やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第二話 仕合なんて出たくないよ

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 その後、仕合は淡々と進み、最後に与次郎が勝って優勝した。

 市之助は決勝戦の前に与次郎と戦ったが、あっさり敗れた。気が抜けたような立ち合いで、師範代の清十郎から注意されたほどだ。

 すべての仕合が終わった後、清十郎から講評があった。

 佐野一刀流の門弟は素晴らしく、その技量は高かった。他流派の者も強かったが、残念ながら及ばなかった。今後も、このような大会を開く予定なので、その時のために精進してほしいという内容だった。

 うまく釣り合いを取ったように見せながらも、佐野一刀流を褒めることに力を注いでおり、門弟以外はしらけた気分で、これを聞いていた。

 与次郎を褒め称えたところで解散となったが、そこで、思わぬ事件が起きた。

 拓之進が発言を求めたのである。

「お願いがあります」

 清十郎も与次郎も厳しい表情だったが、それでも発言を抑えることはしなかった。

「なんだ、言ってみろ」
「おう、ありがとうございます」

 拓之進は一礼した。

「先程はすみませんでした。勝手なことを申しあげて。世話になっている五郎さんがやられて、つい文句を言ってしまいました。反省しています」
「殊勝なことだな。結構だ」
「与次郎さんの腕前は、相当のものと見ました。そこでお願いなのですが、私と立ち合っていただけませんか。その技を直に味わってみたいのです」

 五郎は目を見開いた。なんてことを。

 与次郎は清十郎と小声で話をすると、鷹揚にうなずいてみせた。

「いいだろう。では、仕度を」
「このままで結構です。五郎さん、襷をください」
「お、おう」

 五郎が襷をわたすと、慣れた手つきで掛ける。

 他の者が壁際に下がったところで、二人は向かい合った。

 青眼に構える与次郎に対して、拓之進は両手を下げ、身体を楽にして立っていた。五郎の道場で、いつも見せる姿だ。

 与次郎は、気合いを入れて、間合いを詰めるが、最後の一歩が踏み込めない。

 そうだ。あれだ。あの姿には隙がない。

 攻めてくれればと思うが、拓之進は動かない。結局、攻め手がなくなり……。

 裂帛の声を張りあげ、与次郎が竹刀を振りおろした。

 自棄っぱちの一撃だ。

 拓之進は後の先を取って、懐に飛び込む。

 気づいた時には、与次郎の竹刀は高々と舞っていた。

 稽古場は静寂につつまれる。与次郎も清十郎も市之助も呆然としている。

 笑っているのは、五郎だけだ。

「もう一度、やりますか」

 笑みを向けられて、与次郎の顔は真っ赤になった。

「当り前だ。今度はやられん」
「では」

 再び二人は向かい合う。

 与次郎は慎重に間合いを詰める。踏み出した時、竹刀は下げている。

 下段からの攻めだ。

 考えた末での太刀筋だろうが、意図が見え見えだ。動きが大きすぎる。

 拓之進は下がって斬撃をかわすと、半身になって待ちかまえる。

 与次郎は剣を振りあげたが、一瞬、動きが止まる。攻めにくいと思ったのかもしれない。

 そこで拓之進が間合いを詰めると、与次郎は八双に構え直した。何かに押されるようにして前に出ると、竹刀を振りおろす。

 しかし、その時、拓之進は前に出ていて、その小手を激しく叩いた。

 与次郎はうめいて、竹刀を落とす。

 新陰流の奥義、長短一味ちようたんいちみだ。仕掛ける頃合いがむずかしいのであるが、拓之進は呼吸するかのようにたやすく決めた。すさまじい。

「まだやりますか」
「無論だ」

 与次郎は竹刀を拾って、拓之進と向かい合う。

 しかし、そこからの戦いは、一方的な流れとなった。与次郎がどれだけ打ちこんでも、拓之進の身体には届かなかった。それどころか、彼を下げることすらできなかった。

 攻め込んだ時には決着がついていて、拓之進は与次郎の急所に竹刀をあてていた。

 それも寸止めで。

 何度となく同じ光景が繰り返され、そのたびに道場の空気は重くなった。

 ついに、与次郎は尻餅をついた。呼吸はひどく荒い。

 一方の拓之進は、汗すらかいていなかった。

「まだやりますか」

 声は醒めていた。冷たさすら感じる。

 拓之進は竹刀をあげた。その瞬間、与次郎の顔色が変わる。

「いや、待て。おぬし、卑怯だぞ」
「どういうことですか」
「その竹刀、細工がしてあるな。俺の物より長いはずだ」
「おう。負けて悔しいからと言って、それはないでしょう」
「いいや。俺にはわかる。長さが同じなら、こんな簡単にやられることはない」

 与次郎は立ちあがった。その瞳は血走っている。

「よこせ。比べる」
「私はこの道場の竹刀を使ったんですよ。さっき、きちんと調べてあるって言っていましたよね」
「いいから、よこせ」

 与次郎は拓之進の竹刀を奪い取って、長さを比べる。

 ぴたりと同じだった。

「そ、そんな馬鹿な」
「ひっかかりましたね。この傷が気になったんでしょう」

 拓之進は、柄に刻まれた十字の傷を示した。

「仕合の最中、ずっとあなたを見ていました。すると、竹刀を選ぶとき、無造作にやっているようにみせて、慎重に柄を調べているのがわかりました。市之助さんの時には特に。終わった後、竹刀をあげた時、傷があるのが見えました。それで見当がつきました」

 拓之進は、壁際に立てかけてあった竹刀を取ってきた。

「ここに十字の傷があります。比べてみると」

 あっと五郎は声をあげた。確かに長い。三寸以上だ。

「ひどいですね」
「ふざけるな。その竹刀は、たまたま紛れ込んでいただけで、俺は使っていない」
「いいえ。見てください」

 竹刀の先端を拓之進は示す。

「ここに削られた跡があります。これは、五郎さんとの戦いでできた傷です。思いきりすりあわせたので、深く削られたのでしょう。見れば、新しい物とわかります」
「でたらめだ」
「だったら、もう一度、五郎さんと仕合をしてください。同じ長さの竹刀で」

 拓之進は目を細める。眼光は鋭い。

 そこには、剣術を穢した者に対する怒りがある。

 与次郎はしばしうつむく。だが、すぐに走り出し、刀掛の真剣を奪い取る。

 取り巻きの三人も動いた。二人は真剣、残りのひとりは槍である。

 道場に悲鳴があがるが、拓之進は平然としていた。

「死ね」

 太刀を抜いて、与次郎が渾身の袈裟斬りをかける。

 拓之進は身体をひねることなく、それをかわして、竹刀で強烈に右手を叩く。

 太刀を落としたところで、身体をひねって横から胴に打ち込みをかける。

 骨のない脇腹に竹刀がめり込んで、与次郎は悶絶しながら倒れた。

 ついで、拓之進は自ら前に出て、斬りかかってきた取り巻きに仕掛けた。

 たちまち二人が頭を叩かれて、その場に倒れる。

 残ったひとりは、気合いともに槍を突き出した。

 得物の差は絶望的であるように思われたが……。

 拓之進は槍の動きを正確に見きってかわし、下から柄を跳ねあげた。

 軽く叩いただけのようにしか見えなかったが、槍は中央からあっさり折れて、床板に転がった。

 柄だけを持った取り巻きが尻餅をついたところで、拓之進は笑った。

「終わりですね」

 視線があったので、五郎も笑った。

 最高の気分だった。
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