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第三話 それでも、俺は間違っていない
四
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「そういうところが迂闊なのよね。もう少し考えて動けばいいのに」
「卑怯なのは向こうだろう。数が多い上に、いきなり砂を……いたっ」
「我慢しなさい。もう終わりだから」
背中に薬を塗られて、五郎は背筋を伸ばした。やはり痛い。
もう少し加減してほしいが、弓子は容赦することなく、傷口に指をはわせる。力を入れて押す動きで、そのたびに五郎の身体はすくむ。
相模屋の前で叩きのめされた五郎は、痛む身体を引きずって、屋敷に帰ってきた。
その姿を見て拓之進は驚き、座敷に彼を引っ張り込み、薬を持ってきた。自分で作った膏薬らしく、打撲にはよく効くとのことだった。
そのまま手当てしてくれるのかと思ったが、彼は奥に引っ込んでしまい、代わって姿を見せたのが弓子だった。
痣だらけの顔を見て、青くなりながらも弓子は五郎の着物を剥ぎ取り、膏薬を塗りはじめた。
「向こうは荒くれ者なんでしょう。勝つためだったら、何でもやってくるわよ。それに気づかないあなたが悪い。腕が少しあがったからって調子に乗って。いいところ見せてやろうとするから、こうなるのよ」
五郎は何も言えなかった。口惜しいが、弓子の指摘は正しい。
作次とその取り巻きを見ても、五郎は逃げようとは思わなかった。剣の勝負になったら勝つと信じていた。
佐野道場での剣術仕合での勝利は、五郎に大きな自信になっていた。せっかくなので、怡与蔵の前でいいところを見せたいという気持ちもあった。
だが、その結果がこれである。一方的に叩かれて、傷を負った。
そればかりか、怒りに燃えた作次とその仲間は相模屋でさんざんに暴れて、引き戸や軒を壊していった。助けるどころか、かえって被害を広げてしまった。
「助けるつもりが、迷惑をかけるなんて。だらしないわね」
「じゃあ、どうすればよかったんだよ」
「騒がせておけばよかったのよ。たいした事ない連中なんだから」
「それじゃ、相模屋がかわいそうだ」
「一方的にやられるよりはましでしょう。はい。お終い」
弓子に背中を叩かれて、五郎は悲鳴をあげた。
「終わりましたか」
障子が開いて、拓之進が座敷に入ってきた。その手には湯の入った桶がある。
手ぬぐいをわたされて、五郎は身体をぬぐった。ひどく染みる。
「骨は折れていないようですね。よかった」
「痣はひどいけれどね。鏡を見てみなさい。腫れているのがわかるから」
「いいよ、それは」
「無理をしましたね、五郎さん。数の多い相手に立ち向かうべきではありませんでした」
それはわかっている。だが、拓之進だったら、またたく間に叩きのめしていたはずだ。同じことをやって、自分も役にたつと証明したかった。
悔しさがこみあげてきて、五郎の目元は潤んだ。
「なあ、拓之進」
「五郎さん、これ以上、相模屋さんにかかわるのは、やめませんか」
話を遮って、拓之進は話をはじめた。珍しいことだ。
「手を出してもよいことはありません。元々、商人同士の諍いなのですから」
「そうだけど……」
「五郎さんはがんばって商いの相手を探しましたが、うまくいってませんよね。話を聞いてもらえないことは多いし、うまく会ってもらっても先をつづけられません。相模屋さんが何を売っていて、どんなやり方で商いをしているのか、よくわからないのですから、仕方ないです。なんとかしてあげたいのはわかりますが、これでは話を持ちかけられた相手が困ってしまいます」
「……」
「商人のことは商人にまかせるのがよいと思います」
「あたしもそう思う。あんたは商人じゃないんだから、迂闊に口を出してもうまくいかない。そこはわかってほしい」
「でも、思い詰めているから……」
「話を聞くのはかまわないと思う。でも、商いに口を出しては駄目。同じ商人にまかせて、あなたは手を引く。それだけよ」
