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第二話 仕合なんて出たくないよ
六
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その後、仕合は淡々と進み、最後に与次郎が勝って優勝した。
市之助は決勝戦の前に与次郎と戦ったが、あっさり敗れた。気が抜けたような立ち合いで、師範代の清十郎から注意されたほどだ。
すべての仕合が終わった後、清十郎から講評があった。
佐野一刀流の門弟は素晴らしく、その技量は高かった。他流派の者も強かったが、残念ながら及ばなかった。今後も、このような大会を開く予定なので、その時のために精進してほしいという内容だった。
うまく釣り合いを取ったように見せながらも、佐野一刀流を褒めることに力を注いでおり、門弟以外はしらけた気分で、これを聞いていた。
与次郎を褒め称えたところで解散となったが、そこで、思わぬ事件が起きた。
拓之進が発言を求めたのである。
「お願いがあります」
清十郎も与次郎も厳しい表情だったが、それでも発言を抑えることはしなかった。
「なんだ、言ってみろ」
「おう、ありがとうございます」
拓之進は一礼した。
「先程はすみませんでした。勝手なことを申しあげて。世話になっている五郎さんがやられて、つい文句を言ってしまいました。反省しています」
「殊勝なことだな。結構だ」
「与次郎さんの腕前は、相当のものと見ました。そこでお願いなのですが、私と立ち合っていただけませんか。その技を直に味わってみたいのです」
五郎は目を見開いた。なんてことを。
与次郎は清十郎と小声で話をすると、鷹揚にうなずいてみせた。
「いいだろう。では、仕度を」
「このままで結構です。五郎さん、襷をください」
「お、おう」
五郎が襷をわたすと、慣れた手つきで掛ける。
他の者が壁際に下がったところで、二人は向かい合った。
青眼に構える与次郎に対して、拓之進は両手を下げ、身体を楽にして立っていた。五郎の道場で、いつも見せる姿だ。
与次郎は、気合いを入れて、間合いを詰めるが、最後の一歩が踏み込めない。
そうだ。あれだ。あの姿には隙がない。
攻めてくれればと思うが、拓之進は動かない。結局、攻め手がなくなり……。
裂帛の声を張りあげ、与次郎が竹刀を振りおろした。
自棄っぱちの一撃だ。
拓之進は後の先を取って、懐に飛び込む。
気づいた時には、与次郎の竹刀は高々と舞っていた。
稽古場は静寂につつまれる。与次郎も清十郎も市之助も呆然としている。
笑っているのは、五郎だけだ。
「もう一度、やりますか」
笑みを向けられて、与次郎の顔は真っ赤になった。
「当り前だ。今度はやられん」
「では」
再び二人は向かい合う。
与次郎は慎重に間合いを詰める。踏み出した時、竹刀は下げている。
下段からの攻めだ。
考えた末での太刀筋だろうが、意図が見え見えだ。動きが大きすぎる。
拓之進は下がって斬撃をかわすと、半身になって待ちかまえる。
与次郎は剣を振りあげたが、一瞬、動きが止まる。攻めにくいと思ったのかもしれない。
そこで拓之進が間合いを詰めると、与次郎は八双に構え直した。何かに押されるようにして前に出ると、竹刀を振りおろす。
しかし、その時、拓之進は前に出ていて、その小手を激しく叩いた。
与次郎はうめいて、竹刀を落とす。
新陰流の奥義、長短一味だ。仕掛ける頃合いがむずかしいのであるが、拓之進は呼吸するかのようにたやすく決めた。すさまじい。
「まだやりますか」
「無論だ」
与次郎は竹刀を拾って、拓之進と向かい合う。
しかし、そこからの戦いは、一方的な流れとなった。与次郎がどれだけ打ちこんでも、拓之進の身体には届かなかった。それどころか、彼を下げることすらできなかった。
攻め込んだ時には決着がついていて、拓之進は与次郎の急所に竹刀をあてていた。
それも寸止めで。
何度となく同じ光景が繰り返され、そのたびに道場の空気は重くなった。
ついに、与次郎は尻餅をついた。呼吸はひどく荒い。
一方の拓之進は、汗すらかいていなかった。
「まだやりますか」
声は醒めていた。冷たさすら感じる。
拓之進は竹刀をあげた。その瞬間、与次郎の顔色が変わる。
「いや、待て。おぬし、卑怯だぞ」
「どういうことですか」
「その竹刀、細工がしてあるな。俺の物より長いはずだ」
「おう。負けて悔しいからと言って、それはないでしょう」
「いいや。俺にはわかる。長さが同じなら、こんな簡単にやられることはない」
与次郎は立ちあがった。その瞳は血走っている。
「よこせ。比べる」
