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第一章 蔵之介、持ち込みを断られる
七
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蔵之介は、暗がりで人影が動いたのを感じとった。
鐘の音が消えてから、たいして時は経っていない。どうやら約束は守ったということか。
蔵之介は声をかけた。
「山村殿ですか」
「そ、そうだ」
「連れてきてくれましたか」
「あ、ああ。おぬしの言うとおりにしたら、こうして……」
蔵之介が提灯をかざすと、闇の彼方に人影が重なっているのが見てとれた。
三人、いや、四人か。どうやら全員がお出ましらしい。
先頭に立つのが山村で、これは見知った顔だった。
夜の闇につつまれていても、顔色の青さがわかる。
その後は恰幅のある男たちだった。いずれも剃髪しており、四幅袴に十徳といういでたちである。
眼光の厳しさが弱い明かり越しに伝わってくる。
「おぬしが辻蔵之介か」
山村を押しのけて、小柄な男が出てきた。正面から蔵之介をにらみつけてくる。
それなりに迫力はあったが、彼は怯まなかった。
「さようです」
「いったい、なんのつもりで、こんな夜更けに呼び出した」
「話があるからですよ。三観様」
三観と呼ばれた男は、顔をゆがめた。
東原塾の塾頭であり、蘭学医としても名を知られている男にしては、ひどく下品なふるまいだった。
彼らが顔をあわせたのは、深川三十三間堂の裏手だった。川を越せば木場であり、江戸の外れともいっていい場所だ。
日が暮れてから半刻が経ち、周囲は静寂につつまれている。
深川八幡から離れていることもあって、人の気配はほとんどない。
江戸の外れであることを承知の上で、蔵之介は呼び出した。必ず来ると思っていたし、その読みは間違っていなかった。
「来たのは、心あたりがあるからでしょう」
蔵之介は懐から冊子を取りだした。
「あなた方が欲しいのは、これでしょう」
三観がさらに顔をゆがめる。
「八犬伝の第二肆。父が亡くした信乃が旅立つ。素晴らしい場面です。私も何度も読みました。ですが、この冊子は微妙に内容が違う。この一丁がまったく違ったものに差し替えられている」
蔵之介は小刀で冊子をばらばらにすると、三観の足元に投げ捨てた。
「うまく本文に埋め込んでいますが、これは符丁ですね。頭の文字を横に読めば、いつ、どこで取引をするのかわかる。抜荷の薬草を」
「貴様!」
「仕掛けたのは、どちらなのかわかりませんが、あなた方は薬問屋の中川屋と手を組み、唐物の薬草を持ち込み、密かに売りさばいていましたね。いわゆる抜荷というやつです。そこの山村様がやっていた横流しにより、ずっと大きいものをね。かなり儲かったでしょう」
蔵之介が笑うと、三観の目が吊りあがった。怒りを露わにしている。
「で、その時、仲間内でつなぎを取るために使ったのが、草双紙です。密かにばらして中味を入れ替えて、皆に回した。それでうまくいっていたが、ある時、東隠先生の書庫に紛れてしまった。そうですよね」
顔色が変わったのは、三観の背後に控えていた男だった。小肥りの身体が細かく震えている。
「あなたが下手人でしたか。多分、借りた本を返した時に潜り込んだのでしょうね。必死に探して、ようやく玄庵殿のところにあるとわかった。素直に返してくれと言えばよいのに、中味を見られることを怖れて強引に取り戻そうとした。それがすべてのはじまりですよ」
符丁をありかを知って、三観とその一味はすばやく動いた。
玄庵と山村が仲が悪いことはわかっていたので、それを利用するべく、わざと対立をあおり、騒動が大きくするように仕向けた。
その一方で、ならず者や送り込んで、玄庵に圧力をかけた。
盗人を送り込んだのも彼らで、できれば、その時に盗み出すつもりだった。
すべてが失敗し、しかも蔵之介の脅しで山村たちが手を引くと知って、三観たちは焦った。事が露見してはかなわないとのことで、三観の実家を動かし、家臣を借りて、玄庵の屋敷を襲った。
「いくら何でもやり過ぎです。すべてを隠すために、玄庵殿の命をねらうとは。もう許せません」