弓子は、出入りの商人を紹介すると語った。白銀町の小間物問屋で、旗本や御家人とのつながりが深いとのことだった。
「他にも心あたりはあるから」
「できることは、他にもあります」
二人の意見は正しい。自分には、商人のまねごとすらできない。手助けどころか、足を引っぱるだけだ。
それでも、自分で何とかしたい。
拓之進のように。自分で道を切り開いてみたい。
負けたくはなかった。
*
話を終えた五郎は身支度を調えると、屋敷を出た。二人に声はかけず、そのまま相模屋に向かう。
たどり着いた時、もう日は暮れていた。店はほとんとが閉まり、通りにも人の気配はない。
相模屋も戸を閉めていて、周囲は静かだった。
「何なんだよ」
店に来ても、できることはない。新しい話題がない以上、怡与蔵と顔をあわせる意味もない。ただの空回りだ。
いったい、何なのだろうか。
自分は未熟だ。旗本としても、剣術使いとしても。何の役にもたっていない。
拓之進が来て技量はあがったが、それでも複数の敵を相手にできるほどではない。昨日のように奇襲を受けてしまえば、すべてが終わるわけで、達人には程遠い。
役目についていれば、それを生かして、怡与蔵に取引相手を紹介できたであろうが、それもできない。
何なのか。まるで駄目だ。本当に役立たずだ。
十九年も生きてきたのに、困っている人を助けることすらできないなんて。情けなさすぎる。
もっと役に立つ人になりたかった。父上のような素晴らしい人に。
五郎は顔をあげる。
冬の空気が身体をつつむ。首筋が冷えて、思わず五郎が襟をあわせたその時。
気配がした。相模屋の横丁に人がいる。
二人だ。小声で何か話をしている。
火という声が聞こえた時、反射的に五郎は動いて、路地に飛び込んだ。
「おまえら、何をしている」
五郎の声に、町人が顔をあげた。灯りに油紙を近づけている。
瞬間、頭に血がのぼる。
「連中の仲間か。相模屋に火をつけるつもりだな」
逃がさない。ここで、自分が役立つところを見せる。
五郎が刀に手をかけると、町民は悲鳴をあげて、その場に坐りこんだ。命乞いの声がするが、気にすることなく、間合いを詰める。
さあ、これで終わりだ。五郎は柄を握る手に力を込めた。
「卑怯なのは向こうだろう。数が多い上に、いきなり砂を……いたっ」
「我慢しなさい。もう終わりだから」
背中に薬を塗られて、五郎は背筋を伸ばした。やはり痛い。
もう少し加減してほしいが、弓子は容赦することなく、傷口に指をはわせる。力を入れて押す動きで、そのたびに五郎の身体はすくむ。
相模屋の前で叩きのめされた五郎は、痛む身体を引きずって、屋敷に帰ってきた。
その姿を見て拓之進は驚き、座敷に彼を引っ張り込み、薬を持ってきた。自分で作った膏薬らしく、打撲にはよく効くとのことだった。
そのまま手当てしてくれるのかと思ったが、彼は奥に引っ込んでしまい、代わって姿を見せたのが弓子だった。
痣だらけの顔を見て、青くなりながらも弓子は五郎の着物を剥ぎ取り、膏薬を塗りはじめた。
「向こうは荒くれ者なんでしょう。勝つためだったら、何でもやってくるわよ。それに気づかないあなたが悪い。腕が少しあがったからって調子に乗って。いいところ見せてやろうとするから、こうなるのよ」
五郎は何も言えなかった。口惜しいが、弓子の指摘は正しい。
作次とその取り巻きを見ても、五郎は逃げようとは思わなかった。剣の勝負になったら勝つと信じていた。
佐野道場での剣術仕合での勝利は、五郎に大きな自信になっていた。せっかくなので、怡与蔵の前でいいところを見せたいという気持ちもあった。
だが、その結果がこれである。一方的に叩かれて、傷を負った。
そればかりか、怒りに燃えた作次とその仲間は相模屋でさんざんに暴れて、引き戸や軒を壊していった。助けるどころか、かえって被害を広げてしまった。
「助けるつもりが、迷惑をかけるなんて。だらしないわね」
「じゃあ、どうすればよかったんだよ」
「騒がせておけばよかったのよ。たいした事ない連中なんだから」
「それじゃ、相模屋がかわいそうだ」
「一方的にやられるよりはましでしょう。はい。お終い」