「私はこの道場の竹刀を使ったんですよ。さっき、きちんと調べてあるって言っていましたよね」
「いいから、よこせ」
与次郎は拓之進の竹刀を奪い取って、長さを比べる。
ぴたりと同じだった。
「そ、そんな馬鹿な」
「ひっかかりましたね。この傷が気になったんでしょう」
拓之進は、柄に刻まれた十字の傷を示した。
「仕合の最中、ずっとあなたを見ていました。すると、竹刀を選ぶとき、無造作にやっているようにみせて、慎重に柄を調べているのがわかりました。市之助さんの時には特に。終わった後、竹刀をあげた時、傷があるのが見えました。それで見当がつきました」
拓之進は、壁際に立てかけてあった竹刀を取ってきた。
「ここに十字の傷があります。比べてみると」
あっと五郎は声をあげた。確かに長い。三寸以上だ。
「ひどいですね」
「ふざけるな。その竹刀は、たまたま紛れ込んでいただけで、俺は使っていない」
「いいえ。見てください」
竹刀の先端を拓之進は示す。
「ここに削られた跡があります。これは、五郎さんとの戦いでできた傷です。思いきりすりあわせたので、深く削られたのでしょう。見れば、新しい物とわかります」
「でたらめだ」
「だったら、もう一度、五郎さんと仕合をしてください。同じ長さの竹刀で」
拓之進は目を細める。眼光は鋭い。
そこには、剣術を穢した者に対する怒りがある。
与次郎はしばしうつむく。だが、すぐに走り出し、刀掛の真剣を奪い取る。
取り巻きの三人も動いた。二人は真剣、残りのひとりは槍である。
道場に悲鳴があがるが、拓之進は平然としていた。
「死ね」
太刀を抜いて、与次郎が渾身の袈裟斬りをかける。
拓之進は身体をひねることなく、それをかわして、竹刀で強烈に右手を叩く。
太刀を落としたところで、身体をひねって横から胴に打ち込みをかける。
骨のない脇腹に竹刀がめり込んで、与次郎は悶絶しながら倒れた。
ついで、拓之進は自ら前に出て、斬りかかってきた取り巻きに仕掛けた。
たちまち二人が頭を叩かれて、その場に倒れる。
残ったひとりは、気合いともに槍を突き出した。
得物の差は絶望的であるように思われたが……。
拓之進は槍の動きを正確に見きってかわし、下から柄を跳ねあげた。
軽く叩いただけのようにしか見えなかったが、槍は中央からあっさり折れて、床板に転がった。
柄だけを持った取り巻きが尻餅をついたところで、拓之進は笑った。
「終わりですね」
視線があったので、五郎も笑った。
最高の気分だった。
市之助は決勝戦の前に与次郎と戦ったが、あっさり敗れた。気が抜けたような立ち合いで、師範代の清十郎から注意されたほどだ。
すべての仕合が終わった後、清十郎から講評があった。
佐野一刀流の門弟は素晴らしく、その技量は高かった。他流派の者も強かったが、残念ながら及ばなかった。今後も、このような大会を開く予定なので、その時のために精進してほしいという内容だった。
うまく釣り合いを取ったように見せながらも、佐野一刀流を褒めることに力を注いでおり、門弟以外はしらけた気分で、これを聞いていた。
与次郎を褒め称えたところで解散となったが、そこで、思わぬ事件が起きた。
拓之進が発言を求めたのである。
「お願いがあります」
清十郎も与次郎も厳しい表情だったが、それでも発言を抑えることはしなかった。
「なんだ、言ってみろ」
「おう、ありがとうございます」
拓之進は一礼した。
「先程はすみませんでした。勝手なことを申しあげて。世話になっている五郎さんがやられて、つい文句を言ってしまいました。反省しています」
「殊勝なことだな。結構だ」
「与次郎さんの腕前は、相当のものと見ました。そこでお願いなのですが、私と立ち合っていただけませんか。その技を直に味わってみたいのです」
五郎は目を見開いた。なんてことを。
与次郎は清十郎と小声で話をすると、鷹揚にうなずいてみせた。
「いいだろう。では、仕度を」
「このままで結構です。五郎さん、襷をください」
「お、おう」
五郎が襷をわたすと、慣れた手つきで掛ける。
他の者が壁際に下がったところで、二人は向かい合った。
青眼に構える与次郎に対して、拓之進は両手を下げ、身体を楽にして立っていた。五郎の道場で、いつも見せる姿だ。
与次郎は、気合いを入れて、間合いを詰めるが、最後の一歩が踏み込めない。
そうだ。あれだ。あの姿には隙がない。
攻めてくれればと思うが、拓之進は動かない。結局、攻め手がなくなり……。
裂帛の声を張りあげ、与次郎が竹刀を振りおろした。
自棄っぱちの一撃だ。
拓之進は後の先を取って、懐に飛び込む。
気づいた時には、与次郎の竹刀は高々と舞っていた。
稽古場は静寂につつまれる。与次郎も清十郎も市之助も呆然としている。
