光のもとで1

葉野りるは

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第十章 なくした宝物

10話

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 涼先生はしばらくすると仕事に戻り、屋上の個室には私とハナちゃんと真白さんのみ。
「あの、今日はツカサのインターハイですよね? 観には行かれなかったんですか?」
「行きたかったんだけど、来るなって言われちゃったの」
 真白さんは苦笑して、
「男の子ってつまらないのよ」
 ツカサは見に来られたくないということだろうか。でも、蒼兄のときは見に行ったけどな……。
 少し考えたけれど、湊先生は女の子だ。でも、ちょっと規格外かな、と思う。
「ふふ、翠葉ちゃんが今考えたこと当ててみましょうか?」
「え? ……あ、いいです。自分で言います。湊先生は女の子でも規格外かな、と……」
「そうなの、湊ちゃんはちょっと規格外」
 真白さんは肩を竦めて笑う。
「それに、その場へ行かなくても応援はできるわ」
 真白さんは胸に手をあて、「心の中でね」と微笑んだ。
 こんな会話をいくつかしただけだけれど、話す様や声音、笑う表情を見て、たおやかで余裕のある人に思えた。
「長居は禁物ね」
 真白さんは椅子を立ち、ハナちゃんをバッグに入れる。
 エレベーターホールに着くと、
「翠葉ちゃんは先に九階へ戻ってもらえる?」
「え……?」
「私はこの子が一緒だから、屋上から地下までノンストップで下りなくちゃ」
「やっぱり、ハナちゃんをここへ連れてくるのって……」
「本来ならばNGよ」
 真白さんはいたずらっぽく笑った。
「涼さんが珍しくこんなワガママ言うから困っちゃったわ」
「真白さん、困った顔してないです」
 クスクスと笑いながら突っ込むと、
「だって、ハナの反応や翠葉ちゃんと遊んでいるところを見ちゃったら、困ったなんて言えないわ。ハナに翠葉ちゃんを会わせてあげられて良かったとも思うし、涼さんが会わせたいって思う気持ちもわかっちゃったから。……さ、乗りなさい」
 背中を押され、エレベーターに乗り込む。
「またいつか、ハナと遊んであげてね」
 真白さんが言い終わるのと同時に扉が閉まった。

 エレベーターが九階へ着いてもなんとなく病室へは戻りたくなくて、携帯ゾーンのソファにコロリ、と転がる。
「動物と遊ぶのなんていつ以来だろう」
 手に残るハナちゃんの毛並みを思い出しながらふふ、と笑う。
「あ、でも、手は洗わないとだめよね」
 自分の手を見てはルームウェアを見る。
「くっ、毛だらけ」
 そんなことすらおかしくて、ひとりでずっと笑っていた。
 誰かに見られていたら、きっと怪しい人だと思われことだろう。

 病室に入る手前にある洗面台で手を洗い、濡れてしまった包帯をほどいてからカイロを取り出した。それから新しいルームウェアを取り出し、四苦八苦しながら着替えを済ませる。
 一番苦労するのは左手に刺している点滴を袖に通すことで、それ以外は割りと普通に着ることができる。ただ、ボタンを留めるのは少しつらかった。
 指先が痛む。でも、このくらいなら平気……。
 時計を見れば二時前。まだ試合結果は出ていない。
 起きていたいのに、身体が「NO」と言う。
 また、突如襲ってくる眠気だ。この眠気にはどうがんばっても逆らえる気はしないし、逆らってはいけない気がした。
「寝たほうがいいんだろうな……」
 仕方なくベッドを倒して横になる。
 どのくらい眠ってしまうのだろうか……。
 少し不安に思うものの、薬を使わずに、こんなにストンと眠れることがひどく懐かしく思え、その睡魔に身を委ねることにした。


 目が覚めたときには五時を回っていた。
 もう試合結果は出ている。
 私は携帯を持って病室を出た。
 ナースセンターで栞さんに、
「電話?」
 訊かれてコクリと頷く。
 携帯ゾーンまでくると、電波マークが問題なく表示された。すると一件のメールを受信した。
「佐野くん……」


件名 :一応入賞
本文 :三位だったー。
   くっそー、一位とりたかった!


「すごいっ!」
 入賞したんだ。
 おめでとう、と心から思う。
 けれどもそれ以外の情報はない。ツカサからのメールも電話もない。
 五時過ぎといったら閉会式も終わり帰途についているころだろうか。
 移動には電車を使っているのかな、バスかな……。
 ツカサのことをあれこれ考えていると、真白さんたちにツカサの話を訊くことは可能だったのだな、と気づく。でも、それをしなかったのは、私がツカサと会って話してツカサを知りたいと思っているからだろうか……。
 相馬先生やツカサ、桃華さんと話したことが鮮明に思い出される。
 ――「百聞は一見にしかず」。
「むしろ、何も聞かなくて良かったかもしれない……」
 ふ、と笑みが浮かぶ。
 帰ってきたら病院まで来てくれると言っていた。それならおとなしく待っていよう。
 そう思って病室へ戻ることにした。
 振り返り様、藤山の上にある西日を見る。
「五時じゃまだまだ明るいね……」

