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5章
意志を継ぐ者
しおりを挟む11月3日、米国の大手新聞紙「ニューヨークタイムズ」は一面に大見出しでスプートニク二号が打ち上げに成功したことを報道した。米国の人々は一斉に頭を抱えた。ライバルに初の人工衛星スプートニク一号を打ち上げられ、焦っている間に今度は生物を乗せた人工衛星スプートニク二号の打ち上げ成功である。米国の政府上層部やNASAの研究員や科学者達はさぞや慌てたことだろう。
我が国内は、ライバルよりも大きくリードしたことで一気に宇宙開発への期待が高まり、連日、人々の話題は宇宙やロケットのことで持ちきりだった。テレビやラジオでは繰り返しクドリャフカとスプートニク二号の名前が読み上げられ、新聞にはこれからの宇宙開発の計画や、ヤコフへのインタビューなど詳細な記事が掲載された。人々は大変熱心にそれらに耳を傾け、目で追い、熟読した。
一方でクドリャフカの安否を心配する声も多数上がった。人々の関心は、彼女は果たして生きているのか、そして、地球へ無事に帰還するのかというふたつの点にあった。しかし、政府はクドリャフカが既に命を落としていること、地球へ帰還することはないということ、このふたつの事実を隠し、この後、約7日間にも渡ってクドリャフカがいまだ生存しており、近い内に地球へ帰還する予定だという嘘の発表を続けた。国民からの反感を買うことを恐れたのだろう。
当然ながら、私は政府の姿勢を痛烈に批判した。何故真実を認め、発表しないのかと。しかし案の定、まともに取り合ってもらえるはずがなかった。どうにか政府に掛け合えないかとイワンに相談をしたが、そんなことをしても無駄だと止められた。私自身にもそんなことは分かっていたが、クドリャフカのパートナーとして黙って見ている訳にはいかなかったのである。しかし、政府に直接掛け合い、仮に真実が明るみに出たとしても彼女が死んだという事実に変わりはないし、彼女が戻ってくることはないのだ。私は政府に抗議をすることを諦めた。そして、イワンが掲示した、クドリャフカがこの計画に命を懸けた意味と、私達がこれからやるべきことは何なのかを、ひたすら考え続けたのだった。
それから約半年が経った頃のこと。長い冬は終わりを告げ、暖かな春がやって来た。頭上に広がる満天の星々は美しく、春の星座がキラキラと輝いていた。私は自宅の庭に寝転び、それらをぼんやりと眺めていた。春の訪れを告げる青々とした草の良い香りが鼻をかすめた。私はクドリャフカと共に星空に想いを馳せた日々を思い出しながら、色々なことを考えていた。そろそろ答えを見つけたい、そう思っていた。するとその時だった。一筋の大きな眩い光が大空を横切ったのである。それは大変美しく鮮やかな光を放ち、やがて小さな星々となって大空に散り、消えていった。
「今のは……」
私は悟った。今、自分が目にしたものはただの流れ星ではないということを。大きく鮮やかな光が消えた星空を私はしばらくの間、じっと見つめていた。
「クドリャフカ……!」
それは、彼女が放った最期の輝きだった。彼女の亡骸はロケットと共に、大空へ散っていったのだ。
「星に……なったのね……」
暖かな風が通り抜ける。ふと、その風に乗って、慣れ親しんだあの鳴き声が聞こえたような気がした。私は咄嗟に体を起こしたが、何度周りを見渡してみても何の気配も感じなかった。
クドリャフカの最期の輝きをたくさんの人々が目にしていた。ただの流れ星だと思った人も中にいたようだ。しかし、多くの人があの大きく鮮やかな光をクドリャフカのものだと感じていた。彼女は最期に、自身の存在を人々の心の中に深く刻み込んでいった。私も同じだった。
「クドリャフカ、私、やっと分かったわ」
