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第二話 仕合なんて出たくないよ
四
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またたく間に半月が過ぎて、仕合の日となり、五郎は拓之進にうながされて、佐野一刀流の道場に向かった。
彼が到着した時、大半の参加者は姿を見せており、稽古場の壁際の決められた場所に座っていた。市之助もすでに稽古着に着替えて、準備を整えていた。
その反対側には、黒田与次郎とその仲間もおり、笑って話をしていた。
大会は勝抜戦であり、三十二人の参加者が戦い、勝った者が上へ行く。残り四人になったところで、くじ引きがおこなわれて、組み合わせを改めて決め、それに勝ち上がった者同士で決勝戦をおこなうことになる。
使うのは竹刀で、それは道場が用意する。ここのところ、剣術の稽古では防具を使うこともあったが、今回はそれはないものとされた。
審判を務めるのは、師範代の内藤清十郎と、一刀流の門人が二人だった。
師範の佐野空風は姿を見せなかった。体調が悪いという話は事実のようで、清十郎もその旨を告げて、代理の自分がすべての面倒を見ると語った。
見学は自由で、道場の奥に座るように定められていた。
全員がそろったところで、内藤清十郎が大会の開始を宣言した。
最初は、無外流の若武者と鹿島当流の剣士が立ち合った。
互いに青眼に構えてから、合図を待って打ち合う。
決着は早めにつき、無外流の剣士が小手と胴を打って勝利を収めた。
観戦中、五郎は違和感をおぼえた。何がどうなのかよくわからないが、今までには感じたことのない情景が目の前で展開されているように思われた。
次の戦いを見た時にも、同じ感覚があった。
何かがおかしい。何度となく立ち合いは見てきたが、ここまで変な感触を味わったことはなかった。いったい、何なのだろう。
「次、井ノ瀬」
名前を呼ばれ、五郎は立ちあがり、仕度を調えた。
横目で拓之進を見ると、彼は静かにうなずいた。
五郎は静かに稽古場の中央に出た。
その前に立ったのは、与次郎の取り巻きである吉田用吉郎である。かつて勘三郎の道場に通っており、乱暴な剣さばきで、相手を滅多打ちにしていた。戦意を失っているのに、無理矢理に攻めたて、相手に怪我を負わせることもあった。
五郎も指の骨を折られたことがあり、それ以来、苦手にしていた。
正直、戦いたくない。
相手と向き合い、一礼すると、用吉郎は笑った。
怯んで、五郎が下がったところで、はじめの合図がかかった。
勢い込んで、用吉郎が打ちこんでくる。
「えっ」
思わず下がった五郎は、足がもつれて、尻餅をついた。
途端に笑い声があがる。用吉郎も笑っていた。
だが、五郎は気にならなかった。すぐに立ちあがって、青眼に構える。
用吉郎は、調子に乗って攻めかかってきた。
上段、中段、横薙ぎの連続技だ。
そのすべてを五郎はかわした。
なんだ、これは。
遅すぎる。
子供のような動きで、簡単に太刀筋が見える。
そもそも、無駄に腕を振り回していて、剣戟を放つ前からどこをねらっているのか、わかる。
拓之進とはまるで違う。
彼は予備動作がなくて、斬撃を放つ瞬間まで、その動きが予想できない。気づいたときには剣尖が迫っていて、かわす前に打ちこまれる。
それに比べれば、用吉郎は異様なまでに稚拙だ。
上段からの一撃が来るが、焦っているのか、横にずれている。
五郎は下がることすらせずに、かわした。
声があがる。立ち合いを見る剣士も異様なことが起きていると感じている。
焦る用吉郎の表情が見てとれる。
目が吊り上がっていて、ひどく格好が悪い。普段とはまるで違う。
あの威張り散らしている姿はどこに行ったのか。
五郎は自分が冷静になるのがわかる。
いったい、自分は何を怖れていたのか。こんな下手くそをさながら剣の達人のように思っていたのか。
阿呆らしい。
「いい加減にしろ!」
横からの一撃がくるが、それは五郎が予想したとおりの動きだった。迫る剣尖を五郎は下からすくいあげて、弾く。
たいして強く叩かなかったが、竹刀は手を離れて宙に舞った。
驚く用吉郎の顔を見ながら、五郎は踏みこんで、無防備な軽く頭を叩く。
清十郎が手をあげる。鮮やかな一本である。
おおっと歓声があがる。信じられないものを見たという空気が広がる。
