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第10話
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その一週間後。いよいよ桜まつりの日を迎えた。ヤヨイ様は宣言した通り、満開の花を咲かせた。
太陽の光が燦燦と降り注ぐ青空の元、桃色の鮮やかな花々を咲かせるヤヨイ様は僕が今まで見た中で一番の美しさだった。長い冬と季節外れの大雪を耐え抜いて生き残った健気なつぼみ達。伸び伸びと、また堂々と花開いていた。
たんぽぽや菜の花といった色とりどりの花が彼女の周りを鮮やかに彩り、それはまるで彼女のために用意されたステージのようだった。春の草花というスポットライトを浴びるヤヨイ様は、まるで主演女優のように美しい。僕はその気持ちをそのままヤヨイ様に伝えた。すると、ヤヨイ様は少し照れたような口調でこう言った。
『まぁ、咲人はいつの間にそんな口説き文句を覚えたんだい?』
『口説き文句ではないですよ。本当にそう思ったんです』
『そうかい、ありがとうね』
ヤヨイ様はふふっと笑うと嬉しそうに言った。桜まつりの準備に続々と訪れた村長と村人達はヤヨイ様の見事な姿に目を奪われていた。感激して泣いている人もいる。村長もその一人だった。
「なんと……!美しい……!」
「こんなにも素晴らしい姿を見られて私は幸せ者だわ」
「ヤヨイ様、最高だぜ!」
仁哉を始め、皆の口の動きを読み取ると、そう言って感激しているようだった。
『どうもありがとう、こうして元気に花を咲かせることができたのはあんた達のおかげさ。本当に嬉しいよ』
ヤヨイ様の声は少し震えていた。泣いているようだった。村長、村人達とヤヨイ様の絆の強さを改めて実感した瞬間。僕もまた胸が熱くなり、涙が零れたのだった。
その後、僕達は順調に準備を進め、いよいよ桜まつりが開催された。これから一週間、村人達はヤヨイ様との交流を楽しむことができるのだ。「このまつりを絶対に成功させる」桜の旅人として、僕の心も燃えていた。
近くの広場には村人達が用意した屋台や縁日が立ち並ぶ。綿あめ、りんごあめ、チョコバナナといった甘味系や、焼きそば、お好み焼き、フランクフルトなどの総菜系も沢山。金魚すくい、スーパーボール、ヨーヨー釣り、射的や輪投げといった遊び系のものもある。村の子供達は目を輝かせながら屋台と縁日を見て回っていた。
僕はヤヨイ様と村人達の橋渡しをするため、桜まつり期間中はずっとヤヨイ様の近くにいる。村人達から何かヤヨイ様に伝えたいことがあれば僕がそれを聞いて、ヤヨイ様に伝える。ヤヨイ様から返答があればそれを村人に伝える。そういう役割だ。
彼女の周りにはカメラを構えた多くの村人達がいた。人々は皆、満面の笑みを浮かべながら、ヤヨイ様の美しい姿に見惚れていた。中には記念に家族写真を撮影している人達もいた。村人達がヤヨイ様の姿を鑑賞する邪魔にならないよう、僕は一歩引いたところで見守っていた。
すると、1組の家族の様子が僕の目に飛び込んできた。父親、母親、そして小さな男の子だ。まだ歩き始めたばかりのようで、足元はおぼつかない。男の子はヤヨイ様を見上げて両手を上下に動かし、満面の笑顔ではしゃいでいた。それを見守る両親の笑顔は慈愛に満ち溢れていた。僕の足は自然とその親子の方へと向かっていた。僕が近寄ってきたのを見て、両親はにこりと笑うと会釈をしてくれた。
(良かったら記念に撮影しますよ)
そういう意味を込めて、写真を撮るジェスチャーをした。すると、両親は顔を見合わせて嬉しそうに微笑むと、手に持っていたインスタントカメラを僕に手渡した。そして、父親ははしゃぎ回っている小さな男の子を優しく抱き上げると母親の側へと寄り添った。僕はカメラを構えると、片手を上げて分かりやすいように指でカウントを取った。
『よし、じゃあ少し演出してあげようかね』
楽しそうにそう言うと、ヤヨイ様は親子の頭上にある枝を少し揺らした。はらはらと花びらが舞い、男の子が嬉しそうに手を叩いている。シャッターを切る瞬間、男の子が笑いながらこちらに顔を向けた。最高の家族写真だった。カメラを返すと、母親はにこりと笑いながら軽く会釈をした。父親に抱き上げられた男の子は手の届くところに桜の花びらがあることに驚き、目を輝かせていた。その小さな両手を懸命に伸ばして花びらに触れようとしていた。ヤヨイ様が優しい口調で言った。
