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1話 連れ去られた娘
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◇プロローグ
ユーゴはアンナの話を聞きながら、落ち着かない様子で周囲を見回していた。
川べりに群生する雑草がカサカサと風に揺られて音を立てる。
鳥が危険を感じ取ったように一斉に飛び立ち、遠くの方では野犬が狂ったように吠えている。
異常な緊張感とはうらはらにアンナの声は穏やかだった。
アンナは何も知らないのだ。ユーゴだけが次に何が起こるかを理解している。
それでいて、いつも身動き一つ取れずに、アンナの話を聞いていることになる。
門限が早すぎるとか、友だちと街に行くのでさえ、すぐに迎えを寄越そうとするとか。そういった些細で微笑ましい愚痴だ。
「でしょう? お母さんっていつまでたっても子ども扱いするんだから」
アンナは口を尖らせ、ユーゴは「うん」と頷いた。
「きっとお父さんが物静かな人だからよ。お父さんが放任主義だから、一人で二倍も、三倍も私にかまうの」
ユーゴの住んでいた集落は山の中の扇状地と呼ばれる平野にあった。
長年、川が氾濫を繰り返し、山の土砂を扇形に振りまいてできる平地だ。
そこは牧草に適した植物が多く自生しており、馬の産地として有名だった。
長閑なだけが取り柄の辺鄙な小規模集落だった。
「あーあ、早く大人になりたいな」
アンナはこの平和な日常がずっと続き、いつか誰にも縛られることのない自由な大人になれると信じている。
犬の鳴き声が一層激しくなり、ユーゴはハッとして振り返った。
(来る……)
アンナが何も気づいていないのがもどかしい。
アンナは、犬の威嚇など何一つ聞こえていないように拗ねた表情をする。
「逃げて!! 今すぐここから逃げてくれアンナ!!」
ユーゴは叫ぶが、その声はアンナには届かない。
次の瞬間、集落の入り口から何十という馬がなだれ込んでくる。
その背中には野蛮な大男が乗っており、輪胴式魔銃をぶっ放し、ナタを振り回す。
このあたりの村人とは背丈からして違っており、赤ら顔で、髭におおわれており、祭りのような嬌声をあげている。
「来たっ……」
ユーゴは戦慄する。
群盗だ。
ラッセル領の外側からやってきて、あらゆるものを奪いつくしては、国境線を超えてうまく逃げおおせてしまう。
山のふもとで、深刻な被害をもたらし、噂は常々聞かされていた。警戒もしていた。
だが、この村まで来ることは今までに一度もなかった。
群盗は物見櫓に火を放ち、銃を取りに向かった村の男を後ろから切りつける。
それを見た男たちは女子供を家の中に避難させる。
しかし、もう間に合わない。
家から出て、戦闘に加わろうとしたところを馬上からの鋭い一刺しを食らって倒れこむ。
子どもの泣き声、女の叫び声、あちこちに火が放たれ、そこら中でバチバチと炎が爆ぜる。
勇敢な男が銃を手に持って反撃を試みる。
群盗の一人を倒すが、次の弾を装填しているところを馬でひき殺されてしまう。
群盗の一人が、呆けたように立ち尽くすアンナを見つけて笑う。
「アンナ、逃げろ、逃げるんだ!!」
ユーゴは叫ぶ。
その先には、もう救いのない不条理が待ち受けていることを知っている。
アンナの隣で母親の愚痴を聞くことさえ貴重な時間だった。
あのときはまだ、ささいなことに怒って笑うアンナを隣で眺めていられたのだ。
それはもう取り戻すことのできない幸せな時間だった。
◇
ユーゴは「うわあっ」と叫び、目を開け、荒い呼吸をしながら飛び起きた。
またこの夢かとため息をつき、額の汗をぬぐう。
心臓の鼓動が早い。
「なんで今さら……もう終わったんだ」
ユーゴの口から自嘲的な笑みが漏れた。
ユーゴは着替えを済ませて部屋を出る。
気分は最悪だったが、やることはいつもと変わらない。
今さらできることもなかった。
あの集落を出てから二年が経っており、すべてはもう遠い過去の出来事だった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。すぐにご飯ができるわ」
裏口から外に出るとき、コンラッド婦人と挨拶を交わした。
馬小屋に入ると、馬を外に出し、掃除を済ませて馬草を変える。それからもう一度馬を入れ、朝食を取るためにリビングに向かう。
食卓ではコンラッド婦人が朝食の準備をしていて、牧場主のコンラッドさんがユーゴに馬を買いつけに関する相談を持ち掛ける。
先日、収税吏で、野鳥狩り仲間のダグラスがやってきて、ロックヒルに関する噂を教えてくれたのだという。
ロックヒルのオヤジが手強い相手にやられて、二束三文で馬を買い戻すことになったそうだ。
「今ならその馬を安くで買えるかもしれない」
「この後、町まで行ってきましょうか。朝食のあとすぐに出れば、昼過ぎにはつくかと」
「そうしてくれ。ただし、切り札は最後まで取っておくんだぞ」
コンラッドさんは抜け目ない男だった。
「難しいな……」
「なにも難しくないさ。いいか? まず初めに容赦ない値段を吹っ掛けるんだ」
「それじゃ喧嘩になりますよ」
「なに、交渉の常套手段だよ」
コンラッドさんは続けた。
「こっちが一歩も譲らないことを示して、ロックヒルのオヤジは徐々に態度を軟化させるだろう。それくらいで譲るんじゃないぞ。とにかく、向こうがもう、これ以上はどうにもならないと言う段階になって、その馬が二束三文の馬だってことを最後につきつけてやるんだ」