膝をつく用吉郎を五郎は無言で見おろした。
心は静かだった。やるべき事をやった。ただ、それだけの思いがある。
五郎は下がり、改めて剣を構えた。横目で、拓之進を見ると、軽く手をあげる姿が見える。純粋に彼の勝利を喜んでいる。
そうか。うれしいのか。ありがたい。
気分がよくなって、五郎は用吉郎を見据える。
顔を真っ赤にした用吉郎は、二本目がはじまるとすぐに八双に構えて、強烈な一撃を放ってきた。
勢いはあるが、軌道を読むのはたやすい。
五郎は右にかわして、その小手を叩く。一瞬で決着はついた。
*
つづく富田流の剣士との戦いにも、五郎は勝った。
相手は警戒して守りを固めていたが、それを突き崩して、小手と胴を打った。それはかわされたが、五郎が寄せていくと、相手は追い込まれて、無理な体勢から仕掛けてきた。
隙を見出すのはたやすく、胴を打ちこむと、相手は悶絶した。
二本目も同じような戦いで、息も切らさずに勝利を手にした。
勝ち残りの八人が決まって休憩が入ると、たちまち五郎は取り囲まれ、同年代の剣士からその腕前を褒め立てられた。彼らの目は輝いており、嘘はなかった。
これまでにないことに、つい調子に乗って五郎は語った。清十郎から注意されたときには、かなりの大声になっており、思わずそのふるまいを恥じたほどだ。
一息ついてから、五郎が道場から出ると、拓之進と市之助が待っていた。
「やりましたね、五郎さん。すごかったです」
「そんなことはない。たまたまだよ。たまたま」
「いえいえ、五郎さんの実力です。私は知っていますよ」
拓之進の笑みはほがらかで、つい彼も笑ってしまった。
「お前のおかげだよ。あの稽古があったから、勝てた。ありがとう」
「そう言ってもらえると、うれしいです」
「私も見ていたよ。すごかった」
市之助の頬も真っ赤だった。興奮しているのがわかる。
「あんな太刀さばき、見たことがない。いつ会得したんだい」
「いや、それは……」
「五郎さんが修練した賜物です。私はそれを見ていました」
拓之進が言い切る。市之助は二人を交互に見た。
「そうか。いい稽古ができていたんだな」
「そうです」
「あの太刀さばきを見たら、黙っていられない。ぜひとも戦ってみたいな。ただ、その前に何とかしなければいけない相手がいるけれど」
市之助は道場の出入口を見つめる。
そこには、黒田与次郎の姿がある。
鋭い眼光を正面から受けて、五郎は怯んで、小さくうめいた。
彼が到着した時、大半の参加者は姿を見せており、稽古場の壁際の決められた場所に座っていた。市之助もすでに稽古着に着替えて、準備を整えていた。
その反対側には、黒田与次郎とその仲間もおり、笑って話をしていた。
大会は勝抜戦であり、三十二人の参加者が戦い、勝った者が上へ行く。残り四人になったところで、くじ引きがおこなわれて、組み合わせを改めて決め、それに勝ち上がった者同士で決勝戦をおこなうことになる。
使うのは竹刀で、それは道場が用意する。ここのところ、剣術の稽古では防具を使うこともあったが、今回はそれはないものとされた。
審判を務めるのは、師範代の内藤清十郎と、一刀流の門人が二人だった。
師範の佐野空風は姿を見せなかった。体調が悪いという話は事実のようで、清十郎もその旨を告げて、代理の自分がすべての面倒を見ると語った。
見学は自由で、道場の奥に座るように定められていた。
全員がそろったところで、内藤清十郎が大会の開始を宣言した。
最初は、無外流の若武者と鹿島当流の剣士が立ち合った。
互いに青眼に構えてから、合図を待って打ち合う。
決着は早めにつき、無外流の剣士が小手と胴を打って勝利を収めた。
観戦中、五郎は違和感をおぼえた。何がどうなのかよくわからないが、今までには感じたことのない情景が目の前で展開されているように思われた。
次の戦いを見た時にも、同じ感覚があった。
何かがおかしい。何度となく立ち合いは見てきたが、ここまで変な感触を味わったことはなかった。いったい、何なのだろう。
「次、井ノ瀬」
名前を呼ばれ、五郎は立ちあがり、仕度を調えた。
横目で拓之進を見ると、彼は静かにうなずいた。
五郎は静かに稽古場の中央に出た。
その前に立ったのは、与次郎の取り巻きである吉田用吉郎である。かつて勘三郎の道場に通っており、乱暴な剣さばきで、相手を滅多打ちにしていた。戦意を失っているのに、無理矢理に攻めたて、相手に怪我を負わせることもあった。