屋敷を襲ったのは、筋目のよい武士だった。弓矢の使い方も優れていたし、何より主君の名に従うという強い意志を感じた。
それに気づいた時、蔵之介は事の真相に気づいた。
山村たちは単なる隠れ蓑で、彼らのせいにして、すべてを始末するべく、裏で何かが動いている。
蔵之介は急ぎ三左衛門に声をかけ、知り合いも動かして、東原塾そのものに探りを入れた。
出てきた答えは、塾頭を含む重鎮が抜荷に手を染めていたことだった。
「もう御番所には話をつけています。お偉いさんもかばってくれないですよ。素直に縛に就くのがよろしいかと」
「ふざけるな。おい」
三観が吠えると、最も後に控えていた男が刀を抜いて迫ってきた。
その顔には見おぼえがある。
本所で彼らを襲ったならず者だ。
名は名乗ったか。とりあえず覚えはないが。
蔵之介は懐に手を入れる。
それを見て、ならず者は左に跳んだ。さすがに吹き矢にやられるつもりはないか。
左からの斬撃が来る。
うまく下がって、蔵之介はかわす。
つづく横からの一撃も、巧みに避ける。
「おのれ。ちょこまかと」
「やりあうつもりはありませんよ。私は剣が下手くそなのでね」
ならず者に追い込まれて、蔵之介は川沿いに追い込まれる。もう後退はできない。
それを見抜いて、ならず者はまっすぐに突っ込んできた。
蔵之介はあえて動かず、吹き矢を口にあてる。
ならず者は右に跳んで、痛い目にあった武具から逃げようとする。
そこをねらって、蔵之介は間合いを詰め、その足を巧みに払った。
耐えられず、ならず者はよろめき、蔵之介がその身体を押してやると、そのまま傾いて堀に落ちた。
大きな水音があがって、水しぶきが辺りを濡らす。
「動きすぎなんですよ。おかげで、作らなくてもいい隙を作ることになる」
蔵之介は医者の一団を見つめた。
「どうします。やりますか?」
三観たちは目を見開いて下がる。
「この吹き矢、玄庵殿に頼んで強い薬を塗っていただきました。刺されば、すぐに痺れますし、あるいは身体の具合によっては、もっと悪いことになるかもしれません。試してみますか」
返事はなかった。
やわらかい風が吹いてきたところで、蔵之介は事件がおおむね片づいたことを察していた。
鐘の音が消えてから、たいして時は経っていない。どうやら約束は守ったということか。
蔵之介は声をかけた。
「山村殿ですか」
「そ、そうだ」
「連れてきてくれましたか」
「あ、ああ。おぬしの言うとおりにしたら、こうして……」
蔵之介が提灯をかざすと、闇の彼方に人影が重なっているのが見てとれた。
三人、いや、四人か。どうやら全員がお出ましらしい。
先頭に立つのが山村で、これは見知った顔だった。
夜の闇につつまれていても、顔色の青さがわかる。
その後は恰幅のある男たちだった。いずれも剃髪しており、四幅袴に十徳といういでたちである。
眼光の厳しさが弱い明かり越しに伝わってくる。
「おぬしが辻蔵之介か」
山村を押しのけて、小柄な男が出てきた。正面から蔵之介をにらみつけてくる。
それなりに迫力はあったが、彼は怯まなかった。
「さようです」
「いったい、なんのつもりで、こんな夜更けに呼び出した」
「話があるからですよ。三観様」
三観と呼ばれた男は、顔をゆがめた。
東原塾の塾頭であり、蘭学医としても名を知られている男にしては、ひどく下品なふるまいだった。
彼らが顔をあわせたのは、深川三十三間堂の裏手だった。川を越せば木場であり、江戸の外れともいっていい場所だ。
日が暮れてから半刻が経ち、周囲は静寂につつまれている。
深川八幡から離れていることもあって、人の気配はほとんどない。
江戸の外れであることを承知の上で、蔵之介は呼び出した。必ず来ると思っていたし、その読みは間違っていなかった。
「来たのは、心あたりがあるからでしょう」
蔵之介は懐から冊子を取りだした。
「あなた方が欲しいのは、これでしょう」
三観がさらに顔をゆがめる。
「八犬伝の第二肆。父が亡くした信乃が旅立つ。素晴らしい場面です。私も何度も読みました。ですが、この冊子は微妙に内容が違う。この一丁がまったく違ったものに差し替えられている」
蔵之介は小刀で冊子をばらばらにすると、三観の足元に投げ捨てた。
