やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第二話 仕合なんて出たくないよ

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「うまく話がついてよかったですね」
「まったくだ。やはり佐野空風先生は、素晴らしい人だったな」
「そうだね」

 五郎と拓之進、さらに市之助は、東本願寺の門前から神田方面に向かっていた。

 日が傾いていたこともあり、吹きぬける風は冷たく感じた。砂埃が舞いあがるたびに、道行く者は顔をそむける。

 東の空には雲が広がり、空の半分を埋めている。

 もしかしたら、明日は雨になるかもしれない。

 普段ならば気分が憂鬱になるところだが、今日は違った。何もかもがうまく片付いて、五郎はほがらかな気分で大通りを歩いていた。

 戦いが終わったあと、五郎と拓之進は、事の次第を確認するため、佐野空風との話し合いを求めた。与次郎を勝たせることは最初から決まっていたが、それを仕組んだのが誰なのか明快にしたかった。

 清十郎は抗ったが、拓之進が無理にでも押し通ると主張すると、話を通した。

 奥座敷であった空風は、老いてはいたが、背筋は伸び、言葉遣いもしっかりしていて、問題なく話はできた。

 五郎が事情を語ると、空風は清十郎は呼び出し、事実確認をした。すべてが片付いたのは、およそ一刻が過ぎてからだった。

「あそこで、頭を下げるとは思わなかった」
「まったくです。私たちみたいな若造に対して、本気で謝罪しました。すごいです」

 空風は清十郎の策略を知らず、剣術仕合が正しく運営されると信じていた。事実を知ると、三人に詫びた上で、仕合のやり直しを約束した。

 清十郎や与次郎にまかせきっていたことも恥じ、迷惑をかけた他の参加者にも自ら謝罪しに行くと語った。そこまではしなくともと五郎は思ったが、自分が許せないと言われれば、受けいれるよりなかった。

 清十郎と与次郎、さらに、その取り巻きはその場で破門が決まった。

 話がまとまったところで、雑談となった。そこで、五郎は、勘三郎の話を聞かされて驚いた。

「まさか、空風先生といっしょに修行していたとは思わなかった」
「加賀や越前を旅していたと言っていましたね」
「なんで話してくれなかったのかなあ。おもしろそうだったのに」

 江戸に戻ってからも、空風と勘三郎は会って話をしていたらしい。その時、五郎の話題もでたとのことだった。

「まだまだだが、しゃにむに打ちこんでいるのがよいと言っていた。期待しているようだったぞ」

 空風の言葉に、思わず五郎は涙した。

 駄目な息子だと思っていただけに、認めてもらったのは素直にうれしかった。

 三人が屋敷を後にしたのは、日が傾きはじめた頃合いだった。

「大会は三カ月後と言っていましたね。五郎さんは出るのですか」
「いやあ。やめておくよ。まだ力不足だ」
「そんなことはないだろう。十分にやれるよ」
「そうなんだけど、どうせ出るからには最後まで勝ちたいと思って。腕のたつ奴はいくらでもいるから。もう少し自信をつけてからにしないと」

 せめて、拓之進に一太刀、浴びせたい。それが当面の目標だ。

「そうか。それもいいかもね」

 市之助は拓之進を見た。

「君も出ないのだろう」
「はい。私は居候ですから」
「そうか。一度、やってみたかったな」
「いいですよ。いつでも相手しますよ」
「だったら、近いうちに道場に行くよ。井ノ瀬ともやってみたいしね」
「ああ。待っているぜ」

 筋違橋を渡ったところで、市之助は別れた。彼の屋敷は九段の坂を登った先にある。

「いい人ですね」
「ああ、本当に。話ができてよかったよ」

 つまらない奴と見下されているかと思ったが、そのようなことはなかった。市之助は五郎を友人として扱ってくれた。卑屈になっていたのは自分に自信がなかったからだ。今日、ようやく、それがわかった。

 二人が連れ立って、屋敷まで戻ると、門前で弓子が待っていた。

「何をやっているんだよ」

 五郎が声をかけると、弓子は顔を赤らめた。

「今日が仕合だって言うから、待っていたのよ。それでどうだったの」
「負けちゃったよ。残念」
「いえ、五郎さんはよくやりましたよ。負けたのは相手が……」

 そこで五郎は拓之進の袖を軽く引っぱって、首を振った。

 余計な話だった。与次郎の太刀筋は見切っていたのだから、冷静に対応すれば、負けることはなかった。事実、拓之進は勝利したのだから、自分の腕が足りていなかったと見るべきのが正しい。それも踏まえて、しっかり鍛えて、今度は正々堂々、戦って、勝ちたい。

「そんなことだろうと思っていた。まったくだらしないんだから」

 弓子は小さく息を吐いた。気がゆるんだように見えるのは、気のせいか。

「お腹、すいているでしょ。ごはんを持ってきてあげたから、食べるといいわ」
「おお、おせんさんのごはんか。ありがたい」
「あたしも、ちょっと手伝ったんだけど……」
「え、大丈夫なのか」
「どうして、そういうこと言うの。嫌なら食べなければいいじゃない」

 横を向く弓子を拓之進がなだめる。この間ほどの親密さは感じられない。

「そういえば、弓子、この間、言っていたずっと面倒とかいうの、あれは……」
「余計なことは言わないの。さあ、行きましょう」

 弓子が先に立って門に向かったので、五郎は苦笑しながら、その後につづいた。

 かすかに漂う銀杏の匂いが晩秋の気配を感じさせ、熱していた五郎の心を冷やしてくれる。熱気が消えた跡に残ったのは、今日の思い出が残してくれた、心地よい温かさだった。
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