村上春樹「街とその不確かな壁」を読んで発達障害者として思うこと。

星名雪子

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村上春樹「街とその不確かな壁」を読んで発達障害者として思うこと。

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今年の春に発表された村上春樹6年ぶりの長編最新作「街とその不確かな壁」

久しぶりに手に取った分厚いハードカバーの本はとても重みがあり、ずっしりとしていた。普段、私はハードカバーの本を買わない。高額なのと大きくて重いので読みにくいからだ。

村上春樹の長編小説は全て読破しているのだが、それでも普段はハードカバーから単行本になるまで買うのを我慢している。今作もそうするつもりだったのだが、幸運なことに誕生日プレゼントとして買ってもらうことができた。

とにかく分厚いので読了までに相当な時間がかかることを予想していたのだが、村上春樹特有の読みやすい文体のおかげでわりと早く読了することができた。

大まかなあらすじはこんな感じだ。

17歳の主人公「ぼく」と16歳の「彼女」は互いを想い合っていた。「彼女」は「本物のわたしは壁に囲まれた遠くの街で全く別の生活をしている」という不思議な話を「ぼく」にする。そんなある日「彼女」が「ぼく」の前から姿を消してしまう。長く空虚な日々を送り、45歳になった「私」はある日突然、自分が見知らぬ街にいる事に気づく。そこはかつて「彼女」が語っていた「壁に囲まれた遠くの街」だったー

現実と非現実が交差する、村上春樹にしか表現できない独特な世界観の物語である。

この作品には中盤ら辺からサヴァン症候群の少年が登場する。彼はビートルズのイエローサブマリンのヨットパーカーをいつも身につけているので「イエローサブマリンの少年」と呼ばれている。(村上春樹の小説では名前のない人物が登場することはよくあるし、少年以外の人物も殆ど名前は明かされていない)

因みにサヴァン症候群とは「重度の精神障害・知的障害を持つ人に見られる、ごく限られた特定の分野において突出した能力を発揮する人や、その症状のこと」である。「イエローサブマリンの少年」も他者とのコミニュケーションは殆ど取れず、意思表示を行う際は簡単な文章と筆談でこなす。家族は両親と二人の兄。家族との会話もまともにできず、過保護な母親の意向で学校には行かず毎日、街の図書館に通っている。

そんな彼が得意とすることは二つ。ひとつは「誕生日の曜日を当てること」だ。どういう事かというと、初対面の人に「誕生日はいつ?」と聞き「◯月◯日」と答えたら瞬時に計算し「◯曜日」と正確に言い当てることができるということ。この「誕生日はいつ?」という質問が、彼にとっては初対面の挨拶代わりなのである。

(全くの余談だが、今放送中の夏ドラマに「何曜日に生まれたの?」という作品があって毎週見ているからか勝手に『タイムリーだなぁ』なんて思ってしまった)

もうひとつは「読書」である。45歳になった主人公はある小さな街の民間図書館の館長に就任するのだが、その図書館に毎日訪れ、朝から夕方まで食事も取らず、脇目も振らずに一心不乱に、しかも驚異的なスピードで本を読み続けているのがこの少年なのだ。しかも、本を読むだけではなく、一度読んだ本の内容を全て正確に記憶することができるという驚くべき才能を持っている。

しかし、現実世界で彼はこのふたつの才能を十分に発揮できずに生きづらさを抱えている。物語の中で彼が「生きづらい」と不満をはっきりと口にする場面があるわけではないが、彼と接点を持った主人公が「彼はきっとこの世界には自分の居場所がないと思っているに違いない」と感じる場面があるのだ。

そのことと、主人公の「彼女」が語る「壁に囲まれた街」と一体どういう関係があるのか?

「壁に囲まれた街」には図書館があり「古い夢」と呼ばれる卵の形をした本(のようなもの)が並んでいる。それを読むのが「夢読み」と呼ばれる特殊な才能を持った者だ。この「夢読み」は読むスピードと内容を正確に把握する能力が求められる。この街に欠かせない重要な職業である。また、この街で暮らすには自分の「影」を引き離されなければならないという掟がある。引き離された「影」は別の場所で全く違う人生を送る。

45歳になった主人公はある日突然、その街に迷い込み「影」と引き離され「夢読み」の仕事に就くことになる。その「夢読み」のサポートをしているのが、かつて想い合っていた16歳の「彼女」なのである。