五郎も指の骨を折られたことがあり、それ以来、苦手にしていた。
正直、戦いたくない。
相手と向き合い、一礼すると、用吉郎は笑った。
怯んで、五郎が下がったところで、はじめの合図がかかった。
勢い込んで、用吉郎が打ちこんでくる。
「えっ」
思わず下がった五郎は、足がもつれて、尻餅をついた。
途端に笑い声があがる。用吉郎も笑っていた。
だが、五郎は気にならなかった。すぐに立ちあがって、青眼に構える。
用吉郎は、調子に乗って攻めかかってきた。
上段、中段、横薙ぎの連続技だ。
そのすべてを五郎はかわした。
なんだ、これは。
遅すぎる。
子供のような動きで、簡単に太刀筋が見える。
そもそも、無駄に腕を振り回していて、剣戟を放つ前からどこをねらっているのか、わかる。
拓之進とはまるで違う。
彼は予備動作がなくて、斬撃を放つ瞬間まで、その動きが予想できない。気づいたときには剣尖が迫っていて、かわす前に打ちこまれる。
それに比べれば、用吉郎は異様なまでに稚拙だ。
上段からの一撃が来るが、焦っているのか、横にずれている。
五郎は下がることすらせずに、かわした。
声があがる。立ち合いを見る剣士も異様なことが起きていると感じている。
焦る用吉郎の表情が見てとれる。
目が吊り上がっていて、ひどく格好が悪い。普段とはまるで違う。
あの威張り散らしている姿はどこに行ったのか。
五郎は自分が冷静になるのがわかる。
いったい、自分は何を怖れていたのか。こんな下手くそをさながら剣の達人のように思っていたのか。
阿呆らしい。
「いい加減にしろ!」
横からの一撃がくるが、それは五郎が予想したとおりの動きだった。迫る剣尖を五郎は下からすくいあげて、弾く。
たいして強く叩かなかったが、竹刀は手を離れて宙に舞った。
驚く用吉郎の顔を見ながら、五郎は踏みこんで、無防備な軽く頭を叩く。
清十郎が手をあげる。鮮やかな一本である。
おおっと歓声があがる。信じられないものを見たという空気が広がる。
膝をつく用吉郎を五郎は無言で見おろした。
心は静かだった。やるべき事をやった。ただ、それだけの思いがある。
五郎は下がり、改めて剣を構えた。横目で、拓之進を見ると、軽く手をあげる姿が見える。純粋に彼の勝利を喜んでいる。
そうか。うれしいのか。ありがたい。
気分がよくなって、五郎は用吉郎を見据える。
顔を真っ赤にした用吉郎は、二本目がはじまるとすぐに八双に構えて、強烈な一撃を放ってきた。
勢いはあるが、軌道を読むのはたやすい。
五郎は右にかわして、その小手を叩く。一瞬で決着はついた。
*
つづく富田流の剣士との戦いにも、五郎は勝った。
相手は警戒して守りを固めていたが、それを突き崩して、小手と胴を打った。それはかわされたが、五郎が寄せていくと、相手は追い込まれて、無理な体勢から仕掛けてきた。
隙を見出すのはたやすく、胴を打ちこむと、相手は悶絶した。
二本目も同じような戦いで、息も切らさずに勝利を手にした。
勝ち残りの八人が決まって休憩が入ると、たちまち五郎は取り囲まれ、同年代の剣士からその腕前を褒め立てられた。彼らの目は輝いており、嘘はなかった。
これまでにないことに、つい調子に乗って五郎は語った。清十郎から注意されたときには、かなりの大声になっており、思わずそのふるまいを恥じたほどだ。
一息ついてから、五郎が道場から出ると、拓之進と市之助が待っていた。
「やりましたね、五郎さん。すごかったです」
「そんなことはない。たまたまだよ。たまたま」
「いえいえ、五郎さんの実力です。私は知っていますよ」
拓之進の笑みはほがらかで、つい彼も笑ってしまった。
「お前のおかげだよ。あの稽古があったから、勝てた。ありがとう」
「そう言ってもらえると、うれしいです」
「私も見ていたよ。すごかった」
市之助の頬も真っ赤だった。興奮しているのがわかる。
「あんな太刀さばき、見たことがない。いつ会得したんだい」
「いや、それは……」
「五郎さんが修練した賜物です。私はそれを見ていました」
拓之進が言い切る。市之助は二人を交互に見た。
「そうか。いい稽古ができていたんだな」
「そうです」
「あの太刀さばきを見たら、黙っていられない。ぜひとも戦ってみたいな。ただ、その前に何とかしなければいけない相手がいるけれど」
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