歩き出さなければいけない。彼女のために。そして、未来へ進む為に。私の背中を押してくれたのは、彼女が残していった最期の輝きだった。私は何度クドリャフカに背中を押してもらったのだろう。これからは、私が自らの力で未来を切り開いて行くのだ。私は彼女が最期の輝きを残した満天の星空に向かって、そう強く心に誓ったのだった。
クドリャフカによる弾道飛行をきっかけに、我が国は動物を宇宙へ打ち上げる計画を続けた。ロケットの開発は進化を遂げ、弾道飛行を終えた後、地球への帰還に成功する動物も増えた。クドリャフカとスプートニク二号が大気圏へ突入し、大空へ消えていったあの日から、私は大きな決意を持って再び動物と宇宙に携わる仕事に就いた。
私の隣には相変わらずイワンがいたが、時には良き友人として、時には師弟として、共に励まし合いながら仕事を続けた。動物と宇宙に関するあらゆる計画が実施されたが、私達はその全てに積極的に、また熱意を持って取り組んだ。
後に聞いた話だが、イワンは元々、空軍医学研究所で働いており、宇宙には何の縁もなかったそうだ。その為、ヤコフにスカウトされたときは大変戸惑ったという。しかし、強引なヤコフは彼が返事を渋っている間に政府に働きかけ、イワンがそれまで就いていた全ての仕事を別の者に与え、有人宇宙飛行に向けた生物研究の任務を与えるよう仕向けたという。政府の命令にはさすがに逆らえない。イワンは承諾するしかなかった。自分の意志とは関係なく任務に就かされたため、最初は不満ばかりだったが、研究を進める内に宇宙と生物の関係に大変な興味を持つようになった。もし、我々が宇宙へ行ったら、どのような変化が現れるのか?そうした好奇心も手伝い、彼は全力を尽くすようになったのだという。
「僕は強引なヤコフのことをあまり良く思っていなかった。宇宙に関しては全くの素人だったのに、何でこの僕が選ばれたんだろうってずっとそう思っていた。でも、今では分かる。彼は僕の仕事ぶりを評価してくれたんだ。彼が僕を強引に引き抜いてくれなかったら、僕はここにはいない。クドリャフカにも会うことはなかっただろう。彼は性格に難があるけれど、人を見抜く力がある。だから君とクドリャフカが選ばれたんだ。彼は凄い人だよ。だから、僕は今、彼にとても感謝しているんだ」
イワンの言う通り、ヤコフはその秀でた才でソ連宇宙開発を先導し続けた。有人宇宙船「ボストーク」を開発し、ガガーリンを宇宙へ打ち上げ、大型宇宙船「ソユーズ」を作るなどの偉業を成し遂げた彼は後に「ソ連宇宙開発の父」と呼ばれるようになった。私も彼のことを良く思っていなかったが、イワンと全く同じで、彼がいなければ宇宙開発に携わる仕事をしていないし、何よりクドリャフカに会うこともなかっただろう。長い年月が経った今、私は彼に深い尊敬の念と感謝の思いを持ち、そして、彼の偉業を心から称えている。
今日の宇宙開発は目覚ましい発展を遂げた。今ではあの冥王星にまで探査機を飛ばし、国際宇宙ステーションでは様々な国の宇宙飛行士が人種の壁を越えて協力し合い、宇宙開発を続けている。そのような素晴らしい時代になったのである。
クドリャフカが築き上げた道筋は着実に未来へと繋がっている。人類初の宇宙飛行を成し遂げた我が国のガガーリン、そして月へ降り立った米国のアポロとクルー達。
クドリャフカがいたからこそ彼らの偉業は全て成し遂げられたのである。
私達はあらゆるものの犠牲の上に生きていることを決して忘れてはならない。毎日食べている魚、肉、野菜が一番身近な例である。それらは私達を生かす為に命を宿し、一生を終える。クドリャフカも同じである。私達はそれを理解しなければならない。
そして、クドリャフカを始め犠牲になった多くの者達への感謝の気持ちを決して忘れてはならないのだ。
私は夜空を見上げる度に今でも鮮明に思い出す。彼女が放った最期の輝きを。
そして、その輝きは私達がこれからも宇宙へ思いを馳せる限り、未来を明るく照らしていくに違いない。
完
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