『まぁ、坊や。花びらに触りたいのかい?』
すると、不思議なことが起こった。男の子がまるでヤヨイ様に応えるように、うんうん、と首を縦に振ったのだ。ヤヨイ様の声は僕にしか聞こえないはずだ。ヤヨイ様も男の子の様子に気が付いたようで少し驚いたような口調で言った。
『……坊や、もしかして、私の声が聞こえるのかい?』
すると、男の子は再び、うんうん、と首を縦に振った。そして、まるでヤヨイ様の声に応えるように両手を叩いてにこにこと笑った。
『……咲人、びっくりすることが起きたよ。この坊やは私の声が聞こえるんだって。まだ言葉は話せないが、だあだあ、とかきゃっきゃっとか言いながら必死に何かを伝えようとしてくるんだよ』
『そうなんですか⁈それは凄いですね!』
『ああ、まさか咲人の他にも話せる子がいるなんてね!』
ヤヨイ様はとても嬉しそうだった。僕は心にふっと浮かんだ疑問をそのまま口にしてみた。
『……この子は耳が聞こえないんでしょうか?』
『……いや、そういう訳じゃあなさそうだよ。両親の言葉にもきちんと反応している』
『そっか……それは良かったですね』
何だか心の中がじんわりと温かくなったような気がした。僕はリュックからノートを取り出すと、ヤヨイ様と男の子のやり取りを急いで筆記し、両親に見せた。両親は目を丸くしてとても驚いていた。顔を見合わせて嬉しそうに笑っていた。
『ヤヨイ様、男の子に花が咲いている枝を一本あげても良いでしょうか?』
『ああ、構わないよ。さっきからずっと手を伸ばしてるんだけど、なかなか届かないみたいだからね』
『ありがとうございます』
僕は自分の手の届く距離にある枝を1本そっと折ると、男の子に差し出した。男の子は目を輝かせながらその枝を受け取った。桃色の可憐な花が2、3つ付いているものだ。男の子を抱いている父親が優しい笑顔を浮かべて僕に頭を下げた。僕は微笑むと、男の子の頭を優しく撫でたのだった。将来、この子はもしかしたら、僕と同じ桜の旅人になるのかもしれない。そう思うと、何だか心が温かくなったのだった。
その翌日、僕はヤヨイ様の下で仁哉とお昼ご飯を食べていた。仁哉が作ってくれたおにぎり、それから焼きそばと、屋台で買ったフランクフルトなども食べた。
「ヤヨイ様がこんなに凄い花を咲かせてくれて本当に良かったよな」
(そうだね。仁哉が頑張ってヤヨイ様を守ってくれたもんね)
「いいや、俺は何もしていない。お前が頑張ったんじゃないか」
すると、ヤヨイ様が言った。
『咲人、仁哉。あんた達二人のおかげだよ。二人とも本当に優しい子だよ。ありがとうねえ』
僕はヤヨイ様の言葉をそのまま仁哉に伝えた。彼は照れくさそうに笑った。
「あの時、お前が俺をいじめから助けてくれたこと。本当に感謝してるんだ」
(仁哉……)
「お前がいてくれたから今こうしてヤヨイ様とお前と幸せな時間を過ごすことができてる。お前に助けてもらわなければきっと俺は今頃この村にもいなかっただろうな。お前をいじめてたあいつらと同じで、さっさと上京してたと思う。そんで、東京で羽目外してさ、警察の世話になったりしてたかもな」
仁哉はそう言うと、顔を上げて遠くを眺めた。彼が選択しなかったもうひとつの人生について思いを巡らせているように思えた。
「咲人、本当にありがとな。まぁ恥ずかしいからこういう時ぐらいしか言えねえけどさ」
『仁哉、素直な思いを伝えるってのは素晴らしいことだよ。確かに照れくさいかもしれない。だけど、それを受け取る相手はとても嬉しいもんさ。ねぇ、咲人?』
『うん。そうだよね。ヤヨイ様の言う通りだよ』
僕はヤヨイ様の言葉を仁哉に伝えた。彼はそうだなと言って嬉しそうに笑った。そして、こう言った。
「あぁ、いつまでもこうしていられたらいいのにな。この先もさ、こうしてずっとヤヨイ様とお前と村のみんなとさ……」
仁哉の表情はとても寂しそうだった。はっきりと口には出さないけれど、ヤヨイ様の命がもう長くはないことを悔やんでいるのだ。僕も同じ気持ちだった。無性に胸が苦しくなって僕は胸元をぎゅっと掴んだ。ヤヨイ様もきっと同じ気持ちだろう。
