振った。
「翠、もう一度言う。婚約しよう」
 翠はようやく頷いた。
「今度は心、追いついてる?」
「うん……追いついてる」
「じゃ、誓いのキス」
「え――」
 少し口を開けた翠に、俺はありったけの想いをこめて口付けた。
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