やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第三話 それでも、俺は間違っていない

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 五郎が相模屋に赴いたのは、怡与蔵と会った五日後だった。

 店先で声をかけたが、出てくる者はいなかった。大声で呼びかけると、ようやく手代が出てきて、取り次いでくれた。

「すみません。人手が足りていませんで」
「いや、それはいいんだが。ここ、ずいぶん暗いな」

 店は北向きで、日が差しにくい条件ではあったが、それでも上がり框の周囲はうす暗く感じられた。掃除も行き届いているとは言えず、棚には埃が残っていた。

「人も少ない。これだけなのか」
「はい、ここのところ、ずいぶんと辞めてしまいました。今は、奥も含めて、五人で回しています」

 店には怡与蔵を含めて、三人しかいなかった。そのうちの二人は小僧だったが、顔つきは暗く、動きも鈍かった。

 相模屋は長谷川町の表通りに面しており、店はかなり広い。外回りも含めれば、五人ではとうてい回せない。気にはなったが、五郎は先をつづけた。

「それで、新しい客の話だが、あちこち回ってみたが、今のところ、色よい返事はない。すまないな」
「い、いえ、申し訳ございません」
「安心しろ。まだ回っていない家もある。どこかでいい話が聞けるさ」
「ありがとうございます」

 そう応じる怡与蔵の顔は暗かった。

 あの日、五郎は別室で、今後について話しあった。とにかく客を集め、売上の向上を図るのが第一とのことだったので、五郎は知り合いの旗本や御家人、商人と会って、相模屋の話をすると約束した。知ってもらって、商いの話をしなければ、何もはじまらない。

 怡与蔵の表情は渋いままだったが、五郎の提案を拒みはしなかった。

 腹をくくった五郎は翌日から、付き合いのある商人や旗本に相模屋の話をするべく、神田、上野界隈を歩いて回った。飾り物も預かり、その場で見せて、よい品物であることを訴えかけるつもりだった。期待して出かけたのであるが……。

 やってみると、思ったとおりにはいかなかった。

 顔をあわせるのもむずかしかったし、何とか話を聞いてもらっても、冷たい態度であしらわれてばかりで、注文にはまったくつながらなかった。

 知り合いの旗本は、五郎のふるまいに激怒し、二度と来ないでもらいたいと言った。市之助にも話を持っていったが、反応は芳しくなかった。

 井ノ瀬家は無役ということもあり、すぐに回る相手はいなくなり、売り込みは手詰まりとなった。

「なんとかなるよ」

 五郎は自分に言い聞かせるように言った。

「まだ、出入りの商人がいるし、人づてに、いい取引先を紹介してもらうという手もある。やりようはあるから、安心してくれよ」
「はい」

 怡与蔵の声は小さいままだった。

 励ますこともできないとは。五郎は無力な自分が嫌になった。少しは手助けになると思ったのに、逆に落ち込ませてどうする。情けない。

 できることはないと言った拓之進の言葉が頭をよぎる。それは、もしかしたら正しかったのかもしれない……。

 そこで、五郎は首を振った。

 いやいや、そんなことはない。できることはある。うまくいかないのは、努力が足りないからだ。

 怡与蔵は、父親の跡を継いで、懸命に店を守ってきた。

 そんな彼を見捨てられるか。駄目だ。絶対に。

「また、明日来るよ。出入りの炭屋が京橋にいるから……」

 五郎は、そこで口をつぐんだ。大通りから大声が響いてきたからだ。

 店を出ると、派手な小袖を着た男たちが相模屋の前に立っていた。

 数はおよそ十。一見して、荒くれ者とわかる。

 五郎は一同を見回して、思わず息を呑んだ。

 知った顔が右の端にいた。

 この間、やりあった黒田与次郎だ。裾を白く染めた赤い小袖を身にまとっていて、ひどく凶悪な格好になっている。

「何だ、お前は」

 中央の武家が、五郎を見おろした。頬には大きな傷がある。

 こんな奴に負けていられるか。俺は強い。

 五郎は前に出て声を張りあげた。

「俺は、井ノ瀬五郎。相模屋の主とは知り合いだ。おぬしこそ名乗るがよかろう」
「生意気な。俺は日野作次ひのさくじ。こいつらのまとめ役を務めている」

 作次は大刀を振るう。鞘に入れたままだったが、迫力がある。

「俺たちが用があるのは、相模屋だ。どけ」
「何の用だ。俺が聞く。言ってみろ」
「お前みたいな小僧がよく言うが、まあいい」

 作次は、金の取り立てに来たと語った。額は百両。先日、壁の直しをおこなった際の費用で。いつまで経っても払わないので、左官に代わって、彼らが取り立てに来たとのことだった。

