ひとりたりない

井川林檎

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 友達とは何だろう。
 
 これは、小学校低学年くらいか、下手をしたら幼稚園、保育所の年長さんあたりで、先生から子供たちに問いかけられることばではないだろうか。
 ぎこちないながら、懐かしい面子と食事をし、自分たちの現状を語りあった後、四人はまた、ばらばらに自分の抱える問題に戻ってゆく。しばらくの間、中華料理の匂いをかぐたびに、三十年前の仲間のことを思い出すだろうーーと、怜も、岸辺久美も、浜洋子も、思った。ただ一人、大友優がどう感じたかは分からないが、心を開かない真っ黒な目をしながらも、確かに彼の居場所は、そこにあったのだった。

 車の運転をしながら、怜は思いを巡らせる。
 あの時。
 上梨寺の並木道で経験した、あの怪物が「わらしさま」なのだとしたら。

 「わらしさま」の中にいた大友優に、なんらかの心境の変化があったから、あの絶望的な事態が突然変わったのだろう。そう怜は思っている。
 だから、大友優は、これから一歩を踏み出すのだ。「友達」が存在する世界に向かって。

 「わらしさま」は崩壊し、囚われていた「トモダチ」は解放された。だから、みいなは現実に戻ってこられた。
 その解釈が正しいのだとしたら。

 ハンドルを握る手が微かに震える。
 階段を転がり落ちていった瞬間ではなく、小さな野花のような笑顔で側にいてくれた、親友の顔を、怜は思い出していた。

 帰ってくるだろうか。
 もう、存在しないことになってしまっていた、あの子。
 この世界に、戻ってきてくれるだろうか。

 信号待ちの時、なんとなく怜はラジオをつけた。それは夜のニュース番組で、ちょうと話題が変わった瞬間だった。本日、T県N郡上梨町でーーアナウンサーの無機質な声が流れた瞬間、怜は目を見開いた。

 「子供の古い白骨死体が見つかりました。三十年前に行方不明になった、当時上梨小六年の町村光江さんではないかと、警察はーー」

 信号が青になる。
 怜は声を出して泣きながら、アクセルを踏んだ。

**

 「トモダチ」

 「それ」は、孤独のままだった。以前より一層、深く寒い孤独に苛まれながら、当てもなく暗闇を彷徨い続ける。
 「トモダチになろうよ、ね・・・・・・」

 「それ」は、欲しかった。自分の中に取り込み、「養分」を吸い取りながら、その孤独感を共有できる「トモダチ」が欲しかった。
 三十年間、「養分」を吸い上げ続けた「トモダチ」は、もう消えてしまった。最も、吸い上げるだけの養分も乏しくなってきたところだったから、「乗り換え」時だったのかもしれない。
 「それ」は、「トモダチ」に執着はなかった。

 「見つけた・・・・・・」

**

 きらびやかな生活の中で、真実心を開くことのできる相手がいない女。
 サロンを持ち、主婦仲間には崇められ、夫は薬品会社の重役であり、そのため町の中でも一目置かれる存在である。
 ラジオで紹介されるほど、充実した日々を過ごすきらめきの主婦。

 もし、三十年前当時、あの夏。
 あの時、上梨町に田中香織がいたならば、「それ」が自分の中に取り込み、自分の傀儡とした相手は、大友優ではなかったかもしれない。
 けれど、まあ、いい。
 三十年たった今、香織は以前よりも更に熟成された、よい「養分」を蓄えている。それも、たっぷりと。

 目標を見つけた「それ」は、にいい、と、笑う。
 幼い子供の姿をして、山越香織の背後に立つ。
 香織は鏡台に向かい、丹念に化粧をしている。誰に何のために見せつける化粧だというのだ。夫の心は、今はもう香織にはなく、会社のしがない受付の女の子に興味が向いている。香織のサロンに集まる主婦たちは、自分たちの夫の昇進がかかっているので良い顔をしているだけで、内心は、香織のことなど好きでもなんでもないのだ。

 トモダチ、欲しくない、ねえ。

 山越香織は、苛々と唇を塗る。なんで自分がこんなに苛々しているのか、時々分からないことがある。どうしてだろう、わたしは間違いなく強者で、成功者であるというのに。いつだって、子供のころから、不意に苛々することがある。だから、たまらなくなって、「正義」の鉄槌を落としたくなるのだ。
 「嫌われ組」。
 あれは、傑作だった。
 (なんで、真鍋健太や愛華や瀬川大翔は変わってしまったんだろう)

 「面白いことして、遊ぼうよ、ね」

 香織は、鏡に映る自分の美しく化粧された顔の横に、なにかを見た。
 そして、首を傾げた。

 にいいいいいっ。「それ」は、満面の笑みを見せる。
 見えてしまったんだね。ついに、キミはわたしの姿が見えてしまったんだね。

 「どこの子」
 と、香織はいぶかし気に問いかける。
 「それ」は、ますます笑み崩れながら、鏡越しに香織の瞳に力を集中させてゆくーーおいで、さあおいでーー気の強そうな、香織の両目が、一瞬、果てしない暗闇の色を映し出した。

 「トモダチ。欲しいんでしょ、ね・・・・・・」
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