ユーゴは困ったように笑う。
田舎育ちのユーゴは、コンラッドさんほどがめつい交渉はできない。
「やってみることはやってみますけど……」
と言って人のいい笑みを浮かべた。
ユーゴはアンナの話を聞きながら、落ち着かない様子で周囲を見回していた。
川べりに群生する雑草がカサカサと風に揺られて音を立てる。
鳥が危険を感じ取ったように一斉に飛び立ち、遠くの方では野犬が狂ったように吠えている。
異常な緊張感とはうらはらにアンナの声は穏やかだった。
アンナは何も知らないのだ。ユーゴだけが次に何が起こるかを理解している。
それでいて、いつも身動き一つ取れずに、アンナの話を聞いていることになる。
門限が早すぎるとか、友だちと街に行くのでさえ、すぐに迎えを寄越そうとするとか。そういった些細で微笑ましい愚痴だ。
「でしょう? お母さんっていつまでたっても子ども扱いするんだから」
アンナは口を尖らせ、ユーゴは「うん」と頷いた。
「きっとお父さんが物静かな人だからよ。お父さんが放任主義だから、一人で二倍も、三倍も私にかまうの」
ユーゴの住んでいた集落は山の中の扇状地と呼ばれる平野にあった。
長年、川が氾濫を繰り返し、山の土砂を扇形に振りまいてできる平地だ。
そこは牧草に適した植物が多く自生しており、馬の産地として有名だった。
長閑なだけが取り柄の辺鄙な小規模集落だった。
「あーあ、早く大人になりたいな」
アンナはこの平和な日常がずっと続き、いつか誰にも縛られることのない自由な大人になれると信じている。
犬の鳴き声が一層激しくなり、ユーゴはハッとして振り返った。
(来る……)
アンナが何も気づいていないのがもどかしい。
アンナは、犬の威嚇など何一つ聞こえていないように拗ねた表情をする。
「逃げて!! 今すぐここから逃げてくれアンナ!!」
ユーゴは叫ぶが、その声はアンナには届かない。
次の瞬間、集落の入り口から何十という馬がなだれ込んでくる。
その背中には野蛮な大男が乗っており、輪胴式魔銃をぶっ放し、ナタを振り回す。
このあたりの村人とは背丈からして違っており、赤ら顔で、髭におおわれており、祭りのような嬌声をあげている。
「来たっ……」
ユーゴは戦慄する。
群盗だ。
ラッセル領の外側からやってきて、あらゆるものを奪いつくしては、国境線を超えてうまく逃げおおせてしまう。
山のふもとで、深刻な被害をもたらし、噂は常々聞かされていた。警戒もしていた。
だが、この村まで来ることは今までに一度もなかった。
群盗は物見櫓に火を放ち、銃を取りに向かった村の男を後ろから切りつける。
それを見た男たちは女子供を家の中に避難させる。
しかし、もう間に合わない。
家から出て、戦闘に加わろうとしたところを馬上からの鋭い一刺しを食らって倒れこむ。
子どもの泣き声、女の叫び声、あちこちに火が放たれ、そこら中でバチバチと炎が爆ぜる。
勇敢な男が銃を手に持って反撃を試みる。
群盗の一人を倒すが、次の弾を装填しているところを馬でひき殺されてしまう。
群盗の一人が、呆けたように立ち尽くすアンナを見つけて笑う。
「アンナ、逃げろ、逃げるんだ!!」
ユーゴは叫ぶ。
その先には、もう救いのない不条理が待ち受けていることを知っている。
アンナの隣で母親の愚痴を聞くことさえ貴重な時間だった。
あのときはまだ、ささいなことに怒って笑うアンナを隣で眺めていられたのだ。
それはもう取り戻すことのできない幸せな時間だった。
◇
ユーゴは「うわあっ」と叫び、目を開け、荒い呼吸をしながら飛び起きた。
またこの夢かとため息をつき、額の汗をぬぐう。
心臓の鼓動が早い。
「なんで今さら……もう終わったんだ」
ユーゴの口から自嘲的な笑みが漏れた。
ユーゴは着替えを済ませて部屋を出る。
気分は最悪だったが、やることはいつもと変わらない。
今さらできることもなかった。
あの集落を出てから二年が経っており、すべてはもう遠い過去の出来事だった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。すぐにご飯ができるわ」
裏口から外に出るとき、コンラッド婦人と挨拶を交わした。
馬小屋に入ると、馬を外に出し、掃除を済ませて馬草を変える。それからもう一度馬を入れ、朝食を取るためにリビングに向かう。
食卓ではコンラッド婦人が朝食の準備をしていて、牧場主のコンラッドさんがユーゴに馬を買いつけに関する相談を持ち掛ける。
先日、収税吏で、野鳥狩り仲間のダグラスがやってきて、ロックヒルに関する噂を教えてくれたのだという。
ロックヒルのオヤジが手強い相手にやられて、二束三文で馬を買い戻すことになったそうだ。
「今ならその馬を安くで買えるかもしれない」
「この後、町まで行ってきましょうか。朝食のあとすぐに出れば、昼過ぎにはつくかと」
「そうしてくれ。ただし、切り札は最後まで取っておくんだぞ」
コンラッドさんは抜け目ない男だった。
「難しいな……」
「なにも難しくないさ。いいか? まず初めに容赦ない値段を吹っ掛けるんだ」
「それじゃ喧嘩になりますよ」
「なに、交渉の常套手段だよ」
コンラッドさんは続けた。
「こっちが一歩も譲らないことを示して、ロックヒルのオヤジは徐々に態度を軟化させるだろう。それくらいで譲るんじゃないぞ。とにかく、向こうがもう、これ以上はどうにもならないと言う段階になって、その馬が二束三文の馬だってことを最後につきつけてやるんだ」
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