光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
925 / 1,060
Side View Story 14

49~53 Side 司 04話

しおりを挟む
 洗面所に入れられて、すぐにドライヤーを手に取れたわけじゃない。
 翠がリビングではなく玄関へ向かったから、一瞬あとを追いそうになった。
 そうしないで済んだのは、カサリ、とビニール袋を拾い上げる音が聞こえたから。
 音はカサカサ、という小さなものへ変わり、洗面所の前を通過した。
 翠は買ってきたものを取りに玄関へ行っただけだった。
 どれだけ臆病になっているのか、と自分にうんざりする。
 手早く髪を乾かし洗面所を出ると、部屋のカーテンが開けられており、室内の照明が点けられていた。
 廊下から見える位置に翠はいない。
 歩みを進めると、ダイニング手前にあるキッチンにいた。
 キッチンの奥を見て、なぜか首を傾げている。
「翠?」
 声をかけると、
「髪の毛、ちゃんと乾かさないとだめだよ?」
 言いながら振り返り、俺の頭をじっと見て「あれ?」という顔になる。
 翠の考えていることを察し、
「翠の髪を乾かすほど時間はかからない」
 何を口にしたわけでもなかったが、翠は納得したように見えた。
 翠は買ってきたであろう飲み物をカップに半分ほど注ぐと、水道の水を足そうとする。
 俺は無言でその動作を止めた。
 水道のレバーを閉めると、
「え?」
 翠が不思議そうに俺を見上げる。
「そこに電気ケトルあるから、足すならお湯にして」
「あ、うん……」
 飲み物を薄めるのは相変わらずか……。
 そんなことを思いながら、翠が電気ケトルに水を入れる姿を見ていた。

 リビングへ移動すると、翠がビニール袋から買ってきたものをひとつずつ取り出す。
 俺の前にはブラックの缶コーヒーとサンドイッチがふたつ。翠の前にはサンドイッチがひとつ置かれた。
「サンドイッチじゃなくておにぎりのほうが良かった? 昨夜、何を食べたのかまでは考えてなかったの」
「いや、いい」
 さっきキッチンで首を傾げながら見ていたのは、昨日食べたピザの箱だったのかもしれない。
 ひらり、とテーブルに落ちたレシートに手を伸ばす。と、それにはこのテーブルにあるものがすべて記載されていた。
「これ、会計が全部一緒なんだけど……。まさか翠が払ってたりしな――」
「あ、違うの」
 珍しく、言葉の途中で遮られた。
「コンビニには唯兄がついてきてくれて、買うものも全部決めて支払いも済ませてくれたの。だから、私が買ったわけでもなければツカサのお財布も開けてないよ? あ、これ、ツカサのお財布」
 俺の財布はサンドイッチの隣に並べられた。
「……今、唯兄に貸しを作った、って思った?」
 きょとんとした顔で訊かれたが、やけに察しがいい。
「なんで……」
「……なんとなく? そんなふうに見えただけ」
 少し嬉しそうに言ったあと、
「あ、唯兄から伝言。『こんなんでも貸しは貸しだからいつか返せよバーカ』って」
 翠はあからさますぎるほどの棒読みで伝言を口にした。
 棒読み以前に息継ぎがなかった。
 決して似ても似つかない声音に口調。
 だけど、唯さんがそれを言っている様なら安易に想像できる。
 まるで、生霊でも飛んでいるかのようにあの顔が脳裏に思い浮かぶから最悪……。
 この場には俺と翠しかいないはずなのに、急に唯さんに割り込まれた気がした。
 若槻唯こと、御園生唯芹――
 秋兄に気に入られ、さらには部下として数年働いている時点で変人決定なわけだけど、それにしても規格外すぎる。
 それは仕事における知識やスキル以外の部分においても。
 御園生家になんの違和感もなく溶け込んでいることとか、灰汁の強いうちの生徒にさらっと馴染み紛れ混んでいることとか。
 何をもってしてもおかしいとしか言いようがない。
 俺よりもあとに出逢っていながら、今は俺よりも翠との距離が近い人物。
 そして、翠のこと一点をついて俺で遊ぼうとしてみたり、情報を与えてみたり……。
 何がしたいのかわかりかねる。
 そんなことを考えていると携帯が鳴りだした。
 ディスプレイには「御園生」と表示されている。
「はい」
『あ、司?』
 このタイミングで連絡が入るとは思っていなかったが、この人にも謝罪はするべきだと思った。
 今度こそは何を言われる前に先に謝ろう。
「お手数をおかけしてすみませんでした」
 言葉は思っていたよりもすんなりと出てきた。
『いや、それはかまわないんだけど……。今、翠葉は?』
 御園生さんが翠のことを気にかけるのはいつものことだけど、この時点ではなんの用で電話をかけてきたのかに気づけなかった。
「目の前にいます。……代わりますか?」
『いや……なんか訊いた?』
 こちらをうかがうような訊き方だった。
 何か、って……?
 妙な胸騒ぎがして翠に視線を向ける。
 翠は眉根を寄せ怯えたような表情をしていた。
『やっぱり自分じゃ言わないか……。翠葉、昨夜一睡もしてないんだ』
 テーブル上に置かれていた翠の携帯に手を伸ばし数値を見る。
 バイタルといっても携帯に表示されるのは簡略的なものだから細かいことはわからない。
 血圧数値はいつもどおり低く、今はそれより心拍の乱れのほうが目立って見えた。
『不整脈が出てる。本人も自覚してるし学校は休むことになってるから。それだけ伝えておこうと思って』
 かなりの頻度で脈が跳ぶ。
 ここまでひどければ、嫌でも心臓の動きに違和感を覚えるだろう。
「すみません……」
 ほかに言える言葉がなかった。
 こんな体調でここへ来たのは、俺がここにいたからほかならない。
『……なんというか、司が謝る必要はないと思う。そこに戻るって決めたのは翠葉だから』
 信じられない思いで翠に目をやる。
 今、御園生さんは「そこに戻ると決めたのは」と口にした。
 それはつまり、さっき一階に下りたとき、少なからずとも選択の余地があったということで――
 ……本物のバカなのか?
 心配症の御園生さんとあの唯さんが、こんな状態の翠を反対もせずにここへ残したとは思いがたい。だとしたら、翠は自分の意思で戻ってきたことになる。
『因みに、昨夜は何も食べてない。今朝もスープを少し飲んだ程度。唯がサンドイッチ買ったみたいだけど、食べてなかったら食べるように勧めてくれると嬉しい』
「わかりました」
『バスに乗れそうになかったら迎えに行くから。何かあれば連絡して?』
「はい……」
『じゃ、頼んだ』

