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第五話 戯作者の生きる道
九
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蔵之介は亀久橋を渡ったところで、懐から冊子を取りだした。ぱらぱらとめくって中味を確かめる。
思ったよりもよい出来だ。時間がないのに、よくやってくれた。
「おう、それが噂の草双紙か」
力強い声に振り向くと、三左衛門が彼を見ていた。手をあげて、ゆっくり歩み寄ってくる。
「みせてくれよ」
「ああ」
蔵之介が手渡すと、三左衛門も彼と同じように紙をめくった。
「いいな。これだったら関本家にも迷惑はかかるまい。『たいそう』の評判もいっそうあがるだろう」
「桐文堂ががんばったおかげだ。いい書き手を見つけてくれたよ」
「おぬしが書けばよかったのに」
「遠慮した。知りすぎていて、かえって書きにくい」
二人が連れだって歩きはじめると、初秋のやわらかい日射しが彼らを包みこんだ。
砂村新田の戦いが終わって二月が経ち、騒動はようやく落ち着いた。
京の隠密はあの日を境にまったく動きを見せず、しずや蔵之介を襲うこともなくなった。
『たいそう』と関本家の関係も一区切りがついた。関本家は非を認めて謝罪し、しずもそれを受けいれた。
「まさか、草双紙を使うとはな。おぬしらしいよ」
三左衛門が冊子を振ったので、蔵之介は笑った。
「ぱっと思いついただけだ。うまくいくかどうかはわからなかった」
争いは関本家が一方的に詫びる形で終わったのであるが、そのことに不満を持っている家臣も多く、放っておけば遺恨が残ることは明らかだった。
そこで、蔵之介は、関本家の顔を立てるため、草双紙を出して、今回の事件の顛末を記すことを提案した。もちろん、露骨に名前は出せないので、事情を知っている者が見ればわかるような形にする。
関本家は激情に駆られて町民を殴りつけ、『たいそう』にも恨みを持ったが、途中で自分たちが悪かったことに気づき、誠心誠意を尽くして詫びを入れ、今後、同じことはしないと約束した。そういう体裁で物語を作りあげ、草双紙として刊行した。
版元は、もちろん桐文堂だ。行司にも許可を取り、またたく間に作りあげた。
肝は、関本家が町人相手に詫びを入れるところで、激しく葛藤しながらも、悪いことは悪いと素直に認め、己の首を差し出す勢いで謝罪の言葉を並べていた。名文であり、切切と思いを語る場面にはその場で見ているかのような臨場感があった。
自分の罪を認めて、立場の下の者に詫びたということで、作中の武家には同情が集まり、ひいては関本家の評判を回復するきっかけにもなった。
「うまくいってよかったよ。しず殿も気にしていたからな」
関本家に変な噂が流れたら困る。できるだけ穏便に物事が収まるようにして欲しいとしずも語っていた。騒ぎにはなったが、悪評が流れなかったのは好運だった。
「今回は、いろいろと考えさせられたよ」
京の隠密と戦うことになるとは思わなかった。三左衛門の言うとおり、時代は大きく動いている。
五年後、十年後がどうなっているのかわからない。
「今とはまったく世の中になっているかもしれないな」
「それでも、おぬしは戯作者なのだろう」
「ああ。これからも、新しい物語を書いて、読み手に楽しんでもらいたい。それが明日を切り開くことにつながるはずだ」
苦しい時やつらい時、自分の書いた草双紙を読んで、少しでも気が紛れるのであれば、これほどうれしいことはない。豪傑や剣豪の戦いを読んで、自分も登場人物たちと同じように戦っている気分になって、一瞬でもいいから嫌なことは忘れてくれれば、執筆の苦労も気にならない。
蔵之介の物語は、人々の背中を押すためにある。明日への一歩を踏み出すための力になってほしいと、本気で願ってやまない。
「それで、懐にあるのが原稿か」
「ああ。桐文堂に持っていく。今度こそおもしろいと言わせてやる」
「どうだろう。甚五郎は厳しいぞ。あえなく討ち死にとなるかもしれん」
「余計なことは言うな。今度は自信作なんだ。いいか」
蔵之介は話の筋を語りながら、川沿いを歩いていく。
