ひとりたりない

井川林檎

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 「嫌われ組」とは、何だったんだろう。いじめのレッテルは、どんな理由で貼り付けられるのだろう。
 気に入らないから。腹がたつから。なにか嫌だから。あるいは、イライラするストレスのはけ口として、サンドバッグにしても反撃される心配の要らない弱者。
 だけど、あの時、小学六年の時の「嫌われ組」は、一応、大義名分があった。いじめる側の田中香織や、真鍋健太、所沢愛華、瀬川大翔は、正義の剣を振るっていることになっていた。みんな、こいつらのこと嫌なんでしょ、いてほしくないでしょ、そうだよね、だってこいつらはこんな奴だし、懲らしめてやる必要があるよね、そうじゃない?
 だから、「嫌われ組」にされた四人については、それぞれ理由がついていた。
 太っていて内またでアニメ好きな岸本は、「ブリッ子で、なんら努力もしないくせに、自分を良い風に見せようとしているから嫌い」。
 ハキハキして、まさに出る杭だった浜は、「目立ちたがり屋で自分が一番じゃないと気が済まない、うざい」。
 ぼうっとして行動が遅く、勉強も運動もできなかった大友は「汚くて何をさせてもだめでクラスの足手まとい」。
 
 (まるで、言いがかり)
 アパートの天井には、カーテンの隙間から漏れた車道の明かりが筋をつけている。時折、ブブウというエンジンの音が薄く通り過ぎ、ライトの光が不思議なぼやけを伴って、ゆっくりと部屋の壁を斜めによぎった。布団に仰向けになり、眠りの到来を待ちながら、怜はぐるぐるとめぐる思考を持て余しているーー色々なことがありすぎた。まさか大友優と、みいなを引き合わしてしまうとは。それに、大友優からは、なにか異様な(まがまがしさ、というべきか。まがまがしさ。そうだ、そう形容するのが相応しい)ものを感じていた。その違和感は、小学六年の頃からあったものかもしれない。今となっては、よく思い出せない。ただ単純に、なにか不快な、好きになれない感情を思い出すだけだ。
 
 トモダチ、なんだよね?
 (いいや違う。来ないで、寄ってこないで、あんたなんか)

 怜は眉をひそめて目を閉じる。まぶたの裏で、赤黒いものが蠢く。睡眠はまだ遠い。
 「嫌われ組」の面々になすりつけられた「理由」は、確かに言いがかりだ。どんどん大げさに、酷いものにエスカレートしていったと思う。ブリッ子の岸本が男の先生に色目を使ったとか、浜がカンニングをしたとか、大友が道端で排便したとか、見てもいないことをまことしやかに噂として流す。それらは妄想である。事実ではない。そんな現実はないのだ。
 だけど、一体、誰にとって得な妄想なのだろう、それは。
 怜は、あの田中香織ら正義グループが、面白がってそんなことをしていたのだと考えようとした。そうだ、確かに彼らはある程度面白がっていたのに違いない。いじめは娯楽のようなものだと思う。嫌な言葉を吐き捨てる時、他の子たちを先導して、ターゲットを弾き者にするのに成功した時の、彼らのあの表情は、確実に楽しそうだった。遊園地で無邪気な遊びに興じる幼子のような、なにも怖いものがない、誰も自分を裏切るものなど存在しないと思い込んでいる者だけができる、そんな表情だった。
 でも、と、心の中で、冷静で感情に左右されない、冷たい目をした自分が反論するのだ。

 本当に?
 本当に、面白がっているだけなのか。そんな、田中香織らが自分たちだけの楽しみを具現化するために、周囲の子たちは簡単に操られるだろうか。
 
 結局、怜は結論せざるをえないのだった。田中香織らのかざす「理由」に、多少の正義、正論を感じたからこそ、他の子供らはいじめに賛同した。そうだ、その通りだ、あいつらはとても迷惑で、いてもらっては困るのだ、なんなら学校に来ないで欲しいくらいだ、よく言ってくれたーーぎりっと奥歯が変な音を立てた。もう三十年前のことなのに、未だに怜は、そのことを思い出すと身震いがくる。できれば思い出したくないことだった。
 思い出したくない。「嫌われ組」にいたことなんか。
 多分それは、他の面子も同じはずだった。岸本も、浜も、小学六年の頃の記憶をできれば消し去りたいと思っているだろう。
 にもかかわらず、一人、大友優だけはその頃のことに固執しているような感じがした。

 にやり、と笑う、三日月形の唇。
 怜は頭痛を覚える。思い出しそうになっている。「嫌われ組」は四人ではなく、五人だったように思う。その、五人目の顔も名前も分からない。本当にそんな子存在していたのだろうか、と首を傾げる。いや、いた。四人が集まって話をしている時、必ずそこには五人目がいた。
 トモダチになろうよ、ね。
 差し出された人差し指に、次々と手が重なる、約束を交わしたのは五人の手。にいと笑う、あいつの目。誰だったろう、そして、あの子はどこにいったのだろう。

 突然怜は、呼吸困難を起こしかけ、ぎょくんと硬直したように上半身を起こした。体を直角に曲げて胸を押さえ、目を飛び出さんばかりに見開き、冷汗を雫にしてはじきながら、怜はあえいだーートモダチ、トモダチ、ね、欲しかったでしょ、トモダチ、ふふ、ふはははは、はーー雨に濡れた長い階段、突き出された自分の両方の手のひら、そして。

 怜はなんとか起き上がると台所に行き、電気をつけないまま、ペットボトルのぬるい茶を飲んだ。スマホをいじり、まだそれほど遅い時間ではないことを知る。ポータルサイトからニュースが届いていた。上梨町小学六年女子失踪事件、未だ進展なし。ガラスのような眼で、怜はその見出しを読む。そして、自分自身に言い聞かせるかのような、はっきりした独り言を吐き出した。

 「失踪じゃなくて、殺人」

 突き出した手。
 つるつる滑る階段。
 
 怜は自分の手を見つめる。冷たい汗が額から滑り落ちる。
 今、上梨町は、小学六年の早瀬花音がプールで失踪した事件に沸いている。
 同じようなことが、怜が小学生の時にもあった。それを、どうして忘れていたのだろうかと自分を責めた。小学生時代にあった同級生の失踪事件。小さなニュースにはなったか、全国放送になるほどではなかった。どうしてだったろう、今ほど、そんなことを大げさに言うような時代ではなかったのだろうか。いや、そんなことは大した問題ではない。一番大きな問題は、その失踪が、実は殺人だったことだ。

 怜は知っている。
 あの子は失踪したのではない。
 あの子は、殺された。
 
 怜は頭を抱えてうずくまった。ぶぶうと微かな音を立て、外の通りを車が駆け抜ける。すうと幽霊のように、車のライトが部屋をよぎって唐突に消えた。
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