現実世界で主人公からこの「壁に囲まれた街」の話を聞いた(又聞きなのだが)「イエローサブマリンの少年」はこの世界に非常に興味を持つようになり、主人公に自分からコンタクトを取る。そしてある日、主人公に「自分はその街に行かなくてはならない」と、辿々しい言葉で決意表明するのだ。

彼がどうして「壁に囲まれた街」に行く必要があると思ったのか?それは「夢読み」の仕事こそ自分の「天職」だと感じたからだ。長らく出版社で働き、沢山の本に携わって来た主人公でも「夢読み」の仕事を完璧にこなすのは非常に難しいという。その点、現実世界で驚異的なスピードで本を読み続け、しかもその内容を正確に記憶することができるという才能を持った「イエローサブマリンの少年」にとって「夢読み」の仕事は容易いことなのだろう。

結果的に彼は「壁に囲まれた街」に行き「夢読み」の仕事に就くことに成功するのだが、言葉や態度が明瞭になり、人との会話ができるようになり、現実世界の彼の姿を知っている主人公が驚くほどに生き生きと過ごしている。

つまり「イエローサブマリンの少年」は自分の居場所や役割を「壁に囲まれた街」の中に見出すことに成功したのである。

障害の種類は違えども、同じく「生きづさらさ」を抱える身として私は「壁に囲まれた街」で彼が生き生きと過ごしているのをとても嬉しく思った。まるで自分のことのように。

しかも、彼は「壁に囲まれた街」で「夢読み」の仕事をする主人公と一体化することにより、現実世界で蓄えた膨大な本の内容を脳内で主人公に読ませることもできるようになった。彼自身がそのままひとつの自立した図書館……つまり「究極の個人図書館」になったのである。この街には「本」も「音楽」も存在しない。だから、彼が現実世界で行っていたことにも全て意味があり、この街と主人公にとって重要な役割を果たすことになったのである。

現実世界から「イエローサブマリンの少年」はまるで神隠しに遭ったように忽然と姿を消してしまった。両親と二人の兄が必死になって行方を探すが、当然見つかるわけはない。その様を主人公は「まるで何かの埋め合わせをするみたいに」と語っている。この言葉の裏にあるのはつまり「それまで彼にきちんと向き合って来なかったことに対する家族のうしろめたさ」みたいなものがあるのだろう。

人は身近な存在であればあるほど、いなくなってからその存在の重さ、大切さに気がつく。そうならない為に常に周りの人達……特に家族には優しく在りたいと思う。

私は今、公私共に自分の居場所を見つけて有意義な毎日を過ごしている。が、もしも「イエローサブマリンの少年」のようにこの世界に自分の存在意義を見出せなかったとしたら。また、そんな時に「壁に囲まれた街」の「夢読み」のように、自分の得意なことを最大限に活かせる世界があると知ったら……一体どう思うだろうか?

私も彼と同じように「その世界」に興味を持ち、行ってみたいと思うかもしれない。「その世界」こそが「自分の居場所」だと思うかもしれない。

また、こうも考える。

「壁に囲まれた街」に住む人々は皆「影」を持たない。その「影」は現実世界で全く別の人生を生きている。つまり、かつて主人公が想い合っていた「彼女」は「影」の存在であって「彼女」の「本体」は「壁に囲まれた街」で「夢読み」のサポートをしているし、また主人公も同じく現実世界の小さな街の図書館館長をしている「私」は主人公の「影」に過ぎない。(これはあくまでも私の解釈だが)

もしかしたら、今ここに生きている私だって、私自身の「影」に過ぎないのかもしれない。「本体」は何不自由なくのびのびと過ごせる全く別の世界で生きているのかもしれないのだ。

それは一体どんな世界なのだろう?
壁に囲まれているのだろうか?

いや、逆に壁など何もなく皆が平等に笑って暮らせる世界なのかもしれない。

そんな妄想は現実逃避とも捉えられるかもしれない。でも、そんな世界があるのなら私はぜひ覗いてみたいし、この世界に自分の存在意義を見出せない人達がいるなら、ぜひ見せてあげたいと思う。

村上春樹が一体どういう思いでこの物語を書き上げたのかは分からないし、解釈も人それぞれだろう。(彼の作品は基本的に読み手の解釈に委ねられる)しかし「人と違う」自分にとって非常に考えさせられる作品であったことは間違いないし、もしかしたら今まで読んだ村上春樹の作品の中で3本の指に入るぐらい好きかもしれない。

「イエローサブマリンの少年」が「壁に囲まれた街」で自分らしく生きる姿に、少しだけ勇気をもらったのであった。
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