ゆりかごを抱いて

井川林檎

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第四部 まほろば

その2 それは何者なのか

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 「わたし、あんまり職場の人とプライベートの付き合いをするほうじゃないけれど」
 知ってるでしょう、と、雅代はお茶の湯気の向こうから、由紀子に語った。

 今、目の前にいる坂東由紀子は、やはり仕事場で働いている由紀子と違って見えた。服薬の作用だろうか、目がぼんやりとしている。表情にも覇気がない。けれど、ぎすぎすした神経質さや、なにかを常に恐れているような感じは、薄れている。
 心療内科で下された診断は、確かに正しかったのだろう。
 心が穏やかに、安楽になるという点では、服薬や、療養期間を取ることは、正解である。

 だが。

 雅代はじっと由紀子を見つめた。
 藪家荘の中ではセーブしていようと決めたので、いつものように霊的な感性を発揮することはできない。たまに気になる時、雅代は相手の肩越しに目に見えないものを透かして見たりするのだが、そういう場合、霊的な感性を集中させなくてはならない。

 力をセーブしているはずだ。
 なのに、雅代は由紀子の体のまわりに、それを見ることができた。
 輪郭は定かではない。小さいものであることは分かる。

 それは、由紀子の体によじ登ったり、腰のあたりに絡みついたりしていた。無邪気な動き方は、幼い子供を思わせる。

 「マ、マ」
 囁き声まで聞こえた気がした。

 雅代は眉間をおさえた。
 由紀子に聞かなくてはならないと思う事があった。

 「あのね、わたしが坂東さんの招待を受けさせていただいたのはね、気になったからなのよ。メールを貰った時点で、良くないものを感じたというかー―見たの」

 白い手。天井から吊るされたロープ。

 「知ってるでしょう、わたしのこと」
 雅代は静かに続けた。由紀子は黙ってこちらを見ている。きいきい。ゆりかごの音も続いていた。

 「だから、見えてしまって。はっきり言ってしまえば、このお家、良くないと思ったの。あまり長くいるべきじゃないなって」
 雅代はそっと、由紀子の反応を伺った。由紀子はぼんやりとした表情を変えないまま、雅代を見つめている。雅代は続けた。

 「ここに来る間も、何度か見たのよ。すごく良くないビジョンを。ねえ、ここ、事故物件じゃないの。そんな話聞いてないの」

 由紀子は少し間をおいてから「いいえ、そりゃ、歴史のある建物だから、いろいろなことがあったって、管理会社からは聞いてます」と答えた。
 「大正時代かそれくらいに、当主のお妾さんが妊娠して、でもちょっと精神的におかしい人だったから、人目をはばかって、三階の小さな部屋に住まわせたっていう事実はあるみたいです。あのー―」

 由紀子は視線を宙に向けた。うっとりしているような表情だ、と、雅代は思った。

 「ゆりかごの音も、そこから聞こえているのだと、思ってます。さっきも風山さんと三階にあがったけれど、古いゆりかごがありましたから。きっと、そのお妾さんの赤ちゃんが浸かっていたゆりかごです」

 由紀子の目が優しくなった。雅代はじっと観察を続けた。

 「寂しかったんじゃないかなって。小さい子が、あんな部屋に閉じ込められて。その当時、このあたり、とても貧しくて、子供の人身売買があったんですって。この藪家荘の当主も、そのビジネスに一枚噛んでいたんですって。もしかしたら、近所の子供たちを、一時的に預かって、ここで働かせていたのかもしれないわ」

 きゃあ、わあわあ。
 賑やかしい子供たちの声。これから自分たちにどんな運命が待ち受けているかも分からずに。
 藪家のお屋敷は、当時、この界隈の憧れだったのに違いない。素敵な大きな御殿の中に入ることができた。広々とした家の中で走り回ることもできる。
 はしゃぐ子供たちの声は、三階まで聞こえたのに違いない。

 きい、き。きい。
 寂しい。あそぼ。あそぼうよ。

 「下に降りて、思い切り走り回って遊びたかったのかもしれないわ」
 ぽつんと、由紀子は言った。
 「わたし、あのゆりかごを、三階からおろしてあげようと思って」

 雅代はお茶を一口飲んだ。どうやら、由紀子には、雅代が強烈に感じている、自殺者の女性の念は、届いていないらしい。
 霊的な感性で雅代は確信している。この建物で、首を吊った女性がいるはずだ。それもーキテ、クレナイ・・・・・・ーーここで、誰かを待っていて、約束を反故にされた絶望から、自殺に及んだ。

 「そんな昔の事じゃないわ。昭和、いいえ、平成。近年起きているはずの何かを、坂東さん、聞いていない」

 雅代は言った。
 由紀子は、え、と首を傾げた。心底、意外そうな様子だった。それで雅代は、由紀子が感じている怪異と、自分が捉えている霊的な障りは、まるで別の種類のものであることを知った。
 
 由紀子には、霊的な感性はほぼないのだろう。
 由紀子が捉えているのは、霊の念ではなく、この藪家荘に焼き付いた記憶ー―つまり、この家そのものーーなのだ。
 なるほど、お妾の小さな子供が三階の寂しい部屋に隔離され、不幸だった事実はあるかもしれない。それは家の歴史である。藪家荘に刻み込まれた、小さな子供の不幸な気持ち。それが、ゆりかごを軋ませ、由紀子を招いているのだ。

 「さあ、そんな近年になにかあったのなら、風山さんが知らないはずないと思う」
 と、由紀子は言った。
 風山というのは、さっき雅代がすれ違った男だろう。雅代は一瞬、眉をしかめた。

