やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第二話 仕合なんて出たくないよ

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 半刻の後、対決の時を迎え、五郎は稽古場の中央で与次郎と向かい合った。

 眼光の鋭さは、先刻よりも増している。そのまま食いついてきそうだ。

 五郎は怯みながらも、呼吸を整えて、はじまりの時を待つ。

 審判役の清十郎が両者を見て、声をかける。

 すぐさま試合がはじまった。

 与次郎は、間合いを詰めて打ちこんでくる。

 立てつづけに突きを放つ。

 遅い。

 五郎は、余裕で下がってかわす。

 つづく逆袈裟は切っ先を払い、逆に踏みこんで小手をねらう。

 与次郎は右に跳んで逃げる。

 騒ぎが大きくなる。まさかという声も聞こえる。

 与次郎は佐野道場の若手筆頭格である。技量は抜きんでており、ここまでの仕合も楽勝だった。

 ここで敗れることになれば、位置づけは大きく変わる。

 与次郎は顔を真っ赤にして、上段から立てつづけに竹刀を振りおろした。

 すさまじい強さだが、そのすべてを五郎は払いのけてかわした。

 与次郎の太刀は児戯に等しい。拓之進とは、比べものにならない。

 こんな下手だとは。

 拓之進との立ち合いでは、一瞬でも気を抜いたら、やられる。どこから剣が飛んでくるからわからないので、最大限に神経を集中し、手足の動きを見極め、間合いを計りつつ、迎え撃つ態勢を整えねばならない。

 あの緊張を思えば、与次郎などただ棒を振り回しているに過ぎない。

 自分は何を怖れていたのか。

 まるで、問題ない。十分に勝てる。勝てるが……。

 竹刀を交える間、五郎は違和感もおぼえていた。

 おかしい。何かが違う。

 五郎は身体で竹刀を隠しながら、右に回る。

 前に出たのは、与次郎が踏みこんできた時だ。

 かわして胴を打ちこもうとした時、その剣尖がわずかに五郎の腕をかすめて、反射的に下がる。

 つづけて、与次郎がすくいあげてきた時、避けて小手をねらおうとしたが、それも予想外に伸びた切っ先で食い止められてしまった。

 やはり、ずれている。どこかが。

 うまく見切れていない。

 なぜだ。

 五郎は動揺した。

 なぜ、こうなる。何が違うのか。

 それを待っていたかのように、与次郎は跳んで、突きを放つ。

 五郎はあえて前に出て、その切っ先を払う。すれ違って、後ろに回ったところで、改めて敵の頭をねらったが。

 その瞬間、振り向きざまに与次郎が胴を放ち、それが五郎の身体をえぐった。

 胴ありの判定が下され、与次郎の取り巻きから声があがる。

 与次郎は笑っていた。

 改めて二人は向かい合い、青眼に構える。

 やはり、おかしい。

 与次郎の太刀筋は完璧に読めていた。

 本来なら一寸の差でかわして、五郎が面を打ちこんでいるはずだった。

 それが捉えられた。よくわからない。

 五郎の心が大きく揺れたところで、与次郎は容赦なく竹刀を振るった。すべてが強打であり、払いのけるのも苦しい。

 いったい、どうしたら……。

 そこで、拓之進の言葉が頭をよぎる。

 五郎は大きく間を置いて、与次郎を見据えた。

 不調を感じたら、まずは呼吸を整える。大きく息を吸って吐く。それを三度繰り返せば変わる。

 心の乱れは、身体の乱れ。順番を間違えてはならない。

 五郎は息を整える。心の波が収まっていくのを感じる。

 与次郎が間合いを詰める。

 竹刀の動きから上段から攻めてくるとわかる。

 ならば、こちらは下から行く。

 与次郎が大きく振りかぶり、踏みこんでくると、五郎も前に出る。

 太刀筋がはっきり見える。

 かわせると思った瞬間、五郎は頭を叩かれていた。

「それまで」

 審判役の清十郎が手をあげる。

 勝負はついた。負けた。

 もう少しだったのに、残念だ。技術が足りなかった。

 五郎が一礼して振り向くと、拓之進が立ちあがって、こちらを見ていた。

 すまない。やられたよ。もう少し、自分がうまければ、何とかなったのに。

 うなだれて稽古場から出ようとしたところで、拓之進の声が響いた。

「待ってください。今の仕合、おかしいです」

 大きくはないが、彼の声はよく透った。

「その竹刀を見せてください。気になります」
「何だと」

 たぎる与次郎を、清十郎が押さえた。

「どういうことだ」
「見せていただければわかります」
「勝手なことを言うな。竹刀は、こちらで調べてある。つまらぬ口出しは許さぬぞ。おぬし、名前は」
「流拓之進」
「出て行け。神聖な仕合を穢すな」