秋の風が静かに吹きぬける。時はまた一つ進み、新たなる季節が、未来を作る若者の前に静かに姿を見せつつあった。
了
思ったよりもよい出来だ。時間がないのに、よくやってくれた。
「おう、それが噂の草双紙か」
力強い声に振り向くと、三左衛門が彼を見ていた。手をあげて、ゆっくり歩み寄ってくる。
「みせてくれよ」
「ああ」
蔵之介が手渡すと、三左衛門も彼と同じように紙をめくった。
「いいな。これだったら関本家にも迷惑はかかるまい。『たいそう』の評判もいっそうあがるだろう」
「桐文堂ががんばったおかげだ。いい書き手を見つけてくれたよ」
「おぬしが書けばよかったのに」
「遠慮した。知りすぎていて、かえって書きにくい」
二人が連れだって歩きはじめると、初秋のやわらかい日射しが彼らを包みこんだ。
砂村新田の戦いが終わって二月が経ち、騒動はようやく落ち着いた。
京の隠密はあの日を境にまったく動きを見せず、しずや蔵之介を襲うこともなくなった。
『たいそう』と関本家の関係も一区切りがついた。関本家は非を認めて謝罪し、しずもそれを受けいれた。
「まさか、草双紙を使うとはな。おぬしらしいよ」
三左衛門が冊子を振ったので、蔵之介は笑った。
「ぱっと思いついただけだ。うまくいくかどうかはわからなかった」
争いは関本家が一方的に詫びる形で終わったのであるが、そのことに不満を持っている家臣も多く、放っておけば遺恨が残ることは明らかだった。
そこで、蔵之介は、関本家の顔を立てるため、草双紙を出して、今回の事件の顛末を記すことを提案した。もちろん、露骨に名前は出せないので、事情を知っている者が見ればわかるような形にする。
関本家は激情に駆られて町民を殴りつけ、『たいそう』にも恨みを持ったが、途中で自分たちが悪かったことに気づき、誠心誠意を尽くして詫びを入れ、今後、同じことはしないと約束した。そういう体裁で物語を作りあげ、草双紙として刊行した。
版元は、もちろん桐文堂だ。行司にも許可を取り、またたく間に作りあげた。
肝は、関本家が町人相手に詫びを入れるところで、激しく葛藤しながらも、悪いことは悪いと素直に認め、己の首を差し出す勢いで謝罪の言葉を並べていた。名文であり、切切と思いを語る場面にはその場で見ているかのような臨場感があった。
自分の罪を認めて、立場の下の者に詫びたということで、作中の武家には同情が集まり、ひいては関本家の評判を回復するきっかけにもなった。
「うまくいってよかったよ。しず殿も気にしていたからな」
関本家に変な噂が流れたら困る。できるだけ穏便に物事が収まるようにして欲しいとしずも語っていた。騒ぎにはなったが、悪評が流れなかったのは好運だった。
「今回は、いろいろと考えさせられたよ」
京の隠密と戦うことになるとは思わなかった。三左衛門の言うとおり、時代は大きく動いている。
五年後、十年後がどうなっているのかわからない。
「今とはまったく世の中になっているかもしれないな」
「それでも、おぬしは戯作者なのだろう」
「ああ。これからも、新しい物語を書いて、読み手に楽しんでもらいたい。それが明日を切り開くことにつながるはずだ」
苦しい時やつらい時、自分の書いた草双紙を読んで、少しでも気が紛れるのであれば、これほどうれしいことはない。豪傑や剣豪の戦いを読んで、自分も登場人物たちと同じように戦っている気分になって、一瞬でもいいから嫌なことは忘れてくれれば、執筆の苦労も気にならない。
蔵之介の物語は、人々の背中を押すためにある。明日への一歩を踏み出すための力になってほしいと、本気で願ってやまない。
「それで、懐にあるのが原稿か」
「ああ。桐文堂に持っていく。今度こそおもしろいと言わせてやる」
「どうだろう。甚五郎は厳しいぞ。あえなく討ち死にとなるかもしれん」
「余計なことは言うな。今度は自信作なんだ。いいか」
蔵之介は話の筋を語りながら、川沿いを歩いていく。
秋の風が静かに吹きぬける。時はまた一つ進み、新たなる季節が、未来を作る若者の前に静かに姿を見せつつあった。
了
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