僕と君の思い出は紫陽花の色

星名雪子

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第2章 秋

「再び出会う、満月の夜に」 2話

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食卓に置かれた真っ白な丸皿。その中には野菜たっぷりの熱々のビーフシチューが入っている。俺はそれをスプーンで口に運ぶ。

『晴海!これ、すっげえ美味いよ!』

『本当?良かった』

俺の目の前に座っている制服姿の晴海が嬉しそうに微笑んだ。

「晴海……?もしかして晴海なのか……?」

ビーフシチューに向かって呟いても何も答えは返ってこない。俺は動揺していた。まさか、このビーフシチューを作ったのは晴海?そんな偶然、ある訳がない。だって晴海はあの時、この街を去ったのだ。こんなところにいるはずがない。その時、店員がコーヒーを持ってやってきた。

「食後のコーヒーをお持ち致しました。あっビーフシチューいかがでしたか?」

ビーフシチューをすすめてきた時と同じ満面の笑顔で尋ねてきた。俺はその問いには答えず、すぐに気になることを尋ねた。

「あ、あの……これを作ったのは誰ですか?」

「はい、店長です」

「店長は何というお名前ですか?」

「……タケウチハルミ、と言いますが……」

さすがに不審に思ったのか店員が少し眉を潜めて答えた。その答えに俺は心臓が飛び出そうになった。彼女と同じ名前だ。まさか同姓同名?いや、そんなはずは……怪訝そうな顔をしている店員を見て、ハッとなった俺は冷静さを取り繕って、愛想笑いを顔面に貼り付けながら言った。

「店長にご挨拶することって出来ますか?いやあ、ビーフシチューがとても美味しくて!ぜひ感想をお伝えしたいなと」

すると店員の顔がパッと明るくなった。

「かしこまりました!今、店長を呼んで参りますので、少々お待ちくださいね」

店員は厨房へ駆けて行った。俺の心臓は早鐘のように鳴り響いている。目の前に現れるのは果たして俺の記憶にある彼女なのか、それとも同姓同名の全くの別人か……俺は顔の前で両手を組むと目を瞑った。

「お待たせ致しました。私が店長のタケウチハルミです」

少し高くて耳馴染みのある懐かしい声。俺はそっと目を開けて、そちらに顔を向けた。シェフの姿をした晴海が優しい笑顔でそこに立っていた。艶やかな黒髪を後ろで綺麗にまとめ、手には脱いだ帽子が握られている。制服姿の彼女の微かな面影がそこにあった。

「……やっぱり晴海だったんだな」

俺の言葉に彼女はハッとした表情を浮かべた。笑顔から一転、眉を潜めて俺の顔をじっと見つめている。

「俺のこと覚えてる?あれからもう10年も経つから覚えてないかな~」

「……もしかして優志くん?」

晴海は目を丸くして呟いた。彼女は今、この一瞬の間に10年前の記憶を手繰り寄せたのだろう。俺はにこりと笑うと大きく頷いた。

「久しぶりだな、晴海」

「うん、久しぶり、優志くん」

あまりの突然のことに言葉が見つからないらしく、彼女はそう言うと黙ってしまった。恥ずかしそうな、それでいて優しい笑顔を浮かべて俺の顔をじっと見つめている。懐かしい。あの頃も、会話が途切れると彼女は決まってこういう表情を浮かべていたのだ。全く変わっていない彼女に、俺は何だか無性に嬉しくなった。

「いやあ、ビーフシチュー食べてびっくりしたよ。晴海の味に似てるなって思ってさ」

「よく覚えてたね」

「……もちろん最初はすぐには思い出せなかったけど、どこかで食べた味だなって思ってさ、必死に記憶を辿ったんだよ!だって気になるじゃん」

俺の言葉に彼女は明るい笑顔を浮かべた。

「この店に来たのは偶然なんだ。今日は珍しく早く仕事が終わったんだけど腹が減ったから何かないかなと思って家とは反対の方向に向かったんだ。そしたらこの店があった。最近オープンしたのか?」

「うん。私、自分の店を持つのが夢だったんだんだけど、最近になってようやく叶えられたんだ」

「そっか……!良かったな!」

彼女は嬉しそうに微笑んで頷いた。そして、言った。

「……まさか優志くんと会えるなんて思わなかった。嬉しかったよ。来てくれてありがとうね」

「俺もだよ」

「良かったらまた来て。この店、遅くまで開けてるから」

「そうなんだ。何時まで?」

「21時までだよ。ほら、この街って早く店終いしちゃうでしょ?だからこの店だけは開けてるの。遅い時間に帰って来た人が気軽に立ち寄れるようにって」

彼女はそう言って優しい笑顔を浮かべた。この店には彼女の優しさがたっぷり詰まっているのかもしれない。

「分かった。また来るよ」

俺の返事を聞くと、彼女は軽く頭を下げて厨房へ戻って行った。それはきっとこの店の店長としての行動だろう。幼馴染としてではなく。俺は少しの胸の痛みを感じながらぬるくなったコーヒーを飲み干した。

俺の中でずっと思い出のひとつだった。もう二度と戻らない過去の美しい思い出。しかし、そんな過ぎ去りし思い出が今、微かに動き出した。落ち着いていた自分の気持ちが僅かに揺れ動くのを俺は感じた。心を突き動かしたのはあの懐かしいビーフシチューの味。肌寒い秋の夜に久しぶりに出会ったその味は、俺の心を温かく包み込んでくれた。

会計を済まして店を出る。

「……俺はまた彼女を好きになっていいんだろうか?」

その問いは静かな秋の夜に溶けていった。ぽっかり浮かんだ満月が静かに俺のことを見下ろしている。それはまるで俺の複雑な心を優しく包み込んでくれているようだった。
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