広場では村の子供達が楽しそうに走り回っている。あの子達はまだ知らないのだ。この桜まつり……いや、ヤヨイ様の命がもうすぐ終わりを迎えようとしていることを。
その後、天候にも恵まれ、桜まつりは順調に開催を続けていた。しかし、ヤヨイ様の姿は日に日に弱っていた。それでも楽しんでいる村人達を悲しませないようにとヤヨイ様は咲かせた花を何とか保とうと懸命に踏ん張っていた。それでも、花びらは少しづつ散っていく。村人達もヤヨイ様が今どんな状態なのかは分かっていた。しかし、最後の最後まで一緒に過ごそうと皆、時間を見つけてはヤヨイ様の元へ通った。
『ヤヨイ様、まだあなたは生きるんです。ここで尽きてはダメですよ!』
僕は懸命に励ました。もしも大事な人が病に倒れ、容態が急変したとする。その時励ましの声を掛けるはず。今僕がやっているのはそれと同じことだ。何としてもヤヨイ様には生きていてもらいたい。叶わない願いだと分かっていても僕はそう願わずにはいられなかった。ヤヨイ様がいなくなることを想像できなかった。いや、想像なんてしたくもなかった。花びらは散っても、また来年美しい花を咲かせてくれるはずだ。
『咲人、いつもありがとうねぇ。だけど、日に日に体がつらくなってくるんだ……この残りの花びらが散った時、きっとそれが最期の別れになるねえ……』
『そんなこと言わないでください!』
僕は大粒の涙を零しながら叫んだ。
『咲人、泣かないでおくれ。私は笑顔で見送ってもらいたいんだ。ああ、生きていて良かった。そう思って逝きたいんだよ』
ヤヨイ様の言葉に僕はハッとした。僕はヤヨイ様の気持ちを分かっていたつもりだった。しかし、何も分かっていなかったのだ。「ヤヨイ様がいなくなるなんて嫌だ」なんてまるで子供みたいだ。僕は桜の旅人だ。やらなければならないのは、ヤヨイ様の気持ちを汲むことだ。しっかり笑顔で送り出してあげることが「桜の旅人」としての、僕の使命なのだ。僕は涙を拭って言った。
『ヤヨイ様、すみませんでした……僕、きちんと笑顔で送り出します』
ヤヨイ様はホッと安堵したように、ありがとう、と呟いたのだった。
太陽の光が燦燦と降り注ぐ青空の元、桃色の鮮やかな花々を咲かせるヤヨイ様は僕が今まで見た中で一番の美しさだった。長い冬と季節外れの大雪を耐え抜いて生き残った健気なつぼみ達。伸び伸びと、また堂々と花開いていた。
たんぽぽや菜の花といった色とりどりの花が彼女の周りを鮮やかに彩り、それはまるで彼女のために用意されたステージのようだった。春の草花というスポットライトを浴びるヤヨイ様は、まるで主演女優のように美しい。僕はその気持ちをそのままヤヨイ様に伝えた。すると、ヤヨイ様は少し照れたような口調でこう言った。
『まぁ、咲人はいつの間にそんな口説き文句を覚えたんだい?』
『口説き文句ではないですよ。本当にそう思ったんです』
『そうかい、ありがとうね』
ヤヨイ様はふふっと笑うと嬉しそうに言った。桜まつりの準備に続々と訪れた村長と村人達はヤヨイ様の見事な姿に目を奪われていた。感激して泣いている人もいる。村長もその一人だった。
「なんと……!美しい……!」
「こんなにも素晴らしい姿を見られて私は幸せ者だわ」
「ヤヨイ様、最高だぜ!」
仁哉を始め、皆の口の動きを読み取ると、そう言って感激しているようだった。
『どうもありがとう、こうして元気に花を咲かせることができたのはあんた達のおかげさ。本当に嬉しいよ』
ヤヨイ様の声は少し震えていた。泣いているようだった。村長、村人達とヤヨイ様の絆の強さを改めて実感した瞬間。僕もまた胸が熱くなり、涙が零れたのだった。
その後、僕達は順調に準備を進め、いよいよ桜まつりが開催された。これから一週間、村人達はヤヨイ様との交流を楽しむことができるのだ。「このまつりを絶対に成功させる」桜の旅人として、僕の心も燃えていた。
近くの広場には村人達が用意した屋台や縁日が立ち並ぶ。綿あめ、りんごあめ、チョコバナナといった甘味系や、焼きそば、お好み焼き、フランクフルトなどの総菜系も沢山。金魚すくい、スーパーボール、ヨーヨー釣り、射的や輪投げといった遊び系のものもある。村の子供達は目を輝かせながら屋台と縁日を見て回っていた。
