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富山篇

シロク

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 ノック音とともに僕の返事を待たずして、風呂上がりの理玖がクマ柄パステルカラーのパジャマ姿で部屋に入って来た。丹前は羽織ってない。
 故に今朝と違って胸の膨らみ具合が確認できる。爽子さんと違って、そこに隆起は殆ど見られないが。
 どれだけ待っても喋りかけてこないので、僕も黙って数学の復習に集中した。
 すると、ベッドに腰掛けていた理玖が「ここ静か過ぎるわ」と、勝手にミニコンポの電源をつけるありさま。
 僕は無音じゃないと勉強に集中できないことを彼女は知っている。
 手を止め、僕は椅子から立ち上がって音楽を消した。

「何で消すかな? あんたの好きなQueenなのに」
「好きだよ。勉強の時以外は」
「相変わらず真面目クンだねえ。それだから、父さんも母さんもあんたを贔屓する」

 贔屓されるための真面目クンじゃない。
 実子の理玖と違って、拾われっ子の僕は高木家の模範的長男を演じなければならないからね。

「来週からテストなんだ」
「あら、奇遇。あたしもそうだよ」
「勉強を再開したいんだけど?」
「もしかして、あたしってば邪魔な存在?」
「できれば、今すぐお引き取りを」
「わかった。じゃ、短めに愚痴るね」

 どうしてそうなる?

「隆が今日卒業したんだ。4月から東京で大学生だよ。もうさ、その準備やら何やらで、魚満ここに残されるあたしの気持ちなんて二の次なの。『あ、こりゃやべえ。コイツ、ゼッタイ東京で浮気しやがんな』と思ったんだよねー。女の勘ってヤツ?」
「うん」
「ソレ阻止するために、あたしも東京に行こうと思ったワケ」
「うん」
「だからさ、あんたが東京行きを許されるなら『あたしも』って、さっき便乗して手を挙げたの」
「うん」
「そしたら、母さんからこっぴどく叱られた。父さんだってあんなに機嫌がよかったのに急に黙っちゃった。……ねえ、コレって理不尽じゃない?」
「うん、そうだね」
「何であんたはよくて、あたしはダメなの?」

 動機に決まってるじゃないか……と、即答できないのがつらい。

「愚痴は終わった?」
「はぁっ? あんた、もしや適当に相槌打ってあたしの話を終わらせようと思ってたな? この薄情者!」
「そんな先のことなんて僕にわからないよ。それよりも来週のテストが大事なんだ。第一、僕は東京に行く気はないし陸上だってやらないから」
「なのに、依怙贔屓されてるところがムカつく!」

 だから贔屓じゃないって。
 困ったな……。
 勉強ができないなら、歯を磨いて眠ってしまいたい。明日も朝は早いんだ。
 くだらないと思いつつ、僕なりにアドバイスしてみよう。

「東京に行くとして何するの? 明確な目標があれば賛成してくれるんじゃない?」
「そこよ! だからあたしも東京の大学へ行くことにした。来年センター受けるから」

 驚いた。
 2020年度を最後に廃止されるセンター試験、それに理玖が挑むという。

「ね? これなら親も喜んで賛成するでしょ?」
「それはわからないけれど……大学って試験に合格しないと通えないちゃんとした教育機関だよ?」
「馬鹿にしてんのか? だから、今日からあんたに勉強を教えてもらおうと思って……ね、いいよね?」

 暫し絶句……。

「いや……あのさ、僕はまだ中学生だよ?」
「知ってる。でも、あんたはけっこう頭がいい。少なくとも、あたしよりはずっと賢い」
「だからって限界があるよ」
「いちいち弱気にならない。何のために、あたしがあんたに教科書を譲ったと思ってるのよ」

 こんなためか。

「ハイ、決まりね。じゃ、明日からよろしく頼むわ」
「……今日からじゃなくて?」
「今日はパス。卒業式とかあって超ダルいもん。あと、雨降ったし。ちょっとここで寝ていい?」

 こっちの了承もなく、ベッドにゴロリと転がってしまう。
 僕は自然とイソップ寓話『アリとキリギリス』を思い浮かべた。
 早くも予定変更とは先が思いやられる……いや、やんないよ。こっちだって眠いんだ。
 けれども、理玖にベッドを占領されたので仕方なく数学の復習へと戻る。

「あれ? あんた、フルーツ牛乳なんか飲むっけ?」

 目敏めざといな。

「寝るんじゃなかった?」
「無理だわ。この部屋、電気が点いてるから。寝て欲しかったら消してくんない?」
「悪いけれど、こっちは勉強中なんだ」
「ふーん。じゃ、音楽でも聴こうっと」

 そう言って、再びミニコンポのCD起動。
 理玖、頼むから今すぐ消えてくれ。


 Flash


 しかも選曲が最悪。おかげで簡単な平行四辺形の四つの性質すらうまく頭に入って来ない。

「ねえ、フミ」
「今度は何?」
「フルーツ牛乳。の横に置いてる空き瓶、どうしたの?」

 しつこい理玖が寝転んだまま、棚を指さす。
 シロクとは蛙を模した木彫り人形で、僕が名付けた。由来は四六しろくのガマから。高さはちょうどフルーツ牛乳の空き瓶と同じくらい。
 結局、僕は空き瓶を捨てきれず家に持ち帰り、置き場に困ったのでシロクのお供にしておいたのだ。

「……もらったんだよ」
「誰に?」

 ここで沈黙したのがいけなかった。

「お、もしかして女の子から? フミ、やったじゃん! あたしが買ってあげたデオドラントスプレーのおかげだからねっ! だから、フミもあたしに感謝して勉強教えてくんなきゃ!」

 いや、違うだろ。
 貧乏な理玖じゃなく、実際にお金出したのは爽子さんじゃないか。
 それに、デオドラントスプレーを使ったからフルーツ牛乳をもらったんじゃなくて、あのコは最初から僕に渡す積もりだったんだ。

 あ! 

 明日もあるのか、瓶プレ……?
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