 病室へ戻ると栞さんがやってきて、「シャワー浴びる?」と訊かれた。
 確か、昨日も入浴はしたはずだけど……。
「具合がいいならいいわよ。相馬先生もそう仰ってるから」
「それなら入りたいです」
 言うとすぐに、点滴を外す準備をしてくれた。
 その間に私は内緒話を試みる。
「内緒なんですけどね、今日、涼先生が真白さんとハナちゃんを連れてきてくれました」
「涼先生ったら……。でも、ハナちゃん吼えなかった?」
 そう言われて、本当に吼える子なんだな、と驚く。
「それが一度も吼えられなくて、涼先生と真白さんに驚かれちゃいました」
「私なんて未だに吼えられるのよ」
 栞さんが珍しく苦笑する。
「すごく毛並みがきれいで、膝の上で丸くなって寝てるのがかわいかったです」
「良かったわね」
 お風呂へ行く前処置がすべて終わり、お風呂グッズを持ってお風呂に向かった。
 相馬先生に車椅子には乗らなくていいと言われてからは一度も乗っていない。ただ、お風呂のあとには少し不安があり、栞さんが「念のためにね」と車椅子を押しながらバスルームへ向かう。

 この時間は藤原さんがいたときと変わらない。私がシャワーを浴びている間は栞さんがバスルームの外で待機していてくれる。
 私はというと、少しだけ短くなった髪の毛と格闘しつつのバスタイム。
 腕の筋力が落ちているせいか、やっぱり髪の毛を洗うのはつらかった。
 シャワーの温度を少しぬるめに設定すると、少しだけ身体が楽になる。
 血管が収縮して血圧が少し上がるからなんだろうな……。
 そんなことを考えながら身体を洗い、顔を洗ってシャワーを止める。
 多少の眩暈は感じるものの、先日のようなひどいものではなく、バスタオルに包まり、包まることで身体の水分を拭き取るような、そんな横着をした。
 座ったまま下着や洋服に手を伸ばし、どこまでも横着を続ける。
「大丈夫?」
 栞さんの問いに、
「疲れました……」
 正直に答えると、クスクスと笑いながらカーテンが開けられ、
「シャワーだけとはいえ、疲れるわよね」
 右腕を支えられ、車椅子に引き上げられる。
 濡れた髪の毛はタオルで包んだまま病室へ戻り、二枚ほどバスタオルを敷いた上にゴロンと横になると、栞さんが丁寧に髪の毛を乾かしてくれた。
 その心地よさにまたうとうとしてしまう。
「夕飯、もう少しあとにする?」
「あ……でも――」
「身体が睡眠を欲してるときは寝ちまえ」
 これは間違いなく相馬先生。
「散々痛みに耐えてきた身体なんだ。その反動が鍼やカイロの効果で出始める。頭が痛かったりしないか?」
 なんでわかるのかな……。
「少しだから大丈夫です」
 そう答えると、相馬先生の大きな手が近づいてきて、額に手を当てられた。
「変化は?」
「……あの、これ――なんですか?」
 額に先生の手が乗せられただけなのだ。なのに、すーっと痛みが引いていく。
「多少は楽になるんだな?」
「はい」
「額に手を当てて楽になる頭痛はストレスや疲れからきてるものが多いんだ」
 そうなのね……。
「だから、一時間くらい寝ちまえ」
 栞さんに合図をしたのか、病室の照明が落とされた。
 私はすぐ眠りに落ちたけれど、その瞬間まで先生はずっと手を乗せていてくれた。
 これが本当の「手当て」なのかな……。


「翠葉ちゃん、起きられる?」
 栞、さん……?
 あ――目を開けてびっくりした。
「おはようございます……」
 まだここに栞さんがいることに慣れていなくて、一瞬自宅にいる気がしてしまったのだ。でも、紛れもなくここは病院で――
「夕飯はカボチャのシチューにしてみたのだけど」
 と、トレイをテーブルに置かれる。
「食べられそう?」
 少し前までは本当に匂いがだめで何も食べられる気がしなかったのに、今はどうしてか大丈夫。
「法則みたいなものがあるのよ」
 栞さんが教えてくれた。
 どうやら、それは藤原さんが見つけ出してくれたものらしく、とにかく柑橘類の一切を裂ける、というものらしい。
 実際に、柑橘類に属するものは何も出てきておらず、脂っこすぎるものも出てはこない。そして、今日は入院してから初めてのパンが出た。
「これ、もしかして……」
「うん、家で焼いてきたパン」
 そこへ、「腹減った~……」と昇さんと相馬先生が入ってきた。
「昇と相馬先生も一緒にここでご飯にしていいかしら?」
 栞さんに訊かれてコクリと頷く。
 ふたりは応接セットの方へ行き、栞さんが持ってくる夕飯を待っている。まるで、口を開けたヒナ状態。
 大柄なふたりがそんな調子であることがとてもおかしかった。
「嬢ちゃん、ご機嫌だな?」
「はい」
 返事をすると、相馬先生は柔らかな笑みを見せてくれた。
「警戒されてたのが解けるっていいもんだな」
「でも、警戒していたのはお互い様、ですよね……?」
 先生は、「まぁな」と笑った。
 ただひとり、昇さんだけが面白くなさそうな顔をしている。
「こんな早くに打ち解けるとは思ってなかったぞ」
「わかるやつにはわかんだよ」
 相馬先生がケラケラと笑うと、栞さんが戻ってきて四人でのご飯になった。
「栞さん、朝からずっとお仕事で疲れない……?」
 訊くと、栞さんが答えるより先に相馬先生口を開いた。
「嬢ちゃん、その気の回しっぷりは少し休まねぇか?」
「……その前に、相馬先生。私、嬢ちゃんって名前じゃないです」
「あ゛?」
「私の名前は御園生翠葉っ」
「おぉ、そうだったか?」
 まるで今知ったとでも言いそうなリアクションをする。
 けれども、そのあとにはきちんと名前を呼んでくれた。「じゃ、スイハな」と。
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