僕はヤヨイ様と村人達の橋渡しをするため、桜まつり期間中はずっとヤヨイ様の近くにいる。村人達から何かヤヨイ様に伝えたいことがあれば僕がそれを聞いて、ヤヨイ様に伝える。ヤヨイ様から返答があればそれを村人に伝える。そういう役割だ。
彼女の周りにはカメラを構えた多くの村人達がいた。人々は皆、満面の笑みを浮かべながら、ヤヨイ様の美しい姿に見惚れていた。中には記念に家族写真を撮影している人達もいた。村人達がヤヨイ様の姿を鑑賞する邪魔にならないよう、僕は一歩引いたところで見守っていた。
すると、1組の家族の様子が僕の目に飛び込んできた。父親、母親、そして小さな男の子だ。まだ歩き始めたばかりのようで、足元はおぼつかない。男の子はヤヨイ様を見上げて両手を上下に動かし、満面の笑顔ではしゃいでいた。それを見守る両親の笑顔は慈愛に満ち溢れていた。僕の足は自然とその親子の方へと向かっていた。僕が近寄ってきたのを見て、両親はにこりと笑うと会釈をしてくれた。
(良かったら記念に撮影しますよ)
そういう意味を込めて、写真を撮るジェスチャーをした。すると、両親は顔を見合わせて嬉しそうに微笑むと、手に持っていたインスタントカメラを僕に手渡した。そして、父親ははしゃぎ回っている小さな男の子を優しく抱き上げると母親の側へと寄り添った。僕はカメラを構えると、片手を上げて分かりやすいように指でカウントを取った。
『よし、じゃあ少し演出してあげようかね』
楽しそうにそう言うと、ヤヨイ様は親子の頭上にある枝を少し揺らした。はらはらと花びらが舞い、男の子が嬉しそうに手を叩いている。シャッターを切る瞬間、男の子が笑いながらこちらに顔を向けた。最高の家族写真だった。カメラを返すと、母親はにこりと笑いながら軽く会釈をした。父親に抱き上げられた男の子は手の届くところに桜の花びらがあることに驚き、目を輝かせていた。その小さな両手を懸命に伸ばして花びらに触れようとしていた。ヤヨイ様が優しい口調で言った。
『まぁ、坊や。花びらに触りたいのかい?』
すると、不思議なことが起こった。男の子がまるでヤヨイ様に応えるように、うんうん、と首を縦に振ったのだ。ヤヨイ様の声は僕にしか聞こえないはずだ。ヤヨイ様も男の子の様子に気が付いたようで少し驚いたような口調で言った。
『……坊や、もしかして、私の声が聞こえるのかい?』
すると、男の子は再び、うんうん、と首を縦に振った。そして、まるでヤヨイ様の声に応えるように両手を叩いてにこにこと笑った。
『……咲人、びっくりすることが起きたよ。この坊やは私の声が聞こえるんだって。まだ言葉は話せないが、だあだあ、とかきゃっきゃっとか言いながら必死に何かを伝えようとしてくるんだよ』
『そうなんですか⁈それは凄いですね!』
『ああ、まさか咲人の他にも話せる子がいるなんてね!』
ヤヨイ様はとても嬉しそうだった。僕は心にふっと浮かんだ疑問をそのまま口にしてみた。
『……この子は耳が聞こえないんでしょうか?』
『……いや、そういう訳じゃあなさそうだよ。両親の言葉にもきちんと反応している』
『そっか……それは良かったですね』
何だか心の中がじんわりと温かくなったような気がした。僕はリュックからノートを取り出すと、ヤヨイ様と男の子のやり取りを急いで筆記し、両親に見せた。両親は目を丸くしてとても驚いていた。顔を見合わせて嬉しそうに笑っていた。
『ヤヨイ様、男の子に花が咲いている枝を一本あげても良いでしょうか?』
『ああ、構わないよ。さっきからずっと手を伸ばしてるんだけど、なかなか届かないみたいだからね』
『ありがとうございます』
僕は自分の手の届く距離にある枝を1本そっと折ると、男の子に差し出した。男の子は目を輝かせながらその枝を受け取った。桃色の可憐な花が2、3つ付いているものだ。男の子を抱いている父親が優しい笑顔を浮かべて僕に頭を下げた。僕は微笑むと、男の子の頭を優しく撫でたのだった。将来、この子はもしかしたら、僕と同じ桜の旅人になるのかもしれない。そう思うと、何だか心が温かくなったのだった。
