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第4章 春
「幸せを呼ぶウグイスの声」 2話
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「……お客さん……お客さん……」
遠くの方から聞き慣れた優しい声が聞こえる。俺はうっすらと目を開けた。晴海がニコニコしながら俺の顔を覗き込んでいた。
「……ああ、うっかり眠ってしまった。俺としたことが」
「ここはポカポカして、とても気持ちが良いですものねぇ」
返事をしようとしたら、どこからともなくホーホケキョッという可愛らしい声がした。その声に晴海が思わずクスっと笑った。
「ウグイスさんも、きっと春のぽかぽか陽気にご機嫌なのねえ」
「ああ、きっとそうだな」
晴海は俺のすぐ隣に熱々のビーフシチューが乗った盆をそっと置いた。外はもうすっかり春の陽気なのに、ビーフシチューからは温かな湯気が立ち上っていてその空間だけ、秋か冬のような雰囲気が漂っていた。まるで春と秋と冬が同時にきたような何とも滑稽な状況だったが、それも悪くないか、と俺は微笑んだ。
「お待たせしてしまってすみません。こちら当店自慢のビーフシチューでございます」
「ありがとう、凄く美味しそうだ」
美味しそう、じゃなくて、美味しいんだよ。俺は心の中でツッコミを入れながら、初めて食べるような顔をして、木製のスプーンをゆっくりと口に運んだ。デミグラスソースの甘さと赤ワインの酸味が混ざり合った濃厚な味。昔から変わっていない。今も昔も全く同じ味だ。俺の胸の中にじんわりとした優しさが広がる。
「とても美味しいです。また食べに来ますね」
「まぁ、それは良かった。喜んで頂けて嬉しいわ。またぜひいらしてくださいね」
晴海はとても嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。そして、正面の八重桜に目を向けると、ぼんやりと眺めた。俺もスプーンを一旦盆に置き、八重桜を眺めた。鮮やかな濃いピンク色の花が優しく風に揺れ、微かに潮の香が漂ってきた。遠くには青い海が見え、春の優しい太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。すると、何かを見つけたのか晴海が小さくあっと声を上げた。
「……ねぇ見て、優志くん。八重桜にウグイスがとまってる」
不意に名前を呼ばれたので、俺は少し驚いてしまった。だが、何だかとても嬉しい。思わず胸が高鳴る。
「あ、ああ、本当だ。さっき俺の代わりに返事をしたのが、きっとあのウグイスだね」
「ん?そうだったかしら?まぁ可愛いからいっか!」
そう言って晴海は楽しそうに笑った。子供のように無邪気なその笑顔に遠い昔の面影を感じた。言うなら今だ。
「晴海、生まれ変わっても、ずっと夫婦でいような」
「……急にどうしたの、優志くん」
驚いた表情で晴海は俺のことを見つめる。
「……いや、幸せだなぁって思ったら急に言いたくなった。それだけだよ」
嘘だ。本当は記憶が戻ったら彼女に伝えようとずっと用意していた言葉。きっとこの言葉も彼女はすぐに忘れてしまうのだろう。でも、それでもいいのだ。頭で忘れてしまってもきっと心のどこかでは永遠に覚えている。「俺は一生、晴海のお客さんだよ」と言った時みたいに。俺は信じている。
「あらまぁ、そう?なんかよく分からないけど、嬉しいねぇ。ありがとう。私もまた優志くんのお嫁さんになりたいよ」
晴海は嬉しそうに笑った。そして、少しはにかみながら再び口を開いた。
「……そうだ、初詣に行った時のこと覚えてる?」
「ああ、全部覚えてるよ。初詣がどうかしたのかい?」
「いつだっけなぁ……優志くん、私に『何をお願いしたの?』って聞いたことあったでしょう?あれ、私もあなたと全く同じこと願ってたのよ。『優志くんといつまでも仲良く健康で長生きできるように』って」
驚きと感動のあまり思わず言葉を失っていると、またウグイスがホーホケキョと鳴いた。俺は思わず吹き出してしまった。
「また代わりに返事してくれたね」
「ふふっ、そうねぇ」