 自分の携帯を放り、しばらく翠のバイタルを見ていた。
「本当にバカだろ……」
 今朝になって何度口にしたかわからない言葉は自然と口から漏れ出ていた。
「……ツカサにお財布渡されなかったら、唯兄たちと一緒に帰るつもりでいたもの」
 翠は口を尖らせしどろもどろに言う。
「それ以前の問題。こんな時間にここへ来る必要はなかっただろっ!?」
「だって、ツカサが学校へ来るかなんてわからなかったし――」
「こんなことくらいで休まない」
「そんなこと私にわかるわけないでしょうっ!?」
「わかれよっっっ」
 翠がぐ、と口を引き結ぶ。
 そのあと、「じゃぁ」と押さえるように静かに話し始め、
「百歩譲ってわかったとして、学校で会ったら話してくれたっ? さっきの話、全部話してくれたっ? 私、学校では話してくれないと思った。まるで知らない人に接するように対応されるんじゃないかと思った」
「怒鳴り返す」という言葉がぴったりな話しぶりだった。
 しかし、さっきから何度となく翠に怒鳴られていることもあり、とくに動じることはない。
「いずれにせよ、話す必要はあった」
 淡々と返すと、
「……ごめん。私、余計なことしたみたい。帰るっ」
 俺を睨んでいた視線をす、と逸らし、翠は一気に立ち上がった。
 バカッ――
 携帯を放り、翠の元へ駆け寄る。
 瞬発力のみでそこに到達した。
 間一髪で支えられたから良かったものの、このまま倒れていたら痣くらいはできていただろう。
 さっきも翠の鼓動を感じられる距離にいたけれど、あのときは自分のことでいっぱいで、自分の心拍にしか意識がいかなかった。
 でも、今はしっかりと翠の鼓動を感じることができる。
 携帯で見たとおり、心拍はひどく乱れていた。
「正真正銘のバカだろ……」
 支える腕に力がこもる。
 こんな身体で何やってるんだ……。
「短時間で何度同じ過ちを繰り返せば気が済む?」
 心配なのに苛立ちがそれを上回る。
 翠の体調に対してはいつも心配と怒り、苛立ちが入り混じる。
 こんな言い方をしても翠に伝わるわけがないのに。
 ……わかっているのに俺は何度同じことを繰り返す?
 そう思うなら、いい加減自分もどうにかするべきだ。
「さっきも言ったけど……翠が自分を粗雑に扱うと、俺は自分を制御できないくらいに腹が立つみたいだ」
 少し間はあったものの、翠からは反論が返ってきた。
 声を発することができる。意識があることにほっとする。
「……私は自分を大切にしてないわけじゃない。ただ、自分以上に大切なものがあるときは仕方ないと思う」
「……その、『自分以上に大切なもの』がいくつあるのか教えてくれないか?」
「……え?」
 その対象が俺だけなわけがない。
 今回がたまたま俺だっただけで、秋兄がこんな状況になっても、クラスメイトがこんな状況になっても、翠は駆けつけられる限り駆けつけるだろう。
「自分より優先するものがひとつふたつなら認められなくもない。でも、翠のは違う気がする。自分より上位に家族や友人、周りにいる人間全員載せてないか?」
 腕の中で、翠がビク、と動いた。
 それは、俺の言葉を認めたも同じ。
「それで自分を大切にしていないわけじゃない? 笑わせるなっ」
 何度言えば理解するのだろうか。
 自分を大切にすること、命がどれほど大切なものなのか、どう話したら翠に伝わるのか。
「……翠はいつになったら自分を赦す? 俺には自分を赦せって言ったくせに、自分のことは棚に上げるのか?」
 ゆっくりと身体を離し、翠の顔を覗き込む。
 翠は声を殺して泣いていた。
 目から大粒の涙をいくつもいくつも零し、唇を震わせて。
 そうやっていったい何を堪えているのか……。
 俺は再度問いかける。
「翠はいつになったら自分を赦す?」
 潤んだ目はひどく動揺していた。
「わ、から、ない……」
「……俺はたぶん、あまり気が長いほうじゃない。でも、この件――翠のことだけは待つつもりだから」
 今のところ、翠は自分を赦すつもりなどないのだろう。
 でも、時間が経ったら何か変わるんじゃないか、と願う自分がいる。
 翠が何に戸惑っているのかは知っている。
 けど、それは俺がどうこうできるものではない。
 翠が自分を認めない限り、乗り越えることはできない。
 だから、待とうと思う。俺が待てる間は……。
 ただ、「待つ」に徹することは難しそうだけど――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...