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3章 荒野の麗人
2、もう終わりだ
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「どうかな。やれることはやった。あとは彼女の回復力に期待するだけだ」
「ほう、女なのか」
トウセキの目つきが鋭くなり、ユーゴは医者が小さな失態を犯したことに気が付いた。
一瞬後に、医者の目に激しい狼狽の色が浮かぶ。
「いや、彼女とは言ったが、深い意味はないんだ」
「何を慌ててるんだ?」
「べ、別に慌てているわけではないが――」
医者はもつれる舌でなんとかそう言った。
「俺に知られると困るのか?」
「あんたの欲しがるような女じゃねえよ。きれいどころはみんなさらって行っただろうが」
職人風の男が慌てて助け舟を出した。
「ケガが凄そうだったから興味が湧いただけだ。部屋中血まみれだからな。何割かは俺の血だが」
床には奥の部屋へと診察台を引きずった跡があり、平行に伸びた二本の血の道ができていた。トウセキはその間をまるで線路の上を歩くように、俯きがちに進んだ。
どす黒い線路は物置部屋の前で途切れた。
トウセキはそのドアに手をかけた。
アンナが見つかる――。
ユーゴは戦慄した眼差しでそれを見つめていた。
診察台に横たわったアンナを見れば、トウセキは医者や、職人風の男に説明を求めるはずだ。彼らは今までに起こったことを洗いざらい話してしまうだろう。
そうすればトウセキの怒りはユーゴに向けられるはずだ。
ユーゴはありとあらゆる暴力が自分の目の前まで来ていることを悟った。トウセキは決して容赦しない。
ユーゴは足がすくむのを感じた。
腹から血を流していようともトウセキはユーゴを掴まえる。そこから先は考えたくもなかった。
「急いでるんじゃないのか? ジョー様があんたを追ってる」
職人風の男がトウセキの行く手を阻んだ。ドアを抑えつけている手は、だらしなくぶるぶると震えていた。
「この部屋を覗いてからでも遅くはない。先客を見舞ったら、すぐに行くさ」
「今、治療を終えたところなんだ。安静にしとかねえと」
「連れて行くとは言ってないだろう。偶然にも同じ日に瀕死の傷を負ったんだ。先客の具合がどうか知りたいだけだ」
「大した偶然じゃねえよ。この町じゃ怪我人は珍しくない。さっさと行ってくれないか」
「邪魔をするな」
「マジで手遅れになるぞ。今度の討伐隊には東の集落出身の男が指揮を取っているそうだからな。すぐにここまでたどり着く」
東の集落と聞いて、ユーゴは思わず顔をあげた。
この町において東の集落と呼ばれている場所は一か所しかなく、そこはユーゴが十二歳までを過ごした生まれ故郷だった。
誰だろうか。ジョー様が討伐隊を組織したという話だから、ラッセル領防衛騎士団から部隊を選んだのだろう。
貧しい集落だったから、出世を夢見て軍隊に入りたがる若者は珍しくなかった。だが、実際に軍隊に入るために集落を出る若者はいなかったはずだ。
ユーゴが集落を出た後だろうか。
もしそうだとしても、村の男どもはユーゴがトウセキを殺しに行くのを必死に止めたような腰抜けばかりだ。防衛軍に入るような男は一人も思い浮かばなかった。
「随分と俺のことを心配してくれるんだな」
「この町でドンパチされたくないだけだ」
「それならさっさとその手をどけるんだ。俺は先客を見舞えばすぐに行くって言ってるだろ。馬にさえ乗れば俺に追いつけるやつはいないんだ」
トウセキは職人風の男の手を乱暴に払いのけると、ドアノブを掴んで扉を開けた。
ガチャリ。
誰もが、トウセキが部屋の奥の光景を目にしたと悟った。
職人風の男はクマに出くわしたかのように後ずさり、トウセキから離れた。
そして、トウセキの手の届かない距離まで下がったことを確認すると、見えない拳に殴られたかのように身をよじり、悶えるように駆け出した。
それを見た宿屋の主人も先を争うように医者の家から飛び出した。
医者は恐怖のあまり動けないようだった。
ユーゴは逃げる機会を逸して、どうせ死ぬのなら最後にアンナの寝顔を見ようと物置部屋を覗き込んだ。
トウセキは埃っぽい真っ暗な部屋に足を踏み入れた。
「暗いな」
トウセキは壁に手を這わせ、ランプを探した。
「倉庫だからな。今、ランプを取ってくるよ」
医者はそう言って、ユーゴの背中を押した。
隙を見てユーゴを逃がそうとしてくれているようだ。
「動くんじゃねえ、ヤブ医者。そっちの男もだ」
トウセキが唸るような声をあげた。
「お前ら俺になんか隠してるだろ。都合の悪いことだ。そうじゃなきゃ、あの二人が逃げ出すわけがない」
「隠してなんかいないさ」
「この女は俺の知ってる女か? それとも俺に知られちゃ都合の悪い女なのか?」
「どっちでもないさ。今ランプを持ってきてやるから気が済むまで見ると良い」
医者はユーゴの肩を抱き、さりげなく外に連れ出そうとした。
トウセキはそれを見逃さなかった。
「動くんじゃねえって言っただろ。マッチで十分だ。顔さえ見られれば良いからな。とにかくじっとしてるんだ。妙な気を起こすんじゃないぞ」