**

 「妹がちいさい女の子を連れて泊ったことがあったんですけれど、その時も、変なことがあって」
 由紀子は淡々と語った。

 まるで目に見えない友達がいるかのように振舞う香代美。
 夜中に突然置き出し、冷蔵庫に残っていたプリンを三階に届けようとした香代美。

 「そのプリン、わたしも何故か、そうしなきゃいけない気がして、人数よりひとつ、多く買ったんです」
 由紀子は苦笑交じりに言った。そこには、怪異に悩まされている様子は見えなかった。

 「まるでね、三階に閉じ込められている小さい子が、自分にも頂戴って言っている気がして」
 
 ね、堀さん。いるんでしょう、小さい子の霊が。
 まるで楽しいことのように、由紀子は微笑んだ。
 
 雅代はじっと由紀子を見つめた。セーブしている力を、僅かに開いた。藪家荘の濃厚な意志が自分の中に入り込まない程度に、僅かに。

 由紀子の体にまとわりつく小さななにか。
 雅代は目をすぼめた。無我。痛々しいほどの、無我。求めるものは、母親の温もり。ただ、愛されるためだけに生を受けたはずの。

 「坂東さん」
 雅代は言った。
 「失礼な事を聞いてしまうけれどごめんね。あなた、妊娠したこと、あるんじゃない」

 お茶を口に運ぶ由紀子の手が、止まった。
 
 「あります」
 由紀子の声に、若干の緊張が走った。
 由紀子はうろうろと視線をさ迷わせた。やっと雅代の顔に視点を合わせた。泣きそうな目をしていた。

 「三年前、前の夫の子供を、流産しています」

 きい、き、きい。
 ママ、マ、マ・・・・・・。

**

 奈津子は藪家荘に住む姉の由紀子が気がかりだった。
 香代美を連れて戻ってから、実家に寄り、母の加奈代に、あの家大丈夫なの、と、さんざんに言った。

 「仕方ないじゃんよ。わたしだって止めたわよ。でも、あのこはあそこがいいって」
 言い訳のように加奈代は言った。加奈代は、藪家荘のことをよく知らないのだ。奈津子は地団駄を踏みたくなった。

 「霊媒師に来てもらって、お祓いしてもらったほうがいいレベルだよ。香代美だって変だったんだから。ね、姉ちゃんに言ってやってよ、早くその家から出るべきだって」

 加奈代は取り合わなかった。
 口では藪家荘を良くないと言いながら、霊的なことはほぼ信じていない加奈代である。

 奈津子は、くうっと歯ぎしりした。
 加奈代から由紀子を諭してもらう作戦は、実現しなさそうだ。

 (あれは良くないわよ、絶対にキモチワルイ)

 ある日、奈津子は思いついた。
 ×町の有名なお屋敷なのだ。明治時代からあったというし、ネットで調べたらなにか分かるかもしれない。
 歴史的な事実でもいいが、心霊スポットとしての噂でも構わない。
 なんでもいいから調べ出して、由紀子の耳に入れようと思った。

 奈津子はいろいろキーワードを変えて、藪家荘のことを検索してみた。
 思うようなことはなかなか出てこなかった。

 しかし、意外なものが釣れて来た。
 それは、「×町」というキーワードに引っかかって来たのだろう。「坂道羅漢」のことを調べた記事がいくつか存在した。奈津子は食い入るようにそれらを読んだ。
 からからと赤い風車が回る、気味の悪い坂道羅漢。
 香代美はあの地蔵群を見て、「みんないる」と、手を振っていたではないか。

 坂道羅漢の歴史を知り、奈津子はちょっとぞっとした。
 子供の人身売買の歴史があり、香代美はもしかしたら、不幸な子供の霊でも見たのではないかと思ったら、肌が泡立った。

 しかし、肝心の藪家荘の記事がない。

 やけになって、奈津子は「×町」でひっかかってきた、いかにも物騒な記事を読み漁ってみた。
 「殺人、自殺、行方不明」
 どんどん、出てくるタイトルが怖いものになってゆく。

 この中に、藪家荘に関わるものはないか。
 次々にタグを増やしながら、片っ端から奈津子は目を通した。

 古い町である。
 老人が行方不明になった。何月何日に用水にうつ伏せになって亡くなっているのが発見された云々。
 
 ×町のポータルサイトを、奈津子は見ていた。
 細かく、ローカルニュースが更新されている。それをさかのぼると、誰かが行方不明になったとか、大雪でどこそこが交通止めとか、どこそこの交差点で事故があったとか、町民に注意喚起を促す記事がたくさんあった。

 どんどん記事をさかのぼる。
 
 「うわっ、若っ」

 その記事で、奈津子は手を止めた。
 
 18歳の少女が、行方不明になった。発見されていない。
 坂道羅漢付近で姿を見たのが最後の目撃情報。

 坂道羅漢のあたりで、少女が歩いているのを婦人会の女性が見ている。
 少女は坂を上ってゆく様子だったという。
 けれど、その後どうなったかが、分からない。

 どこにでもありそうな失踪事件だが、×町に関しては、行方不明といえば大抵、高齢者である。
 18歳という年齢を見て、奈津子は一瞬、目を皿のようにした。

 「あんな場所、なんの用があったんだろうなあ」
 藪が茂った坂道。不気味な坂道羅漢。坂の上にあるのは、ごくわずかな人家だ。
 藪家荘くらいしか、目だった建物はないはずだが。

 「気持ち悪いなー、いやだいやだ」

 藪家荘のことを調べていると、どんどん物騒なものを見てしまいそうだ。
 奈津子はネットでの調べ物を切り上げ、夕食の買い物のために立ち上がった。
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