 五郎が振り向くと、怡与蔵は首を振った。

 そんな話もないのに、難癖をつけて、金をせびる魂胆だ。相模屋が落ち目と知っての所業だろう。

 弱った相手を叩くとは。絶対に許せない。
「帰れ。相模屋は知らぬと言っている」
「できないな。払えないなら、飾り物をもらっていくぜ」
「金も払わず、勝手に物を持っていくのは泥棒だ。見逃せるか」
「だったら、力尽くでいくぜ」

 作次は太刀をかたわらの取り巻きに預けて、木刀を取った。

 大丈夫だ。こんな奴には負けない。

 五郎は、店頭に立てかけてあったつっかえ棒を手にした。ちょっと短いが、振り回すにはちょうどいい。今の自分ならば、これで十分だ。

 踏み出した五郎の前で、作次は軽く木刀を振るった。

 それだけで技量がわかる。たいしたことはない。

 五郎は棒を構えて、自ら間合いを詰める。

 作次は右に回ったところで、ぱっと跳んで、木刀を振りおろす。

 五郎は身体を引いて、作次の一撃をかわすと、その喉元に突きを放つ。

 作次は下がって、木刀を構え直す。その顔には驚きがある。

 五郎が攻めかかると、作次は右に跳んでかわし、袈裟の一撃をかけてくる。

 下がって、五郎はそれをかわす。

 速いが、太刀筋はたやすく読める。これならやれる。

 五郎は勝負所とみて、間合いを詰める。

 作太が木刀を振りおろすが、五郎は剣尖を払って、しのぐ。

 逆に下からの棒を振りあげ、小手を攻めたてる。

 作太はふらつきながら下がった。

 これでいける。

 五郎は思いきって踏みこむ。

 直後、作次はかがんだ。何をしているのかと思った時には、砂をつかんで、ためらうことなく投げつけてくる。

 顔面にあたって、五郎の視界が奪われた。

「うっ」

 たたらを踏んで下がったところで、肩に痛みがきた。

 木刀で叩かれたのである。

 五郎は顔を振って、無理に目をひらいた。

 正面には、笑う作太の姿がある。

「なんだ、お前、卑怯だぞ」
「何のことだあ。俺はちょいと砂を拾って、投げただけだ。たまたまお前が目の前にいただけだろう」
「何を」

 五郎は構えを取ろうとしたが、できなかった。痛みが激しい。

 間合いを取ると、作次が口元を歪めて笑った

「危なくやられるところだった。助かったぜ、合図してくれて」
「うまくいってよかったぜ。こいつ、変に腕をあげていたからな。もう少しで足をすくわれるところだったな」

 応じたのは、与次郎だった。

 そうか。彼が何かしたのか。

 与次郎は、この間の仕合で、五郎と直にやりあって、技量を知っていた。作次とやりあっているのを見て、かなわないと判断し、どこかで五郎に気づかれないように合図を出したのだろう。うまく誘い込まれて、五郎は思わぬ痛手を受けた。卑怯にもほどがある。

 五郎は改めて作次と向かい合う。構えを取ろうとするが、痛みがそれを妨げる。

 剣尖がふるえるのを見て、作太が声を張りあげた。

「それっ、やっちまえ」

 声に押されて、取り巻きがいっせいに襲いかかる。

 下がりながら、五郎は左からの一撃をかわす。

 太刀筋は見えている。

 だが、三人、四人に立てつづけにと攻められると、見えていても逃げきれない。

 右からの打ち込みを払ったところで、左の敵に胴を打たれて、息が止まる。

 肩に一撃。ついで腹に突きだ。

 手足から力が抜け、五郎はかがみ込む。

 伏せる彼の頭上から木刀が迫る。

 肩や頭に痛みが走る。

 くそっ。弱いのに。剣技はたいしたことないのに。

 どうして、こんな奴らにやられるのか。

 笑い声が響く。作太が笑っている。与次郎の嘲る声もする。

 反撃したいが、どうにもならない。一方的に叩かれる。

 屈辱だ。せっかくうまくなったのに、やられてしまった。

 やはり、俺はダメなのか。

 五郎は心の痛みに耐えながら、その場でうずくまる。それしか今の彼にははできなかった。
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