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臍帯篇

UCJプロジェクト 其の壱

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 旧厚成省の独立機関UCJは、宇田島貞子の卒業論文にただならぬ衝撃を覚えた。
 何故ならば、それは彼らが戦後間もなく密かに着手していた双子に関するとあるプロジェクトを更に発展させたものだったからだ。
 尤も、貞子にすれば秘密裏に進行する国家プロジェクトの存在など知る由もなく、論文に取り上げたテーマが彼らの着手している分野だったことは単なる偶然でしかなかった。

 昭和某年正午過ぎ、医大卒業間近の貞子が丸ノ内線の霞ヶ関駅を下車し、その役人に会ったのは省内の広々とした一室だった。
 貞子一人に対して出迎えたのはたった一人、黒いスーツの眼鏡を掛けた中年男。
 表情に乏しく、見るからに冷酷そうだ。
 
「よく来てくれたね」

 抑揚のない口調で、彼なりに貞子の来省を労った。

「望んでここへ来たとお思いですか?」
「どういう意味かな? 我々は強要などしたりしなかったよ」
「研修先に決まっていた横須賀大から急に自宅へ理不尽な連絡が入ったんです。『申し訳ないが、あなたを採用できなくなった』と。安保闘争なんかに目もくれず、ひたすら医学に打ち込んできた私にはあまりにも酷い仕打ちだと思いませんか?」
「そして、その理由はここで明かされる……ということだね?」
「これら一連の流れが"婉曲的な強要"でなくて何だと言うんです?」

 貞子は無遠慮に相手を睨むも、返事はない。

「プラマイで考えたら、こいつは明らかにプラスの案件だよ」

 暫し間を置いてからそう発言する男に、悪びれた様子など微塵も感じられなかった。

「もう十分に実害を被ってますけど?」
「お釣りが来る。我々の組織に入ればだが」
「……それは厚成省こちらに入省させてもらえると解釈してよろしいのですか?」
「そうだ」

 男はぶっきらぼうにそう言った。

「国家公務員試験の時期はとうに過ぎました」
「そんなものはどうとでもなるさ。私にはそれくらいの力がある」
「名刺も頂けないのに、あなたを信用しろと? どのみち、あなたのように高圧的な公僕の一味になる気なんて露程もありませんけれど」
「間もなく、我が国も体外受精の臨床応用が成されるだろう」

 渾身の皮肉を平然と無視する男の態度に、貞子は既に圧倒されていた。
 名刺など必要ない。国家の中枢であるこの一室に、一介の医大生に過ぎない彼女を容易に招くことのできるこの男は、やはり只者ではないのだ。

「つまり、その技術が将来的に実用化されれば、我々は意図的に双子を産ませることが可能になる。そこでキミの論文だ」
「私の論文? まさか、それが検閲にでも引っ掛かったんですか?」 
「そんなもの、高度経済成長の足枷にしかならんよ。それはともかく、我々はキミの論文内容に強く惹かれたのだ。何故ならば、それは我々の研究テーマとかなり酷似していたからね」

 男の感情がさっぱり読めない。感心してるのかなじられているのか……。

「だから、謝れと? あれは卒業するための、謂わば必要に駆られて書いた作文に過ぎません。内容にも全く興味ありませんし、私がやりたいことは単純に妊婦の出産に携わることです。どうぞ、私に構わずお好きに研究を進めてください。そして、お願いですから、これ以上は私の人生に介入しないでくれませんか?」
「家督を継ぐ積もりだね?」
「その第一歩を国家権力によって潰されようとしているんです」
「人聞きの悪い。ところで、キミは開業医の父上を心から敬愛している。いたく感心するよ。そんな人物を無実の罪に陥れるようなことはしないから安心したまえ。彼に疚しい点がなければ、というのが大前提だが」

 貞子は相手の言葉のニュアンスに、不吉な予感を抱いた。

「……父をどうする積もりです?」
「別段どうもしない。全てはキミの出方次第だ。我々は有能な税理士を幾人も抱えている。節税は合法、脱税は非合法。それを暴くも見過ごすもこちらの匙加減一つだよ」
「――っ!?」

 一瞬、血の気が引いた。
 けれど、狼狽した姿だけは意地でも相手に見せたくない。

「……国家公務員のエリートが臆面なく、何の力もない女子大生を脅迫するんですね?」
「病院を継ぎたければ継げばいい。だが、産婆の真似事などでキミは終わる人間ではない。人を雇ってキミは理事職に就け。手配はこちらでしよう。そうすれば、キミは父上が望む立派な跡取り娘だよ。無論、そうなれば兼業できない国家公務員の肩書きは捨てねばならんが、そんなものどうでもいい。極端な話、表向きは厚成省ここの食堂で働く賄い婦でも支障はない」
「あのですね、必死に医学を学んだ私の六年を、あなたは何だとお考えですか?」
「だから、極端な話だと断っただろう? どのみち我々はキミをプロジェクトの中心人物として迎え入れることに変わりはない。勿論、それなりの報酬は約束させてもらう」
「お金の話じゃありません。もしそうなったら、跡取りは"名ばかり"じゃないですか」
「父上はまさにその名前を望んでいるのだ。将来、キミが結婚相手に迎えるであろう相手だって養子に限られるだろうしな」
「……」

 もはや言葉が出てこない。
 貞子は己の人生が目の前の名も知らぬ男によって全て牛耳られている事実に直面し、呆然自失となっている。
 既に外堀を埋められていることを実感した。
 だからこそ、自分はここへ招かれたのだ。 

「断っておくが、私なんぞ国家の操り人形の一人に過ぎんよ。操り人形が新たな操り人形の調達に動いているだけだ。全ては敗戦国の巻き返しのため……ポツダム宣言執行で来日したGHQは、ひとまずその役目を終え機関は解体された。一昔前まで焼け野が原だった東京ここでオリンピックが開催されるほどに復興を遂げたのは大変喜ばしい。だが、我らは依然として奴らの支配下にある。ならば、我々は何の力もない女子大生でさえも利用し、再び富国強兵への道を歩み出さねばならぬ」

 カビの生えたその危険な思想に、貞子は再び反感を覚えた。 

「随分と時代錯誤アナクロですね。いまだ軍国主義ミリタリズム復権の機会を窺っているんですか?」
「銃剣を携え鬼畜米英を掲げながら殉死するだけが富国強兵への道ではない。旧時代の戦争は間もなく終焉を迎える。朝鮮、ベトナム、この二つの戦争の恩恵で我が国は莫大な富を得た。我らはその富できたるべき次の戦争に備えなければならない」

 露骨に顔をしかめる貞子。

「私は戦争の道具には決してならない。戦争は私の母を殺したもの」
「ならば、キミはアルフレッド・ノーベルに徹すればよい。無論、彼自身も己が発明したダイナマイトが戦争で用いられることなど端からわかっていた」
「では、汚れ役はあなたが被る、と?」
「最終的には国家だがね。単刀直入に言おう。我らは体外受精の臨床応用をどの国よりも……
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