その翌日、僕はヤヨイ様の下で仁哉とお昼ご飯を食べていた。仁哉が作ってくれたおにぎり、それから焼きそばと、屋台で買ったフランクフルトなども食べた。
「ヤヨイ様がこんなに凄い花を咲かせてくれて本当に良かったよな」
(そうだね。仁哉が頑張ってヤヨイ様を守ってくれたもんね)
「いいや、俺は何もしていない。お前が頑張ったんじゃないか」
すると、ヤヨイ様が言った。
『咲人、仁哉。あんた達二人のおかげだよ。二人とも本当に優しい子だよ。ありがとうねえ』
僕はヤヨイ様の言葉をそのまま仁哉に伝えた。彼は照れくさそうに笑った。
「あの時、お前が俺をいじめから助けてくれたこと。本当に感謝してるんだ」
(仁哉……)
「お前がいてくれたから今こうしてヤヨイ様とお前と幸せな時間を過ごすことができてる。お前に助けてもらわなければきっと俺は今頃この村にもいなかっただろうな。お前をいじめてたあいつらと同じで、さっさと上京してたと思う。そんで、東京で羽目外してさ、警察の世話になったりしてたかもな」
仁哉はそう言うと、顔を上げて遠くを眺めた。彼が選択しなかったもうひとつの人生について思いを巡らせているように思えた。
「咲人、本当にありがとな。まぁ恥ずかしいからこういう時ぐらいしか言えねえけどさ」
『仁哉、素直な思いを伝えるってのは素晴らしいことだよ。確かに照れくさいかもしれない。だけど、それを受け取る相手はとても嬉しいもんさ。ねぇ、咲人?』
『うん。そうだよね。ヤヨイ様の言う通りだよ』
僕はヤヨイ様の言葉を仁哉に伝えた。彼はそうだなと言って嬉しそうに笑った。そして、こう言った。
「あぁ、いつまでもこうしていられたらいいのにな。この先もさ、こうしてずっとヤヨイ様とお前と村のみんなとさ……」
仁哉の表情はとても寂しそうだった。はっきりと口には出さないけれど、ヤヨイ様の命がもう長くはないことを悔やんでいるのだ。僕も同じ気持ちだった。無性に胸が苦しくなって僕は胸元をぎゅっと掴んだ。ヤヨイ様もきっと同じ気持ちだろう。
広場では村の子供達が楽しそうに走り回っている。あの子達はまだ知らないのだ。この桜まつり……いや、ヤヨイ様の命がもうすぐ終わりを迎えようとしていることを。
その後、天候にも恵まれ、桜まつりは順調に開催を続けていた。しかし、ヤヨイ様の姿は日に日に弱っていた。それでも楽しんでいる村人達を悲しませないようにとヤヨイ様は咲かせた花を何とか保とうと懸命に踏ん張っていた。それでも、花びらは少しづつ散っていく。村人達もヤヨイ様が今どんな状態なのかは分かっていた。しかし、最後の最後まで一緒に過ごそうと皆、時間を見つけてはヤヨイ様の元へ通った。
『ヤヨイ様、まだあなたは生きるんです。ここで尽きてはダメですよ!』
僕は懸命に励ました。もしも大事な人が病に倒れ、容態が急変したとする。その時励ましの声を掛けるはず。今僕がやっているのはそれと同じことだ。何としてもヤヨイ様には生きていてもらいたい。叶わない願いだと分かっていても僕はそう願わずにはいられなかった。ヤヨイ様がいなくなることを想像できなかった。いや、想像なんてしたくもなかった。花びらは散っても、また来年美しい花を咲かせてくれるはずだ。
『咲人、いつもありがとうねぇ。だけど、日に日に体がつらくなってくるんだ……この残りの花びらが散った時、きっとそれが最期の別れになるねえ……』
『そんなこと言わないでください!』
僕は大粒の涙を零しながら叫んだ。
『咲人、泣かないでおくれ。私は笑顔で見送ってもらいたいんだ。ああ、生きていて良かった。そう思って逝きたいんだよ』
ヤヨイ様の言葉に僕はハッとした。僕はヤヨイ様の気持ちを分かっていたつもりだった。しかし、何も分かっていなかったのだ。「ヤヨイ様がいなくなるなんて嫌だ」なんてまるで子供みたいだ。僕は桜の旅人だ。やらなければならないのは、ヤヨイ様の気持ちを汲むことだ。しっかり笑顔で送り出してあげることが「桜の旅人」としての、僕の使命なのだ。僕は涙を拭って言った。
『ヤヨイ様、すみませんでした……僕、きちんと笑顔で送り出します』
ヤヨイ様はホッと安堵したように、ありがとう、と呟いたのだった。
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