「うまく本文に埋め込んでいますが、これは符丁ですね。頭の文字を横に読めば、いつ、どこで取引をするのかわかる。抜荷の薬草を」
「貴様!」
「仕掛けたのは、どちらなのかわかりませんが、あなた方は薬問屋の中川屋と手を組み、唐物の薬草を持ち込み、密かに売りさばいていましたね。いわゆる抜荷というやつです。そこの山村様がやっていた横流しにより、ずっと大きいものをね。かなり儲かったでしょう」
蔵之介が笑うと、三観の目が吊りあがった。怒りを露わにしている。
「で、その時、仲間内でつなぎを取るために使ったのが、草双紙です。密かにばらして中味を入れ替えて、皆に回した。それでうまくいっていたが、ある時、東隠先生の書庫に紛れてしまった。そうですよね」
顔色が変わったのは、三観の背後に控えていた男だった。小肥りの身体が細かく震えている。
「あなたが下手人でしたか。多分、借りた本を返した時に潜り込んだのでしょうね。必死に探して、ようやく玄庵殿のところにあるとわかった。素直に返してくれと言えばよいのに、中味を見られることを怖れて強引に取り戻そうとした。それがすべてのはじまりですよ」
符丁をありかを知って、三観とその一味はすばやく動いた。
玄庵と山村が仲が悪いことはわかっていたので、それを利用するべく、わざと対立をあおり、騒動が大きくするように仕向けた。
その一方で、ならず者や送り込んで、玄庵に圧力をかけた。
盗人を送り込んだのも彼らで、できれば、その時に盗み出すつもりだった。
すべてが失敗し、しかも蔵之介の脅しで山村たちが手を引くと知って、三観たちは焦った。事が露見してはかなわないとのことで、三観の実家を動かし、家臣を借りて、玄庵の屋敷を襲った。
「いくら何でもやり過ぎです。すべてを隠すために、玄庵殿の命をねらうとは。もう許せません」
屋敷を襲ったのは、筋目のよい武士だった。弓矢の使い方も優れていたし、何より主君の名に従うという強い意志を感じた。
それに気づいた時、蔵之介は事の真相に気づいた。
山村たちは単なる隠れ蓑で、彼らのせいにして、すべてを始末するべく、裏で何かが動いている。
蔵之介は急ぎ三左衛門に声をかけ、知り合いも動かして、東原塾そのものに探りを入れた。
出てきた答えは、塾頭を含む重鎮が抜荷に手を染めていたことだった。
「もう御番所には話をつけています。お偉いさんもかばってくれないですよ。素直に縛に就くのがよろしいかと」
「ふざけるな。おい」
三観が吠えると、最も後に控えていた男が刀を抜いて迫ってきた。
その顔には見おぼえがある。
本所で彼らを襲ったならず者だ。
名は名乗ったか。とりあえず覚えはないが。
蔵之介は懐に手を入れる。
それを見て、ならず者は左に跳んだ。さすがに吹き矢にやられるつもりはないか。
左からの斬撃が来る。
うまく下がって、蔵之介はかわす。
つづく横からの一撃も、巧みに避ける。
「おのれ。ちょこまかと」
「やりあうつもりはありませんよ。私は剣が下手くそなのでね」
ならず者に追い込まれて、蔵之介は川沿いに追い込まれる。もう後退はできない。
それを見抜いて、ならず者はまっすぐに突っ込んできた。
蔵之介はあえて動かず、吹き矢を口にあてる。
ならず者は右に跳んで、痛い目にあった武具から逃げようとする。
そこをねらって、蔵之介は間合いを詰め、その足を巧みに払った。
耐えられず、ならず者はよろめき、蔵之介がその身体を押してやると、そのまま傾いて堀に落ちた。
大きな水音があがって、水しぶきが辺りを濡らす。
「動きすぎなんですよ。おかげで、作らなくてもいい隙を作ることになる」
蔵之介は医者の一団を見つめた。
「どうします。やりますか?」
三観たちは目を見開いて下がる。
「この吹き矢、玄庵殿に頼んで強い薬を塗っていただきました。刺されば、すぐに痺れますし、あるいは身体の具合によっては、もっと悪いことになるかもしれません。試してみますか」
返事はなかった。
やわらかい風が吹いてきたところで、蔵之介は事件がおおむね片づいたことを察していた。
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