 拓之進は清十郎と与次郎を見ると、頭を下げることすらせず稽古場を出た。

 あわてて五郎は後を追う。拓之進に追いついたのは、道場の右手側にたつ銀杏の木の下だった。

「どうしたんだよ、突然、あんなことを言って」
「あの仕合、五郎さんが勝っていました」

 拓之進は、ためらうことなく言い切った。

「五郎さんは、相手の太刀筋をきれいに見切っていました。なのに、やられた。それは、向こうがいかさまをしていたからです。
「おい、そんな」
「間違いありません。それは、市之助さんもわかっていますよね」

 拓之進の視線に引きずられるようにして、振り向くと市之助が彼の背後に立っていた。その顔は青い。

「おそらく、向こうの竹刀は五郎さんのより長いのだと思います。見立てでは三寸。だから、かわしたと思った剣尖があたってしまう。逆に、こちらからの一撃も払われてしまう。五郎さんもおかしいとは思いませんでしたか」
「確かに」

 あの違和感が竹刀の長さによるものだとしたら、説明はつく。

「この仕合は、同じ長さの竹刀でやることになっていました。それを勝手に変えて、一人だけ有利になっていたら、ずるいです。抗議しましょう」
「ちょっと待て」

 五郎は押さえようとしたが、それより早く市之助が拓之進の前に立って、行く手を防いでいた。

「それは、止めた方がいいんじゃないかな」
「どういうことですか」
「言っても意味がないということだよ」

 市之助は、寂しげに笑った。

「君が抗議したとき、師範代がどうふるまった。止めただろう。あれは、あの人が竹刀の不正を知っていたからだよ。最初から仕組まれていたんだよ、今回のことは」
「そんな。それでは……」
「そう。最初から与次郎を勝たせるつもりだったんだ」

 五郎は、何も言えずにうつむく。

 大会は佐野一刀流の道場で開かれるのだから、門弟が優遇されるのは仕方のないことだ。仕合の方式が三日前まで発表されなかったが、それも準備の時間を与えるためだろう。実際、これまでの戦いぶりを見ていると、門弟が自信を持って戦っていることがよくわかる。

 佐野一刀流の道場で戦うのだから、何かあるのだろうとは思っていたが、まさか不正まで働くとは思わなかった。

「師範の佐野空風先生は立派な方だが、ご病気で、伏せっておられる。今日も挨拶にすら出てこなかった。仕切っている西野師範代は、新番の務めで、組頭の黒田玄蕃様とは懇意だ。息子の与次郎に悪いようにはしないさ。今日の仕合は、西国大名の用人も密かに見ておられるのだから、なおさらね」

 ふっと市之助は息を吐く。

「僕たちがとやかく言っても何も変わらないさ。決まっていることだからね」
「お二人は、それでよいのですか」

 拓之進は、市之助と五郎を交互に見た。

「よくない形で、すべてが決まって」

 市之助は何も言わない。五郎も沈黙を守りたかったが、拓之進の眼力に押されて、口を開いた。

「仕方ないさ。黒田家は、佐野一刀流をずっと支援してきた。道場をこの場に建てる時にもお上に働きかけたって話だ。だから……」
「だから、腕の劣る者が勝ってもいいと。誤ったやり方で」
「だから、それは仕方がないと」
「私は嫌です。そんなのは認められない」

 拓之進は顔をゆがめた。その手は震えている。

「剣術とは、本来、清く、正しいものであると私の師匠は言っていました。生死の境に立つ技であるからこそ、その太刀を振るう者に穢れがあってはならないと」
「……」
「私もそう思います。もう、私の心は穢れていて、正しい剣術の道を歩むことはできません。だからこそ、ここに集まった方々には、正々堂々と、美しく戦ってほしかった。強い者は美しく、正しいことを見せてくれれば、まだ私のやるべき事はあると思えたのに、これでは……」

 拓之進は首を振る。その表情は苦しみに満ちている。

 いったい、何が彼を追い込んでいるのか。

 心が穢れているなんて考えられない。穢れているのは、むしろ、こちらだろう。

 五郎が言葉を失っていると、拓之進は呼吸を整えて、笑顔を浮かべた。

「戻りましょう。勝手を言ってすみませんでした」

 先に立って歩く、その姿は、かつてないほど寂しげに見えた。
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