トウセキはマッチ箱からマッチを一本取り出し、今まさに擦ろうと人差し指でマッチ棒の尻を叩いた。
もう終わりだ。
ユーゴはそう思った。
「ほう、女なのか」
トウセキの目つきが鋭くなり、ユーゴは医者が小さな失態を犯したことに気が付いた。
一瞬後に、医者の目に激しい狼狽の色が浮かぶ。
「いや、彼女とは言ったが、深い意味はないんだ」
「何を慌ててるんだ?」
「べ、別に慌てているわけではないが――」
医者はもつれる舌でなんとかそう言った。
「俺に知られると困るのか?」
「あんたの欲しがるような女じゃねえよ。きれいどころはみんなさらって行っただろうが」
職人風の男が慌てて助け舟を出した。
「ケガが凄そうだったから興味が湧いただけだ。部屋中血まみれだからな。何割かは俺の血だが」
床には奥の部屋へと診察台を引きずった跡があり、平行に伸びた二本の血の道ができていた。トウセキはその間をまるで線路の上を歩くように、俯きがちに進んだ。
どす黒い線路は物置部屋の前で途切れた。
トウセキはそのドアに手をかけた。
アンナが見つかる――。
ユーゴは戦慄した眼差しでそれを見つめていた。
診察台に横たわったアンナを見れば、トウセキは医者や、職人風の男に説明を求めるはずだ。彼らは今までに起こったことを洗いざらい話してしまうだろう。
そうすればトウセキの怒りはユーゴに向けられるはずだ。
ユーゴはありとあらゆる暴力が自分の目の前まで来ていることを悟った。トウセキは決して容赦しない。
ユーゴは足がすくむのを感じた。
腹から血を流していようともトウセキはユーゴを掴まえる。そこから先は考えたくもなかった。
「急いでるんじゃないのか? ジョー様があんたを追ってる」
職人風の男がトウセキの行く手を阻んだ。ドアを抑えつけている手は、だらしなくぶるぶると震えていた。
「この部屋を覗いてからでも遅くはない。先客を見舞ったら、すぐに行くさ」
「今、治療を終えたところなんだ。安静にしとかねえと」
「連れて行くとは言ってないだろう。偶然にも同じ日に瀕死の傷を負ったんだ。先客の具合がどうか知りたいだけだ」
「大した偶然じゃねえよ。この町じゃ怪我人は珍しくない。さっさと行ってくれないか」
「邪魔をするな」
「マジで手遅れになるぞ。今度の討伐隊には東の集落出身の男が指揮を取っているそうだからな。すぐにここまでたどり着く」
東の集落と聞いて、ユーゴは思わず顔をあげた。
この町において東の集落と呼ばれている場所は一か所しかなく、そこはユーゴが十二歳までを過ごした生まれ故郷だった。
誰だろうか。ジョー様が討伐隊を組織したという話だから、ラッセル領防衛騎士団から部隊を選んだのだろう。
貧しい集落だったから、出世を夢見て軍隊に入りたがる若者は珍しくなかった。だが、実際に軍隊に入るために集落を出る若者はいなかったはずだ。
ユーゴが集落を出た後だろうか。
もしそうだとしても、村の男どもはユーゴがトウセキを殺しに行くのを必死に止めたような腰抜けばかりだ。防衛軍に入るような男は一人も思い浮かばなかった。
「随分と俺のことを心配してくれるんだな」
「この町でドンパチされたくないだけだ」
「それならさっさとその手をどけるんだ。俺は先客を見舞えばすぐに行くって言ってるだろ。馬にさえ乗れば俺に追いつけるやつはいないんだ」
トウセキは職人風の男の手を乱暴に払いのけると、ドアノブを掴んで扉を開けた。
ガチャリ。
誰もが、トウセキが部屋の奥の光景を目にしたと悟った。
職人風の男はクマに出くわしたかのように後ずさり、トウセキから離れた。
そして、トウセキの手の届かない距離まで下がったことを確認すると、見えない拳に殴られたかのように身をよじり、悶えるように駆け出した。
それを見た宿屋の主人も先を争うように医者の家から飛び出した。
医者は恐怖のあまり動けないようだった。
ユーゴは逃げる機会を逸して、どうせ死ぬのなら最後にアンナの寝顔を見ようと物置部屋を覗き込んだ。
トウセキは埃っぽい真っ暗な部屋に足を踏み入れた。
「暗いな」
トウセキは壁に手を這わせ、ランプを探した。
「倉庫だからな。今、ランプを取ってくるよ」
医者はそう言って、ユーゴの背中を押した。
隙を見てユーゴを逃がそうとしてくれているようだ。
「動くんじゃねえ、ヤブ医者。そっちの男もだ」
トウセキが唸るような声をあげた。
「お前ら俺になんか隠してるだろ。都合の悪いことだ。そうじゃなきゃ、あの二人が逃げ出すわけがない」
「隠してなんかいないさ」
「この女は俺の知ってる女か? それとも俺に知られちゃ都合の悪い女なのか?」
「どっちでもないさ。今ランプを持ってきてやるから気が済むまで見ると良い」
医者はユーゴの肩を抱き、さりげなく外に連れ出そうとした。
トウセキはそれを見逃さなかった。
「動くんじゃねえって言っただろ。マッチで十分だ。顔さえ見られれば良いからな。とにかくじっとしてるんだ。妙な気を起こすんじゃないぞ」
トウセキはマッチ箱からマッチを一本取り出し、今まさに擦ろうと人差し指でマッチ棒の尻を叩いた。
もう終わりだ。
ユーゴはそう思った。
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