弓子に背中を叩かれて、五郎は悲鳴をあげた。
「終わりましたか」
障子が開いて、拓之進が座敷に入ってきた。その手には湯の入った桶がある。
手ぬぐいをわたされて、五郎は身体をぬぐった。ひどく染みる。
「骨は折れていないようですね。よかった」
「痣はひどいけれどね。鏡を見てみなさい。腫れているのがわかるから」
「いいよ、それは」
「無理をしましたね、五郎さん。数の多い相手に立ち向かうべきではありませんでした」
それはわかっている。だが、拓之進だったら、またたく間に叩きのめしていたはずだ。同じことをやって、自分も役にたつと証明したかった。
悔しさがこみあげてきて、五郎の目元は潤んだ。
「なあ、拓之進」
「五郎さん、これ以上、相模屋さんにかかわるのは、やめませんか」
話を遮って、拓之進は話をはじめた。珍しいことだ。
「手を出してもよいことはありません。元々、商人同士の諍いなのですから」
「そうだけど……」
「五郎さんはがんばって商いの相手を探しましたが、うまくいってませんよね。話を聞いてもらえないことは多いし、うまく会ってもらっても先をつづけられません。相模屋さんが何を売っていて、どんなやり方で商いをしているのか、よくわからないのですから、仕方ないです。なんとかしてあげたいのはわかりますが、これでは話を持ちかけられた相手が困ってしまいます」
「……」
「商人のことは商人にまかせるのがよいと思います」
「あたしもそう思う。あんたは商人じゃないんだから、迂闊に口を出してもうまくいかない。そこはわかってほしい」
「でも、思い詰めているから……」
「話を聞くのはかまわないと思う。でも、商いに口を出しては駄目。同じ商人にまかせて、あなたは手を引く。それだけよ」
弓子は、出入りの商人を紹介すると語った。白銀町の小間物問屋で、旗本や御家人とのつながりが深いとのことだった。
「他にも心あたりはあるから」
「できることは、他にもあります」
二人の意見は正しい。自分には、商人のまねごとすらできない。手助けどころか、足を引っぱるだけだ。
それでも、自分で何とかしたい。
拓之進のように。自分で道を切り開いてみたい。
負けたくはなかった。
*
話を終えた五郎は身支度を調えると、屋敷を出た。二人に声はかけず、そのまま相模屋に向かう。
たどり着いた時、もう日は暮れていた。店はほとんとが閉まり、通りにも人の気配はない。
相模屋も戸を閉めていて、周囲は静かだった。
「何なんだよ」
店に来ても、できることはない。新しい話題がない以上、怡与蔵と顔をあわせる意味もない。ただの空回りだ。
いったい、何なのだろうか。
自分は未熟だ。旗本としても、剣術使いとしても。何の役にもたっていない。
拓之進が来て技量はあがったが、それでも複数の敵を相手にできるほどではない。昨日のように奇襲を受けてしまえば、すべてが終わるわけで、達人には程遠い。
役目についていれば、それを生かして、怡与蔵に取引相手を紹介できたであろうが、それもできない。
何なのか。まるで駄目だ。本当に役立たずだ。
十九年も生きてきたのに、困っている人を助けることすらできないなんて。情けなさすぎる。
もっと役に立つ人になりたかった。父上のような素晴らしい人に。
五郎は顔をあげる。
冬の空気が身体をつつむ。首筋が冷えて、思わず五郎が襟をあわせたその時。
気配がした。相模屋の横丁に人がいる。
二人だ。小声で何か話をしている。
火という声が聞こえた時、反射的に五郎は動いて、路地に飛び込んだ。
「おまえら、何をしている」
五郎の声に、町人が顔をあげた。灯りに油紙を近づけている。
瞬間、頭に血がのぼる。
「連中の仲間か。相模屋に火をつけるつもりだな」
逃がさない。ここで、自分が役立つところを見せる。
五郎が刀に手をかけると、町民は悲鳴をあげて、その場に坐りこんだ。命乞いの声がするが、気にすることなく、間合いを詰める。
さあ、これで終わりだ。五郎は柄を握る手に力を込めた。
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