爽やかな潮風が吹き抜け、八重桜の花びらが春の青空に舞った。胸にじんわりと広がる幸福感。鎌倉の、穏やかな春の昼下がり。
遠くの方から聞き慣れた優しい声が聞こえる。俺はうっすらと目を開けた。晴海がニコニコしながら俺の顔を覗き込んでいた。
「……ああ、うっかり眠ってしまった。俺としたことが」
「ここはポカポカして、とても気持ちが良いですものねぇ」
返事をしようとしたら、どこからともなくホーホケキョッという可愛らしい声がした。その声に晴海が思わずクスっと笑った。
「ウグイスさんも、きっと春のぽかぽか陽気にご機嫌なのねえ」
「ああ、きっとそうだな」
晴海は俺のすぐ隣に熱々のビーフシチューが乗った盆をそっと置いた。外はもうすっかり春の陽気なのに、ビーフシチューからは温かな湯気が立ち上っていてその空間だけ、秋か冬のような雰囲気が漂っていた。まるで春と秋と冬が同時にきたような何とも滑稽な状況だったが、それも悪くないか、と俺は微笑んだ。
「お待たせしてしまってすみません。こちら当店自慢のビーフシチューでございます」
「ありがとう、凄く美味しそうだ」
美味しそう、じゃなくて、美味しいんだよ。俺は心の中でツッコミを入れながら、初めて食べるような顔をして、木製のスプーンをゆっくりと口に運んだ。デミグラスソースの甘さと赤ワインの酸味が混ざり合った濃厚な味。昔から変わっていない。今も昔も全く同じ味だ。俺の胸の中にじんわりとした優しさが広がる。
「とても美味しいです。また食べに来ますね」
「まぁ、それは良かった。喜んで頂けて嬉しいわ。またぜひいらしてくださいね」
晴海はとても嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。そして、正面の八重桜に目を向けると、ぼんやりと眺めた。俺もスプーンを一旦盆に置き、八重桜を眺めた。鮮やかな濃いピンク色の花が優しく風に揺れ、微かに潮の香が漂ってきた。遠くには青い海が見え、春の優しい太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。すると、何かを見つけたのか晴海が小さくあっと声を上げた。
「……ねぇ見て、優志くん。八重桜にウグイスがとまってる」
不意に名前を呼ばれたので、俺は少し驚いてしまった。だが、何だかとても嬉しい。思わず胸が高鳴る。
「あ、ああ、本当だ。さっき俺の代わりに返事をしたのが、きっとあのウグイスだね」
「ん?そうだったかしら?まぁ可愛いからいっか!」
そう言って晴海は楽しそうに笑った。子供のように無邪気なその笑顔に遠い昔の面影を感じた。言うなら今だ。
「晴海、生まれ変わっても、ずっと夫婦でいような」
「……急にどうしたの、優志くん」
驚いた表情で晴海は俺のことを見つめる。
「……いや、幸せだなぁって思ったら急に言いたくなった。それだけだよ」
嘘だ。本当は記憶が戻ったら彼女に伝えようとずっと用意していた言葉。きっとこの言葉も彼女はすぐに忘れてしまうのだろう。でも、それでもいいのだ。頭で忘れてしまってもきっと心のどこかでは永遠に覚えている。「俺は一生、晴海のお客さんだよ」と言った時みたいに。俺は信じている。
「あらまぁ、そう?なんかよく分からないけど、嬉しいねぇ。ありがとう。私もまた優志くんのお嫁さんになりたいよ」
晴海は嬉しそうに笑った。そして、少しはにかみながら再び口を開いた。
「……そうだ、初詣に行った時のこと覚えてる?」
「ああ、全部覚えてるよ。初詣がどうかしたのかい?」
「いつだっけなぁ……優志くん、私に『何をお願いしたの?』って聞いたことあったでしょう?あれ、私もあなたと全く同じこと願ってたのよ。『優志くんといつまでも仲良く健康で長生きできるように』って」
驚きと感動のあまり思わず言葉を失っていると、またウグイスがホーホケキョと鳴いた。俺は思わず吹き出してしまった。
「また代わりに返事してくれたね」
「ふふっ、そうねぇ」
爽やかな潮風が吹き抜け、八重桜の花びらが春の青空に舞った。胸にじんわりと広がる幸福感。鎌倉の、穏やかな春の昼下がり。
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