笑っているのは、五郎だけだ。
「もう一度、やりますか」
笑みを向けられて、与次郎の顔は真っ赤になった。
「当り前だ。今度はやられん」
「では」
再び二人は向かい合う。
与次郎は慎重に間合いを詰める。踏み出した時、竹刀は下げている。
下段からの攻めだ。
考えた末での太刀筋だろうが、意図が見え見えだ。動きが大きすぎる。
拓之進は下がって斬撃をかわすと、半身になって待ちかまえる。
与次郎は剣を振りあげたが、一瞬、動きが止まる。攻めにくいと思ったのかもしれない。
そこで拓之進が間合いを詰めると、与次郎は八双に構え直した。何かに押されるようにして前に出ると、竹刀を振りおろす。
しかし、その時、拓之進は前に出ていて、その小手を激しく叩いた。
与次郎はうめいて、竹刀を落とす。
新陰流の奥義、長短一味だ。仕掛ける頃合いがむずかしいのであるが、拓之進は呼吸するかのようにたやすく決めた。すさまじい。
「まだやりますか」
「無論だ」
与次郎は竹刀を拾って、拓之進と向かい合う。
しかし、そこからの戦いは、一方的な流れとなった。与次郎がどれだけ打ちこんでも、拓之進の身体には届かなかった。それどころか、彼を下げることすらできなかった。
攻め込んだ時には決着がついていて、拓之進は与次郎の急所に竹刀をあてていた。
それも寸止めで。
何度となく同じ光景が繰り返され、そのたびに道場の空気は重くなった。
ついに、与次郎は尻餅をついた。呼吸はひどく荒い。
一方の拓之進は、汗すらかいていなかった。
「まだやりますか」
声は醒めていた。冷たさすら感じる。
拓之進は竹刀をあげた。その瞬間、与次郎の顔色が変わる。
「いや、待て。おぬし、卑怯だぞ」
「どういうことですか」
「その竹刀、細工がしてあるな。俺の物より長いはずだ」
「おう。負けて悔しいからと言って、それはないでしょう」
「いいや。俺にはわかる。長さが同じなら、こんな簡単にやられることはない」
与次郎は立ちあがった。その瞳は血走っている。
「よこせ。比べる」
「私はこの道場の竹刀を使ったんですよ。さっき、きちんと調べてあるって言っていましたよね」
「いいから、よこせ」
与次郎は拓之進の竹刀を奪い取って、長さを比べる。
ぴたりと同じだった。
「そ、そんな馬鹿な」
「ひっかかりましたね。この傷が気になったんでしょう」
拓之進は、柄に刻まれた十字の傷を示した。
「仕合の最中、ずっとあなたを見ていました。すると、竹刀を選ぶとき、無造作にやっているようにみせて、慎重に柄を調べているのがわかりました。市之助さんの時には特に。終わった後、竹刀をあげた時、傷があるのが見えました。それで見当がつきました」
拓之進は、壁際に立てかけてあった竹刀を取ってきた。
「ここに十字の傷があります。比べてみると」
あっと五郎は声をあげた。確かに長い。三寸以上だ。
「ひどいですね」
「ふざけるな。その竹刀は、たまたま紛れ込んでいただけで、俺は使っていない」
「いいえ。見てください」
竹刀の先端を拓之進は示す。
「ここに削られた跡があります。これは、五郎さんとの戦いでできた傷です。思いきりすりあわせたので、深く削られたのでしょう。見れば、新しい物とわかります」
「でたらめだ」
「だったら、もう一度、五郎さんと仕合をしてください。同じ長さの竹刀で」
拓之進は目を細める。眼光は鋭い。
そこには、剣術を穢した者に対する怒りがある。
与次郎はしばしうつむく。だが、すぐに走り出し、刀掛の真剣を奪い取る。
取り巻きの三人も動いた。二人は真剣、残りのひとりは槍である。
道場に悲鳴があがるが、拓之進は平然としていた。
「死ね」
太刀を抜いて、与次郎が渾身の袈裟斬りをかける。
拓之進は身体をひねることなく、それをかわして、竹刀で強烈に右手を叩く。
太刀を落としたところで、身体をひねって横から胴に打ち込みをかける。
骨のない脇腹に竹刀がめり込んで、与次郎は悶絶しながら倒れた。
ついで、拓之進は自ら前に出て、斬りかかってきた取り巻きに仕掛けた。
たちまち二人が頭を叩かれて、その場に倒れる。
残ったひとりは、気合いともに槍を突き出した。
得物の差は絶望的であるように思われたが……。
拓之進は槍の動きを正確に見きってかわし、下から柄を跳ねあげた。
軽く叩いただけのようにしか見えなかったが、槍は中央からあっさり折れて、床板に転がった。
柄だけを持った取り巻きが尻餅をついたところで、拓之進は笑った。
「終わりですね」
視線があったので、五郎も笑った。
最高の気分だった。
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